katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

亀有カルチャーとアトリエ初オードリー

2016-12-11 05:24:28 | モザイク教室
今日は月に1度の亀有カルチャーの日。そうね、いつもよりいくらか早い出勤だったのね・・・するともうすぐ到着って時に、河川敷上空が真っ黒になる位、何か鳥がいて・・・カラス?信号待ちで何だか判ったのね・・・鵜なのね。首が長くて・・・真っ黒だったから。

そうね、ちょっとしたレース鳩の群れとか、ムクドリの大群とか、あんな数に見える位の群れで・・・まぁ中々見ないものを見たのね。ちょっとビックリな光景だったのね。そんなこんなで荷物を積み余裕を持って出発すると、9時半に到着しちゃったんで30分待ち・・・・・。

早く着いた事もあって、まずは展示物の変更から。


クリスマスっぽくなったのね。さてそれではお教室。お一人目は干支の方。俺のデザインで毎年作っているのだけれど、もう4枚目となったのね。
もう4年かぁ・・・。そう言えば、毎年贈られて来るカルチャーの手帳が来ていたけれど、4冊目になったって事かぁ・・・。


次はおかみさん。下絵が鉛筆だったのをペン入れしてあって、ちょっと雰囲気が変わった感じに見えたのね。それと前回、指を怪我していて痛々しかったんだけれど、今日もまだ包帯していて・・・ただ前回よりはそれにも慣れたような感じがしたのね・・・。それはそれなりに・・・。


それで最後はさくら。ここはカルチャーでは有り得ない指導になっちゃったんだけれど、ここの指導はアトリエに行ってからの話にして・・・・。

カルチャーを終えて、オードリーとさくらの3人でお昼を食べて・・・実は引っ越し中に来たけれど、落ち着いて来るのは初めてのオードリー。
ただ余りゆっくりは出来ないらしいので、じゃ花びらの仕込みでもするか・・・となる。


結果は2時間で80枚。先日の仕込みとは違って先端を片方尖らせるって言う事にお客さんに言われて難易度が上がった分、当然スピードダウン。
まぁとは言うものの、決まり事さえ決まれば後は時間が解決するようなもんだから、みんなに見せて説明すれば何とかなるだろう。

ただ1時間60枚設定の見積もりだったから、帳尻は俺が合わせる事にはなるだろうけれど・・・。ではさくらの続き。これはさくらに限らずに、誰にでも当てはまる事なんだけれど、例えばさくらの例を取ると、単純に物事に取り組むって事に問題があるのね。

そもそもまずさくらは病気である。つまり何らかの形で普通の事を普通にみんなが出来る事が出来ない・・・まずここで意地を張る。何とかみんなと同じ事を同じように・・・と。ここに失敗が生まれるのね。当たり前の話でそんなもん仮に一時出来たとしても継続するはずが無い。

例えば意地を張ろうとした時にさくらがもし100の元気があったとする。つまり全力でやっとやっとやっただけだとすると、80の時ならまともに同じように出来ると思う?当たり前の事で結果に繋がらない。繋がらないから焦る、焦るから失敗する、失敗するからへこむ、へこんで自分を責める・・・。

もはやそれじゃ乗っていけない・・・。これでは完全にマイナスへの道のりへ向かう仕組み・・・。じゃ話を変える。さくらは調子が悪いと握力低下になる。だから常にニッパーのギリギリの所を持って握ればてこの原理で、左程力を入れずに切れるのだが、重くて持てないと言うのね・・・。

じゃ何故重いのか?・・・当たり前の事で、ニッパーを手首を固定しないから。そもそもあんな重いニッパーを手首を固定しないで持って、切る為に握り続けないとならないのでは、誰でも疲れて当然。すると、思いから短く持つ。短く持つからテコの原理は使えないから、当然力がいる。

握力低下しているのにね・・・負担が大きいのね。つまり最初の考え方に問題があるのね。つまり出来ないから出来るように・・・と考えてそうしたつもりになる。ここで意識はどうなっているのか?と言うと、出来ないものが是正で出来るって意識になった。つまり結果もこれで出る・・・と。

ばかちぃぃんなのね。そもそも何の根拠がそこにある?何で出来ると判断した?そしてそれによってどうして結果も求められると思った?単なる過信なのね。それによって何が起こるか?簡単な話で、結果が伴わないから、やっぱり出来ない・・・になる。絶望感満載。

そもそもモノの考え方に問題がある。まず基本を教わったのだから、その基本に取り組む。取り組んで同じように出来ない・・・どうしても・・・と言うのなら、基本を理解する為にその意味を考える。何がその基本で言いたい事なのか?するとこんな事が浮かんだりする。

まずニッパーの重さ。日常にあんな重さを3時間も4時間も持ち続けるってある?しかもただ持つだけじゃなくて、握り続ける・・・ひたすらね。
有り得ないのね。もはや特訓なのね。ただなんでも素振りだったりするでしょ?慣れる為に・・・ギターだって豆も出来る。

でもね、意地だけでそうは普通は続かないのね・・・だから継続は力なりなんて言うのね。そもそもそんなの当たり前なのにいちいち言葉が残っているのは、そもそもそれが中々出来ないからであって、いちいち誓うのは先人が難しいと判断したからであって、それ位難しいものなのね。

