カンボジアのパーティー 7 クメール正月のピクニック3

日本にて   金森正臣(2006.3.30.)

カンボジアのパーティー 7 クメール正月のピクニック3

写真:先ほどの更に下流には、この滝があり、皆さん滝つぼに入って遊んでいる。滝の下まで入って遊ぶ人もいる。


 しばらくブログを休息します。次ぎに始めるのは、多分5月の始めにカンボジアに帰ってからになると思います。
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カンボジアのパーティー 7 クメール正月のピクニック2

日本にて   金森正臣(2006.3.30.)

カンボジアのパーティー 7 クメール正月のピクニック2

写真:小さな滝の下に集まって遊ぶ人々。岩の上に寝ころんだり、滝の水に濡れたりして楽しんでいる。

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カンボジアのパーティー 7 クメール正月のピクニック

日本にて   金森正臣(2006.3.30.)

カンボジアのパーティー 7 クメール正月のピクニック

写真:都会に出ている人達は、クメール正月に田舎に帰って過ごすことが多い。親類縁者が集まると、皆で古い仏教遺跡にピクニックに出かける。クメール正月は、仏教の行事に因っているから、お寺や仏教遺跡に出かける。木陰で持参した弁当を広げることになる。

 この場所は、アンコールワットから北東に約50kmの山の上のプレアンコールの遺跡プノン・クーレン。滝があり、川の中にヒンドウー教の神々や仏像などの彫刻がある。ここは、2002年4月に訪れたが、外国人はほとんど見かけず、カンボジア人ばかり。まだ付近の林は、危険なために立ち入り禁止。多分地雷などの問題。でも人が歩いているとことは大丈夫。2003年には、同じ時期に更に古い遺跡に、ピクニックに出かけた。

 来た人は老いも若きも服のまま、滝に打たれたり、滝つぼに入ったり、川に寝ころんだりして濡れるのを楽しんでいる。暑いから服も薄く、着ているうちに乾くから良い様な物の、どうも日本人はここまで寛容になれない。普段でも暑ければ、その辺の水を手桶で頭からかけて濡れているから、鍛えられ方が違う。子どもの時には裸で、過ごすことが多く、水に自由に出入りしているから、水に対する感覚が違う。雨が降って濡れても平気。

 昼食時になると、その辺の出店で買って来たトリや魚の焼いたものと、家から持ってきたトリ・カレースープなどを並べて、ランチタイム。ちゃんと貸しゴザ屋も出現。ご飯やフランスパンを食べながら、滝に打たれた話などで盛り上がっている。途中で買ってきたり、自宅から持ってきたりした果物がデザート。それぞれの山には、野生の果物があり、来る道端で売っている。形は小さいが、味はなかなか強烈。この山にはライチ(クーレン)が多いので、ライチの山(プノン)と呼ばれている。でもこの時期は、ライチの時期ではなかった。残念!
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カンボジアのパーティー 6 桟敷席の料理

日本にて   金森正臣(2006.3.29.)

カンボジアのパーティー 6 桟敷席の料理

写真:桟敷席に限らず、パーティーの料理には幾つかのパターンがある。写真の四種が一つの代表的パターン。中央の火炎鍋は、トリのスープ。左側は、時計回りに牛肉の炒め物、野菜(空芯菜:クウシンサイ、またはエンツアイ、学名:Ipomaea aquatica サツマイモに近縁の水生の蔓草)のニンニク炒め、ライギョ(英名:Snake Head、スネークヘッド、頭がヘビに似ているから、日本ではライギョ)の蒸し焼き。

 カンボジア人が、パーティーをすると、メニューには決まったパターンがある。その一つが、この写真の通り。メインが何かは分からないが、肉料理、野菜料理、魚料理、スープ。

