クマとヒトの衝突

クマとヒトの衝突

 

最近人里で、クマに襲われる人が増えているようで、連日報道がある。

愛知県にきた40年ぐらい前には、愛知県でもほとんど記録がなく、10年以上前に通過したクマが記録されている程度であった。

一時本州全体でクマは著しく減少し、絶滅の心配がされていた。

 

私は約70年前小学校から高等学校まで、八ヶ岳の北の蓼科山の北の山麓で過ごした。山奥の小さな集落で、毎年40-70頭のクマが捕獲されていた。小学校に通う途中で、川を挟んだ向かいの斜面にクマがいて、白い犬が追っていたので、皆で見学していて始業に遅れたが、あまり怒られた印象はなかった。隣の集落から来る子どもたちも、時々クマと出会っていた。早朝の栗拾いなどでも良くであったが事故はあまりなく、皆当然のことのようにクマと共生していた。

小学校の時だと思うが、山でブドウを取っていたら、木の上にクマがいて驚いたことがあった。また山でも時々あっていたが恐怖感はなく、とくに襲われた記憶はない。その後いろいろ研究するうちに、里に出てきているクマは、緊張していて危険であることに気が付いた。山では自分の領域で安心しているが、里に出る時には極度に緊張していて、突然出会うとすぐに攻撃してくる状態である。現在各地でクマとの事故が発生しているが、この様なクマの状態も理解しておく必要がある。

 

今年は山のエサが不作で、里に出てきているようだ。最近は、山の集落や畑が消失しつつあり、エサが不足するとすぐに里に出て来る。猟師さんもクマを捕獲する技術が伝承されなくなり、狩猟が十分にできなくなってきている。クマは猟犬などを使わない場合も多いが、イノシシやシカは、猟犬が重要になる。ところが猟犬を仕込める猟師さんがいなくなっている。罠猟が主体で捕獲は増えているが、農作物などの被害は増加していると思われる。

 

野生動物との関係は、今後どのようになって行くのであろうか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

アンデスの土喰い

アンデスの土喰い

 

土喰いはいろいろな動物で知られているが、ヒトではそれほど多くない。写真の左端の器が土を溶いた泥で、これを中央のジャガイモに付けて食べる。泥は決まった場所があって、そこから取って来る。右端の白いのは、チーズ。いろいろなナッツもあって、栄養も考えられている。彼らが意識しているかは疑問であるが。動物の土喰いは、各種の栄養分を補うとされている。しかし、ジャガイモを主食としてきたアンデスの土喰いは、もしかしたらイモの毒消しの意味があったのかもしれない。

彼らは、石の多い4000メートルを超える高地で、アルパカを放牧して暮らしている。見守っている時にも、アルパカの毛を使って糸にしたり、編み物をしたりして過ごしている。

アルパカを放牧しているおばさんは、アルパカの毛を紡いだり、写真のように編み物をしたりして働きながら見ている。やはり女性は働き者だ。アンデスでは、男性も良く働いているが、これはそれだけ環境が厳しいからであろう。熱帯アフリカの男性は、あまり働かない。

 

この写真は、アルパカを飼っているおばさんの家。標高は4000メートルを超え、いつでも寒いのでかなりの厚着である。どこにもコカの葉が置いてあり、熱い湯を注いで飲んでいる。しかし標高が高いので、湯は沸騰しても90度には達しない。町に出るとコカのアメを売っていて、舐めていると息切れなどに一定の効果はある。

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

言葉の壁と経験の壁

言葉の壁と経験の壁

 

以前にも書いたような気がするが、言葉には伝える限界がある。ユングは、同じ体験をしたものであれば、同じ言葉が同じ意味を持つが、体験が異なると同じ意味を持たないことに気が付いていた。

 

先日ある席で、若い人に自分の幅を広げるように進言した。その時に話しながら、意味が伝わっていないであろうと感じていた。その後しばらく考えていたが、やはり意味が伝わっていない無駄な話であったと反省している。

実際には何が間違っていたのであろうか。自分自身を振り返ってみて、思い当たることがいくつかある。自分がどのように世界を広げていったかを振り返ってみると、小学生時代に行き着く。どこでどのようにして自分の人生の幅を広げていったかを考えてみるといくつかの特徴がある。良く読書からいろいろな広がりを持つようになったっと書かれているが、これはあくまでも文章の上での出来事である。人生を振る反ってみると、本当は体験と組み合わさっていないと人生は広がっていない。

