今日は私利私欲と考えて貰っても結構。これが大事なのは、私利私欲と仕込みと寄贈とは
全く意味の違うモノなんだけれど、どうもそれが判って貰えない・・・・
しかしながら、そうは言ってもすべてが関係無いか?と言われればすべて窯ぐれ祭りを
前提で作っている訳で・・・
更に言えば、この作品自体も純粋なる私利私欲か?と言われればそれもどうかな?
まだ未定だが、5万以下とも考えている・・・・お祭りだからね・・・・
そもそも楽天で3万弱でこのドレッサ-が出ていると言うのだから手間にはならない。
そこでリサイクル家具での作品作りとなる。ちなみに8000円弱。
しかし、これが上手く出来たなら、家具としてのモザイクも行ける・・・って
実績も更に加わる。これもまた練習と考えれば展示は出来るわ、もしかすると売れるわ。
と可能性は広がる。しかし俺とてそんな簡単には売れない事は百も承知。
ただ可能性が広がる・・・これのみ。
応援して下さる人は、常にこう言う事がハラハラするようだけれど、人と同じ事を
この歳でやっていても仕方無い。誰もが出来ない事をやれればそれで良い。
しかし責任者としては俺の値段がすべてを決める可能性がある。正規な値段を付ければ
どん引きの買えない価格になるだろうから、生徒作品は格安に見えるだろうし、
俺のを安過ぎる設定では生徒作品が割高に見えるだろう。どうすれば結果として正しいか?は検討中・・・・いずれにせよ、御客さんに足を止めてもらえるように・・・
更にす-さんの作品が一番難しい。生徒さんでは無いから俺は教えていないから、
技術として流派が違う。もし俺が芸術家の卵くらいに御客さんが見てくれると、
作品は芸術点ありのモザイクが付いたドレッサ-になるだろうし、その人に教わった生徒
さんの作品となるのかも知れない。
では、す-さんのは?となると、タイル職人さんがインテリアにモザイクがしてある・・・となる。
となると、別枠扱いにして展示しないと、す-さんが値段を安くすれば、
当日の御客さんが何故これとこれが同じ値段なの?なんて質問が来るだろう。
ここが問題。3人しかいないのにその対応を満足に出来ない。
これ下さい・・・に極力しないと。
こんな事も踏まえ、手伝いの支払いは無い事も踏まえ、す-さんの別枠を考えた。
先日、す-さんに主旨が違うようなら言ってくれ・・・と尋ねられたが、
こう伝えた。確かに、俺は生徒さんの腕、環境等を考えて材料を変えて行く。
これは学校で言えば進級のようなもの。
だから、展示販売作品についてもそれに見合ったモノになっているはず。
そして組合色を濃くしたいので、ゆかりあるティ-ア-トさん、山周のタイルを全面に出
しアピ-ルに繋げようとの主旨。そして、かぐやはカネキさんとお会いしている事から
それを使用し、俺はそれを踏まえ混合してオザワさんまで入れて作っている。
そして組合員でないタイルも使って・・・ここはおおらかならタイルのアピ-ルとね。
場合に寄っては組合員でないタイルを張った作品はそれだけで違った意味で目立つ。
その時、場合に寄っては特に厳しい目にさらされるかも知れない。当然、腕利きで無いと
きつい状況になるかも知れない。それは俺だけで結構と考えた。
常にそんな場合と準備して置くのが頭に立つと言う人物で、常に用意はしてあっても
常に環境は人によって変えられる場合がある。
それは明らかに完全なる決定事項が無いからである。これが売れると完全なる決定事項を
みんなが予定通り行動するので、結果が付いてくるが、俺の場合常に流動的な状況が
やって来る事が多い。つまりその程度であるからである。だからその程度の人間が
結果を求めようとするのなら、いかに対処出来るか?に尽きる。
こう言う例えはどうだろうか・・・・赤穂浪士の話はどうだろうか?