 この場合には、肉はロックラックと呼ばれている牛肉の焼いたものにフライドエッグが乗り、下にはポテトフライがある。レタスの上に盛られ、天盛りにパクチー。卵は、黄身がほとんど固まっていない状態で、これを崩して肉に付けながら食べる。更に写真の右手に見える小皿の黒い汁(塩・黒コショウ・ライムを搾った汁)を付けて食べるのが正式。カンボジアでは、肉に味が付いていても、更に色々タレを付けて食べる場合が多い。結構こだわりがある。

 野菜料理は、エンツアイのニンニク炒め。唐辛子が入っているが、エンツアイだけの塩味か、オイスターソース味。歯触りが良く日本人好み。魚はライギョの口にレモングラスをさし込んでホイルで蒸し焼きした物。カンボジアには、ライギョのグループが何種類かいて、蒸し焼きにされるのは、最も小さな種類一種だけ。体長は、大きくても40センチ未満。この種類は斑文が無く茶色で、市場の価格は最も高い。他の大きな種類は他の調理方法で調理される。カムルチー(日本では、ライギョと呼ばれる物に2種類ある。タイワンドジョウ:学名:Channa maculate とカムルチー:学名:Channa argus)と思われる模様の体長60センチを超すものもいる。しかしこちらは一匹当たりの市場価格では、半分以下。重さ当たりで言えば、4分の1ぐらい。この焼き魚には、右側の小皿の薄茶色の汁に、千切りの青マンゴーが入った物を付けて食べる。薄茶色の汁は、トックトレイ(魚醤)。この魚には、必ずこの付け汁が付く。魚には味が付いていないから、丁度良い。でも時には、塩コショウで食べてみたいとも思うが、彼らはしない。ライギョの仲間は、東南アジアでは重要な食料になっている。

 中央のスープは、トリのカレー風味のスープ。スープには、エビ(海産の場合と淡水産の場合がある。淡水産は大きなロブスターと呼ばれている、テナガエビ。クルマエビ程度の場合は、海産のエビが多い)、カニ、魚などバライティーがある。味もカレー風味、酸味スープ(酸味はタマリンドやライムの場合など)、辛味など変化がある。酸味と辛味は組み合わされることもある。この他に、ビールやご飯がでる。日本の様に、最後にご飯がでるとか、ご飯がでると終了と言った傾向はない。各自勝手に途中でご飯を食べている。

 最後に季節の果物。多くは、果物を篭に入れて売り歩いている子どもやおばさんから買い込む。バナナの葉にくるんだ蒸し菓子を、デザートに売りに来る女性もいる。店の人も、この様な物売りが出入りすることを認めている。
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カンボジアのパーティー 5 メコン岸の桟敷席2

日本にて   金森正臣(2006.3.28.)

カンボジアのパーティー 5 メコン岸の桟敷席2

写真:昨日のパーティーの続き。我々の周囲を見ると、レストランはかくのごとし。奥の方に見えるのは隣のレストラン。我々の居るところも水上になる。手前につり下がっている帯状の物は、ハンモック。カンボジア人は、ハンモックが大好きで、郊外にはこの様なところが沢山ある。食後に涼しい風に吹かれながら、ゆっくりと昼寝をしてから帰る。

 メコン川に張り出したレストランは、ここ数年の間に急増した。2001年頃には、多くても数軒であったが、現在では30軒以上もあるだろうか。いずれも急造というか、簡単な作りと言おうか、日本の建築基準法の様な物はないから、取りあえず立っていればOK。メコンの岸の泥の中に柱を差し込み、その上にネダ(床の下に来る木材)を渡して、床を張ってある。あちこちカスガイ(柱と柱の間に斜めに入れて揺れを少なくする板)を入れてあるが、人が歩けば揺れる。沢山お客さんが入れば、落ちないのが不思議ぐらいだが、落ちない。いつか落ちるのではないかと、何時も思うが落ちない。不思議だ!