 

小学生のころ貧しかったので、一生懸命に仕事を探しながら生活した。またもらった仕事を再び続けられるように、いつも細心の注意をしていた。このころからどこに次の仕事があるかと注視していた。このことがいつも自分に必要なことをキャッチするアンテナを張る習慣になっていた。

もう一点は、自分が何をしたいかである。したくない仕事もしなければならないことも多いが、常に何がしたいかを考えていた。いやな仕事をしながら、なぜ嫌なのか、なぜ気が載らないのかを常に考えていた。このことによってアンテナにかかった情報が、自分に必要なものかを即座に判断できる様になったいた。

 

この結果、どこで何に出会っても、即座に決心がつき、新しい世界にも適応できるようになったものと思われる。

経験の少ない若い人に、世界を広げるように進言する場合には、もう少し具体的な話が必要であったと反省している。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

猛暑は去ったがナマケモノが残った

猛暑は去ったがナマケモノが残った

 

ここのところ35度を超すような猛暑は去りましたが、ナマケモノだけは残り健在。ごろごろしていましたが11日(金)に安城に行き、大好きな立派なイチジクを沢山いただき、楽しんで元気が出てきた。やはり食いしん坊の私には、食べ物か。

 

そろそろ秋らしくなったら、少しは働かなくては申し訳ない。

それでなくとも、健康のために朝の散歩をしながら、小学生の頃を思い出し、健康のために体を動かさなければならないのは情けない。子どもの頃にはとにかく食べるために働き、如何に休みを取るかが課題であった。生産性のない散歩など考えたこともなかった。

それでも散歩をしながら、人の家の生け垣のバラや花々の匂いなどをかぎ楽しめることには感謝している。

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

骨壺と塩 

骨壺と塩  

私は、20年ほど前から骨壺を持っている。皆さん断捨離などと言って、持っているものを死ぬ前に捨てて、死の準備をすることは流行っているようだが、死ぬときに本当にいるものは、棺桶や骨壺である。棺桶も20年以上前から準備してあって、戒名もあるから死後の準備は万端である。捨てるものなどは、業者に頼めば全てお金で解決できる。

 

写真の骨壺は、ある時友人の陶芸家が、誰かから骨壺を頼まれたから一緒に作っておこうかと言ってくれた。有り難くお願いすることにした。その時に、使うまでは塩でも入れておいたらと言う話をしたので、現在では塩が入って食卓にある。骨壺の大きさは、直径が8センチ、高さが8センチである。蓋は乗せると静かに中の空気が抜けて収まる。中の塩は、ペルーで買った塩で少しピンクがかっている。アンデス山脈は海から隆起した山であるから、いたるところに塩が出る。観光で有名なウユニ塩湖などもその例で、山の上に塩の湖がある。

このピンクの塩は、マチュピチに行ったときに近くに塩作りの村があって買って来た。山の中腹から水が湧き出していて、この水に塩分が含まれている。山の斜面に小さな水田を沢山作り、その中に流して水分を蒸発させている。朝食の目玉焼きなどにかけて食べているが、結構気に入った味である。

これとは別の4000メートルぐらいの場所で、ジャガイモに泥をつけて食べたことがある。動物ではいろいろのミネラルが入った土を食べることが知られている。南米でもペッカリーやバクが土喰いで知られている。ヒトがなぜ土喰いをするのかは、あまり知られていない。小さなボールに泥の液があり、茹でたジャガイモをつけて食べた。特に塩分は感じられず、変わった味もしなかった。ジャガイモは、ピンポン玉の半分ぐらいで、一口で食べられる大きさであった。この農家では、クイ(テンジクネズミ)やアルパカを飼育していた。

 

タンザニアでは、首都から調査地に入る道のわきに、岩塩を掘っている場所がある。タンガニーカ湖に流れ込む一番大きな川のマラガラシの脇にウビンザという町があり、ここで岩塩を掘ってマラガラシ川の水に溶かして、水田に引き込んで干している。この行程で漏れ出した水が所々で乾燥して塩になっているので、通りかかったときには少々頂戴する。マラガラシには、ワニもカバも住んでおり、時々見かける。当然彼らの排泄物も入っているが、そのために旨くなっているような気もする。

 

