今日は今年最後の高洲のサークル。のりちゃんが欠席の4人だったんだけれど、高洲公民館が工事な事もあってなのかな?場所が確保出来なかったみたいで、マンションの集会所での開催。そんな中、アルルの母さんとのりちゃんがお昼に・・・と前回に続きまたパーティみたいなご馳走だったのね。


それが先日のクリスマスのオブジェの教室もあってか、タピオカとお母さんがやりたいって事で2枚あった事で・・・黒い枠がタピオカで、赤いのがお母さん。この2人なら気楽に楽しめるし、1回完結で質も良く作れるから楽しく終われたのね。
ただ、お母さんがこんな色んなタイルを切るのは大変だったんじゃないですか?って。そうね、お母さんはお教室の手伝いをして貰っているから、想像出来たんだろうね・・・でも、初めてやる人は、固いのや柔らかいのも初めてだから、必死でやってて良く判らないうちに終われるのね。
要するに上手くなって、しかも教えている側での意見なのね。つまり作る事に必死って話じゃないのね。この時点で上手くなっている事が伺えるのね。
そんな中、このサークルも長くなったので、先日の花びらの仕込みをやって貰ったのね。趣旨の1つはサークルの運営費の補てんにでも・・・と。
それと個人差って一体どの位なのか?の目安の確認もあってね・・・何しろここのメンバーが質に見劣りする事は無いから、問題なのはみんな揃ってやった時に質を気にしながら仕込むと大体どうなるか?・・・ってね。何の打ち合わせも無しの時の仕込みの数の目安は1時間に60枚弱かな?って感じだった。
しかし、お客さんと打ち合わせした後の仕込みは恐らく50枚くらいと思われるのね・・・しかしこれはキウイの数。つまり生徒のエースの目安。それが10枚も下回るのだから、いかに難易度が上がったかが判る。ここで大事なのは、野球では大砲って言ってホームランを打てる人もいれば、バントって言って
地味な役目もあったりする。ある意味この仕込みも同じで、この仕込みのタイルのコロってタイルは非常に固いのね。まぁ当たり前なんだけれど、床で使うんだから、柔らかかったら割れちゃうよね?つまり1時間握力の検査をし続けるみたいになるのだから、非力な感じの人には辛いのね。
いつもは1枚切っては張って・・・とニッパーを握って切って、ピンセットに持ち替えて、ボンドを付けて張って・・・となるから、張っている時は、握るのを休める・・・つまり半分は力作業から解放される事になる。だから切り続けるって言うのは野球で例えると攻撃のみをし続けるみたいな感じね。
これが張るだけだと、守備のみをし続けるって感じ。じゃ他には?となると、営業が攻撃とするのなら、事務が守備みたいな、全く違う事になる。
つまりいつもの制作とは全く違う事になるのね。中々こう言う機会は少ないから、良い機会かな?とも思ってね・・・。
ただこの時に大事なのはキウイが・・・なのね。生徒のエースって言っているから・・・基準を。つまりそこと同じじゃなくても良いって言っているのね。わざわざ・・・慌てなくて良いよってね。常に言っているそれは美しいですか?・・・基本の言葉。
例えば、自分の作品ではそれが美しいかどうかは自己判断になる。ただサンプルのパーツありきって言うのは、みんな統一を目指す事なのね。全く作る姿勢が違うのね・・・・勿論、それをいつも意識しているのなら、自分のでも人のでも一緒なんだけれどね・・・。
ただ、それにはこうした意識が必要なのね。最初は自分の作品で段々と上手くなったりして行くのね・・・それが出来た・・・から上手いと人に言われるようになる。ほら、自分が出来たかどうか?って自己判断から、人の評価で上手いと言われるようになる。
ここまでは簡単に理解しやすい。しかしながら、ここからは少し意識を変えないと難しいのね。つまりサンプルありきで続けている人は、真似をするって言う意識を持って作っているのね・・・だからサンプルを見て・・・良く見て・・・を繰り返す事になる。
逆にウチは自由・・・つまり見るものが無い。見るのは作る為の資料。そっくりに作るって程じゃなくて、あくまで目安くらい。この時点で資料も余り見ないって人は、そっくりにするって意識が少ない。そうなると、数は伸びる可能性が増える。逆にこれかな?って意識し過ぎれば数は伸びない。
