遠野物語 1.日本とアフリカとの共通項

遠野物語 1.日本とアフリカとの共通項 2010.7.30. 金森正臣

 最近やむをえない事情で、休むことが多いので、かねてより興味を持っていた柳田国男氏の「遠野物語・山の生活」(1976、岩波文庫)を読んだ。以前に教科書や参考書で断片的には読んだことがあり、オシラサマやザシキワラシのことが載っていることは知っていた。しかし新たに読み返してみると、柳田氏が何を考えていたかが伝わり、色々思い出すことも多かった。

 最も驚いたことは、遠野物語に出てくる現象と同じことが、アフリカでも記録されていることである。「山の生活」の八に出てくる神隠しは、アフリカでも記録されている。私の所属していた加納隊のリーダー、加納隆至さんの「森を語る男」(1996、東京大学出版会)52ページに神隠しのことが書かれていた。神隠しにあった子が、2-3日して帰ってきた時に、腹を空かせていなかったところまで共通性がある。自然に溶け込んで生きる人たちには、何か共通の心象現象があるのであろうか。

 加納さんは、もともと霊長類の研究者であり、野生ピグミーチンパンジー研究の第一人者である。ザイールでのフィールドワークの傍らで、書き溜めてきた専門外の内容を書けと言う師匠の伊谷純一郎さんの命令で、上の本が出来上がった。人類学者とは異なった視点でものを見ており、現地の人と自然との関係が良く表れている。

 蛇足を加えれば、加納さんが退官の時に、伊谷さんと同じ様な事を言い、弟子どもは大いに困った。退官記念論文集を作ろうとしたら、そんな面白くないものではなく、各自専門以外のことを、若い人たちが面白く読めるように書けという意向であった。その結果できたのが「アフリカを歩く」-フィールドワークの余白にー(2002、以文社)である。弟子は師匠に似るものであるらしい。
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ワニの卵食べた! 

ワニの卵食べた!   2010.7.19. 金森正臣

 少し前になるが、ある家の庭で、バーベキューが行われた。大勢が集まってワイワイやっているところに、あるご婦人が見たことのない卵を持ってきた。なんの卵だと皆が聞くが答えない。かなり大きな卵で、ガチョウやガンよりもかなり大きい。やや細長いし、見たことのない形だ。しかも大きさにかなりバラツキがある。

 しばらくしてご本人曰く、ワニの卵。確かに、は虫類系の卵には、この様に長細いものがある。鉄板の上で焼いてみて、再びビックリ。黄身はほとんど黄色くない、白く固まったはずの白身も、プルンプルンと弾力があってなかなか箸では切れない。果物の味をつけたグミのような感触。黄身と白身のバランスは、普通の卵。ガンの卵は黄身の割合が多い。食べてみると意外に淡白で、これタマゴ?

 以前にワニは食べたことがあるが、多少癖があり、スパイスが効いているのであまり味わうところには行かなかった。

 写真は、そのワニの卵。大きさにバラツキがあるし、ニワトリの卵などに比べるとかなり細長く大きい。左上の隅に割りばしがあるので、大きさを比較して頂くと分かる。
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朝から行水? 

朝から行水?   2010.7.11.  金森正臣

 毎朝散歩するように努力している。大きな公園の有る通りを、メコン川まで行き、戻るとちょうど1時間ぐらい。5kmぐらいになるであろうか。公園の噴水は、普段は水を噴いていないが、何かの行事のある日は水しぶきを上げている。朝日のあたり始めた6時半ごろ通ったら、噴水の中に入って行水をしている男性がいた。いかにもカンボジアだ。周囲には散歩している人が沢山いるのだが、全く気にしている様子は無い。
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夕陽の向こうに・・・

夕陽の向こうに・・・    2010.7.8.  金森正臣

 「夕陽の向こうに 頭を垂れて 母よ あなたに ただ 詫びたい」 吉幾三の「敬愛」の一節である。プノンペンでは、日本のテレビは、NHKの衛星放送しか見られない。日本とは2時間時差があるから、8時ころの放映が、カンボジアでは6時ころに流れる。ある日少し早めに帰って、テレビをつけたら上の歌が流れていた。

 学生時代に北アルプスの白馬か薬師岳にいたときに、テントの中で夢を見た。小学校の2年生のころに住んでいた家には、表戸から裏口まで土間があり、表から入ると裏口が見えた。その裏口に真っ赤な太陽がほとんどいっぱいに沈んで行く中を、母が夕陽に向かって出てゆく姿を見ていた。何か永遠の別れを感じて起きた時には、涙を流していた。帰ったら親孝行をしようと思っていたが、結局それから30年、親孝行らしきことは何もしないまま母は他界した。「夕陽の向こうに 昭和が見える 貧しき昔の あの日が見える」。母は貧しさの中で、一生懸命に育ててくれた。

 吉幾三のこの歌詞が、私に50年ほど前の夢を思い出させ、今でも母に背中を押されて毎日があることを思い出させた。一休宗純禅師の歌に「おんなおば 法の御蔵と言うぞげに 釈迦も達磨も ひょいと生み出す」と言うのがある。この歌の意味は、すべては女性が中心で動いていると言ったほどの意味であろう。特に男性にとっては、母が生涯を決定づけているとも言える。

 これからも残された時間を、ぼつぼつと母に背中を押されながら歩いて行くことであろう。
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