常に浅野サイドから描かれ美談として伝わっている。これがそもそもおかしいとは
思わないだろうか?確かにあの描き方では、悪役は吉良になる。がしかし、こう考えると
いくらでも話は変わる・・・
上流の武士は先輩に付け届けは当たり前なのである。それは子供の頃からの習慣で、
親を見て育っているので、言われなくとも誰でも出来る。
それが全くの田舎侍がその場所のル-ルも判らずに付け届けはしない、それが反抗して
いるんだなっ・・・みんなはそうしているのに・・・・と取られてしまって、
それならと無理難題を押し付けるが、それもまるでいとも簡単に片付けてしまう。
本来無理難題を押し付けているのは判っているのだから、弱音を吐けば可愛げある。
ただそれだけで出来なければ済んだはず。けれどどうだろうか?そこまで出来た評価は
上司としてせず、最後は田舎侍と言っただけで切り掛かけられる。
おいおい、田舎侍は田舎侍で正しい評価では無いか。正しい表現なら、よっ優秀な田舎侍
こんな感じ。どんな形であれ殿中で刀を抜けば、それは犯罪になる。
知っていて抜いたのなら覚悟もあるはず。なら死んでも仕方無し。それ所か、喧嘩両成敗
にしなかったのも悪いが、力の違いは今の世もそう。
問題なのは何故そこまで耐えたのか?お家の為と言いつつ、死ぬ前のセリフは
ご乱心では無い・・・おいおいそこはお家の為なら、ご乱心ですだろっ?
つまりこれでは家臣に復讐心に火を付ける。そしてその結果、お家は崩壊・・・・
おいおい浅野さんは何がしたかったのかい?となる。
その場にいなかったから俺はどっちが正しいなんて野暮な事は言わない。がしかし、
一方的にどっちが正しいか?書物なんかで判断するなんて馬鹿馬鹿しいと俺は思う。
ならば己自身がどう思うか?に限る。作られた筋書きよりもおそらくこう言う事だろうと
感じる事・・・つまり俺は感性が一番大切な人である。
そうなると、一体浅野さんも吉良さんも何を一番大切にしたんだろうか?
俺には笑い事にしか思えないが、両者ともプライドだったんだろうね・・・あはははは
くだらん。その為に死を迎えるとはね。まっ本当の意味での喧嘩両成敗なのかな?
所が歴史は世間は吉良は悪人、浅野は善人いかなるものかね・・・・
これで気が済むんならそれはそれで良い。本当に大事なのは何だったのだろうか?
本当の真実は何だったんだろうか?そして俺は一体何を大事にするのか?になる。
人の振り見て我が振り直すとはそう言う事では無いか?
だから俺は俺に関わった人に感謝はするし、今後も付き合いたいとも思う。がしかし、
罪と罰・・・人を憎まず罪は思い切り憎む・・・そして何が罪か?になる。
俺に取って大事なのは、判ろうとする努力を惜しまない事。判ろうとする心がある事。
こんな事が大事。
登場する人物、関わった人に悪い人はいない。がしかし、何を目的にそれが一体誰の為か?何になるのか?そしてどうしたいが故なのか?が大事になる。
こちらとしては今回の場合、主旨は衰退傾向にある窯ぐれ祭りをいかに盛り上げられるか・・・・?衰退と書いたのも市からの予算が少なくなっている状況や、
前回は市長がいらっしゃったが、今回は予定があって来れない事・・・・本来、
地域振興など本当に役立つ祭りなら、無いながらも市は予算を作ろうとするだろうし、
市長が他の予定に取られるような事は無い。大事な順位が下がったと言う事。
例えば高速道路開通やダム完成なら市長は取られない。
事前に開催は毎年決定していて予定は立っているのなら、そこに顔を出さないと・・・
と市長にプレッシャ-を掛けるくらいでないと、何も変わらない。
そして顔を出して貰い盛況なんだ、必要なんだのアピ-ルをしてこそ、可能性は膨らむと
思われるが、いつしか市の人間が事務的に来るようになってしまってからでは、
何も変わらない所か、衰退して行くのは明白である。雇われの身である俺は、
やる気が伺えないのなら、肩が脱臼するくらい叩く。
本気でやっている者に対してそれが全力なのか?と。
ただ、どうしてこんな事に常になるのか?は簡単な理由である。俺は夢を実現する為にやっている事。従って窯ぐれ祭りの成功あってこそ、人が集まりしいては、人に知って貰う
事にも繋がって行く可能性が広がる。お金を稼ぎに行っている訳では無い。
しかし、応援する・・・と言ってくれた人達の多くは俺にお金を稼がせたいと考えて
