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一昨日、昨日の続きです。
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シーズンが終わりきっていない中、ニューヨーク・タイムズにはメータのキャンセルに伴う代替指揮者の評や、もともと予定されていたほかの指揮者のキャンセルも含めいろいろと下世話な話が続く。
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1984年5月7日(月)
ニューヨーク・タイムズ
Philharmonic Copes with Mehta’s Elbow but Pays a Price
フィルハーモニックはメータのひじへの対処を実行。しかし付けは払う。
By BERNARD HOLLAND
バーナード・ホランド
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アンドリュー・デイヴィスとロバート・ショウは、休暇の最中であった。ヴァツラフ・ノイマンはチェコ・フィルとともにアメリカ・ツアー中であった。ウエールズ国立オペラで2ヶ月のオペラ公演を計画していたマイケル・ティルソン・トーマスは監督とともにそれを放り投げ、自分のスケジュールの予期せぬギャップを見つけることとなった。ニューヨーク・フィルハーモニックは今春、たくさんの指揮者を発見したし、指揮者はいないものだということもわかったが、これらの指揮者や他の人たちはフィルハーモニックを助ける為に駆けずり回った。
フィルハーモニックの3月後半の危機はメータの痛むひじのせいであった。3月29日に指揮をしなければなならないので、その二日前にリハーサルを始めるためにフィルハーモニックの音楽監督は3月20日イスラエルから電話してきた。予定されている公演を危惧するに足る痛さであった。メータが翌月曜日に到着するまで確定的なことは何も言えない。最初の衝撃が駆け抜け、フィルハーモニックの管理監督であるアルバート・K・ウエブスターと音楽運営のフランク・ミルバーンは電話をかけ始めた。
音楽家の仕事のスケジュールはしばしば4,5年先までいっぱいである。従って、運と少しばかりの禁欲が必要である。どこのリストも多くのビックネイムは空いていないという認識で満たされていた。音楽家のマネージャーたちには相談があった。誰がそこにいなくて、誰がやる気があって、誰が可能なのか。
「すごくはやく。
私たちは世界中のどの有名な指揮者がどこにいるのか把握できる専門家になった。」ウエブスターは言い放った。
オーケストラにとっては既に悲惨なシーズンであった。手首を骨折したラファエル・クーベリックは当月前半の2週間におよぶフィルハーモニック・コンサートから退いていた。アンドレ・プレヴィンはつま先の怪我のため12月の契約をキャンセルしていた。1983-1984年シーズンはオーケストラ35週の定期公演のうち11週は代替指揮者の公演になってしまった。ウエブスターが言うには、「普通、キャンセルにともなうノルマは1年に4週間ぐらいだ。」
メータのひじの問題は新しいものではない。ミルバーンはベルリンにおける9年前の”トリスタンとイゾルデ”を思い出した。同様なひじの不快感からの回復の為、第3幕前の休憩が長くとられたのだ。
「これは大きな問題になるとここ一年半ほどの間に認識しました。」とウエブスターは言った。「コーチゾン注射は効かなかった。6ヶ月の不在(6週間の誤り?河童注)は計画通りだったかもしれないが、彼のようなキャリアをもった人間は休みを取りたがらない。外科手術は最後のリゾートであった。」
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Laid Up for Two Weeks
3月27日、メータは極めて深刻なひじの慢性的な腫れ、外側上果炎、の手術を行い成功した。ある意味、この損傷はテニスひじと同様なものであったが、もっと重いものであった。それは指揮のときの精力的で激しい腕と手の動きの結果であった。
メータは一週間入院したし、もう一週間はニューヨークで家にとじこもっていた。のちにメータは、オーディションを行う場所そして先のプログラミングをとりおこなうニューヨークと、自宅のあるロス・アンジェルスの時間を切り分けていた。
指揮者たちはしばしば長生きする。彼らはテクニックが衰弱しばらばらになることを心配することなく(ピアニストやヴァイオリニストはめったに楽しむことは出来ない)、老年においても行動的で興味深いものを保持することが出来る。指揮者の行動的なアッパーボディー動作は循環系統を強くし寿命を延ばすと誰でも思うだろう。
その一方で指揮者たちは整骨上の問題を引き起こしやすい。プレヴィン、トーマス・シッパース、小沢征爾、その他多くの指揮者たちが背中、ひじ、腕に問題を抱えている。フィルハーモニックは今春、良い状況を得たと言える。危機により良い側面を経験した。つまりフィルハーモニックと聴衆はあまりなじみの無い指揮者を見る機会を得た。実際のところ、ギュンター・ヘルビッヒとヴァツラフ・ノイマンにとってこれらの演奏会はフィルハーモニック・デビューになっている。
それでも、当初予定されていた多くのプログラミングは失われてしまった。メータの在任期間中いろいろと不満はあるが、多くの評論家から彼は関心を引く演奏を行うということで同意されている。
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The Program Changes
