金森正臣先生のカンボジアの文化・教育・食べ歩き体験記
金森先生のカンボジア日記
中学での切り付け事件
中学での切り付け事件
住んでいる場所に比較的近い中学校で、授業中に同級生をナイフで切りつける事件が起きた。どのような事情があるかは不明だが、生徒がお互いに意見を交わしてぶつかり合うことが出来なかったようだ。
これが現在の日本の教育の大きな問題点のように思われる。この様な衝突に至る前に、各人はかなり苦しい思いをしていたであろう。しかしながらその思いを、表に出すことが出来ずに、行動に出てしまった。これが現在の日本の教育の結果である。
原因は小さい時から大人が子どもを管理し、子どもの自由は認められていない。乳幼児から大人の管理下にあり、自由に喧嘩することが出来ない。従って、自分の意思を表に出すことが出来ない。出してしまうとその結果を取りまとめる技術、すなわち和解の術が発達しない。
その結果、いきなり堪えきれなくなり、行動に出る。話し合いも何もできない。小さい時から衝突を繰り返していないので、その結果をまとめる術がほとんどない。これは現在の日本の教育の欠陥である。教育学を専門とする方々は、この様な基本的なことに気が付いていない。このために子どもたちは、どれほど苦しい思いをしているのであろうか。文科省も、この様な基本的なことについてもっと研究をする必要がある。子ども家庭庁などは、ほとんど役になっていない。
スーパーの広告
スーパーの広告
家から買い物に行くスーパーは、数店ある。いずれも普通のスーパーであるが、1か所は週に数回新聞に折り込み広告を入れる。私は以前に新聞配達をしていたことがあるので、広告にどのくらいに費用がかかるかはおよそに見当がつく。
こんなに広告費がかかったら、費用がかさみ、品物が高くなるであろう。やはりあまり買い物には行かない。生き残るのも大変であろう。
人生に勝ち負けは無い
人生に勝ち負けは無い
多くの人が、人生を勝ち負けで考えているようだ。しかし、人生に勝ち負けは無い。勝ち負けの判断をするのには、何かの基準が必要になる。人生は色々なものの組み合わせで、一つの基準では測れない。このことに気が付いていないと、何かの基準にとらわれて勝ち負けの判断をすることになる。
その基準なるものが、各自の無意識によっていることが多い。しかし多くの人は、無意識の存在を知らない。知っている人も、自分の無意識についての認識は極めて少ない。人生は実際には無意識に引き回されての格闘である。無意識は普段あまり知ることが出来ないが、夢を考えると比較的わかりやすい。誰に見せられているわけでもなく、自分の中にあるものを見ているだけである。
宮沢賢治の「ドングリと山猫」などをどのように読んでいるのであろうか。無意識の世界を投影しているとして読んでみると、ヤマネコの姿が無意識の世界と見ることが出来る。それなりのプライドと自身の無さが、いろいろな形で語られている。通常人の無意識は、自分では意識されない。
「注文の多い料理店」も同じように、都会から来た猟師のプライドと実力が垣間見え、現地の猟師とイヌに救われる。
銀河鉄道の夜などは、夢そのもののように思える。
以前に「ゲド戦記」と言う物語翻訳された。最初の一巻は「影との闘い」で主人公ゲドが自分の無意識と戦い、自分のものとして行く場面である。実際の人生では、なかなか自分の無意識(影)を自分で取り込むことは難しい。
禅宗の臨済派でよく使われる、「無門関」と言う公安集がある。この第1則に「趙州の狗子」と言う公安がある。師匠から公安を与えられ、それに格闘して自分の世界を開く。第1則の解説に、「妙悟は、心路を窮めて絶することを要す」と言う説明がある。これは自分の意識を追究し、意識を無くすことを指している。これによって自分の本当の姿を見ることであろう。
自分の無意識を自分のものにすると、越後の江戸時代の僧、良寛さんの様に、静に自分の人生を楽しむことが出来るであろう。人生は自分の意識と無意識の乖離を無くすための時間である。
言葉の不思議
言葉の不思議
最近「子ども家庭庁」などで、子どもの意見を聞き中心に据えて、子どもに寄り添っているとされている。子どもの意見を聞き、それを中心に進めると、如何にも子どもに寄り添っているように聞こえる。実際にそうであろうか。
実際には子どものために、あまり働きが無いように思われる。子どもに現在必要なことは、小さい時から自由にして、喧嘩をして、仲直りをする方法を手に入れることである。年齢の各段階で、喧嘩をする程度が変わり、成長する身体は非常に合理的にできている。
そのような事実をよく観察もせずに、言葉だけで処理をすると、上のようなことになる。多くの人が、この言葉によって「子ども家庭庁」はそれなりに仕事をしていると思うであろう。しかし実際は、子どもの成長の実態とは離れている。