 カンボジアでは、メコン川沿いばかりではなく、道路沿いにもトウモロコシなどを食べさせるハンモックを吊ったレストランがある。食べ終わるとハンモックに揺られながら休むのが、大好きな様だ。またトランプが大好きで、あちこちで賭けトランプが、開帳している。経済的には豊かではないが、ゆっくりと遊び、人生を楽しんでいる様だ。

 あくせくと働き、余裕もなく1日を過ごす日本人は、いったい何なのだろう。それぞれ幸福を求めて、人生を送っているのであろうが、どこかで道を間違えていないであろうか?物の豊かさが幸福を保証してくれた時期は、飢えから脱出した時期だけであろう。その線上を走り続けると、いつか価値の転換が起きて、物自身が目的になってしまう。そこには真の幸福にはたどりつけない、底なしの暗闇が待っている。心はストレスを内包し、沢山のエネルギーを使って体は衰えて行く。社会は急速には、変わらない。この問題は、個人で対処するしかないと思うが、如何だろうか。
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カンボジアのパーティー 4 メコン岸の桟敷席

日本にて   金森正臣(2006.3.27.)

カンボジアのパーティー 4 メコン岸の桟敷席

写真:背景の明るい部分は、メコン川本流。川の上に張り出した桟敷席でのパーティー。皆がゴザの上に車座になって食べるのは、カンボジアの正式な食事の形式。イスや机を使うのは、後から入ってきた文化。暑いカンボジアでは、日中は川風に吹かれながらが、快適な温度になる。

 このパーティーは、日本の奨学金が決まり、修士過程を目指して出かけるメンバーが、勤め先の皆を招待して開いたパーティー。珍しいことである。なかなか金もかかるであろうと心配はしたが、本人の張り切り様が伝わってきて、余分な口出しは出来なかった。

 数種類のご馳走がでるけれども、出来上がった順番に持ってくるから、忘れた頃に来る物もある。カンボジア人の経営するレストランでは、良くある現象。忘れられて出てこない料理もあるが、アフリカよりは忘れられる確率は、はるかに低い。アフリカでは、3-4個を同時に頼むと、だいたい始めの物は忘れられる。だからなるべく同じ物を頼むのが無難。最も田舎のレストランでは、メニューには30種ぐらい書いてあっても、その日に出来るのはせいぜい5-6種だから、選択の幅も狭い。食べ物を比べると、カンボジアは種類も多く味も良いので天国。

 注文した料理が出てくると、ビールを飲みながら盛り上がる。日本人の誰かが教えた「乾杯」の掛け声ごとに、グラスを空けるからかなりハイピッチで飲むこともある。でも冷えていないビールに、氷を入れて飲むから薄まっており、チョット楽。
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カンボジアのパーティー 3 ノンバンチョックの食べ方

日本にて   金森正臣(2006.3.26.)

カンボジアのパーティー 3 ノンバンチョックの食べ方

写真:家庭のパーティーで、ノンバンチョックを食べるには、どの様な順序で丼に盛るかで食べやすさが異なる。米の麺は、写真の様にやや互いに絡まっている状態である。これを上手に箸で取り、丼に入れる。その上に、手前のお盆に載っている生野菜を載せる。食べる時は、右手前にあるココナッツミルク・トリ・カレー汁をかけるので、意外にするすると入ってしまう。見た目よりも量が多いのと、腹持ちがよいので後が苦しい。

 食べるには、口から入れて食べるのには違いがないが、それとは別に下準備として、麺の盛りつけ順序を知っていた方が良い。最初に野菜を入れると、混ぜても結構後まで野菜が残る。一緒に食べると美味いが、野菜は生だから、野菜だけ残ると何だか麺を追加して食べたくなる。でもカンボジアの流儀では、一杯食べ終わると、汁を捨てて次を盛り直すのが正式らしい。麺だけ追加すると、白い目で見られる。また、このパーティーでは必ずフランスパンが付いていて、パンをちぎりながら、麺にかけるスープに付けて食べることもする。でも一度麺を入れたスープには、付けて食べないのが正式。別の器にスープを盛って、それに付けて食べる。最初の頃は、あまりうるさいことを皆さん言わなかったが、慣れてくると文化として教えてくれる。まあ、江戸前のにぎり寿司では、カウンターでは寿司を箸で食べない程度のことかも知れない。でも結構彼女らは、こだわりを持っている。

