菅平で-27℃

菅平で-27℃

 

今日のテレビで長野県の菅平で、マイナス27℃のニュースが流れた。私は最初に赴任したのが菅平で13年間住んでいた。その間気象観測をしていたが、最低気温はマイナス22℃であったと記憶している。私の観測していたところは、集落から3キロほど奥で、現在の観測点よりは標高も少し高く、根子岳の斜面で風通しも良いところだったので気温は低く出ると思われる。しかしマイナス27℃は、かなり異常な数値であろう。

 

実験所にドイツトウヒを植えてあって、元気よく成長していた。しかしある年、新芽が30センチほど伸びた6月に雪がかなり降り、新芽が枯れた。それから6年ほどしてドイツトウヒを間伐する機会があり、年輪を調べた。遅くに降雪のあった年の年輪は非常に狭く、木の成長に与える気象の異常変化を知ることが出来た。その後のブナ林などの調査で参考になった。またブナとナラの芽の吹き方の相違が、どちらが高地に適応しているか考える参考になった。

 

気象状況と植物の分布や適応の状況を知る良い機会であった。多分マイナス27℃になると、高山の樹木(ダケカンバやハイマツなど)を除いて、幹の水分が凍って割れ、枯れるものが出るのではないかと思われる。

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殺伐の世界

殺伐の世界

 

親殺し・子殺しが頻発している。親殺しが初めて大きな話題になったのは、1980年11月29日に、浪人生が両親を金属バットで殺害すると言う事件が起きた。それ以来同様な事件は次第に多くなり、最近では毎週のように問題が起きる。

 

私は、1975年以大阪に出たが、その時に町の異常を感じていた。町の子どもが遊ぶ場所がほとんど無かった。近くに公園は有ったが、狭い上に子どもだけのことはほとんど無く、自由に遊べる環境ではなかった。子どもは、子どもの集団で社会のルールを身につけるのであって、大人が教えて身につくものではない。現在の日本の大人たちは、教えるとできる様になると思っている。しかし実際には、自分たちで身につけるものも存在する。特に学校に携わっている人ほど、教えるとできる様になると思っている。教えたことは、大人の前ではできるが、自分自身で出来るようにはなっていない。途上国で子どもたちを見ていると、誰が教えるでもないが、小学校に入るころになると、2-3歳の子供の面倒を見ながら、平等に楽しめる様にハンディなどを考慮して遊ぶ技術を習得している。日本の子どもにはこのような配慮が、身についていないと思われる。これは社会における人間関係の基本ルールの習得であって、教えられるものではない。もちろんこの基礎には、生まれて来て最初に会うヒトへの信頼が基礎になる。

 

最近の日本では、子どもが自由に遊べる空間もない。学校と家の往復、習い事や塾、携帯などで子ども同士の遊びは少なくなっている。即ち社会的ルールの基礎を身につける場所や時間がない。このことは他人との意見の相違の時に、交渉する技術も知恵もないことになる。

その結果、心に衝動が起こると、直接的な行動に出る。

 

子ども同士でなくても、保育所における子どもへの不適切な強制など、大人も問題を抱えている。自分の心の衝動を調節する余裕を持っていない。自殺者の増大も、このことに関係している。政府は、少子化の異次元対策などと言っているが、全く異次元の方向に向かっているように思われる。少子化対策で金銭の問題は大きく無く、子どもの意欲や人間関係の構築の問題が大きい。

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阪神淡路大震災

阪神淡路大震災

 

今年の1月17日は、阪神淡路大震災から28年目だと言う。この日は強烈な思いが残っている。昨日は、自動車の運転免許の更新の講習会で、2時間ほど寒い中に居た。すっかり風邪をひき、今日は調子が悪い。その話はまた後程。

 

朝早くに揺れを感じ、起きてテレビをつけてみた。しかし何も情報は無かった。この日は犬山のモンキーセンターで、動物の観察実習の日であったので、急いで朝食を取り車で出かけた。途中ラジオをかけてみたが、大阪あたりで地震があったようだと言う情報だけであった。モンキーセンターについてみると、事務長が雪かきをしていた。

 

午前の観察を終わり、事務所に寄ったときに初めて、大阪ではなく神戸の方に被害があったと聞いた。午後も終わり帰りの途上で、高速道路も崩落していると言う情報があった。家に帰って初めて、神戸が大きな被害に遭っていることが分かった。実際に被害のあった地域は、電話も繋がらず、情報がなかなか伝わらなかった。

 

当時三河地方のサルの調査をしていた時期で、よく遊びに来ていた他教室の大学院生がいた。彼は前年の9月に就職先があり、神戸の長田駅近くの文化住宅に住んでいた。かなり被害の大きなところで、何も連絡がないので心配していた。2‐3日してから、電話があり、無事にいることが確認できた。後から聞いたら、住宅は倒れ、一階に居たので押しつぶされていたが、枕元のテレビのおかげで(当時のテレビは、ブラウン管で厚い箱に入っていたので頑丈)隙間があり、暗がりの中で服を寝たまま着たと言う。周囲ではかなり死者が出た様である。その後炊き出しの手伝いなどをしていて、しばらくしてから帰ってきた。

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昨年を振り返る

昨年を振り返る

 