くれたりする。がしかし、俺はそれを望んでいるのでは無く、より多くの人が窯ぐれ祭りを知ってくれる事が大事。全国的にね。
それには地元の人が知らなかった・・・これは組合の責任でもある。
俺はここに事実のみを書いて行く。心に曇りも恥じる事もそしてやってやっている・・・
なんて思わなければ、何一つ普通に読めるはずである。
俺は俺達は必死である。ただマニュアルや風習、習慣のみで動く人には、俺のやる事は
それらに当てはまらない分、対応に困るだろう。ならば是非困って欲しいと思う。
革命とは?それらを一掃する事である。俺は胸を張るほどやっているとは思わないが、
みんなのやってくれた事やご寄付を無駄にしないように、心してやるだけである。
今回の使命は窯ぐれ祭りが盛況になる事だが、その前に携わるすべて人の意識が、
皆、思いを1つになって己の出来る事をする事に尽きる。
それが成功への可能性に繋がると考える。
そして、俺は主旨こそまだ1つでは無いが、動いてくれる人、携わってくれた人すべてに
感謝をし、成功の為の今やれる事をコツコツやるだけである。と考える。
そしてこう書くと、また更に困り過ぎて俺を嫌いになったり、離れて行ったり、
体裁でその場しのぎをしようとしたりする人が出て来る。
一期一会だったり出会いがあれば別れもある。それで構わない今は・・・・
全力でやった事でそうなるのなら、それも辞さない覚悟はしている。
そもそも俺の生き方は綾小路さんの芸に近い。みんなに心当たりあるはずである。
受け入れる勇気がある人は苦笑い出来るが、まともに取って間に受けて、
怒り出す人がいたりする。真実なのに。
良く売れた人達が言われる時代が付いて来なかった・・・なんて比喩があるが、
何とも簡単過ぎる難しい比喩だ。
若きし頃の綾小路さんが今の芸をやれば、反感も買うだろう。つまり人に言って置いて
自分だけは若さがあるのだから、生意気と取られるから。
しかしながら、綾小路さんがお客さんと同じ、じぃさん、ばぁさんになると、お前もなっ
って目線が一緒になる。だから笑いが取れる。
これと一緒。芸として30年も同じ事をやり続ければ上手くなって当然。
そこに感情移入してもらえるのだから、売れて当然。
ならば、こんなセリフは俺がもう少し年齢がいった時に、判って
もらえる日が来るだろう。その自信は展示販売の参加して下さる人数である。
ただの人数では無く、主旨の理解の上の無償の人達だからである。
それゆえにより大きな事が出来るからである。この先、何人増えるのだろう・・・・
楽しみである。
全く意味の違うモノなんだけれど、どうもそれが判って貰えない・・・・
しかしながら、そうは言ってもすべてが関係無いか?と言われればすべて窯ぐれ祭りを
前提で作っている訳で・・・
更に言えば、この作品自体も純粋なる私利私欲か?と言われればそれもどうかな?
まだ未定だが、5万以下とも考えている・・・・お祭りだからね・・・・
そもそも楽天で3万弱でこのドレッサ-が出ていると言うのだから手間にはならない。
そこでリサイクル家具での作品作りとなる。ちなみに8000円弱。
しかし、これが上手く出来たなら、家具としてのモザイクも行ける・・・って
実績も更に加わる。これもまた練習と考えれば展示は出来るわ、もしかすると売れるわ。
と可能性は広がる。しかし俺とてそんな簡単には売れない事は百も承知。
ただ可能性が広がる・・・これのみ。
応援して下さる人は、常にこう言う事がハラハラするようだけれど、人と同じ事を
この歳でやっていても仕方無い。誰もが出来ない事をやれればそれで良い。
しかし責任者としては俺の値段がすべてを決める可能性がある。正規な値段を付ければ
どん引きの買えない価格になるだろうから、生徒作品は格安に見えるだろうし、
俺のを安過ぎる設定では生徒作品が割高に見えるだろう。どうすれば結果として正しいか?は検討中・・・・いずれにせよ、御客さんに足を止めてもらえるように・・・
更にす-さんの作品が一番難しい。生徒さんでは無いから俺は教えていないから、
技術として流派が違う。もし俺が芸術家の卵くらいに御客さんが見てくれると、
作品は芸術点ありのモザイクが付いたドレッサ-になるだろうし、その人に教わった生徒
さんの作品となるのかも知れない。
では、す-さんのは?となると、タイル職人さんがインテリアにモザイクがしてある・・・となる。