 出される野菜は、季節やその時有ったものなどで、多少バライティーが有る。キュウリの千切り、モヤシ(生です)、タデ科の草の葉、その他香草2-3種(この中にはドクダミも含まれることが多い)。バナナの花の刻んだもの、ササギマメの若い鞘などもでることがある。味はスープの味にかかっており、各家庭の味がある。昼食のパーテーに良く採用されるメニュー。
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カンボジアのパーティー 2 家庭でのノンバンチョック・パーティー

日本にて   金森正臣(2006.3.25.)

カンボジアのパーティー 2 家庭でのノンバンチョック・パーティー

写真:何かあると友人を招待して、家庭でパーティーが行われる様になった。これは職場のメンバーを招いて、昼食パーティー。昼食パーティーには、しばしばこのノンバンチョックと呼ばれる、米麺がでる。中央の3枚のお皿に白く載っているのが、米で作ったソーメン。これに緑色の物が盛られている皿から、各自の皿に麺と適宜好みの野菜や香草を乗せて、トリ・カレースープをかけて食べる。

 カンボジアで麺と言うと、ほとんどが米から作った麺である。米を瓶に入れて水を入れ、3日ぐらい置いてこねると米が細かくなって、メリケン粉をこねた状態になる。これを沸騰した湯の中に、細かいふるいを通して押し出す。茹でられたそのままが、このノンバンチョックの麺。それを乾燥した物も売っている。乾燥物は、カンボジアの朝食の定番であるクイティウの麺である。
 日本の米は、水に3日ぐらい浸けてこねても砕けるほど柔らかくはない。多分インディカの方が、デンプン鞘(ショウ)への詰まり具合が柔らかいために出来ると思われる。ご飯を炊いた時にも、インディカは芯飯になりにくい。電気釜でしかご飯を炊いたことがないと、「芯飯」は分からないかも知れない。

 ビールも並んでいるが、午後は休みだったかどうか?でもカンボジアでの我々の勤め先は、2時間昼食休みがあるし(カンボジアの普通の職場は、3時間休み。朝7時から始まり昼休みは11時から2時まで)、暑いところだからアルコールも直ぐ抜ける。ビールは冷えていない物を出すのが普通で、氷を入れて飲む。普通の家庭には冷蔵庫がないので、氷は買ってきている。

 その他に並んでいるのは、クモとコウロギ。手前の皿の黒っぽいのがクモ、やや向こう側の茶色いのがコウロギ。
 野菜の皿には、キュウリの他に3種類ほどの香草が添えられている。タデ科の香草やドクダミの香りがする香草がある。他にもカンコノキ(学名:Glochidion sp. トウダイグサ科の小木)の葉も添えられる。癖のない野菜で、若葉を使う。でも時々驚くほど硬い物も混ざっている。町の家庭では、市場で買ってくる。田舎に行くと子ども達がどこからか集めてくる。カンコノキは東南アジアでは、良く使われる普通の食材である。
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カンボジアのパーティー 1 家庭でのパーティー

日本にて   金森正臣(2006.3.24.)

カンボジアのパーティー 1 家庭でのパーティー

写真:昼食のホームパーティーの情景。場所は高床式の家の2階部分のため、敷いているゴザの周囲は、下が透けて見えている。床板の間には多少隙間があり、下から風が上がって涼しい。一番左の男性夫妻(婦人は左側1人置いて次ぎの人)が久し振りに都会から戻ったので、高等師範学校の同級生達が集まった。そのため女性も一緒にいるが、ホームパーティーでは、女性が後で食べることが多い。