これが心理的な事。逆に物理的な事で言えば、力があれば1時間握り続けられるが、非力では手が痛くなる・・・ちなみにキウイは非力側の人。それなのに数がいつやっても統一するのは、理由は1つで力任せに切らないから。常に基本の動作で切り続けるから、早い時も遅い時も無い。
いつも言っている手首を体に付け、親指で押すのでは無く、握手をするように他の4本を引き寄せる。切る側が安定しないと、1時間なんて適当にニッパーを持ち続けて切れば、確実に手首や親指に負担が掛かる。これは口酸っぱく言って来た事。腱鞘炎になるよっ・・・ってね。
更にもし固いな?とか、疲れて来たら刃を浅く入れる事。こんなのも何度も言って来た。そして最後は良く見る・・・ここ。そして最後の最後に大事なのは見切り。これだな・・・って良く見た上で、頭に入れたら切る・・・そして何枚か後にまた見て確認をする。
それを1枚1枚見ていたら進まないし、何にも見無くなればパーツは荒れる。上手くなるって言うのはこの見切りの塩梅なんて言うのも上手になるって事でもある。こうした事が理解出来ると、ただ切る、ただ張る・・・だけでは無く、1つ上の事を目指す事になる。
例えば、投げる、打つ、走る・・・こんな単純な事が、何処に投げるとか、曲げるとか落とすとか、外すとか入れるとか微妙に変化をさせる。しかもそれを場面場面に寄って変えられる。しかもいついかなる時も心がぶれない・・・ならば技術も安定する。上手くなるとは?ざっと言えばこんな事。
それを踏まえて、もしいつかみんな同じ条件になったとして、その時が来たとしたら、コロのような固いタイルでは質や数を踏まえて切った時、一番基準になるのはキウイ・・・って言っているだけで、今のキウイが基準だから・・・の意味は、下回って普通だよ・・・心配無くって話で、逆に多い人は、もっと見る時間を増やしても良いし、逆に少ない人は見過ぎかもね・・・って。
いずれにせよ、中々こう言う機会は無いし、良い勉強になったとは思うんだけれど・・・・。そんなこんなでアトリエに戻ると、キウイが私も作りたい・・・って。そんなこんなで、それから下地を作る事になり、キウイはその間、タイルを切ってパーツ作り・・・。

って事になったのね・・・。


それが先日のクリスマスのオブジェの教室もあってか、タピオカとお母さんがやりたいって事で2枚あった事で・・・黒い枠がタピオカで、赤いのがお母さん。この2人なら気楽に楽しめるし、1回完結で質も良く作れるから楽しく終われたのね。
ただ、お母さんがこんな色んなタイルを切るのは大変だったんじゃないですか?って。そうね、お母さんはお教室の手伝いをして貰っているから、想像出来たんだろうね・・・でも、初めてやる人は、固いのや柔らかいのも初めてだから、必死でやってて良く判らないうちに終われるのね。
要するに上手くなって、しかも教えている側での意見なのね。つまり作る事に必死って話じゃないのね。この時点で上手くなっている事が伺えるのね。
そんな中、このサークルも長くなったので、先日の花びらの仕込みをやって貰ったのね。趣旨の1つはサークルの運営費の補てんにでも・・・と。
それと個人差って一体どの位なのか?の目安の確認もあってね・・・何しろここのメンバーが質に見劣りする事は無いから、問題なのはみんな揃ってやった時に質を気にしながら仕込むと大体どうなるか?・・・ってね。何の打ち合わせも無しの時の仕込みの数の目安は1時間に60枚弱かな?って感じだった。
しかし、お客さんと打ち合わせした後の仕込みは恐らく50枚くらいと思われるのね・・・しかしこれはキウイの数。つまり生徒のエースの目安。それが10枚も下回るのだから、いかに難易度が上がったかが判る。ここで大事なのは、野球では大砲って言ってホームランを打てる人もいれば、バントって言って
地味な役目もあったりする。ある意味この仕込みも同じで、この仕込みのタイルのコロってタイルは非常に固いのね。まぁ当たり前なんだけれど、床で使うんだから、柔らかかったら割れちゃうよね?つまり1時間握力の検査をし続けるみたいになるのだから、非力な感じの人には辛いのね。