となると、別枠扱いにして展示しないと、す-さんが値段を安くすれば、
当日の御客さんが何故これとこれが同じ値段なの?なんて質問が来るだろう。
ここが問題。3人しかいないのにその対応を満足に出来ない。
これ下さい・・・に極力しないと。
こんな事も踏まえ、手伝いの支払いは無い事も踏まえ、す-さんの別枠を考えた。
先日、す-さんに主旨が違うようなら言ってくれ・・・と尋ねられたが、
こう伝えた。確かに、俺は生徒さんの腕、環境等を考えて材料を変えて行く。
これは学校で言えば進級のようなもの。
だから、展示販売作品についてもそれに見合ったモノになっているはず。
そして組合色を濃くしたいので、ゆかりあるティ-ア-トさん、山周のタイルを全面に出
しアピ-ルに繋げようとの主旨。そして、かぐやはカネキさんとお会いしている事から
それを使用し、俺はそれを踏まえ混合してオザワさんまで入れて作っている。
そして組合員でないタイルも使って・・・ここはおおらかならタイルのアピ-ルとね。
場合に寄っては組合員でないタイルを張った作品はそれだけで違った意味で目立つ。
その時、場合に寄っては特に厳しい目にさらされるかも知れない。当然、腕利きで無いと
きつい状況になるかも知れない。それは俺だけで結構と考えた。
常にそんな場合と準備して置くのが頭に立つと言う人物で、常に用意はしてあっても
常に環境は人によって変えられる場合がある。
それは明らかに完全なる決定事項が無いからである。これが売れると完全なる決定事項を
みんなが予定通り行動するので、結果が付いてくるが、俺の場合常に流動的な状況が
やって来る事が多い。つまりその程度であるからである。だからその程度の人間が
結果を求めようとするのなら、いかに対処出来るか?に尽きる。
こう言う例えはどうだろうか・・・・赤穂浪士の話はどうだろうか?
常に浅野サイドから描かれ美談として伝わっている。これがそもそもおかしいとは
思わないだろうか?確かにあの描き方では、悪役は吉良になる。がしかし、こう考えると
いくらでも話は変わる・・・
上流の武士は先輩に付け届けは当たり前なのである。それは子供の頃からの習慣で、
親を見て育っているので、言われなくとも誰でも出来る。
それが全くの田舎侍がその場所のル-ルも判らずに付け届けはしない、それが反抗して
いるんだなっ・・・みんなはそうしているのに・・・・と取られてしまって、
それならと無理難題を押し付けるが、それもまるでいとも簡単に片付けてしまう。
本来無理難題を押し付けているのは判っているのだから、弱音を吐けば可愛げある。
ただそれだけで出来なければ済んだはず。けれどどうだろうか?そこまで出来た評価は
上司としてせず、最後は田舎侍と言っただけで切り掛かけられる。
おいおい、田舎侍は田舎侍で正しい評価では無いか。正しい表現なら、よっ優秀な田舎侍
こんな感じ。どんな形であれ殿中で刀を抜けば、それは犯罪になる。
知っていて抜いたのなら覚悟もあるはず。なら死んでも仕方無し。それ所か、喧嘩両成敗
にしなかったのも悪いが、力の違いは今の世もそう。
問題なのは何故そこまで耐えたのか?お家の為と言いつつ、死ぬ前のセリフは
ご乱心では無い・・・おいおいそこはお家の為なら、ご乱心ですだろっ?
つまりこれでは家臣に復讐心に火を付ける。そしてその結果、お家は崩壊・・・・
おいおい浅野さんは何がしたかったのかい?となる。
その場にいなかったから俺はどっちが正しいなんて野暮な事は言わない。がしかし、
一方的にどっちが正しいか?書物なんかで判断するなんて馬鹿馬鹿しいと俺は思う。
ならば己自身がどう思うか?に限る。作られた筋書きよりもおそらくこう言う事だろうと
感じる事・・・つまり俺は感性が一番大切な人である。
そうなると、一体浅野さんも吉良さんも何を一番大切にしたんだろうか?
俺には笑い事にしか思えないが、両者ともプライドだったんだろうね・・・あはははは
くだらん。その為に死を迎えるとはね。まっ本当の意味での喧嘩両成敗なのかな?
所が歴史は世間は吉良は悪人、浅野は善人いかなるものかね・・・・
これで気が済むんならそれはそれで良い。本当に大事なのは何だったのだろうか?
本当の真実は何だったんだろうか?そして俺は一体何を大事にするのか?になる。
人の振り見て我が振り直すとはそう言う事では無いか?
