カシメルマンはBARにおるんちゃうか

≪スケールモデルからアニメキャラクターまで、
幅広い分野の模型製作を詳しく解説!≫
(小さい写真はクリックで拡大)

「後継猫」

2022年05月18日 | つぶやき

“先代猫”(本ブログ「鈴の音」記事参照)が居なくなった後、
1~2ヶ月は家の周囲に猫の気配は無かった。
この辺りはその先代猫がボス面を効かせていたので全く他の野良猫が近付かないのだ。
でも徐々に居なくなったのを察知したのかチラホラと猫が現れるようになり、やがて
数匹の猫に餌もやったりするようになったものの、なかなか頭を撫でさせてくれる
ようにもならず、餌を食べるとどれも愛想も撒かずに帰ってしまう猫ばかりだった。
「やっぱり、そう簡単に馴れ馴れしく懐く猫なんて居ないわなあ…」
とややがっかりした気分になる日が続いた。

そんなある日の夜、何時ものようにほぼ毎日餌を食べに来る野良猫に餌をやったあと、
しばらくして「さっきの猫はまだこの周辺に居るのかな」とふらっと表通りに
出たら、似たような猫がいた。「あ、まだいるいる」と近づいてみると
それは違う猫で、しかも初めて見る猫だった。
「お、なんじゃおまえ。新手か」と近くへ寄って背中を撫でようとしたら
なんとあっさり触れたのだ!(@o@)
「へ?人間馴れしてる? …なんか喰うか?」と誘うとズカズカと付いてきて
やった餌を一通り食べきると、体を自分の足等に擦り付けたり、
ずうずうしく家の中に上りこんでいったりと。
他の野良猫ではありえない行動に「何コイツ、やたらにアツカマシイな」とか
怒ったフリしながらも半分すごく嬉しい気分になった。

そしてコイツはそのままウチに居付いてしまった。再びの押しかけ猫だ。
左耳をサクラカットしているのでメスだと判り、首輪はしていないので
飼い猫が逃げて来たのではないようだ。それにしても人間馴れし過ぎている。
安物だけど首輪も買ってやったらあっさり付けさせた。
で、一度部屋の中でオシッコをしてしまったので試しに
猫用の砂のトイレを設置したら、なんと教えなくてもそこでするようになったのには驚いた。
「…保護猫の施設から脱走してきたんかな?」とか色々考えたけど謎だ。
先代猫よりは小さく、見た感じ2~3才くらいか。
不思議なのは現れたのが先代猫の月命日だったこと。
もしかしたら先代猫の生まれ変わりで、来るべくしてここにやってきたのかも、
とか考えるとちょっと鳥肌が立った。
信じられないレベルで人懐っこいし、取り敢えずは世話をしていくつもりである。
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「鈴の音」

2021年03月08日 | つぶやき

先日、ウチに入り浸っていた押しかけ猫が死んでしまった。
このブログで何度か紹介した大きな黒猫である。
数年前に出会い、単なる餌やり関係だけだったのに、ここ2~3年は
もの凄く懐いていて可愛がっていたのでなんとも悔しい。

…最初に餌をやった時は猫パンチで血が出るくらい手をキズ付けられたが
痛そうな顔をしてちょっと怒ったら、それから一度も引っ掻かれなくなった。
頭を撫でようとするとすぐ逃げていたけど、ある日急に触れるようになった。
あごの下を両手の指でゴニョゴニョしたり、お腹を摩ってやったりすると
喜んで喉をゴロゴロ鳴らし始め、遂には餌やりに関係なく自分のそばに
居るようになってしまった。声をかけると返事もする。
抱っこしながら一緒に昼寝が出来るようになるまで約2年。
でも基本は野良猫なので家に閉じ込めて飼うのはもはや無理。
急に何を思ったか外に行きたがる。オシッコかな?
玄関にやってきたら判るように首に鈴を付けてやった。
そしたら昼夜問わず外の路地辺りを通過する鈴の音を頻繁に聞いたりした。
「お、こんな夜中に何処行くんやろ…」
黒猫は性格が大人しいと聞いたような気がするが、本当に穏やかな性格だ。
すらっとシッポの長いメス猫である。ワルサも殆どしない。
いつしか付き合うのがモケイ趣味に並ぶ過ごし方にまでなっていた。

