午前中はこれで3年連続でモザイクをする事になった、監督が打ち合わせにやって来た。
1年目にカメ、2年目はゲルニカ・・・思い出して頂けたろうか?
実はもうここで明かしてはいるが、慶應には労作展って言うのがあって、9月の後半に
学校全体での発表がある。
はっきりは判らないが、恐らくこんな事が含まれていると思われるのね・・・・
昔の言い方なら、文武両道なんて言葉がある。それは大抵、野球と勉強のような、
2つを両立・・・こんな比喩に使われた。野球ばっかじゃダメなんだ・・・ってね。
ただそこにはこんな事もあったと思うのね・・・誰も言わないけれど・・・。
例えばこのセリフを言うような老婆心を持つ大人は一体誰?・・・・多分、野球部の顧問や監督、そして選手の親だったりしないかな・・・・?
だとすると、それは野球サイドに立って、更に野球がそこそこ達者な選手への、警告や
忠告、天狗になるなとか、いずれにせよそんな事を踏まえた上での話となる。
では逆の立場だったらどうだっただろうか?勉強が出来ていたとしたら・・・・?
俺が昔、子供をやっていた頃なら・・勉強が出来ているサイドの話なら、逆はほぼ無い。
何故なら学歴重視だったから、スポ-ツで褒められても一生って考えたら・・・
勉強ばっかやってたってダメなんだ・・・スポ-ツも出来ないと・・・こんなセリフは
前者のスポ-ツが達者の人達の話よりも極端に少なかったはずなのね・・・・
では、それが普通と基準に考えていたとするのなら・・・。
何しろあの頃は学歴社会。やっぱ勉強でしょ・・・って感じなんじゃないのかな?
特化したスポ-ツ選手以外なら、やっぱ勉強ってね。
だって子供の習い事として考えたら、塾、家庭教師、進学教室・・・まずここが
習い事のトップに来るものだったと思うのね。
その次に書道とかそろばんとか、身に付けて置くと・・・って感じのものがあって、
更に昔なら女の人としてのたしなみ・・・茶道、華道とかなんてもんがあって、
ここを選べるような人は格式なんてもんを身に付ける事になる。
何しろ道と名の付くものは、剣道、柔道のような武道も同じで、単なる勝ち負けの
スポ-ツとは違う、道を習う・・・つまり技術だけでは無く相手を敬ったり、礼儀作法、
そう言った昔から受け継がれて来た伝統のようなものをも習う・・・
そうした上で戦う・・・そして挨拶で始まり、挨拶で終わると言った勝てば官軍って
考え方とは違う、確実なる情操教育とした習い事があって、男は武道で、女は・・・
なんて考え方があったと思うのね。この順番みたいなもので習い事のお金を出して
くれたようなものが普通だとするのなら、全部大事でしょ・・・ってお考えになるのが
エリ-トだと思うのね。つまりそこに順位は無いってね。ただ問題なのはエリ-トの人は
勉強は出来た上での発言だから、勉強は普通に出来た前提の発言になる。
つまり勉強が出来るのは普通で、そればかりじゃダメで・・・となる。
それが普通の場合、野球ばっかして、明らかに勉強は出来ない・・・・そんな感じ。
つまり勉強が出来た上で、全部大事で全部同じ扱いに出来るのがエリ-トとなる。
いつしかエリ-トとは違う、普通の考え方は武道はスポ-ツに変わり、華道、茶道は
ピアノやバレ-のようなダンスに変化して、日本の封建的なしきたりとは違う考え方に
変化して行く・・・。つまりこんな考え方が普通とエリ-トの違いとなるのなら?
勉強とスポ-ツの2つだけで良いのだろうか?・・・・恐らく優秀って言うのは、すべてに
置いて満遍無く、万能である・・・こんな事を老婆心として掲げていたとするのなら?
