カシメルマンはBARにおるんちゃうか

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「“街歩き”の楽しみを倍増させた一冊の本」

2020年02月01日 | その他
昔から自分は「本」というものを読まない体質だった。
写真に添えた説明くらいは読むけど、小説のような大量の字には拒絶感があった。
小学生くらいん時も、読書感想文かの課題で親に買ってもらった「透明人間」という
挿絵付きの小説を読み出したものの途中でトンズラする始末。
夏目漱石とか、普通に皆んながよく知っている文も読んだことがない。
読み始めるとソレはそれで面白いんだろうけど字を読むのが遅いし、
じっとそんな長文に向き合う気力が持続しないんだろう。…プラモはやれるクセにね(笑)。

でもある時、そう20年くらい前かな、サークルメンバーの一人に見せてもらった
本のほんのさわり部分を読んだだけでズブズブとのめり込むように見入ってしまった。
小説ではなくサブカルチャー的なものだけど、内容の殆どが文字で
昔から自分が取っ付き難かったタイプの書籍であるのは間違いない。
それは「超芸術トマソン」(ちくま文庫 赤瀬川原平 著)という文庫本で、
面白いのである期間借りて読むことにしたが、読むのが遅いなりにも
何日かでズルズルと熟読してしまった。「…おもろいわ、自分の趣味に重なるものがある」
そもそもこの銭湯の煙突の上に立って自撮りしているカバー写真(エピソードが内容に登場)
にもタマゲるが、それはそれで置いといてこんなに自分に
長文を読む力があったのか、と驚く程ヘンな感じだった。
それまでの自分の性格を曲げてしまうくらいの破壊力があったということだ。

一方、自分は古い建築物の雰囲気が好きで、街中を歩く時でも古そうな建物を見つけると
立ち止まって眺めてしまう。時にはその建物の周囲を一周回って観察したりするくらいだ。
「城」みたいに古いものではなくて、例えば100年くらい前のゴシック建築や
木造モルタルのアパート、工場の倉庫、みたいなのが対象かな、その辺りの古さのヤツ。
大阪中ノ島の「中央公会堂」とか大好きでしょっちゅう行ったりする。
でもそれは“古いなりのワビサビ”や“今の建物にはない独特のディテール”を
楽しむという意味だけで、この本に書かれた内容のような考えには及んでいなかった。

【「路上観察学」という思想】

自分が感じたのは赤瀬川原平という人は結構変わり者で、物事を人よりも
遥かに違った角度から捉える事ができるようである。“0円札”とか作ってみたり(笑)。
この人がある日、昼食をとりに外を歩いている時にたまたま見かけた、建物の脇にあった
物件がこの思想の始まりだった。それは建物の外壁にくっついた階段で、
壁から50センチ程張り出した山形のブロックを一方の端から壁に沿いながら5~6段登り、
上を通ってまたもう一方から降りるようになっている(↓写真)。

これって何?と思い暫く考えた末、この山形ブロックの上辺りにかつてこの建物への
出入り口があった事に気がついた。その出入り口が、あるとき不要になって
塞いでしまったのに、この階段だけ壊す費用がなくて残った、という経緯。
事の成り行きから意図せずにこんな無用の長物が出来てしまっている訳だ。
そんないきさつが解ると、街には意味のある物しかないと考えていた“あたりまえ”が
崩れ去り、なんとも味わい深い作品性を感じる。
無用なのに保存、もしかして考え方によっては実用性がないのに
味のあるオブジェとして存在する“芸術品”ととる事が出来るのでは…。
それはむしろ廊下の壁に掛かった絵画の額やブロンズ像のように
“狙って作った芸術”よりもイキにさえ感じる。
芸術を超える芸術、つまり“超芸術”なのではないかと。
そんな見方で街を散策すると、結構“狙わずして出来てしまった芸術品”をちらほら発見する。
この本の中にはそんな物件が多数紹介されている。
例えば出入り口や窓を塞いでも残ったヒサシ、屋外階段を外されて高いところに
残ったドア、老朽化して取り壊された木造建築のシルエットが、すぐ隣の
雑居ビルの外壁に食い込むように残っている、等…。
赤瀬川氏はこれらの物件を記録する為に写真を撮り、同じ趣向の仲間で
発表しあうようになったらしい。“路上観察学会”の誕生だ。

この本に出逢ってから、この考え方は自分のレトロ建築趣味を更に味わい深いものにした。
今までのようにガーゴイルなどのレリーフを観察するに加え、「窓を塞いだ跡がある」とか
「ここに階段が付いていたのに後で外したらしいゾ」とか更には「ここから上は建て増しだな」
なんていう改造履歴まで考えて鑑賞するようになる。
それどころか“超芸術”は当然普通の民家にもあったりするので、
普段の散歩道を歩くにしてもきょろきょろ周囲を見回しながらゆっくり歩く。
一度巡査に怪しまれて職質されたりした(笑)。…けど怪しいモンじゃない、
純粋に景色を楽しんでいるのだ。凡人には理解できない楽しみ方だけど。
2年くらい前、屋根付きの月極駐車場の奥の壁に富士山の絵を発見したときは感動した。
昔そこは銭湯だったのだ。湯船があったであろう場所は平坦になり、車が停めてあった。
「…じゃあ、この辺りが脱衣所くらいかな、するとここらへんが番台だな」
もしかして第三者から見ると駐車場を覗きながらニヤニヤしてる変なヤツだったかもしれない。
建物以外にも、川を埋めた跡に出来た道なのでクネクネ曲がってるとか、運河の跡地に
出来た為、街を跨いで延々と続く細長い児童公園とか、地形にまで拡大した探索が出来る。
カメラも持参して珍しいのは記録したりとか。とにかくは何の変哲もない景色を見る目が激変した。

「超芸術トマソン」は何ヶ月かでサークルメンバーに返却したが、
最近またそれを思い出して遂にその本を購入した。
赤瀬川氏が亡くなった記事をネット上で見たからだ。
少し本の内容は再編集されていたけど、また熟読して懐かしかった。
ありがとう、赤瀬川原平師匠。この人の書物は人生の幅を広げてくれたのだ。
おそらく世の中にはこんな意識の革命になるような書物がゴマンとあるんだろうけど
字を読むのが苦手な自分はかなり損をしているようだ。

↑…これもスゲェ(左頁の写真)。ここで述べている“超芸術”とは
多少意図が違っているけど階段が降り口で左右に裂けている。
このすぐ手前は車道で、「車に轢かれるといけないので右か左か選びなさい」と
階段が強制的に左折、右折を強要している。普通の設計だとこういう風には作らず、
扇型に開くくらいが妥当だと思うけど。何も考えずに真ん中を降りてくると危なそうだ。
因みにこの本の題名の“トマソン”とは、1980年代にジャイアンツに在籍し、
全くヒットを出せずにいるのにもの凄くファンがいたトマソン選手の名から来ており、
意味がないのに存在し続ける物件と重ね合わせてその当該物件を総称してこう呼んだらしい。
コメント
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