クメールの食事 1

カンボジアから   金森正臣(2005.12.16.)

クメールの食事 1 塩辛い惣菜

写真:中央右手が問題の魚。4切れも乗ってきたが半分しか食べられなかった。カンボジアでは、プラホックの料理には中央左手の皿の様な生野菜を添えて食べる。

 クメール飯屋に昼食に出かけた。肉類よりも魚が好きなので、この日も写真の魚の一品を頼んだ。一口食べて、その塩辛さに脳天まで塩漬けになったような感じがした。皆さんはこの様な経験がおありだろうか。日本でも最近では塩辛いものは、健康上からの理由などで遠慮され、あまり塩辛いものは存在しなくなった。昔は、鮭の塩辛いものやカツオの腹身など塩辛いものがあった。
 この日の魚は、カンボジア名物プラホックの端切れだった様だ。プラホックには2種類有り、小魚を塩漬けしたものと大きな魚を3枚に下ろして塩漬けしたものがある。前者は主に魚醤を取り、後者はそのまま料理に使う。魚醤を取ったあとも料理に使うが、魚醤を取らない方が高級品である。また貧しい家庭では、魚醤を取ったあとのものをそのままご飯に乗せて食べていると言う。
 この日の魚は、塩漬け物を中心部分は他の高級料理に使われ、残りの腹身に近い部分と鰭などの骨のある部分が切り出されてものを、煮付けたものであろう。一切れあれば十分に、ご飯が食べられてしまうほどの塩辛さであった。隣に見えるのは、生野菜で生の茄子(白色に見える半球形)、キュウリ、ヒレのある豆の鞘などと一緒に食べる。味はよいのだが、久し振りに緊張するほどの塩辛さだった。

 金銭的に貧しいと、食事にかける金額も自然と制限される。日本の戦後もそうであったが、何をどの様に食べるかは、腹一杯になることが第一の課題になる。この様な場合に、私の経験では2つの道が存在する。その一つは、塩辛い総菜によって沢山のデンプン質を食べる。即ち少量のおかずでご飯を沢山食べる。もう一つの選択肢は、辛みで沢山のデンプン質を食べる。

 以前、1980年頃に韓国を訪れた時に、まだ国防費の予算を37%もとり、国民は重い税金と貧しい生活にあえいでいた。この時よく食べたのは、青トウガラシにコチジャン(トウガラシと麹を混ぜて発酵させた韓国独自の調味料)を付けてご飯を食べるというものだった。辛さと塩味で確かに食は進むが、腹一杯になるだけの食事であったが、皆それほど不満は持っていなかった。空腹が切実であったから、満腹に食べることによって十分に満足であったのだろう。
 日本でも戦後の貧しい時には、味噌でご飯を食べたり、野沢菜やタクワンなどの漬け物だけでご飯を食べたりするのは、当たり前であった。刻みネギにトウガラシを混ぜ醤油味などで食べることも、普通に行われていた。小学校の家庭科の時間に、如何にして脂肪やタンパク質を、必要なだけ取るかが課題になっていた。動物性タンパク質などは、お祭りのご馳走や晦日の塩のこぼれるほどに入った塩鮭、脂肪と言えばお盆の天ぷらぐらいしか思い浮かばない時代であった。
 功成り名を遂げた宇野重吉が、晩年に何を食べたいかと聞かれて「タクワンを千切りにして油で炒めて煮た物」と言った話があったが、多分小さい時に貧しくてこの様なものを食べていたのであろう。年を取ると昔の味が懐かしくなる。「メザシの土光さん」と字名(渾名:アダナ)された経団連会長、土光敏夫さんもメザシをこの上なく好んでいた。

 現在の日本は、食事を制限しなければならないほどに栄養過剰になっている。食材も豊富で、何でも手に入る。戦後の食事に比べて皆さんは、十分すぎるほど満足して感謝しているだろうか。子ども達は満足して感謝の心に満ち溢れているだろうか。日本にいると、しばしば子どもの食欲がない話を聞く。もしそうだとするならば、どこかで基本を踏み外していないだろうか。
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