↑寒い日はホットカーペットで団子のようになって昼寝(^^)。

しかしある日から段々餌を食べなくなって元気もなく、腹周りが特に膨れて
きたような感じだったのでやむなく動物病院に連れていくと、
内臓疾患で腹水が溜まっていて、死ぬかもしれないと言われ大慌て。
そこから殆ど夜は家の中で寝かし、処方された栄養剤をやりながら看病。
でも残念なことに約一ヶ月後に逝ってしまった。
出会った時に既に大人の猫だったので年齢は不明。
おそらく12~15歳くらいかと。
ほんの1年前くらいまで他の猫とケンカして勝つ(笑)くらい だったので“老衰”とは思えない。
やっぱり死んだ時は人間と同じくらい悲しいもんである。
“ペット・ロス”とかいう言葉を聞くがここまで重いものとは…(TT)。
付き合った期間は長いようで短かったけど、凄く癒されたし楽しかった。
ありがとう、押しかけ野良にゃん。最期は飼い猫になれたね。
しかしもうあの“鈴の音”が聞けないのは寂しい。
今は昼寝で抱っこした時の猫特有のモフモフ、ぷにょぷにょ感と
喉をゴロゴロ鳴らした時に伝わってくる微妙な振動が懐かしい。 このブログを覗いてくれている皆さんで猫を飼われている方、大事にしてあげてください。
居なくなった時に一緒に過ごしていた時の幸福を改めて感じます。
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「原発の未来」

2019年03月11日 | つぶやき
あれからちょうど8年。“東日本大震災”、特に津波被害は誰の目にも衝撃だった。
昔から稀に大きな津波が起きる、とは知っていたものの実際あの光景を見るまでは
だれもあそこまで大量の水が襲ってくるとは思っていなかったんじゃないだろうか。
いち早く高台に逃げた人は凄く偉いわー、多分自分があの場に居たら巻き込まれてた。
「津波?…どうせ床上浸水で家具や畳がオシャカになるくらいじゃないの?」
とか思ってたから。“街が消える”とか誰も思わない、というか思いたくないよな。

人命や街の被害も悲しいけど、これから長期の未来に向って
一気に展望が薄れてきたのが“原子力発電”である。
「絶対安全」を謳っていた原子力発電所が事故ったとたん安全神話が崩壊。
この一件で自分も「こんなもの人間には扱えない」と思った一人だった。
「K-19(2002)」という映画を観ただろうか。
ロシアの初期型原子力潜水艦で原子炉にトラブルが発生し対応で何人もの
犠牲者を出してしまった実話で、「原子炉とはなんと厄介なシロモンぞや」と
考えさせられる話だった。しかしガソリン、エンジン等に比べて半永久的に
熱を出し続ける原子力エネルギーがどれほど便利か、というのも理解できる。
…トラブルさえ無ければ。しかし所詮人間の作ったもの、完璧はありえないのな。

だから事後談にはなってしまうけど原子力発電所(以下原発)も
「絶対安全」とは云えない事がわかってしまったわけだ。
それと最も驚いたのが一旦放射線を放つようになった原子燃料が放射線を
放たなくなるまで何十万年、とか言ってる話(**)。
じゃあ使用済みの原子燃料なんて人類が破滅するかしないかとかの未来まで
半永久的に“難儀なゴミ”として存在し続けるってことだよなあ。
「そんなモノが出続ける事業をなんで始めたのか」とも思ってしまう。
原子爆弾とか、いいイメージがない原子力の唯一の平和的利用だった
原発までもその正体を知ってしまった今、原子力を発見した人の功績まで
否定せざるをえなくなる。何時ぞやの映画のように“核ミサイルで巨大隕石を回避”
くらいの手柄をたてるとかしないとイメージが好転しない。

…でも一方で今日の街の賑やかさや夜の綺麗なイルミネーションを見てると
原発ナシじゃココまでのことは無理かなーとも思ってしまう。
折角発明したんじゃないか、例えば自動車に撥ねられて死ぬ人が多いから
もう自動車という文化はやめよう、とかならないのと同じく、
「ここでへこたれて原発をやめると人類的にはなさけない」のかも知れない。
あの震災直後の頃に自分的にそんな事をいろいろ考えたんだ。
で、もし「原発を存続させる場合はどうすればいいのか」とか。
テレビでは津波の浸水で停電して非常用冷却装置が動かなかったんだよう、とか
格納容器のタイプが水素漏れを起し易いタイプだった、とか色々言ってるけど
考えるに「そんなレベルのハナシで決着することではない」と思う。
つまり、今回は地震や津波でこんな事になってしまったけど、
他のトラブル要因もそれこそ山ほどあるんじゃないかと。
例えば事故や、9.11のようなテロで航空機が原発に突っ込むとか、
隕石が命中するとか。考えただけで「こりゃアウトだわ」ってなる
シチュエーションのなんと多いことか。こんなに大きな地震が多い
日本列島の上にあるだけでもう落ち着かないのだ。皆んながそれに気が付いた筈。
金銭的な問題で原発再稼動を推進してる場合ではないと。
確かに隕石とか滅多にありえないけど、原発事故後の被害の
あまりの甚大さを思うと万に一つの可能性も避ける程の対応が望まれる。
それには今世界に点在する原発の造りでは全く及ばずで、
おそらく皆が納得できるレベルにまで持ち上げるには次の条件が考えられる。

