katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

寅さん教室と蛸の椅子

2024-06-28 07:02:15 | モザイクタイル教室
今日は午後から寅さん教室なんで、午前中は蛸の椅子から。

そうね、以前このビンテージ的な玉石のタイルを使った作品を見て、呪いが掛かったみたいって表現した人がいて・・・確かにこの窯変って釉薬のタイルをこうして沢山張ると、気持ち悪さが増し

そう見えると思うのね。って事は、実際の蛸よりも、よりエグく見えるだろうし、大きさにしても、実際いたとしたらかなり迫力あるサイズでもあるだろうから、思った通りの仕上がりには

なっているのね。ただ期限があるし、夏は特にあれこれあるし、まぁここまでは貯金って感じの早めの始動だったけれど、もう数日で7月・・・気分的にも本番って感じになったせいもあり、

何か気忙しくなった。ただ良く考えれば、確かに良い作品にしたいとは思うが、今年はリュウグウノツカイに始まり、カツオノエボシ、そして蛸の椅子・・・もしこのまま8月に突入となれば、

作家katsuは、8ヶ月無償の作品を作り続ける事になるのだから、生きている事が不思議になる・・・つまり流石にやり過ぎだろって思ったりもする。ただね、誰もやれない事って言う点は

悪くは無いんだけれどね。まっこんな葛藤はある中の制作なのね。そんなこんなで寅さん教室。地味ではあるけど進んではいる。ただこの辺からは、もう意識の問題なのね・・・。

例えば趣味って言葉・・・一体いつまでその言葉で作り続けられるのだろうか?それと上手くなりたい・・・この言葉と合体させられるもんなんだろうか?例えば、他人事の方が責任が無い分、

理解しやすいだろうから、さっきの俺ね。良いものは作りたい。でも依頼品があるのに、無償の作品作りを8ヶ月もし続ける・・・これは全く反対な事になる。って事で、依頼品を待たせる事に。

つまりどちらか諦めないとならないのね。ではそれを踏まえて、趣味と上手くなりたい・・・確かに始めて3ヶ月・・・これなら樂しく上手くもなる。それは下手っぴだから。伸びしろも大きい。

では3年。こうなると月に1回3時間x12ヶ月で36時間、x3年で、108時間。そこそこの時間にはなった。ただみんなが凄いって言っている労作展の子供達と比較すると、最低でも100時間は超えて

いるのね。でもじゃ一緒くらいじゃん、むしろ超えているなんて勘違いしそうだけれど、奴らは1作品での時間であって、その3年間で何作作った?って事になると、制作時間だけでも差がある。

ただそんな事だけで無く、例えばこれを料理だとして、簡単な料理を何作も作るって言うのは、目玉焼き、ゆで卵、スクランブルエッグ・・・これを3年作り続けるのと、いきなりフランス料理

・・・って比較したようなもんなのね。でも実際どっちが楽しい?って事になると、宿題だから、良いのが作りたいって言うのは、楽しいから作っているんでは無いのね。むしろ大変。

それを楽しく作るんだから、楽しい作品くらいになれば、充分理屈としては成立すると思うのね。でも上手くなりたい・・・となると、楽しいだけでは難しくなるのね。それが経験年数が増えれば

増えるだけ、より難しくなるのね。まっ簡単に言えば、10年料理教室に通って、凄く楽しいんだよ、凄くスクランブルエッグ上手く作れるようになった・・・って言える?無理でしょ。

それを労作展の為に習ってるんだ・・・となれば、えー習っててこれ・・・もう最悪だわ。それを大学行くのに予備校行ってるんだ・・・って言って置いて、一体何処の学校だとセーフで、

何処の学校からアウトになる?・・・これを何処でも良いから受かってくれれば・・・って親心なら、それで成立するけれどね。つまり樂しくって言うだけでは限界があるのね。

では寅さんの場合は?となると、亀有カルチャーの頃からだから、そこそこの経験値になって来たのね。つまりこのまま樂しくだけで続けるのなら、もうそんなに教える事は少ないのね。

だってそこそこならもう充分、ハイビスカスにも見えるし、オウムにも見えた・・・ただここから上手くなりたい・・・もっととなれば、当然その意識が変わらないと、趣味はあくまで樂しく。

上手くなりたいとは上達したい・・・になるんだから、学校名や料理名を具体的に言えば、先生サイドの判断で作れるようにはなるだろうが、それを実際楽しいだけで作れるようになるだろうか?

楽しい予備校、東大目指そうね〜って有り得ないと思うんだよね。じゃ何処の学校から樂しく何とかなるんだろうか?って事になると、上は目指さないって事だから、何処でも良いからスタイル。

一体何処まで上手くなりたいの?って掲げないと、厳しくなると嫌になる、じゃ甘くすると、こんな学校じゃ嫌・・・ってな事になるのね。それ位の事が言える日数が経ったって事なのね。

一番難しい経験数になって来たって感じなのね。だからその意識が変わらないと、中々ここから変わるって言うのは難しいのね。だから作品よりも意識改革。いかに考え方が変えられるか?

いずれにしても、生徒さんにはここでは言えない、まだ何も具体的にはなっていない話しをしているのね・・・それを聞いて貰って、どう感じるか?何か俺は変わるだろうか?判断材料を提示して

ご判断して貰っているのね。もし俺の思っている通りに何か変わると思えば、今とは違う展開が待っているだろうし、別に・・・って言うのなら、何も変わらないだろうし、その時になったら、

考えるって人は、準備はしない・・・って人なんだろうし、どれを選んだとしてもご自分の判断になるのね。ただ人はそう変われない・・・余程の事が無い限り。つまり変えられないのなら、趣味

からは抜けられない・・・全部自分なのね。

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