更なるエリ-トとは?とお考えになるのなら、確実に美術、芸術の分野も入って来る。
文武両道なんて2つなんてちんけな事は言わない。
だから、勉強もして、スポ-ツが出来て、更に文化教養としての美術、芸術も・・・・
となっていたとするのなら?恐らく慶應なんて格式の高い学校なら、こんな事は昔から
あった話だと思うのね・・・昔の俺なら全く判らん世界だが、こんな普通の凡人の俺が
いつの間にか、芸術なんてもんに手を出したから、そっち側の人間の気持ちも
考えるようになった・・・・判らないながらも・・・普通側の生き方しか知らないのに。
明らかに今まで馬鹿扱いされて来た。たまたま進学校に入っちゃったばっかりに・・・
入った後は、ずっと馬鹿と言われて6年やった。何も人から褒められる事無く。
それなのに、職人になると、今度は高卒なのにおぼっちゃん扱いをされた・・・
親がタイル屋で2世なんだとさ・・・。随分と安いおぼっちゃまだ事・・・。
そんな人生だもの、色んなものを観て来た・・・。そんなこんな中で考えるには、
恐らく、監督が慶應の伝統ある労作展で問われるのは?・・・・一体何か?
これが3年生で最後の労作展の集大成と考えるのなら、大事なのは課題の趣旨の理解。
ただ言われたからやる・・・やったから良いだろう・・・どんな考えでも良い。けれど、
ただ、俺の所に3年続けて来て、その3年目は集大成なんだ・・・って言うのなら?
教えるこっちも最後で一緒。2年連続で賞を貰った・・・そんな事は過去の実績。
忘れろっ。それで何が作りたい?・・・って2年目の最後が終わっていた・・・
今日は、こんなものを立体で作りたい・・・と連絡も受けていて、はっきりとしていた。
そこでファイナルアンサ-かどうかを試した・・・まず立体の下地を作るって事は?から。
そもそも2年間の受賞は平面の純粋なモザイク。だから経験値は切る、張る。
では立体にするって事は、彫刻のような技術が必要となる。
そこは未知数。なのにここがすべてになる。そもそも大抵はそう言うと、基準を0と考える・・・・つまり彫刻の技術は・・・・と考えると未経験だから・・・って0点ってね。
それが、彫刻はやった事がある・・・何回か・・・そう未経験じゃない・・・・ただ
素材は木であって、断熱材じゃないから・・・そこだけじゃん・・・違いは・・・
って考えると、その点は何点取れると考えているだろうか?それではもし、その彫刻で
賞を取った事があったとしたら?・・・何十点取れると思うのだろうか・・・?
人の欲望って言うのは果てしない・・・やりたいって気持ちは、時にこんな心理が働く。
そこで更に聞いて行くと、完全立体が作りたいと言うのね・・・・
俺でも2回くらいしかやった事が無い・・・・とんでもない難易度なのね。
そこでこんな話をした。仮に完全立体なら60cm程度だとする。それが半立体なら、
1mくらいの大きさが出来ると思われる・・・・こんな難易度の比較。
ただもっと言えば、すべてが失敗してしまう・・・こんな事は含まれていない・・・
すべてに置いて、マイナス点を考えてはいない・・・・つまりやった事無い事に、
最低0点ってプラスマイナス無し・・・つまり借金スタ-トになるかも・・・?とは、
思っていない事。この意識でもし上手く行かない事が下地に続いたとしたら・・・・
もし決められた期日の中での制作の時間の半分以上をその下地に使ったとしたら?・・・
恐らく張っただけ・・・観なくてもそんな仕上がりになる。これが良く言う立て直し。
ノリノリなら良い作品が出来て、思うように出来なくて、ノリノリになれなくて、
上手く行かないから、まっ良いかになって・・・逆に遠ざかって・・・って良くある話。
ただ監督には逃げ道は無い。2年連続受賞を捨てられるのなら別だけれど・・・・。
そうやらなきゃならない理由がある。だからこそ、今度は逆にそのプレッシャ-を
跳ね返すようにチャレンジして完全立体って言ったのも良く判る・・・がしかし、
完全立体がどの位難しい事なのか?・・・をやって見ないと判らない・・・って想像を