 高床式の家では、普通は2階部分が住居になっており、1階部分は農具舎や作業場、家畜小屋などになっている。都会でもまだ高床式が残っており、その場合には1階部分は、涼み台が置かれたり、ハンモックが吊られていたり休息の場所になっている。日中には、2階よりも1階が涼しい。家族だけの場合には、下で食事をしていることもある。客人が多い場合には、下が調理場と化したりすることもある。高床式の家は、洪水に供える意味もあるが、暑いカンボジアでは良く工夫された住みやすい作りだ。最近はコンクリート作りの家もあるが、クーラーでもない限り木造が住みやすい。

 写真の中央に見られるご馳走は、手前からトリの丸焼き(下に香草が敷いてある)、トリのカレースープ(必ずココナッツミルクが入る)、豚肉と野菜のスープが一列に並び、左側に置かれているのは香草が盛られたお皿。奧にも同じセットが置かれて、客人の皆が取りやすくなっている。香草は、肉などを食べながら適宜口に放り込む。カンボジアのホームパーティーでは、ご馳走はこの様に丼に出されて、各自にご飯のお皿が配られる。ご馳走は、各自のご飯のお皿に取りながら食べる。スープもご飯の上にかけるから、お箸も添えられることもあるがスプーンが必ず付く。米はインディカで粘りが少ないから、スープをかけると箸では食べられない。ご飯は炊きたてではなく、やや冷めた物が出されることが多い。熱いのはご馳走ではないらしい。そのため一層ご飯は粘りが少ない。スープは熱いのが出される。丼のご馳走は、量が少なくなると奧の料理場から追加される。客人が鱈腹食べるまでご馳走するのが、カンボジア流である。うっかりしていると周囲の人が、客人のお皿にご飯などを追加する。戦中派の育ちは、食いしん坊で残せないから目を白黒させて動けなくなる。

 カンボジアの田舎に行くと、良くトリ料理が出される。ニワトリ、アヒル、時によるとガン。いずれも小屋で飼われていないから、その辺を自由に歩き回って自分で餌を探さなければならない。アフリカ人ほどではないが、カンボジア人もトリにあまり餌を与えない。勿論、多少の残り物や精米後のフスマなどが有れば与えるが、無い時には放っておく。トリはアリやミミズなどを探してあちこち駆けずり回る。運動量が多いから、筋肉は硬いが味は抜群に良い。

 最初にカンボジアを訪れた1999年頃は、高等師範学校の生物学科の教官が十数名いたが、各自が全員で顔を合わせたことはなかった様だ。2001年に9人ほどに集まって貰って、アンケート調査した時にも、お互いに数人は知っていても、知らない人がいると言っていた。この時に最初の授業にトリの解剖を行った。皆喜んで教材の残りを家に持ち帰った。次の2002年に同じトリの解剖の授業をした時に提案して、トリのスープを付くって皆でパーティーをした(最初の解剖は、ほとんど理解できていなかったので、再度挑戦することにした。当時はきちんと観察することが出来ないため、理解が進まなかった)。

 この時に彼らが言ったのは、「皆で集まって話ながら食べるのは楽しいものだ」と言うことだった。30年近くも内戦に明け暮れ、隣人同士で密告や殺し合いが続いた環境では、お互いが打ち解け合って、パーティーを開くことなど想像も付かなかったのであろう。次の年(2003)に出かけた時には、3月間の間に彼ら自身が計画して3回もピクニックに出かけた。ある時は学長と副学長も招待されて出席して、「これからはこの様なまとまりが必要なのだ」と祝辞を述べていたのが印象的だった。

 今では、彼ら同士で計画して、時々パーティーが開かれる。誰かが研修に出かける時、出張先の仲間で、誕生日祝いなど、理由は如何にあれ様々なパーティーをする様になった。この写真のパーティーも(2003.4.)、そんな彼らの生活状況の変化を感じさせられる出来事だった。
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プノンペンの風景 11 夜の町のザボン売り

日本にて   金森正臣(2006.3.23.)