・設置場所を人里から距離を置いた離島か埋立地にする。
 (出来れば街や村から30Km以上離す)
・格納容器を厚さ30m以上の鉄骨とコンクリートを組み合わせた壁で覆う。
 (外部からの衝撃、又は水素爆発、原子炉自体の爆発でもビクともしないもの)
・万が一メルトダウンを起した時のため、圧力容器の底を分厚い耐熱壁で覆う。
 (燃料デブリが確実にそこに留まるようにする)
・独立した発電機を2箇所以上設置する。(水に浸かったりしない場所)

皆さんの頭にもこの原発の姿が浮かんだだろうか。
画的には海の上に浮かぶコンクリートの山、というかピラミッドみたいな施設になる。
当然、外からは炉心がどの位置かとか何基あるのかとかは見ても判らない。
無理っぽいけど出来ればメルトダウンした場合に壊れた部分を比較的スムーズに
入れ替えられるカートリッジ的なセパレート構造になっていればなおさらいい。
(事故処理に30年もかかっていられない)
これはもう「メルトダウンは起こるもの」として考えた構造だ。
厚さ30m以上のコンクリート壁は残念にも最悪の事態になった際、
チェルノブイリのようにあとから慌ててコンクリートで覆うよりも
最悪その場をそのまま破棄できるようにしたのだ。負の遺産みたいなのが
残って悲しいけど少なくとも放射線を浴びながらの辛い工事は避けられる。
「…そんなの、建設費がいくらになんねん」とか思うでしょうけど。
今ある原発の何十倍?…いや何百倍?
だいぶ昔に「原子力発電って火力や水力より安くできるらしい」と聞いたことがある。
多分それ間違ってたのでは…。これでも完璧とは言えないけど、こんなあらゆる事態に
対応した原発構造で再び計算しなおしたコストが本当の原子力発電の費用じゃないのだろうかと…。

(卓上のモデルは「ロシア ノヴェンバー型原子力潜水艦」)
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「夢に関する話」

2016年06月30日 | つぶやき

初夏の夜、ベランダの簡易な椅子とテーブルに
ラジカセとウィスキーを持ち出して音楽鑑賞をしました。
タマにこんな場所でこんな事すると気分転換になるかなと。
まだそんなに蒸し暑くはなく、蚊取り線香で蚊を蹴散らせば
快適にお酒を楽しんだり出来ましたよ。

…ところで、自分はよく夢を見る方である。
だいたい夢というのは熟睡から出て浅い眠りになる明け方が多いそうだ。
確かに夢から「はっ」と覚めると朝だったりすることが多い。
しかも2時間くらい見たように感じていても実際それは目が覚める
寸前5分くらいの出来事らしい。もしかすると脳のエンジンが始動して
セルモーターが回っている時にそんな記憶の中のビジョンが
ランダムにロードされてしまうのかもしれない。
…で、夢の内容は“いつもモノクロ”という話を聞いたことがあるけど
自分の夢はカラーらしく、夕焼けがオレンジ色で綺麗、とかの記憶が残ってたりする。
でもだいたいは目が覚めるとどんな夢だったか憶えていないパターンが過半数。
もちろん中にはしっかり憶えているのもある。

自分の場合、憶えている内容で特に多いのは「時間に追われる夢」である。
一位が「学校に遅刻する夢」。
朝、あと5分くらいで学校の授業が始まろうとしている時間だというのに家で
カバンを用意した瞬間に“時間割(その日の科目分の教科書を用意しておく)”を
忘れている事に気がついてパニクる(笑)。で、なかなかその教科書をどこに
置いたかも分らなくてもっとパニクる。
「…わあーー、もう駄目だあー!」とか思いながら外に出ると
なんだか足かせが付いているように体が前に進まない、という踏んだり蹴ったりの
散々なモノである。これはいい年のオッサンになった今でも見る。
勿論見ている時は「あれ?なんで自分はまだ学校に通っているんだろう」
という疑問はなく、学生になりきっているんだ。