プログラミングの多くはなくなってしまった。クーベリックのキャンセルで、スメタナのわが祖国、他にマルティヌーやノヴァークの曲を削除することにより喪失感が始まった。三つの新作、ブーレーズのノーテイションⅠ、エリオット・カーターの三つのオーケストラの為の交響曲、ギュンター・シュラーのConcerto Quarternio、が抜け落ちなければならなかった。うわさによると、代替指揮者の一人がブーレーズの曲を志願したが、数日後当惑してもとの楽譜に戻った。
「これらは難しい曲なのだ。」ウエブスターが言った。「とにもかくにも、客演指揮者がニューヨークに持ってくるようなたぐいの曲ではないのだよ。彼らはここニューヨークでベストをつくし自分たちを目立たせ大きな契約が欲しいのさ。」
予定されていたドイツ・レクイエムはロバート・ショウにより危機から救われた。しかし、ブーレーズとハイドンの曲に代わって演奏されたノイマンによるフランクの交響曲は退屈で面白みがない置き換えと評されたようだ。同様にドヴォルザークの交響曲第7番は繰り返し演奏されて陳腐になったチャイコフスキーの第5番にとって代わられた。クーベリックによるわが祖国の演奏は、セミヨン・ビシュコフによるベートーヴェン、リスト、ラフマニノフに代わってしまった。
質問されたフィルハーモニックの奏者たちは指揮者の変更ですこし影響を受けたように見えた。「私たちはたくさんの客演指揮者たちと、今春もほぼ普段どおりの演奏を行うことができるのさ。」一人の奏者が言っている。「私たちは自分たちの前にあるものを毎週毎週揺さぶり続けるのさ。彼らが連れてきた誰でもみんな有能なんだから。彼らはスターではなかったけれども、私たちが嫌いな多くのスターではなかった。」
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Need for One Conductor
しかしながら、首尾一貫したコントロールのなかで一つのパーソナリティーが相違を作るという感覚がオーケストラのなかにある。一つのコメントとして「それが私たちが好きなものなのかどうか、広く受け入れられているアプローチを我々は必要としている。」
ある奏者は、注意深く細部を構築し効果的なリハーサルを行ったロバート・ショウは印象深かったと言った。メータの離脱の結果として代わりに指揮することにおいて、それは衰退することはないという警告だとフィルハーモニックは言っている。それは、定期公演のチケットホルダーの間で予約していながら来なかった人たちをチェックすることではない。
演奏されなかった重要なアイテムはこの先、本来スケジュールされていた指揮者のもと演奏されるということをフィルハーモニックは強調した。つまり2シーズンにわたるクーベリックによるスメタナ、数年以内のメータによるカーター、ブーレーズ、シュラー。
メータは6月にロンドンのコヴェント・ガーデンでアイーダの新演出を予定している。今月からリハーサルを行う予定だ。最初のリハーサルは他の指揮者が行う予定だが、メータがそんなに早く再び指揮をすることが出来るのかどうか、いまだ疑いの目で見られている。フィルハーモニックは再び負傷することを懸念している。しかし、ウエブスターは言っている。「我々は何をすべきかズービンに言う立場に無い。」
メータは’84ホライゾン現代音楽コンサートにおいて6月7日にエイヴリー・フィッシャー・ホールで指揮をする予定だ。そして8月にはアウトドア・セントラル・パーク・エクストラヴァガンザで指揮をする予定だ。
ニューヨーク・フィルハーモニックは、彼の準備が出来ているのか確信があるのか?ウエブスターは「我々は確信しなければならない。」と言っている。
おわり
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お蔵ですか。すごい。きっとお宝が詰まっているんでしょうね。我が家も資料館となっているのですが、何分スペースの問題があり、増やした分は減らさなくてはいけません。
マガジンとかはメータ中心ということではなかったのですが、いろんな記事とかはあると思います。あくまでもニューヨーク・フィル中心の世界でしたから。
それとヴィデオは、ベータが当時主流で、かなり処分(捨てた)したような気がします。河童蔵の方を探せば出てくるはずですが、ベータですね。当時のテレビ番組等もとっていましたが、、。
この当時の雑誌もお持ちとのこと、是非拝見したいものです。
実は1982年の9月に演奏されたメータ・プライスのコンサートのLDを持っています。
河童さんはそのコンサートにいかれたのでしょうか?機器が壊れてしまいしばらくそのLDを見ることができなかったのですが、本日、友人がDVDにダビングしてくれました。
コンサートが素晴らしいとかそういう次元ではなく、なんともはや当時のニューヨークの香りがいっぱい詰まっているいます。憧れとか・・・・メータも若く思わずため息が出てしまいます。この時すでに肘が痛かったのでしょうがそんな感じは見られませんでした。
メータのテニス肘のことは日本でも知れていたんですね。全く知りませんでした。
非常につたない訳ですみませんが、昔のスクラップブックは今見ても楽しいです。ニューヨークタイムズは音楽記事を楽しみに毎日読んでました。マガジンも多数ありますが、いつの日か、、、。
メータは年齢を重ねるにつれウエイト、健康など気をつけているのではないでしょうか。今のドミンゴみたいに太ってませんしね。
メータのオペ後、間もなく音友の記者がニューヨークに出向きインタビューの記事が載ったのを覚えています。
きっと1分、1秒でも早く指揮がしたかったのでしょうね。ウエブスターの言う”我々は何をすべきかをズービンに言う立場にはない”というところ、笑えました。
この後、ひじのトラブルの話は聞いたことはありませんが、肩の痛みには随分と悩まされたようです。
今日のN響との演奏会のテレビ録画を見ても、この当時の指揮と比べれば随分と無駄な力が抜けたように思いました。きっとその分、体のトラブルも減ったのではないでしょうか?
この記事をとっておいていただけて感謝です。