プノンペンの風景 11 夜の町のザボン売り

写真:夜の町でリヤカーにザボンを積んできて売っている女性。夜には市民が夕涼みに出てくるので、かなりの客がある。以前はアセチレン灯が多かったが、最近は自動車の中古バッテリーを使った蛍光灯が主流。ザボンは、丸のままのものと、表皮を丁寧に剥いたものが準備されている。

 カンボジアには幾つかのザボン(カンボジア名は、クローイ・トロン。ザボンとは別種と思われるが、良く似ている)の産地があり、首都に出荷されてくる。なかなか根性もので、皮が厚く簡単には剥けない。その代わりというか、小さい方の袋を剥いても結構長持ちし、タッパに入れ冷蔵庫に入れておくと1週間ぐらいは持つ。皮付きであれば、30度を超す室温でも3週間ぐらいは十分持つ。さすが熱帯産と感心する。とにかく大きいので、1個買うと1人で食べていると、3-5回になってしまう。

 夜店で皮を剥いて売っている物には、塩・唐辛子が付いている。カンボジアの人達は、この塩・唐辛子を付けて食べる。カンボジア人は、色々な酸味の強い果物に塩・唐辛子を付けて食べる。青いマンゴー、ガバ、ナツメなどにも付ける。
 果肉は硬く締まっており、小袋も硬いのでザボンと同じように剥きやすい。簡単には汁がこぼれないので、食べやすい。味は酸味が少なく、甘すぎないのでかなりの量が食べられる。それでも大きい。サラダに入れると美味い。カンボジア流では、干し牛肉を焼いたものと一緒に食べたりする。最初は結構抵抗があったが、生ハムと果物が合う様な感覚だ。

 カンボジアの一般家庭にはクーラーが付いていない。夕方になると外に出た方が涼しいので,皆良く夕涼みに出てくる。9時頃までは結構外にいる。良く買い食いするし、買って帰る人もいる。色々な屋台がでて毎晩各地がお祭り騒ぎになる。1999年ころには、こんな雰囲気はなく、夜歩くのは危険な感じであった。2001年頃から、ボツボツと皆が楽しむことを始め、現在では多くの人が平和を満喫している様に思う。

 今世紀は、戦争の世紀であると私は思っているが、実際に各地で紛争が絶えない。20世紀は、国の覇権争いの戦争の世紀であったが、今世紀と来世紀は、宗教対立の戦争が絶えないであろう。特に一神教(キリスト教やイスラム教・・)は、他の神を認められないから、究極的には他の宗教と共存することは出来ない原理だ。仏教やヒンズー教は、基本的には多神教で、他との共存を原則とする。仏教の一部には他の宗派も認めない一神教と同じ某学会もあるが、本来的には多神教である。だから土俗信仰も消えてしまわない。この様に書くと、希望も何もない世界の様に思われるかも知れないが、その心配もない。

 皆さんは、平和をどの様に考えておられるだろうか。日本はすっかり平和ボケしている様に思われるが如何であろうか。平和は、机上の空論では実現できない。1人1人が平和の持ち主でなければ、平和にはならない。まず自分の心の中の怒りを取り除かなければ、平和はやってこない。自分の中にないものを、人に要求するのは、自分勝手すぎないであろうか。自分の心の中の安定も得られないで、人様が平和に向かう手助けなど出来ない。

 子ども達に教えるにしても、他国の平和への道を手伝うにしても、まずなさなければならないのは、自分の心の中に平和を構築することでは無かろうか。持っていないものは伝えられない。自分のことを整えることは、何よりも第一に自分自身の人生のためになる。このことに気が付けば、何処で何が起こっていようと、しなければならないことはまず自分の中からであろう。如何に戦争の世紀であろうとも、悲しむことも迷うこともない。自分のすることはハッキリしている。

 海外で他国の平和のために貢献したいと思って、活躍している人達は多い。他人のことに色々意見を言うことは易しいが、自分の中を整えることが一番難しい。この辺のことをはき違えている人が多いので、日本人を平和ボケと言ったのである。皆さんはどの様に考えておられるのであろうか。内戦終結後の日が浅いカンボジアにいると、様々なことを考えさせられる。
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