そう言う意識から言えば、普通の人と同じ事が出来ない・・・病気だから・・・ちゃんと意識する。それでどうする?なのね。簡単な話で、重いニッパーは手首では支え切れない。例え普通の人でもね。だから体に手首を固定する・・・と何度もみんなに教えている。

そもそもそれをしないって事は、ただ疲れだけの為では無く、安定感が生まれない。固定しなければぶれるって事。結果が伴わなくて当然なのね。
そもそも教えているのにやらないのなら先生はいらない。ただやらないのと出来ないは意味が違うのね。手首を体に固定すると肘が後ろに向くのね。

この姿勢がさくらには厳しいらしいのね・・・だからさっきの自分なりになったって言うのね・・・そう今日初めて。こらこらそれならやる必要は無いじゃなくて、どうすればそれに近い方法になるか?を考える。出来ないからやれないから自分で・・・ならば先生はいらないだろ?

それが無理ならそれに見合うやり方を考えるであって、それを取り入れない・・・って事には繋がらない。つまりいかに手首を体に固定して窮屈にならない場所を探す事であって、痛いからやらないのでは無く、痛くない場所を探す・・・。

そんなの簡単な話で、俺もさくらも人間なら根本的な体の仕組みは一緒。ならば一緒に見付ければ良いだけ。まず威張ったみたいにのけぞって、お腹の上に手首を固定する。みんなは剣道みたいに構えるんだけれど、さくらは真横に持つ。そうすれば手首は固定され重さも感じない。

これならテコの原理のニッパーの遠くを持つのも出来る。これで力も使わずに切れる姿勢は出来た。ではこれからやっと切る指導になるのだけれど、そもそもさくらのモザイクって何だ?って常連に聞けば必ず穴が・・・って言うだろう。つまり1つや2つじゃなくて、尋常じゃ無い数ってね。

そうね、簡単な話で歩兵やアリは数で勝負。王様は1人・・・そんな考え方で言えば、同じことの繰り返しみたいなものは沢山集まると威力は抜群で、凄いものにも負けない力になる。それがさくらの良さなら、お腹の部分で十分やってあるのだからいつも通りさくらの作品なのは判る。

しかしこれは同じデザインで2作目。当然進歩したい訳で。そこでガラスを提案した。この意味を理解出来れば良かったんだけれどね・・・。
さっきの考え方をきちんと理解出来ていれば、高価なガラスの素材で以前よりもグレードアップなんてチープな考え方にはならないはずなのね。

要するにガラスの特性を考える。例えば1cmタイルは1cmから切るのだから数ミリのパーツを切る事になる。ではガラスは?倍以上大きい。
当たり前の事だが、その当たり前をきちんと理解をする。その上で、この素材に合った切り方は何か?であって、自分の切りたい形なんて考えるのが、

おかしな事なのね・・・。そもそも手慣れていない素材を好きな形に切ろうとするなんてね・・・。しかも、折角大きいのに、1cmタイルで切るような形に切ろうとするなんてね・・・・何もかもが無謀。要するに何故ガラスか?はガラスが高級感って事も1つの理由ではあるけれど、

大きいと言う事。大きいものは持ちやすい。持ちやすいから1㎝タイルよりも持つだけなら有利になる。でも手慣れていない・・・そこなんだけれど、また元に戻って、さくららしさはお腹のぺきぺきだとしたら、このガラスはいつものさくらとは違う使い方になれば進歩になるはず・・・。

じゃそれは何か?答えは簡単で、毛並みとか羽根をリアルに作る事なのね。当然同じ事はしなくて良いし、羽根っぽい形って言うのは決まりは無い。
それが自然なのである。つまりそんな感じの形に大小問わず切る・・・ひたすら切る・・・手慣れる為に。

切るが練習なのに、切るがそのまま使える・・・それが羽根の形。それがリアルにも見えたりする。つまり目だのお腹は模様として今までと同じであるのに、新しい事としてガラスが入り、手慣れていないから何しろ同じ形の繰り返しで、ある意味リアル感も出る・・・。

感じとしては小さく切るじゃなくていかに大きく切れるか?になり、上手く行かなくても同じような形になれば何でも失敗じゃない。何でもかんでもやっては失敗って思うんじゃなくて、理想じゃなく現実に出来る事を拾い集める事で結果を求める・・・。

一番やってはいけないのは、物事を単純に大きいから小さい、重いから軽い、高いから安い、こんな判断で進めると、間違いなく失敗に一直線になる。少なくともさくらはね。物には必ず意味がある・・・その本質を考えてからであって、結果を求められる前提なんて進めると、結果が思うようにならなければ、また出来ない・・・と落ち込む事になる。この位言って置けば、他にも応用するかな・・・。

そもそも続けるって言うのには自分の意思だけでは難しいものもある・・・ちはやふるって漫画に出て来る先生も言っていたが、そんな迷った時に誰もいないのが良いのか?それとも支えたり相談相手がいるのとではどちらが良いか?であって、いずれにせよ、先生の器って言うのも問われると思う。

まっ、俺に取っても良い勉強になる。

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