二位も「会社に遅刻する夢」f(^^;。
仕事が始まって10分くらい経っている時間だというのに未だなかなか来ないバスを
待っている。「わあー、完全遅刻。上司になんて言い訳しよう~!」とか
無茶苦茶焦っているのに、バスがくる気配は一向に無い。
…ほんで目が覚めると日曜の朝だったりする。
これは多分、悪夢の一種だよな。なんでこんなに時間にルーズになった自分を
体験する夢を見るのか。本当は自分は今まで寝坊なんかしたことは一度も無いのだ。
多分、「遅刻は絶対にアカンよなあ」という責任感というか、潜在意識のせいで
逆にこんな夢を見てしまうのかなと自分なりに分析する。

三位は、「トイレの夢」である。
…「トイレの神様」なんて曲があったが、ここでは「トイレの夢」である。
実はこれはなぜこんな夢を見るのか理由が解っている。
夢の内容は、街の何処か一角でたまらなくおしっこがしたい自分がいる。
公衆便所を必死で捜すと、割と大きな公衆便所を発見。
中に入ると、トイレは自分が立っている床から直径15メートルくらいの円形状で
高さ4~5メートル程陥没したフロアーにある。つまり吹き抜けで地下になって
いるのだ。見ると便器(ここでは男性用のヤツね)はその陥没した周囲の壁面に
20基ほど円弧状に連なっている。
で、早くその便器のあるフロアーに降りたいワケだけど、
階段もやはり円形外壁に沿って螺旋状についていて、なんと階段の幅が
15センチくらいしかないのだ。しかも手摺が無い。…これは恐いぞ。
「なんちゅうトイレを作るんじゃ!」と思いながらも、外壁にへばりついた状態で
その階段をカニ歩きのようにしてゆっくり降り始める。
なんとか飛び降りられる高さまでいってそこからジャンプしようというコンタンだ。
でも1メートルくらい進んだ所でうっかりふわっと体が壁から離れてしまい、
「ああーっつ!」と落ちる寸前でビクッと目が覚めた。
ヘンな公衆便所は夢だったけど、たまらなくおしっこがしたいのは現実だった。
つまり寝てるときにおしっこが膀胱一杯溜まった時に限ってこんな夢を見るのである。
このトイレの夢のバリエーションは豊富で、他にこの公衆便所がたまらなく狭い
パターン、たまらなく汚いパターン、たまらなく暗いパターン、等がある。
トイレの穴が吸い込まれそうな程深くて恐いパターンもあったかな?
この安易に用を足させてくれない妨害状況は、やはり寝小便防止の意識からなのか。
ここで無理にやってしまうと布団に地図を描くハメになるワケだ(笑)。

全く、さっきから悪夢ばっかりだよなあ。
どうせだったら自分が無敵のヒーローになって悪人をコテンパンにやっつける夢
とか見たいけど、それは無いなあ。
…んーと、これは滅多に見ないけど、ちょっと不思議なのもタマにみる。
何度も繰り返し出てくる場所だけど、それは現実世界では見当たらず、
夢の中だけに存在するというもの。
自分が見るのはデパートと綺麗に整備された公園が前にある大きい駅で、
そこから2つ3つ隣の駅まで電車にのる、というシチュエーション。
駅の中の構造もよく知っていて、この下の階まで階段を下りたすぐ右に
こじんまりしたレストランがある、とか。行ってみると記憶の通りになってる。
「…あ、ここ前に来たことあるな」とか思いながら外の公園にいってみると
やはり記憶のままの人工池があったりと。
デパートもしかり、各階のフロアーの景色も全て見覚えのある場所なのだ。
何年かに1回くらいの割合でこの場所の夢を見る。
でも実際に現実で行った事のある場所にそんな場所は無くて不思議な感じである。
勝手に頭で作り出した場所を何度も体験して「知ってる場所だよな」と
勘違いしているのかもしれない。でもこんな事も思ってしまう。
「或いは自分は誰かの生まれ変わりで、そこは生まれ変わる前の自分が
住んでいた場所の近所なのではないのか」とか。実際にその場所を探してみて、
もしもピッタンコな所があったりしたら恐いわな(^^A。
…夢って案外、異次元の世界に繋がっているのかも知れないなあ。
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「謹賀新年2015」