オーストラリアの中央を南北に走る道の近くには、塩の湖があり、乾きあがって一面白く堆積しており、ブルドーザーで押して大きなトラックに積んでいるところがある。かなり広くて、見渡す限りの塩の堆積である。近くを走る国道沿いにも、塩が氷のように30センチもの厚さになって浮いているところもある。ここに流れ込む小さな川の脇に塩が堆積していたので、少々頂いて旅行中の調理に使った。かなり美味しい塩でもっと持って来るのだったと後悔した。

 

カンボジアでは、塩はコッコンと言う海辺の町で作っている。潮の満ち引きを使って塩田に海水を入れ、乾燥させて結晶させている。塩が堆積してくると水を止めて乾燥させるので、最後はかなり埃っぽい塩になる。家では、瓶に水と塩を入れ飽和状態にして置き、上の埃の部分を取ってから使っていた。天然の塩の味は悪くない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

デーツ(ナツメヤシ)

デーツ(ナツメヤシ)

 

近所のスーパーで、デーツを見つけた。デーツは、ナツメヤシのことで日本ではほとんど見かけなかった。産地はアメリカになっていた。原産地は定かではないが、中近東やアフリカの北部に昔からあったようだ。エジプトの遺跡の中にも、絵が見られた。ナツメヤシは、ナツメの実に似ているからつけられたと思われる。ナツメは中国や韓国では、薬用にも使われ、韓国の鳥料理の「サンゲッタン」には必ず入る。日本でも作られているが、外国からの乾燥の実が多い。

 

デーツを初めて見たのは、エジプトの調査の時で、田舎の町で戸板の上に黒い塊が並べられていた。何だか分からないものなのでのぞき込んでいると、売り子のおばさんが戸板を叩いた。するととまっていたハイが飛び立ち、デーツの実が現れた。一粒渡されて食べてみると、なんだか干し柿の様でかなり甘い。ハイがたかっていたが、強い紫外線の下なので、殺菌は紫外線に頼った。炎天下で日陰もなく、持っていた温度計も、40度を超していた。一山買って見て食べていると、かなりのどが渇いてまいったことを覚えている。調査地では、畑の脇に点々とデーツの木があり、なっている実も見ることが出来た。売っているおばさんは、採ったばかりのデーツの種も、干しながら売っていた。

 

エジプトの調査の頃ヤシについての知識はほとんどなく、その後に南米のコロンビアのオリノコ川の流域の調査で、水辺から乾燥が激しくなる山側にかけて、種類が変化していくことが観察でき、授業でも使ったことがある。

 

タンザニアで調査をするようになっても、デーツはほとんど見ることはなかった。多分サハラ以南では、あまり普通な食べ物ではないようだ。ただし調査地のサバンナでは、原種と思われる小さな実は見かけた。トルコにいた時は冬の始まりであったが、各地でデーツの干したものが売られていた。干しブドウや栗とともに、どこの公園でも売られていた。多分最も一般的な食べ物なのだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

新型コロナウイルスで見えたもの 7  心の貧しさと正義とは何か

新型コロナウイルスで見えたもの 7  心の貧しさと正義とは何か

 

新型コロナウイルスで、皆さん外出が思うように行かない。

 

結果として他の人の外出や移動、店の営業などに神経をとがらせる人が出る。自粛警察などと呼ばれ、店の営業などにも張り紙などで口を出す。一方、店の営業を続けるために、対策をしているステッカーを張る店も現れる。

 

行為の善悪も問題になるが、この様な状態に陥る人の特性も理解しておかなければならない。かなり価値観が狭く、様々な価値観や思考を深めることが難しい人であろう。この様な状態に陥るのは、心の貧しい人が多い。

 

最近の子どもたちの成育環境も見ておく必要がある。以前の日本社会では、どこの家にも暗い場所があった。しかし最近の家は、暗い場所がほとんどない。特に核家族になって新しい住宅は、ほとんど暗がり環境が無い。叱られたりしても、明るい中では自分の内面を顧みるようなことはなかなか難しい。明るい中では自分の正当性と他の理不尽さに意識が向かう。なかなか自己の内面へは、意識が向かわない。

自分の内面を見たことが無い人は、自分の正当性を主張するために他の人の欠点に目が向くことが多い。その結果、価値の判断が西洋的に部分的な正しさに支配される。これは一種の心の貧しさで、自分を正しく判断することが難しくなる。

 

虐待の親やいじめの子どもなどにも共通点があり、自分の内面に向かうことはない。自分の内面に気がつけば、次第に相手の内面にも気が付くようになる。虐待の多くの親は、自分は子どものために正しいことをしていると考えている。