いつもは1枚切っては張って・・・とニッパーを握って切って、ピンセットに持ち替えて、ボンドを付けて張って・・・となるから、張っている時は、握るのを休める・・・つまり半分は力作業から解放される事になる。だから切り続けるって言うのは野球で例えると攻撃のみをし続けるみたいな感じね。
これが張るだけだと、守備のみをし続けるって感じ。じゃ他には?となると、営業が攻撃とするのなら、事務が守備みたいな、全く違う事になる。
つまりいつもの制作とは全く違う事になるのね。中々こう言う機会は少ないから、良い機会かな?とも思ってね・・・。
ただこの時に大事なのはキウイが・・・なのね。生徒のエースって言っているから・・・基準を。つまりそこと同じじゃなくても良いって言っているのね。わざわざ・・・慌てなくて良いよってね。常に言っているそれは美しいですか?・・・基本の言葉。
例えば、自分の作品ではそれが美しいかどうかは自己判断になる。ただサンプルのパーツありきって言うのは、みんな統一を目指す事なのね。全く作る姿勢が違うのね・・・・勿論、それをいつも意識しているのなら、自分のでも人のでも一緒なんだけれどね・・・。
ただ、それにはこうした意識が必要なのね。最初は自分の作品で段々と上手くなったりして行くのね・・・それが出来た・・・から上手いと人に言われるようになる。ほら、自分が出来たかどうか?って自己判断から、人の評価で上手いと言われるようになる。
ここまでは簡単に理解しやすい。しかしながら、ここからは少し意識を変えないと難しいのね。つまりサンプルありきで続けている人は、真似をするって言う意識を持って作っているのね・・・だからサンプルを見て・・・良く見て・・・を繰り返す事になる。
逆にウチは自由・・・つまり見るものが無い。見るのは作る為の資料。そっくりに作るって程じゃなくて、あくまで目安くらい。この時点で資料も余り見ないって人は、そっくりにするって意識が少ない。そうなると、数は伸びる可能性が増える。逆にこれかな?って意識し過ぎれば数は伸びない。
これが心理的な事。逆に物理的な事で言えば、力があれば1時間握り続けられるが、非力では手が痛くなる・・・ちなみにキウイは非力側の人。それなのに数がいつやっても統一するのは、理由は1つで力任せに切らないから。常に基本の動作で切り続けるから、早い時も遅い時も無い。
いつも言っている手首を体に付け、親指で押すのでは無く、握手をするように他の4本を引き寄せる。切る側が安定しないと、1時間なんて適当にニッパーを持ち続けて切れば、確実に手首や親指に負担が掛かる。これは口酸っぱく言って来た事。腱鞘炎になるよっ・・・ってね。
更にもし固いな?とか、疲れて来たら刃を浅く入れる事。こんなのも何度も言って来た。そして最後は良く見る・・・ここ。そして最後の最後に大事なのは見切り。これだな・・・って良く見た上で、頭に入れたら切る・・・そして何枚か後にまた見て確認をする。
それを1枚1枚見ていたら進まないし、何にも見無くなればパーツは荒れる。上手くなるって言うのはこの見切りの塩梅なんて言うのも上手になるって事でもある。こうした事が理解出来ると、ただ切る、ただ張る・・・だけでは無く、1つ上の事を目指す事になる。
例えば、投げる、打つ、走る・・・こんな単純な事が、何処に投げるとか、曲げるとか落とすとか、外すとか入れるとか微妙に変化をさせる。しかもそれを場面場面に寄って変えられる。しかもいついかなる時も心がぶれない・・・ならば技術も安定する。上手くなるとは?ざっと言えばこんな事。
それを踏まえて、もしいつかみんな同じ条件になったとして、その時が来たとしたら、コロのような固いタイルでは質や数を踏まえて切った時、一番基準になるのはキウイ・・・って言っているだけで、今のキウイが基準だから・・・の意味は、下回って普通だよ・・・心配無くって話で、逆に多い人は、もっと見る時間を増やしても良いし、逆に少ない人は見過ぎかもね・・・って。
いずれにせよ、中々こう言う機会は無いし、良い勉強になったとは思うんだけれど・・・・。そんなこんなでアトリエに戻ると、キウイが私も作りたい・・・って。そんなこんなで、それから下地を作る事になり、キウイはその間、タイルを切ってパーツ作り・・・。

って事になったのね・・・。