カンボジアのにわか造船所

カンボジアのにわか造船所  2013.2.27.  金森正臣

プノンペン市内で、アジアの大河メコンとトンレサップが合流する。その合流点の脇に、にわか造りの造船所が出来ていた。いつからあったかは明らかではないが、少なくとも昨年の末には存在しなかった。大体この場所は、メコンが増水している時は、5メートルは水の下になる。写真1の昨年の8月の増水期には、向かいの中洲との間を行き来するフェリーの船着き場になっていた。

写真2のにわか造りの造船所は、下は川底を平らにしただけで、舗装も何もしてない埃だらけの土の上。この上で船を作のだから、カンボジアの技術もなかなかである。もちろん下は水平になっている保証はない。工作道具もいたって簡単で、酸素ボンベらしきものが転がっているのと、電溶の器具があるぐらいで、他には何もない(写真3)。クレーンも見当たらないし、底が台の上に有る様にも見えない。どの様に作ったかを想像すると、どうやら船底から作り出し、だんだん上に作って来ている様だ。カンボジア人は、日本人では出来そうもない技術を持っている様だ。出来上がりは、写真1の様なフェリーになるのであろう。
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カンボジアにもついに7半の白バイ  

カンボジアにもついに7半の白バイ  2010.12.28. 金森正臣

 カンボジアでも交通渋滞が激しくなり、交通整理が大変である。以前から白バイが走っていたが、いずれも125ccで、多くのオートバイの性能には追い付いていなかった。なにしろ白バイは、どこかの使い古しで、最近の市民のバイクはホンダやヤマハ、スズキの新品の125cc。当然スピードでは追いつけない。

 ところが最近ついに、750ccの白バイが登場。威風堂々、これなら125ccは問題にならない。でも実際には、白バイはバイクの規制などには全く関与していない。主に外国の要人がカンボジアを訪れた際の儀式用。空港への送迎も、ホテルから会議場への移動にも、白バイが先導する。しかも、要人の格によって、1台から9台ぐらいまでランク付けされているらしい。国家元首級だと9代の白バイが、車の周囲を取り囲む。国会議員クラスだと、1台?

 そんなであるから、白バイの性能はあまり関係ないのであるが、やはり750ccぐらいで無いと恰好はつかない。
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プノンペン電線事情

プノンペン電線事情   2010.12.7.  金森正臣

 プノンペンの町を歩くと、電線がむやみに多いことに気が付く。プノンペンでは、まだケーブルが地中に埋設されることは無く、空中を走っている。その上、電気、電話線など色々なケーブルが、同じ電柱に集中するから、写真の様になる。電柱が誰のものかよく分からないが、とにかく多くの会社が使っているようだ。

 こんなに沢山あって、どれが自分の会社の物か分かるのだろうかと心配するが、そこはプロ。時々修理している工夫さんを見掛けるが、迷っている様子は無い。

 昔、日本でもケーブルが空中にあった頃、景観が良くないし危険であるから埋設しようと云う話になった。でも、なかなか進まず、かなり時間がかかった様に覚えている。危険からいえば、カンボジアは電圧が220ボルトで、感電の危険は高い。しかしそんな話は少しも出る気配はない。

 ケーブルが悪いのか、配電盤が悪いのか、スコールや雷になると我が家は時々停電する。修理には時間がかかり、直ぐには治らない。スコールが来ると気温が下がるので、クーラーを使えなくてもそれほど暑くは無いが、夜間には暗闇でじっと待っていることになる。
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プノンペンで22日に大きな事故

プノンペンで22日に大きな事故   2010.11.25.  金森正臣

 カンボジアでは、雨期明けのこの時期に「水祭り」と言う大きな祭りが有る。雨期明けを祝い、盛大にボートレースが行われる。1ケ月以上かけて地方で予選が行われて、その後選抜ティームは練習を重ねて、本番のレースに臨む。もともとは水軍を使っていた時代に、強い水軍を選ぶために行われたらしい。

 水祭りには、地方から300万人以上がプノンペンに集まり、町は人口が倍に膨れ上がる。ボートレースの行われるトンレサップ川岸は、長さ3km、幅1kmぐらいは通行止めになり、動けないほどの人出になる。王宮前がレースのゴールになり、王様も観戦する。今年の水祭りは、11月20日から22日までの3日間と振りかえ休日で23日が休みの4連休。