 

正義とは、善悪の概念に沿っている。善悪は何であろうか。進化史的にみれば動物が生まれてきたときには、皆単独で生活していて、善悪は存在しない。生きるも死ぬもすべて個体の責任で、善悪の概念は存在しない。ところが交尾のための雌雄の集合、或いは親子の集団から発達した社会が出来上がると、社会の秩序を乱すものが悪になり、社会を守る行動が善となる。自分が生きることを主張すると、社会的集団を乱すことがあり、これが悪になる。エサや異性をめぐって悪が生じる。ヒューマニズムなどはずっと後から生まれた概念で、善悪の基本から言えば枝葉の様なものである。ヒトの命は尊いと言うが、もっよ基本的なところから見つめないと判断を誤る。

 

新型コロナウイルスで見えてきた正義を振りかざす自粛警察などは、本来の善悪を理解していない人が行っているとみられる。心の貧しい人は、何かに頼らないと自分の存在価値を見出すことが出来ない。自分は正しいことをしていると言うこだわりに依存して、部分的正しさを振り回して、それに依存して生きている。

 

問題提議したいのは善悪の問題ではなく、心の貧しさの問題である。これは各人の

人生の豊かさに直接関係する。最近の社会の風潮はマスコミに影響されて、見た目が主体になっている。見た目とヒトの豊かさは、根本的に異なる。自分の人生を豊かにするのは、自分自身である。そのためには、自分の心を見つめて、豊かにしなければならない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

冷蔵庫が来た

冷蔵庫が来た

 

一昨日に買いに行った冷蔵庫が、昨日夕方ついた。

 

現在の冷蔵庫は、省エネ型になっていて、最初の始動時に時間がかかるようだ。中々冷えてこずに、出して居た中の荷物を夜中に入れることになった。まだ完全に冷えていないので、心配しながら入れた。

 

今朝になったらしっかり冷えていて、ちょっと安心。

カンボジアで使っていた冷蔵庫は、かなり古いもので、日本から中古品が来ていた。ブルーチーズが好きな私は、よく買って入れていた。ブルーチーズも、日本より良い品がイタリヤやフランスから安く入っていた。おかげで冷蔵庫の中は、ブルーチーズのカビで充満しており、ラオスに2週間ぐらい調査に行って帰って来た時には、普通のチーズがブルーチーズになっていた。

 

頭も冷蔵庫の様に買い替えて、新しくなれば良いなー。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

暑さで壊れた?

暑さで壊れた?

 

少し前から私も暑さで、ナマケモノになっていたのだが。冷蔵庫がどうも崩れかけていたようだ。水があまり冷えていなかったり、ご飯がかびたりしていた。そこで温度計を入れて置いたら、何と15度ほどもある。冷凍は働いて居り異常は感じなかったのだが。

 

仕方がないので、買い替えることにした。この暑さの中電気屋に出向いて、吟味すること1時間。やっと契約して帰ってきた。暑い!

狭い場所に入れるので、大きさも問題になり苦労した。年を取って買い物が面倒なので、ついつい一度にたくさん買って入れておくことになるから、容量もそこそこほしい。

古い冷蔵庫のパンフレットを調べたら、どうやら20年近くも使っていたらしい。暑さだけではなかったか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

暑さと遊んでナマケモノになっています

暑さと遊んでナマケモノになっています

 

皆様

ご無沙汰しております。

暑さに負けてナマケモノになって、ゴロゴロしています。

 

朝は散歩していますが、その後入浴。ご飯を食べて少し休んで、ゴロゴロ。

昔予備校にいた時に、7年も東大を受験していた先輩が、アルバイトの世話をしてくれていました。面白い人で、「世の中で、寝るほど楽は無かりけり、浮世のバカは起きて働く」などと言っていました。今はこの状態です。

 

このくらいの暑さは、アフリカでは普通のこと。朝は10度を切るのに、日中には43度くらいになることはざら。1日の温度差の30度ぐらいは普通でした。しかし、温度が上がると湿度が下がり、持っている簡易な湿度計では、5%以下は計れませんでした。

カンボジアでも40度を超えることはあり、慣れているはずですが、怠け心も増してゴロゴロが一番楽なようです。寄る年波には勝てず、楽を選択しています。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

青森県むつ市の市長の発言

青森県むつ市の市長の発言

青森県のむつ市長が新型コロナウイルスの最中に、政府がGo Toキャンペーンを始めることについて、これで感染が拡大すれば人災だと発言して、テレビで大きく報じられている。

