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katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

台湾からわんちゃんがやって来る

2016-12-29 04:11:20 | モザイク教室
今日は台湾からわんちゃんがやって来る。久しぶりとなるから当然、新しくなったアトリエは初めて・・・そんな中、最寄り駅まで迎えに行って・・・・いつものようにこの大きな作品を台湾から持って来たのね。すると、作品が少し重く感じた・・・って。

どうやらいつも言っている大作だけが感じられる、作品の終わりの合図・・・・ある日突然、ズシッと感じる・・・昨日まではそんなに感じなかったのに・・・勿論、俺も作品を確認するのに持った瞬間、重いって思ったから、そろそろ終わりだね・・・って声は掛けたのね。

ではお教室って事になるのだけれど、何しろもう楽しくだけでは済まない作品を作っているし、しかもそう簡単には来られない。そうなると、指導もいくらか厳しくなる・・・・甘くすれば今日は楽しいかも知れないけれど、戻った時は1人でやらないとならないのだから・・・。

いつもは1人で判断してやらないとならない。しかも切る事が上手くなれば、進み方も早くなる。自分が良いと判断すれば、進み方は良くなる分、それまでの早さでは無い早さで進む事になるし、その癖、悩むとその早さがピタリと止まる事になる。

つまりこの落差はストレスにもなる。そんな繰り返しなのだから、更に言えば何も考えずに決まった形や色の繰り返しなんて部分は異様な進み具合になる。ただここに落とし穴があって、要するに果たしてその判断は本当に正しかったのか?・・・って部分に関しての目って話を広げる事になる。

例えばほって置くと、わんちゃんの場合、薄味になる。つまり指導としては濃い色をどう使うか?になる。ただ、先日のみどりの指導と同じで、色がうんぬんでは無くて、趣旨とか意図って話をきちんと持っていると、ブレが少なくなるが、その日の気分なんて言う決め方をすると、時間が掛かる分、

自分の気持ちもその都度変わってしまう。そこでもう一度、確認をすると、春夏秋冬って言うので、それでは空欄は冬だね・・・と言うと、冬はいらないって言うので、余程の事が無い限りそれは駄目・・・って話になる。そもそもこれだけの作品になると、見る側としても感じるものがある。

2つの折り鶴に四季。そこに冬無しは考えられない。この作品にどんな形でも冬は必要であり、冬の花、冬の華に見えるものも必要だし・・・そこで提案として雪解けのような川は白く流れ、段々と水色の川になる。もしそうなった時に想像が出来るのは、右半分と左半分の違い・・・。

春と秋が非常に色濃く、夏が清々しくもあるけれど、薄く、しかも冬は誰もが思い描く銀世界やら白銀などの色合い・・・となると、水と油のように真っ二つに見える。そうなるのも、夏が薄味過ぎるから・・・。例えば冬は白みたいな連想ゲームみたいなイメージをした時に、これを音楽に例えると、

この四季の4つを何処を強く、何処を弱くみたいにメリハリを付けるのか?それともカルテットのように4人揃って同じスペースを取るのか?みたいな事を考えた時に、まず冬を外す事は考えられない。しかしいらない・・・とまでの考えだったのに、入れるを選択するのだから、当然小さめになる。

この時点で、白いわ、薄いわ、小さいわになるから存在感は薄い。そこで状況は子役みたいな雰囲気になる。そうなると、右上はかなり手薄になる。
ただどんなに小さかろうが、入れた事で春夏秋冬になる。これで成立したのと、入れなくて四季みたいな・・・と言うものよりも数段上に見える。

ただそれにしても、冬は取って付けた感じがしても入れるだけで良いと思うが、気になるのは夏の薄さ。同じようなスペースなのに。理由は簡単で、赤い花に赤を入れられたから、葉っぱの緑が負けないバランス、紫や紺が入ってのまた葉っぱの緑・・・これでわんちゃんの思う色より濃くなった。

それが夏の部分に後押しの指導が薄くなった分、悩んだ末にこうなったらしいのね。そんな中、夏の葉っぱの左側に少し濃い緑を入れたり出来たら、いくらか左側から徐々に薄くなる花みたいに見えないかな?って話。もし春夏秋冬なんてきっちり意識してのスタートなら、そんな事も出来たのね。

それと、四季の色合いをイメージした時に、わんちゃんはかなり秋押しだったのね・・・俺は夏かな?と思ったんだけれど・・・そんな中、キウイがやって来たんで、同じ質問をすると、やっぱり秋押しだったのね・・・キウイは春押しして来ると思ったんだけれど・・・。

例えばこんな事1つでも、夏押しすると、元気とか成長とか、華やかやらこんなイメージに思えたりする。それが春だと夏の前フリになるから、夏より薄味だから、若葉なんて若さを感じたとして、夏に濃く成長みたいに引き継ぐ事になる感じかな?となると、同じアイテムだけでは春より夏が強い。

そこで夏の力強さを考えると、例えば花を1つで色濃くなら、春は薄味な分、花の数を多めにしてバランスを取る。更に秋となると、緑の葉っぱは少なくなり、紅葉なんて言う紅なんて言う色が使いたくなる・・・ただ紅って色がタイルには少ない・・・つまり紅は赤になる可能性が強い。

ただそれが嫌な場合、えんじなんて色になってしまう事にもなる・・・紅葉にするには地味かな?・・・ってね。ただ赤は事故を防ぐ位強い色。当然薄味のわんちゃんが使うには目立ち過ぎるだろうから、必要以上に少なくなる可能性もある・・・・。

いずれにせよ、こんな事からわんちゃんへのアドバイスは、あるべきものは少なくても入れるべきだし、きちんと切れるようになったら、きちんと切るだけでは無く、わざと曲げるとか、細かく細く切れるのなら、大きく太くみたいに対比させたり、薄くしたいのなら、いかに濃い色を入れられるか?

だったり、偏らない事がバランス。そんな中、キウイが入れない事も個性なんじゃないか?と言う質問があったんだけれどね、確かにそうだけれど、1つだけ言うのなら、入れないの意思。入れられないのは逃げ。全く違うものなのね。

それが良い例で、どっが良いか?って見比べた時に、こっちが・・・と変わってしまう事が、悩みつつそっちになった・・・と薄味になっちゃった。
薄味にした・・・のと、なっちゃったでは意味が違うのね。釣れてたと釣ったは意味が違うのね。

作り手は操作出来るのだから。つまり入れられるようになれば抜く事は出来ても、入れられないのでは足すしかない。足すは外側にしか入れられない。足し算で作る事に慣れた人は、引き算も必要なのね・・・・。けれど、薄味過ぎては引く事は出来ないのね。

ただ、こんな指導をするのも、一人になったらここで言わないと、薄味から抜けられないから。ただ当然現状の是正もある。もし冬を入れられるのなら、折角薄味ついで・・・バックを右側から濃くして、左側に向かって薄くしたら、もしかすると均等に見えるようになるかもね。

大事なのは本人の趣味じゃなくて、趣旨。言いたい事、伝えたい事が大事・・・もしそれをおろそかにするのなら、伝わらなくても良いや・・・って言うのなら、自己満足からは抜け出せなくなり、人に見せる前提では無いのだから、無人島でも楽しめる人になるだろうね・・・。

ここまで上手くなったのなら、小物で自己満足して、大作は伝える事を目指した方がもっと上手くなる。ここの意識を持つか?持たないか?が、切る事が上手くなった人のステップアップと考えるのね。そんなこんな後は、キウイの家の棚作りをして、アトリエに戻って・・・



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