しない・・・では無く、想像する事。判らなくても・・・何とか自分なりに・・・
それが想像力。それと正解だけを探さない事。こっちは正解、こっちは不正解とね。
例えばゲ-ムとする。誰かが作ったものを解くって言うのなら、終わりに向かうのなら、
終わったら正解になる。パズルなら完成が正解。問題なら答えがある。ただね、
オリジナルって言うのは、まず自分なりの正解を決めないと、そこには向かえない。
けれど、さっき正解を探すなって・・・違うのね。・・・だけを探さない。
本来クリエ-タ-ってのは、設計図を描いて、そこに向かって作って行くもの。
けれど、素人はそれが難しい。例えば小説家なら、犯人ありきで、こいつが犯人なら
いかに犯人らしくなくするには・・・?そうする事で読者によりドラマチックに・・・
と、・・・って事は?・・・・って事は?逆戻りして行ったりもする。
これが難しいのなら?・・・・じゃこんな比喩。
何とか御膳とわんこそばの違い。前者は注文した分のみを食べる。後者は食べ終わって
から次に行く。ここ。つまり何が言いたいか?・・・は違いはここにある。
どちらも食べた事があるのなら、分量、食べ方、味、値段、とほぼ違いが理解出来る。
がしかし、時間制限があったとしたら?どうなる?・・・・
味わうって食べ方と早さを競う・・・ただきっとわんこ蕎麦だって、ゆっくり食べれば
美味しいんだろうけれど・・・・。
つまり労作展には時間制限がある。いついつまでってね。それを夏の宿題と銘打ったから
夏スタ-トとなったのね・・・過去2回はね。
それが今回は立体がやりたいと思っているから、過去の経験からも早目の始動・・・・
それもまさかの為の準備としては良い。ただ実は立体に張るって行為も平面とは違う、
難易度があったとしたら・・・・切るのみしか経験値として点数を稼げない・・・。
こんな事を抱えて、早めの始動だったとしたら・・?でもそれでも足らなかったとしたら?
つまり決められたものを完食って言う、何とか御膳的考えは、完全立体的考え。
それは、あらかじめ決めた形に向かって彫って行くのだから、やっぱ時間あるから、
足し算・・・って付け加える事は難しい。バックが無いしね。
けれど、わんこ蕎麦は食べてからお替り。
つまり、半立体として難易度を下げ、その分もし時間が余ったら、バックを付け加えて
行く・・・足し算が出来る。これがフィギュアだったら、3回転半ってハイリスクハイリタ-ンにするか?確実に安全に、失敗を絶対にしないように・・・って考え。
俺はどっちにしろとは言わない。聞かれたとしてもね。ただ自分なりの意見は常にある。
大きくすると荒も見えるし、面積が増えた事で果てしなさも出る。しかし、良い事と悪い事は背中合わせ。小さ過ぎると細かく切らないとならないし、張るにも難しくなる。
だから適度な大きさが恐らく60cmくらいだと思われた・・・・こんな事を踏まえて、
最初に決めてしまう何とか御膳の立体は、何しろ終わるまでの時間が判らないから、
果てしない時間を掛けてもらうしか無い・・・何時間か判らない時間を・・・・
しかし半立体は半ライス。立体を1とするなら0.5・・・こらこらそうじゃない。
半ライスは割高。つまり0.5じゃない。あれは盛るだけだから少なめだったりするが、
半立体とは言え立体。怪しいので0.6とか0.7くらいに設定して置こうかな・・・?
って保険を掛けたとする。それが正解なら、立体と同じ時間でスタ-トしたのなら、
もしかすると、半分である事から早めに終わるかも知れない・・・
つまり完全立体なら60cm程度で追加無し。終わるまで何時間掛かるか判らない。
けれど半立体は1m程度で、もし時間が余っているのなら追加オッケ-のいずれか?の選択。
と言うと、ん・・・・と悩む。何しろ最後・・・徹底的に悩んで欲しい。もう俺と向き合うのも、これが最後・・・俺も本気で向き合うから、本気でやりたい事を持って来い。
この初歩、つまりどんな何が作りたいか?立体が作りたいのか?大きさなのか?