2015年01月01日 | つぶやき

あけましておめでとうございます。
一応、カシBARにも鏡餅を置いたりしてみました。
でもテーブルが狭くてしょーがねーなあ、も少し小さいのに
すればよかったとか(^^A。

↓何時も餌をやるので決まった時間に窓枠に集まって来るスズメも
寒いので真ん丸になってます。夏の時よりなんかカワイイです。


次に作るモケイははっきり決まっていませんが
正月は気にせずのんびりしながら、
↓こんなものをいじってます。「デスラー襲撃」の時参考にしていた
メカコレヤマトですね。これもよく出来ているので主砲身に穴加工して
安定翼を付けたり、それくらいかなあ…。


1月10日、11日はいよいよ
「モデリングサークルAPC模型展示会3」です。
皆さんぜひ見に来てください(^0^)/。
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「個人的“SF映画”の解釈」 ~ホントは恐い、SF映画~

2014年08月28日 | つぶやき
DVDレンタル屋さんに入ると自分はどうしても気が付いたらSFジャンルの
棚の前に立っている。 だいたいSF映画しか観ないんだよなー(^^;。
「スターウォーズ」シリーズとか大好きで、繰り返し観たりする。
でも、これって“SF映画”なのかな。んーやっぱ“SF映画”だよなあ。
…でもこの“SF”は“Space Fantasy”のSFになるような…。
本来のSF映画の“SF”は“Science Fiction”の略の筈だった。
つまり“科学的根拠”があってそこから想像できる理想や不安を謳った映画の
事になる。そんな見方でこのテの映画を見ていくと過半数が条件から外れる、
単なる娯楽作品になってしまう。
本来の意味でのSF映画はもっと重苦しいテーマを背負っていたんだ。
自分が幼少の頃は国内外でそんな濃い内容の作品が多かったように思うんだけど、
思い返すとどれも暗い未来を予測した絶望感的映画が殆どだった。
(これよりネタバレ文が含まれます。古い作品ばかりですが未見の方スミマセン)

先ずタイプとして多かったのは過去からの地球の変化を捉えて、この状態で未来に
移行したらどうなってるか、という内容の【このままいくとヤバイ系】だ。
めっちゃ古いとこから挙げると「メトロポリス(1927)」。
人口が増えて工業が盛んになると社会的貧富の差がひどくなり、貧しい人々は
毎日過酷な労働を強いられる …!今そのとうりになってるかも(笑)。
因みにロボットも登場していて、この“マリア”というロボットはデザインが素晴らしい。
人々がマリアに夢中になってしまうところなど今のアイドル崇拝を予言していたのか。
同じような内容の作品をチャップリンも作ってて、「モダンタイムス(1936)」にも
みられる。ここでは“工業機械に逆に使われそうになる人間”みたいな内容をコミカルに
伝えていてかなり面白い。
でも人口が増えすぎた為に子供を作る事が法律で禁じられる「赤ちゃんよ永遠に(1971)」は
もっとヘビーな内容だ。原題の「ZPG」という三文字のアルファベットは
Zero Population Growth(人口増加率ゼロ)を示す。子供が居ない苦痛を紛らわすための
子供ロボットや、大気汚染がひどい為外出する時に顔に着けるマスク等は人類の黄昏感を
にじませる。都市の空中に浮かぶ、人々を監視する球体状のゴンドラが印象的。
続いて「ソイレント・グリーン(1973)」は増えすぎた人口をまかなう食料が無くなってしまい、
遂には死者を秘密裏に配給食糧の材料にしてしまっていたという断末魔的内容。
「サイレント・ランニング(1972)」は地球上の植物が絶滅し、残ったのは宇宙船のドームで
栽培している一握りだけ、という話。どういうワケかそれも処分しなさい、みたいな事になり
宇宙船の中で争いが起きる。宇宙船バリーフォージ号の巨大感はともかく
植物栽培用のドローンロボットがカワイイのである。
国内でも「日本沈没(1973)」という名作がある。これも単なるムチャ振りなパニック映画では
なく地球のマントル対流でのプレートの動きを考えると位置的に日本が海中に沈むのは時間の
問題ではないのか、というしっかりした根拠がある。