 

今から40年ほど前に、下北半島の先の大畑に調査に行ったことがある。大畑に基地を置くイカ釣り漁船のネズミ駆除が目的であった。4-5日いてガスによる駆除を行った。薬研温泉に泊まって、カタクリの花を見た記憶があるから6月頃だったように思われる。

 

その頃陸奥湾に放射能漏れを起こした原子力船「むつ」が漂流していて、どこも漁業が全くできない状況であった。とくに養殖漁業は壊滅的打撃を受けた。下北半島を北上する陸奥湾沿いの街道には、おおくのホタテやホヤの養殖業者があり、育った収穫物が全く売れない状況になった。昼食に寄った食堂では、ホタテやホヤが全く売れないからと食べられるだけ食べてくれと、山盛りに殻付きホタテが出された。ホヤも数個調理してもらった。一緒に行った相手が千葉大の薬学部の出で、住友化学の嘱託をしていたように覚えているが、二人で1-2日沢山食べても何の問題も起こらないと話しながら、ホタテの刺身を沢山食べたことを覚えている。

 

今のむつ市の市長さんは、その頃中学生ぐらいで、次々に消えて行く養殖漁業の人々を身近で見ていたであろう。政府の方針で始めた原子力船は、大きな傷跡を残して消え去ったが、政府は十分な責任を取らなかったように覚えている。今回の新型コロナウイルスに対する発言も、地方の人口密度の少ないところは、政府が十分な責任を取らないこと痛感している人の発言の様に思われる。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

山菜 コシアブラ

山菜 コシアブラ

 

最近新聞やネット上で、山菜のコシアブラが話題になっている。山梨県で採集された物などで、放射能が有ると言う。福島の原発の事故による、空中を漂ったものであろう。植物の種類によって放射能の吸収に差があり、残っている期間も異なる。

 

コシアブラは山菜としてはあまり有名ではないが、ウコギ科の植物でタラの芽と同じ仲間である。味もかなりよく似ている。暖かい地方に来るとタラの芽はあまり美味ではないが、コシアブラの方が味が良いように思われる。あまりあくが無いので、天ぷら、お浸し、味噌汁などに適している。

 

色々な動物がコシアブラを好きで、サルやカモシカ・ウサギは枝まで食べてしまう。枝の中は柔らかい組織で、食べやすいのかもしれない。5-6メートルになった木などは、冬には枝先の皮をむいてサルなどが食べている。かなり美味しいのであろう。

 

それぞれの味は、食べる人の経験によって異なる印象を持つことになる。最近テレビなどで、グルメ番組が流行っているが、経験による味の異なることはほとんど無視されている。多分、本当に味わって食べたことのない人が製作するとこの様になるのであろう。単に珍しい、或いは美味しいと言われている食材がもてはやされるだけで、本当の味は伝わってこない。一方大食い番組も盛況で、食に対する感謝や重要さは忘れられている。いよいよ日本も末期症状かと思われる。

一方、以前にも書いたと思うが原子力はまだ人間は使えるようになっていない。取り出すエネルギーよりも、その後に管理するエネルギーの方が膨大である。また福島の原発事故で明らかになったように、原子炉は取り崩すにも大きなエネルギーが必要である。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

今日も雨

今日も雨

雨が続き各地で被害が出ている。川の濁流を見ていると、学生時代のことが思い出される。伊勢湾台風の時、大学1年であったと思うが、わが村も洪水が起こり多くの家屋が流された。

 

次の、年であったと思うが山岳部の夏の合宿で、黒部川の上ノ廊下にいた。今は黒部ダムの底に沈んでいるが、場所は薬師岳の下で、赤牛岳との間に当たる。当時はまだ電波事情が悪く、谷の中に入るとラジオもほとんど聞き取れなかった。

ルートは黒部ダムの底の「平の渡し」からではなく、薬師沢を下って黒部の谷底に降りた。低気圧が来ていることは天気図を書いて理解していたから、テント場は河原の岸辺にした。ところが夜になった雨が降り出し、増水の危険を感じて川岸の崖の上にテントを移した。それから3日間ほど降り続き、黒部川は濁流になった。テントまで川を流れる岩がぶつかり合う地響きが聞こえ、時によるときな臭い臭いがした。昼間見る川は異常な光景で、数トンもある岩が、川の表面を流れていた。地理の専門で信州大学の教授になった先輩に聞くと、底にも岩が流れており、従って大きな岩が浮き上がるのだと言う。時々鉄砲水が出るらしく、急に増水することもあった。