ユングは同じ経験をした者で無いと、同じ意味には言葉が伝われないと言っている。皆さんはこの様な経験が無いであろうか。言葉による意味の違いを、深く知る必要がある。
クマの増加
クマの増加
今年はクマが街に出た情報が極めて多い。しかも子ずれが多く、昨年冬に多く生まれた可能性が高い。また子どもは2頭のことが多く見られ、昨年の繁殖期が順調だったことがうかがえる。
しかし親熊が急に増えるわけはなく、この数年の間に急激に増えた年が何年かあったように思われる。10年間ぐらいに2-3回の繁殖が良好な年があったのであろう。その結果、急激にクマの数が増えたのであろう。
日本では一時期クマが減少して、保護に向かった時期があった。しかし現在の状況では、人の命が脅かされている。クマの駆除について非難の意見が結構ある様だが、人間の命が第一である。冷静に考えて頂きたい。
長野県の軽井沢でのクマ追いの実績が高く評価され、そのようにすると良いと言う意見がある。しかし簡単にできるわけではなく、かなりの時間がかかる。長野県でも全県に普及しているわけではない。事情をよく理解していただきたい。
クマの捕獲に対する苦情
クマの捕獲に対する苦情
今年はクマの町への出没が多い。殺すと、各地から苦情が来るようだ。
しかし苦情を言う人は、クマと実際に出会ったことがあるのだろうか。
共生するのが良いと言う意見のようだが、実際の現場では生死をかけた問題である。安易な動物保護の意見では、人間が生活できない。
私は子どもの頃から、数十回はクマに出会っている。山の中ではともかく、里に出てきたクマは緊張していて恐ろしい。テレビで見ていても、クマの緊張の程度が分かる。出会ったら攻撃してくるのは明らかだ。それらのことを十分に理解したうえで、意見を述べてもらいたい。
教育の混乱の原因
教育の混乱の原因
先に書いた様に、日本の教育は大混乱に陥っている。その原因はほとんど語られることが無い。「子ども家庭庁」などが新設されたが、向いている方向は見当違いである。もっと不登校などの原因に、真摯に向き合わなくてはならない。
ブログでも3-4回書いた様に、人の感覚がずれ始めたのは「機心」によるところが大きい。機心は、荘子の天地編で示された概念で、機械を使うこと(ここではハネツルベ)である。
本来の意味は、自分で行う水くみをハネツルベに頼ると、そこには効率化の心と競争心が沸くことを示している。現在の日本人の心の混乱は、この効率化と競争にとりつかれている結果である。多くの現代人は、この心の動きに気が付いていない。そのために教育の場にもこの問題が根深くよこたわっている。「機心」の意味については、辞典などでも本来の意味から変化した意味しか載っていない。
私は既に人生の終着駅に近く、これからどうこうする意思はない。皆さん自分の人生を考え、子どもの人生の本質について考えてもらいたい。
教育の危機 「子どもの心 データで可視化」
教育の危機 「子どもの心 データで可視化」
昨日の朝日新聞の一面に、「子どもの心 データで可視化」と言う記事が載っていた。学校では、自殺予防やいじめ予防のためと言う。東京の渋谷区が「教育ダッシュボード」呼ばれる仕組みを導入したと言う。さいたま市でも来年度に導入予定の様だ。
いろいろな情報が共有できて効率的であると考えられているようだ。
ここまでくると日本の教育は、完全に機能を失っていると言える。教育は本来、人格のぶつかり合いであって、パソコンのデータなどによって効率化できるものではない。困っている児童・生徒に出会った時に、如何に接するかから始まっている。その始まりが無ければ、教育は成立しない。相手の状況を感知するのが人格で、そこからどのように情報を引き出せるかが勝負だ。パソコンのデータなどで、相手の求めていることを知ることは不可能である。
私は大阪に出かけた50年ほど前に、町ではすでに子ども同士が遊べる場所が少なく、社会的訓練が出来ないであろうと危惧した。今その世代の人たちが教育を担っていることになる。喧嘩やその後の仲直りの経験が浅く、人の心の葛藤を経験する機会が少なくなっていたであろう。
大阪に居たときには、市大の医学部に居た。大阪大学を出てきた上司が、医学部で医学概論をできる人材がいなくなったと嘆いていた。医学概論とは、医学学習の最終段階で、医学とはどのような学問であるかを講義する医学哲学である。医学は、患者と病気の関係を見て判断することの重要性を教える分野である。
現在では、多くの医者が患者をほとんど見ていない。病気だけを検査の数値から見て薬を出している。これでは病気と疾患の関係はほとんど見られない。