 今年は、トンレサップ川とメコン川の合流する地点の近くにある島が開発され、橋が出来た。島には、遊園地や展示場などのイベント会場が出来、コンサートなどが開かれた。コンサートが終わったころに、参加者が橋にかかったころに小さな事故がもとで、多くの人がパニックに陥った様だ。その結果、将棋倒しになったり、橋から飛び降りたりした人が沢山亡くなった。その数は370人を超えている様だ。更に怪我をした人も亡くなった人以上に多く、まだ正確な数はつかめていない。写真のように橋は小さく、とても300人以上が死ぬ場所のようには思えないのだが、実際に惨事は起こってしまった。

 首相も、内戦時以降では最大の惨事であると話し、11月25日に国として追悼式をすることを決定した。そのため今日は、朝から各署で半旗が掲げられ、哀悼の意を表した。夜のコンサートが終わった後であったために、若者が多く、プノンペン市内の私立大学でも無くなった学生の追悼式が行われていた。市内の家では、入り口に米と塩を盛った器と水やバナナ供えて亡くなった人の冥福を祈っている。日本人でこの事故に巻き込まれた人はいなかった様であるが、亡くなった方々のご冥福をお祈りする。
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ガン闘病記 1

ガン闘病記 1     2010.8.10. 金森正臣

 癌になった。もう70歳だから、不思議はないね。でもお陰さまで手術をし、無事?(無事でもないか)カンボジアに戻れた。まだ体力が十分ではなく、のらくら働いている。日本より暑くないので、夜などもすごし易い。昨年9月から、ガンがあるらしいと気が付いていたが、何となく伸びていた。5月に帰った時に検査をし、入院して手術。

 事の顛末は、昨年9月に排便時に出血があった。鮮血の状態から、直腸の終わり付近にポリープかガンがあるだろうと思っていた。出血は3日ほどで止まったので、しばらく仕事。11月にもう一度出血があったが、2-3日で終わった。1月に帰った時に、市の健康診断で、便に潜血ありとのこと、いよいよガンかと思った。5月に帰るのでその時にと、主治医と相談。

 今回5月11日に帰国。直ぐの簡単な検査。精密検査を20日に予約。
6月1日からさらなる精密検査。内視鏡が肛門から入らないほど大きなガンが、S字結腸にあることが判明。そのために造影剤検査やCTスキャンなど色々さらに追加。検査のたびに食事を制限し、消化管内を空にしないとならないから、結構体力を消耗。6月13日の週は、家でゴロゴロ状態。

 6月20日入院。22日手術。
 手術は、腹腔鏡下手術(王貞治さんが同じ方法で手術したと言う)で、してもらうことになる。約7時間の手術で、終了。S字結腸付近をかなり大きく切り取り(15センチぐらいと他に下降結腸のポリープ除去。S字結腸から肝臓方面に向かうリンパもとる。約1.5Kg)、腸管の縫合部分に内圧が高まらないための肛門から管。しかし、辛うじて人工肛門にもならず(肛門の上に僅かながら腸管が残っていたので下降結腸と縫合できた)、後のことを考えると生活が楽。手術前の説明では、2-3割の確立で人工肛門の可能性とのこと。
24日から歩行開始。食事は、2-3日病人食であったが、以降はだんだん普通食。胃が悪いわけではないから、腸に詰まらないように、結構しっかりしたセルロース食。術後数日で、タケノコの煮物やワカメが出てびっくり。歩行は内臓が引っ張られる感覚があり、姿勢が悪いがなかなか治らない。

 退院は、7月4日。以降は家でリハビリ。何が問題だったかと言うと、最初は、排便が思うように行かないこと。突然便意が起こると我慢が出来ない。それは当然と言えば当然。出来上がった便を保存しておくS字結腸が無いのだから、上から落ちてくると出すより仕方ない。また食べると、消化管が刺激を受け、排便ムードになる。なんだかウシやヤギになった気分。草食動物は、口から肛門まで消化管がかなり詰まっているのか、食べると落とし始める。
 しかし、日毎に新しい状態に慣れるのと、神経のほうも現在の状態に適応して、だんだん楽になる。毎朝散歩をして体力の増強に努める。疲れると寝て、起きては食べる、の繰り返し。3週間目からは、出来るだけ朝夕散歩。でもこのころから猛暑になり、夕方の散歩をあきらめる日もあり。カンボジアより暑い。

 7月の終わりから、帰りのチケットの手配をするが、混んでいてなかなか入れない。ようやく8月3日のチケットを予約。当日は思っていたよりスムーズに、カンボジアに到着。CIESFの皆さんに出迎えていただき、家に到着。
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パソコンのトラブル

パソコンのトラブル発生   2009.7.14. 金森正臣

 昨日パソコンを整理したら、トラブルが発生した。Cデスクが一杯になってきたので、動かなくなる前にと、整理したのが悪かったらしい。

 何しろ、パソコンの中はブラックボックスのド素人。ワードが立ち上がらなくなって、書くことが出来ない。エクセルも使えなくなって、会計の整理も出来ない。参った!