 

結局黒部の「上ノ廊下」は諦めて、4-5日後に薬師沢を登って薬師岳の稜線にテントを張った。8月2-3日ごろだと覚えているが、次の朝周囲に霜柱が立っており、これは初霜か、遅霜かと話題になった。後で調べたら、その夏の最高気温がすでに出ているか、後から出るかで、初霜か遅霜かが決まると言うことであった。

 

川の濁流の映像を見ていると、遠い昔の記憶が蘇る。言葉ではなく体験したことは、長く体に残っている。ドイツの哲学者シュタイナーの目指した教育は、この様な身体にめり込んだ知識(教育学者太田堯氏の言葉)を目指したと思われる。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

七夕の思い出

七夕の思い出

七夕には強い思い出が残っている。カンボジアにいた2007年7月7日の夕方、夕食に出かけて交通事故にあった。若者2人が乗ったバイクにぶつけられ左足の脛の下を複雑骨折した。バイクは逃げてしまったが(カンボジアでは普通。ほとんど捕まらない)、付近にいた高校生が助け起こしくれた。道路の脇でパーティーをしていた家族も手伝ってくれ、近くのベトナム系の病院に運び込まれた。高校生が英語が出来たので助かった。

病院の近くでコショウの店を出していた倉田さんに連絡が付き、すぐ来てくださった。手術室に連れて行かれて天井を見たらカビだらけ。これはダメだと言うことになって、国際医療のSOSに移動することになった。SOSからタイの病院に予約して、移動することに。処がこれがなかなか大変。払える証明が無いと飛行機の予約も取れない。如何せん支払いができることが明らかにならないと、救急車が来ても倒れている患者を載せることはない国であるから。倉田さんにお願いして、私の自宅から、パスポートやら財布やらを持って来て頂き、カードの条件を見たら出国から3月までは保証があるが、1週間ほど過ぎている。そこでカード会社に問い合わせて80万ほどの預金があるかチェック(これは、タイまでの飛行機代と付き添う医師の代金。医師が同行しないと飛行機に乗れない。何にもできない医師だったが)。このチェックに20時間ほど要したので、翌7月8日の夕方の便でようやくタイへ。この間に日ごろ交流のあった青年海外協力隊員が集まってきて、骨折している足を観察。内出血しているので太ももまでパンパンに肥大。痛さもしびれているようで感覚が変になっている。
タイの病院は、アラブ諸国のオイルマネーなどを当て込んだ高級病院で、全て個室。ホテル並みで、シャワー付き、長いソーファなどがついている。しかし足が不便で使うことが出来ない。9日の明け方になって、全身麻酔で手術。目を覚ましたのは病室で昼頃。診察には医師の居る階まで車いすで運ばれる。レントゲンを見せられたら、腓骨の先がずれていて、これでは自分でした方がましかと思ったが、ここはタイ、何ともならない。複雑骨折の場所をステンレスでつなぎ、半年ほどそのまま。年を取っていると回復も遅い。

不思議に不安はなかったが、かなりお金と時間がかかった。飛行機に通常の乗り口の反対側の食事などを積む口から乗る貴重な経験もした。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

記事が一件表示停止

記事が一件表示停止

ブログの記事が1件表示停止になってしまった。2009年6月19日の記事で、題は「裸で夕涼み」。これがどうやら児童ポルノの関連で、チェックされたようだ。

警告が出ていたがどのようにしたらよいのか分からないので、非表示のまま。カンボジアの田舎町で、のんびり夕涼みをするお母さんと、3歳ぐらいの女の子と1歳ぐらいの男の子。確かに子ども2人はいずれも丸裸で、児童ポルノの対象と関係付けられる部分があるかもしれない。
日本とは異なる熱帯では普通の生活習慣を、紹介しようとしたのだがどの様にしたら良いのであろうか。

熱帯の暖かな地方では(熱帯でも標高の高いところは寒い)、子どもの裸は普通の状態で、3歳ぐらいまでは何も着ていない。東アフリカでは、カンガと言う布で子どもをよく包んで腰に乗せているが、ほとんど裸だ。のんびりしていて良いのだが、先進国ではいろいろ問題があるようだ。

こんな記事までチェックするのは、かなり大変だと思うが、ご苦労様。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