一部の地方の在宅医療を行っているお医者さんは、きちんと患者と病気の関係を見ているであろう。日本の医療は、この様な基本を忘れては良い方向には進まない。
同じようなことが教育の現場で起こっていると思われる。これでは教育の崩壊である。
事例で学ぶ児童生徒支援 今年度の第6回目の、事例研究会
事例で学ぶ児童生徒支援 今年度の第6回目の、事例研究会
子どもたちの抱えている問題は、すぐに解決しませんが、少し視野を広げて支援の前進を試みてください。開催は、11月12日 日曜日午後です。
2023年度 事例で学ぶ児童生徒支援
子どもたちの成長と楽しい学校生活のために日々のご尽力、ご苦労様です。
児童生徒支援の実際は多くの困難さを伴い、これでよいのだろうか、もっと他によい方法はないだろうか、自分は何ができるのだろうかなど、苦慮することばかりだと思います。児童生徒の問題行動を多面的なとらえ深く理解するためには、事例を通して学ぶことが大切だと思っています。2023年度は、下記のように計画しました。ご参加をお待ちしています。
記
1 参加者
・子どもの問題に関心のある方(守秘義務の守られる立場の方)
・生徒支援の力量を高めたいと思っている教師
・事例を抱えていて助言のほしい教師
2 開催日時(今年度の予定)
・第2日曜日 13時30分~15時30分 年8回
4/9(日) 5/14(日) 6/11(日) 9/10(日) 10/8 (日) 11/12(日) 1/14(日) 2/11(日)
*学期末の7月、12月、3月は休みます。
3 場所
・安城カウンセリングルーム
安城市御幸本町10-5 シャンボール安城1103号室
*JAあいち中央の西側マンションの11階です。駐車場はアンフォーレの駐車場(2時間無料)、又は、御幸本町市営駐車場を使ってください。徒歩1~2分です。
4 助言者
金森正臣先生 愛知教育大学名誉教授
5 会費
1回500円
6 会の進め方
・事例は口頭、またはレジメで発表し、児童生徒の絵、作文等があれば資料とします。
メールは、 <anjoco2006@ezweb.ne.jp>です。
(世話人:安城カウンセリングルーム主宰 杉浦ひろみ 080-5165-9824)
子どもの不登校の問題
子どもの不登校の問題
最近東京杉並区で、養護教諭と臨床心理士が一緒になって、この問題に取り組む会を作ったと新聞で報道されていた。
不登校は増えるばかりで、減少することは期待できない。また学校で担当する先生は、養護教諭一人の場合が多く、いろいろと相談する相手もいないので、かなり苦労しているようだ。
私たちも数年前から、不登校に接している先生や臨床心理士で研究会を開いており、様々な問題が浮き彫りにされる。
その中でも得に問題となるのは、その原因について探り出すと、直ぐには解決できない問題に突き当たる。解決の難しい問題に突き当たると、多くの先生が困難に向かう方向性を見失う。すると疲労ばかりが積み重なり、意欲がそがれて行く。とにかく前向きに進むことが出来る様に、問題の基本を見詰めることが大切である。
多くの問題の場合、家庭と教育の双方が絡んでいる。学校での教育の問題は、文科省や子ども家庭庁の問題である。しかしこれに関しては、見当違いの方向に進んでいて、問題の解決には程遠い。まず子ども時代に多くの喧嘩をして、仲直りの方法を手に入れる必要がある。しかし、全て大人に管理されていて、子どもの成長は望めない。この点について、教育学者は、もっと真摯に向き合わなければならない。
毒キノコ
毒キノコ
昨日の報道で、ツキヨタケを食べて中毒を起こした人がいるようだ。
ヒラタケとツキヨタケは、外見は非常に似ている。また同じ木に生えることもある。私も各地で食べてきたが、迷う人も多いようだ。
区別点は、裂いてみて軸に近いところが黒くなっていると、ツキヨタケである。また夜になると、ツキヨタケは見事に光ることが多い。しかし若い時にはあまり光らない。ブナの枯れ木には同時に生えることがあり、注意が必要だ。聞いた話では、ツキヨタケの毒は消すことが難しいと言う。以前に書いたベニテングダケとは、異なる様だ。
あまり多くは無いが、シイタケと同じ木に出て、似ていることもある。
これからシーズンになるが、注意が必要である。
山の遭難
山の遭難
今年は山での遭難が多いように思われる。
最近、三俣蓮華に出かけた東京の大学生2人が、遭難したようだとのニュースがある。今日救助されたニュースが流れた。
この時期の高い山は、いつ雪になるか分からない。三俣蓮華は、北アルプスの奥深い位置にあり、今の時期はなかなかの難所だと思われる。雪が来なければそれほどではないが、雪が来るとかなり難しい。