自分の大事なものは1つにする・・・あれもこれもとすると難しくなるから・・・。
てんぷらが喰いたいなら、うどんだろうが蕎麦だろうがどっちでも良い。
蕎麦が喰いたいのなら、てんぷらは無くても仕方無し・・・とね。
こうした判断が大事。こんな比喩はどうだろうか?バントしようかな・・・打とうかな?
やっぱ右に流し打ちぃぃぃぃ・・・・なんて器用な事が出来るのは経験者で達人。
最初はきっちりバント。きっちり打つ。と決めて、バッタ-ボックスに入る・・・
これが基本。お任せぇぇぇのサインはベテランにしか無理。
つまりどちらかの覚悟を持ってスタ-トする。要するに覚悟。でもこの覚悟って言葉が
また誤解を招く・・・・頑張ります・・・やります・・・違うのね・・・。
頑張るのが完成の為に・・・って言っているようだけれど、頑張るのは心が折れそうになる、失敗した時、終わらないかも・・・って思った時、他の時間を割いてでも・・・
そんな覚悟であって、上手く作れる前提で発進すると、ろくな事は無い。
純粋に過去は忘れて、作りたいものに向かうのなら、他のすべてを捨てても・・・・
この位の気持ちで向き合わないとね・・・・しかもそれも今回で最後。
もう一生、単なる宿題みたいな事でこんなに言われる事は無いのだから・・・・。
仕事なら別だが。これが最後・・・そう思えれば何でも出来そうだが・・・・そこは
先生としての老婆心。何でも良しとは言えないなっ・・・覚悟が感じられれば別だが。
そんな話し合いをしている最中、今年は今月からスタ-トするのを決めて来ているらしく
・・・・そっか・・・じゃ大切に作ろう・・・と打ち合わせを終えた。
その後、みどりの娘が部活の帰りに1人で遠方から金魚を作りにやって来た・・・・
そうね、さくらのせがれもみどりの娘も経験値としては始めたばかり。
だから上手さなんてどうでも良い。頑張って一生懸命作ればそれで良い。
するとどうだろうか?1日でこんなに進んだりする・・・・
先日のキウイの娘達の速度とは全く違う。経験者なのにどうして?・・・・それは安易。
奴らのこだわり方は尋常じゃない。つまりこだわる事が出来るのは経験者だからであって
経験者だからこそこだわれる。しかも、こだわった分、時間は掛かるが必ず結果は出る。
じゃいつ終わる?・・・ほらこれが、監督にも同じ事が言える。
つまり最初は一生懸命頑張る・・・終わらせる・・・こんな純粋な気持ちで進められる。
がしかし、いつしか良いのが作りたい・・・折角作るなら・・・と作り始めた瞬間、
スイッチが入るのが作り手の気持ちってものなのね。そんな奴は妥協しないのね・・・
諦めないし・・・・それじゃいつ終わるの?・・・・奴らは小さい金魚でも、
大作の作り方と全く一緒なのね。だもの観なくても、奴らの腕であの時間・・・良いのが
出来るはず。だから、さくらのせがれやみどりの娘と比べる事は出来ない。
後者の2人は頑張ってね・・・前者の2人は悪いな・・・つき合わせちゃって・・・・
有難うね・・・なのね。何故ならグレ-ドを上げる為に腕を貸して頂いたのだから。
この位違うのね。だものそう観たら、良く頑張っている・・・後は自宅でも出来る。
是非完成を観て貰いたい・・・・これ私がやったんだ・・・ってね。
微妙なんだよね・・・方や前者は何度もこんな事を一緒にやって、もうこれで無いかな?
・・・・って思えるような歳になっちゃったし、方や後者のさくらのせがれなら、
まだまだ付き合っていけるような幼さがあるけれど、みどりの娘は高校生・・・・
これが最後でもおかしくない・・・・子供だなんて思っていたら、あっという間の
お別れである。向き合える時間は大切にしないとね・・・どの子とでも。
そんなこんな気持ちの中で、楽しく作れたと思うんだけれど・・・・。
後はみんなが揃った時・・・・自分が何に参加していたんだか?・・・・判る時が来る。
後は俺の問題・・・・
そんなこんなの深夜では・・・これしか進まない・・・