 CDは日本置いてきたので、直ぐに再インストールも出来ない。英語バージョンを使うかと試みるが上手く行かない。日本語バージョンは、470ドルもする上に、取り寄せるのに2週間と言う。幸いなことに、メールは読めるし、書ける。

 でも仕事が忙しい時期で、古いパソコンを持ち出すしかない。10年間居てこんなことは、初めて。疲れた。
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今年の雨季

今年の雨季              2008.5.20.金森正臣

 カンボジアでは5月から雨季とは言え、ここのところ良く降る。20日までで降らなかったのは、2日と5日と20日の3日間だけで後は毎日降っている。降水量も188+10mmで、昨年の5月分より多くなった(10mmプラスは、5月3日集めているバケツが風のためにひっくり返り、量不明。ただし2箇所でしているので、宝推定すると10mm以上)。多く降る日は、40mm、35mm、30mm、20mmなど半端ではない。
昨年の5月の降水量は、16日間降って158mm。1日の降水量の最大は、39mmで次は、20mm以下。連続降水日は、11日間で、今年の14日はあと2日続けば昨年の1ケ月分に相当する。大陸の気候は、日本の気候とは異なり、年変異が大きいのは普通のこと。半分になったり倍になったりすることは、アフリカでも経験済み。だから異常気象かどうかは分からない。エジプトでは1980年ごろの、年平均降水量は50mmであるが、5-6年に1度降る程度で、前回は数年前に300mm降ったと言っていた。それに比べれば、この程度では年変動はかなり穏やかなもの。

 スコール型で、1時間も掛からずに40mmぐらい降るから降り方もすごい。平坦だから流れずに、あちこちにプールが出来る。小さな子どもがその中で遊んでいる。子ども達にとっては、結構な天気の様だ。夢中になって走り回っている様は、現在の日本の子ども達には見られ無い充実感がある。プノンペンも排水事情が改善されて、1-2時間程度で通行が可能になる。毎日降るようでも、日本の雨季とは違い直ぐに上がるから、コーヒーでも飲んで待っていればあまり差し支えは無い。
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怪我による足の退化

怪我による足の退化              2008.02.16.金森正臣

 怪我をして左の足を使わなくなってから、約6月が過ぎた。徐々に使い始めて気が付いたのが、足の幅が著しく違っていたこと。写真のように(あまり上品なことでなくてごめんなさい)、使わなくなっていた左足の指の付け根の幅が狭くなっている。退化。確かに筋肉は、衰えていたが、幅まで退化しているとは。

 右の幅が、117.5mm。左の幅が103.8mm。15%程度退化している。もともと私は、左足が軸足で、踏ん張る時や体重をかける時には、左足を使う。若いときに雪原でリング・ワンデリング(直線に歩こうとしているのに、吹雪など先が見えない時に輪を描く現象)では、右に輪を描いていた。左足が強いから、左が進む量が多く、右が遅れるから右回りになる。アメリカのモーガンは、リング・ワンデリングを防ぐために、利き足側に斧などを持ち、速度を遅らせる工夫をしている。たぶん事故以前には、利き足の方の幅が広かったであろうと思われる。小さい時から、よく素足で駆け回っていたから、靴で保護されているのと異なり、足幅が広い。靴を選ぶ時は、幅広のEEEEなどでなければ入らない。左足を基準に選ぶと、右足は素直に入っていたが、今の状態では逆。

 短時間で骨が退化したとは考えられないから、指の付け根の関節を覆っているじん帯や腱などが薄くなっているのだろう。回復するのにかなり時間がかかりそう。実際にリハビリをしてから、足の指の付け根が痛い感じがある。たぶん使わなかった分の衰えに対し、過剰な力がかかっているのだろう。

 年を取ってから怪我や病気で寝ると、寝たきりになり易い。こんなに急激に衰えるとは、思っていなかった。結構貴重な体験だったように思う。これに気が付いて書いたのは、1月31日。それから本格的にリハビリを始めて2週間。足の幅は、退化した分の6割ぐらいを回復してきている。
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