だから俺は俺に関わった人に感謝はするし、今後も付き合いたいとも思う。がしかし、
罪と罰・・・人を憎まず罪は思い切り憎む・・・そして何が罪か?になる。
俺に取って大事なのは、判ろうとする努力を惜しまない事。判ろうとする心がある事。
こんな事が大事。
登場する人物、関わった人に悪い人はいない。がしかし、何を目的にそれが一体誰の為か?何になるのか?そしてどうしたいが故なのか?が大事になる。
こちらとしては今回の場合、主旨は衰退傾向にある窯ぐれ祭りをいかに盛り上げられるか・・・・?衰退と書いたのも市からの予算が少なくなっている状況や、
前回は市長がいらっしゃったが、今回は予定があって来れない事・・・・本来、
地域振興など本当に役立つ祭りなら、無いながらも市は予算を作ろうとするだろうし、
市長が他の予定に取られるような事は無い。大事な順位が下がったと言う事。
例えば高速道路開通やダム完成なら市長は取られない。
事前に開催は毎年決定していて予定は立っているのなら、そこに顔を出さないと・・・
と市長にプレッシャ-を掛けるくらいでないと、何も変わらない。
そして顔を出して貰い盛況なんだ、必要なんだのアピ-ルをしてこそ、可能性は膨らむと
思われるが、いつしか市の人間が事務的に来るようになってしまってからでは、
何も変わらない所か、衰退して行くのは明白である。雇われの身である俺は、
やる気が伺えないのなら、肩が脱臼するくらい叩く。
本気でやっている者に対してそれが全力なのか?と。
ただ、どうしてこんな事に常になるのか?は簡単な理由である。俺は夢を実現する為にやっている事。従って窯ぐれ祭りの成功あってこそ、人が集まりしいては、人に知って貰う
事にも繋がって行く可能性が広がる。お金を稼ぎに行っている訳では無い。
しかし、応援する・・・と言ってくれた人達の多くは俺にお金を稼がせたいと考えて
くれたりする。がしかし、俺はそれを望んでいるのでは無く、より多くの人が窯ぐれ祭りを知ってくれる事が大事。全国的にね。
それには地元の人が知らなかった・・・これは組合の責任でもある。
俺はここに事実のみを書いて行く。心に曇りも恥じる事もそしてやってやっている・・・
なんて思わなければ、何一つ普通に読めるはずである。
俺は俺達は必死である。ただマニュアルや風習、習慣のみで動く人には、俺のやる事は
それらに当てはまらない分、対応に困るだろう。ならば是非困って欲しいと思う。
革命とは?それらを一掃する事である。俺は胸を張るほどやっているとは思わないが、
みんなのやってくれた事やご寄付を無駄にしないように、心してやるだけである。
今回の使命は窯ぐれ祭りが盛況になる事だが、その前に携わるすべて人の意識が、
皆、思いを1つになって己の出来る事をする事に尽きる。
それが成功への可能性に繋がると考える。
そして、俺は主旨こそまだ1つでは無いが、動いてくれる人、携わってくれた人すべてに
感謝をし、成功の為の今やれる事をコツコツやるだけである。と考える。
そしてこう書くと、また更に困り過ぎて俺を嫌いになったり、離れて行ったり、
体裁でその場しのぎをしようとしたりする人が出て来る。
一期一会だったり出会いがあれば別れもある。それで構わない今は・・・・
全力でやった事でそうなるのなら、それも辞さない覚悟はしている。
そもそも俺の生き方は綾小路さんの芸に近い。みんなに心当たりあるはずである。
受け入れる勇気がある人は苦笑い出来るが、まともに取って間に受けて、
怒り出す人がいたりする。真実なのに。
良く売れた人達が言われる時代が付いて来なかった・・・なんて比喩があるが、
何とも簡単過ぎる難しい比喩だ。
若きし頃の綾小路さんが今の芸をやれば、反感も買うだろう。つまり人に言って置いて
自分だけは若さがあるのだから、生意気と取られるから。
しかしながら、綾小路さんがお客さんと同じ、じぃさん、ばぁさんになると、お前もなっ
って目線が一緒になる。だから笑いが取れる。
これと一緒。芸として30年も同じ事をやり続ければ上手くなって当然。
そこに感情移入してもらえるのだから、売れて当然。
ならば、こんなセリフは俺がもう少し年齢がいった時に、判って
もらえる日が来るだろう。その自信は展示販売の参加して下さる人数である。
ただの人数では無く、主旨の理解の上の無償の人達だからである。
それゆえにより大きな事が出来るからである。この先、何人増えるのだろう・・・・
楽しみである。