【地球外生物系】
SFというと宇宙人が出てくるイメージが強い。宇宙人の地球侵略とか。
でも地球外生物は未だ全く見つかっていないので正当なSF映画としては
説得力に欠ける事になる。星の数が多いのでおそらく他にも居るだろう、という推測からだ。
でもそういう内容の中でも特にSF的内容の濃い映画もある。
「宇宙戦争(1953)」は最近でもリメイクされてる作品だけど、この内容の神髄は
宇宙人が居たー!という事よりも、もし地球外から生物がやってきたら間違いなく
地球のバクテリアや細菌類にやられる、という皆が気付いていない本質を突いている
ところにある。核攻撃を受けても受け付けない、「もう駄目だー!!」とか絶望してたら
なんか知らねーけど死んだ、という展開がいいのだ。有害な細菌類への免疫力は長年その
環境にいた者だけの特権、という締めくくりが最高のザマーミロ感だった。
「アンドロメダ…(1971)」も地味にいい映画だった。
田舎の町が近くに落ちてきた人工衛星に付着していた地球外微生物のせいで全滅する。
でもなぜか老人と赤ん坊の二人だけ生き残る。なぜこの二人は死ななかったのか?
という所からストーリーが展開。どんな恐ろしい細菌にも必ず弱点はある…という手掛かり
捜査の面白さがあった。このアンドロメダ…の最後の“…”が少し気になってたけど、
原題の「The Andromeda Strain(アンドロメダ病原体)」を略してあったんだ。
「コンタクト(1997)」は宇宙からの信号音(電波)が題材だった。
宇宙から飛んで来た信号の中にとてつもない機械の設計図が練りこまれていた!
出来上る物の正体も解からず作ってみるところが凄いのと、特撮CGがリアルなのに驚いた。
昔、この原案のカール・セーガンという学者が好きで「COSMOS」という番組を
毎回見ていたのを想い出す。

広大な宇宙は広すぎて何が起こるか判らない。
だから地球の近くに何が通りかかるかも予測できない、
という不安からくる【降ってくる物が恐い系】の映画も多々あり。
先ず国内の作品の「妖星ゴラス(1962)」は奇抜で面白かった。
確か地球に衝突しそうな、巨大過ぎて破壊も出来ず軌道も変えられない星を避けるため、
地球に巨大なロケットエンジンみたいなのを付けて地球自体の軌道を変えるという
話だった。その後元の軌道にのせられるのか…?
洋画では「メテオ(1979)」、「アルマゲドン(1998)」が記憶にある。
メテオは冷戦時代のアメリカとロシアの宇宙兵器を使って破壊、
アルマゲ~は小惑星に穴をあけて爆弾を突っ込み、2つに割るという対応だったよな。
その他、降ってきたのがバケモノ生物系も多いけどココでは除外。

自分が好きなタイプはやっぱりハイテク技術が災いになってしまう
【技術の進歩が恐い系】だなー。古いので印象深いのは「禁断の惑星(1956)」。
宇宙の彼方で太古の昔に凄く文明が進んだ星があったのに滅んでしまった。
滅んだ理由は“科学文明の進み過ぎ”という、「そうきたか」みたいな内容だった。
“思考するだけで星から抽出したパワーで物事がなせてしまう究極の技術”が発明された
ために、人々の潜在意識の中にある“イド(生物の欲求を満たそうとする
根本的意識)”の怪物が現れてしまい全滅に至る。
核戦争とも違う、微妙な切り口がいい。“ロビー”というロボットが有名。
「猿の惑星(1968)」では亜光速で宇宙を飛んで来た宇宙船が地球に帰ってくると
地球では時間が2000年進んでいて人間は核戦争で滅び、後を猿が支配していたという
やや【このままいくとヤバイ系】にも通ずる話だ。
ザイアスという猿の頭領が人間は進んだ文明のせいで滅んだ事を知っていて
「猿は人間と同じ道を歩まない」という考えを持っていたところが最大のテーマだった。
亜光速で飛んだ宇宙船内と地球で時間がズレるのも科学的根拠に基ずいていたんだ。
グッと最近の「アイ,ロボット(2004)」は“ロボット三原則”がテーマだった。
このごろ実際に驚く程よく出来たロボットをテレビで見かけるのでこの映画は
現実感があった。同じような人造人間パニックを扱ったものに
「ウェスト・ワールド(1973)」、「ブレード・ランナー(1982)」などがある。
思うに、ロボット三原則を考えると「ターミネーター(1984)」のスカイネットのような
コンピュータは第一原則から崩壊していてあり得ない欠陥品なのが判る。

とかくSF映画とはどこか「実際に起こりそうで恐い」のが特徴だと思うんだ。
まーこんなのダラダラ書き出すとキリがないので今夜はこの辺で…(^^)/。

(卓上のモデルは「猿の惑星」の宇宙船イカルス号)
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