昨年は、夏の終わりの9月ごろ、来年の夏を乗り切るのは大変だと思っていた。年齢が行き、生活が大変になりつつある。

同じように、11月もなかなか大変であった。最初の頃に,運転免許の更新のために認知症検査が、警察であった。風邪を引いたらしく、調子がなかなか整わなかった。特に熱が出るわけでも、寝るわけでもないが、脈拍が早くなると風邪の兆候と思われる。

 

そこにインフルエンザの予防接種で、全身の関節が痛くなり、2週間ほど苦労した。肩などは、顔を洗うにも痛く、風呂などでも苦労する。80歳を超えると、こうなるのは普通のことであろう。生きているだけ良しとしなければ、申し訳ない。

 

と言いながら、わりにのんびりと過ごしていて、決してすごく困っているわけではない。毎日が少し難しくなってくるのは、人生の終わりが近づいてくる者にとっては良い兆候だと思ったりする。

 

更に12月になって、5回目のコロナワクチンを接種したら、さらに状態が悪くなった。肩も腰も痛くなり、毎朝の散歩も十分にできなくなった。おまけに食欲も落ち始め、2キログラムほど体重が落ちた。最近少し良くなりつつあるので、これで落ち着いたのであろうか。日常があまり不便なく過ごせれば、上々であろう。

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少子化対策

少子化対策

 

年頭に岸田首相も、小池都知事も少子化対策として、子どものいる家庭に経済的支援を打ち出した。支援そのものは否定しないが、これには二つの誤りがある。

 

第一は少子化が経済的な事情によって進んでいると言う見解である。確かに経済的に支援すれば、少しは子どもが多くなるかもしれない。しかし根本的問題の解決にはならない。そもそも少子化は、乳幼児から小学生ごろの成長に問題がある。親に管理されて自由な成長が阻害されている現状では、遺伝子が持っている能力を出せないままに大人になる。人間関係が特に悪く、幼少期に成長させるべき人間関係の能力がほとんど成長していない。このために大きくなってから人間関係がゆがみ、正常な付き合いが出来ていない。いじめや引きこもりなどの多さが、この現象を裏付けている。

このために結婚希望が少なく、生涯子どもを持たない人が多くなる。教育の管理の行き過ぎであるが、教育学者はもっと広い見識を持たなければならない。

経済的支援よりも、子どもの成長を阻害しない、自由な成長が必要であろう。

 

第二の問題は、少子化が問題かどうかである。世界は人口が増えすぎて、あちこちでトラブルが起きている。地球の温暖化問題も、元を正せば、人口の過剰にある。皆さん経済が将来も右肩上がりに成長することが望ましいと思っているようだが、それは誤りである。地球は無限に広いわけではない。資源も無限にあるわけでは無い。限界がある。そのことを理解して、少子化を前向きにとらえる必要がある。地球の温暖化と言えば、炭酸ガスを出さないエネルーギーを使えばよいと言う発想は、もはや地球上では通用しない。そのことに早く気が付かなければならない。

 

新年から日本の社会は、大きく誤った方向に進み始めている。

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大雪

大雪

 

日本海側では既に大雪が続いている。各地の渋滞で、いろいろとトラブルがある。車で暖を取っていての死者もある様だ。屋根からの落屑と思われる事故もある。若い時には菅平に住んでいた。50メートルぐらいの距離を歩くの、30分もかかって諦めたこともある。

 

菅平に通うのに4年間ほどは須坂市に住んでいて、冬は毎日30分ぐらい雪道を上り下りしていた。標高差が1000メートルぐらい上り下りするので、いろいろな状況に遭遇した。毎日雪に接していると、雪への対応が次第に上手になる。安い車で動いていたので、いろいろ工夫していた。

 

雪には慣れや訓練が必要で、日常的に感覚を磨いて居ないとなかなか対応できない。これは山岳部時代に経験から学んだ。菅平時代も車の運転には、この感覚が必要だった。少し車の窓を開け、踏む雪の音を聞きながら雪の状態を把握するのが重要になる。標高が上がると雪の質が変わるので、常に油断はできなかった。

 

雪国の皆さん、やがて春は来る。頑張ってください。

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中くらいの春

中くらいの春

 

「めでたさも 中くらいなり おらが春」と詠んだのは、小林一茶。

皆さん如何新春をお迎えですか。子どもの頃棲んでいた場所が、一茶の里に近かったので、昔から親しみがありました。また少し先には、良寛さんの里もあり、小学校の学芸会でもそのような題材が上がっていたように思います。

戦後の何もない時代に、小学校に入学しましたが、教科書もなく自由だったと思います。しかし先生方は、突然いろいろ変わって困られたことと思います。

 

小・中学校が同じ敷地内にあり、先生が20人ぐらいいたような気がしますが、正規の教員免許を持っている先生は3人だけで、あとはみな高卒の臨時免許だったようです。でも皆さんそれぞれに努力されていて、あまり大きな問題にはなりませんでした。4年ほどの抑留から帰ってきた変わった先生もいましたが、大きな問題もなく過ぎました。もっともほとんど授業の印象は無く、子どもたちは自由に遊び、伸び伸びと育ちました。5年の時の担任でしたが、我々のクラスが特段に頑張って、高校にも多く行き、大学にも多く進学しました。数年に一人ぐらいの大学進学のレベルの村で、同学年から5人も大学に行けたのです。それぞれ貧しくて、アルバイトで生活していましたが。

 

過ぎて見ると、何が幸いするか分かりません。若い時の貧しさは財産です。

今年もボチボチと、無理をしないで、一歩づつ、楽しんで生活したいと思います。

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