学生時代に今ぐらいの時期に、白馬槍の温泉に2人で出かけた。冬の合宿の準備のためであったように覚えている。行きには雪が無く、槍温泉小屋がたたまれた後に(雪崩に流されないために冬は小屋をたたんでおく)、テントを張った。明け方に隣の友人がオイ重いぞと言って怒っている。私も気が付いてみると、体の上に何か乗っていて重い。そこで言い返したが、体が動かない。その時初めてテントが雪でつぶされ、二人の上に乗っていることに気が付いた。苦労して空間を広げ、何とか動けるようになったが、テントから出られない。入口も雪に埋まっていて、外の様子が分からない。かなり苦労してテントから出てみると、雪は肩の高さぐらいまであり、ピッケルもいろいろな装備も掘り出すのに苦労した。二人で相談して、帰りの沢が雪崩の名所なので、とにかく早く戻ることにした。しかし道は雪で埋まっていて不明だし、感に頼って3時間ぐらい歩いた。幸いに雪崩にも会わず、沢を通過し無事に戻ることが出来た。
この季節の新雪は重みもあり、なかなか厄介である。高い山では、今の時期油断は禁物である。
クマの事故
クマの事故
最近ニュースで、クマとの遭遇や事故が報道される。
北海道のクマは、「ヒグマ」で本州の「ツキノワグマ」とは異なる。北海道のヒグマは、大きく肉食性が強く、全く別物である。近づくことは難しい。昔北大の苫小牧の演習林を良く使わせてもらっていたころ、阿部さんに頼まれて「ヒグマ研」の顧問をしていたことがある。何回かやや遠くで見たことがあるが、俊敏で頑丈である。
本州のツキノワグマも、今の時期は冬眠に入る前で、子どもを連れていると特に危険である。この様な場合には、子どもを守るために攻撃的になることが多い。私の子どもの頃も、子連れのクマには近づかないようにしていた。今のように、むやみに人里に降りてくることも無かった。しかし住んでいたところが山の中であったので、学校の行き帰りに見かけることもあった。
春の山菜取りの時期には、クマも冬眠から覚めて腹を空かせているので、危険はあった。空き缶を下げたりして音を出し、お互いにあまり近付かないようにしていた。それでも山菜のタラの芽採りやタケノコ(チシマザサ)取りなどでは、鉢合わせすることがあった。人里に降りて緊張しているクマと異なり、じわじわと離れると特に問題は無かった。秋には、栗拾いやキノコ採りでよくクマにあった。
最近秋田などでクマと遭遇した例がニュースになっている。山の民は遭遇を回避する文化を持っているが、最近の生活はそのような文化が消失しているかもしれない。
クマも人里に出るときには、明らかに緊張している。従って鉢合わせれば、すぐ攻撃してくる。このことを良く理解していなくてはならない。里に下りてきているクマは、緊張しているので特に用心する必要がある。
カメムシ
カメムシ
最近、カメムシが多量に発生しているとニュースで見ることがある。冬になる前に多量のカメムシが発生することは多い。
昔、60年ぐらい前に学生だった頃に、カメムシの苦い思い出がある。山岳部で谷川岳に白樺小屋と言う小屋を持っていた。古くは谷川岳の東側の一ノ倉谷の出口にあったようだ。それが雪崩に流されて、地図上に白樺小屋跡として記されていた。我々の頃には谷川岳の南面の谷川温泉のそばにあった。昔の鉱山跡の小屋を買い取ったものだった。
小屋には薪ストーブがあり、沢山の薪が小屋の周囲に積まれていた。秋に行くとこの薪を小屋に運び込み、ストーブに使う。秋は寒くなるので、カメムシが窓辺に入り込む。更に薪の割れ目にも沢山入り込んでいる。ストーブを炊くと部屋が温まり、カメムシの活動が活発になる。夜に口を開けて眠っているとカメムシが飛び込んでくる。嚙み潰すと強烈な刺激がある。
カンボジアやタイでは、タガメが良く食べられている。タガメは、カメムシの仲間で強い臭気がある。タイでは粉にして食事にかける。カンボジアでは、そのまま食べることも多い。慣れてくると、結構なお味だ。麝香なども、最初は、吐き気がするような臭いであるが、薄めるとあの麝香の香りになる。タガメはそれほど強い臭いではないが、それなりに癖はある。居酒屋などで飲んでいると、女性がザルに入れて売りに来る。彼らはタガメが好きで、よく買って食べている。だいたいコウロギ、蚕の蛹などがセットである。
テレビの大食い番組
テレビの大食い番組
テレビでよく大食い番組が放映されている。
大食いの様なものが、テレビで放映される価値のあるものであろうか。単なる珍しいと言う、興味本位の番組に他ならない。
食事のできない子どもたちがいる。子ども食堂にでも寄付した方がよさそうだ。腹を空かせている子どもたちにはどのように映るであろうか。その様な配慮が出来ない心の狭い人たちの、発想に過ぎない。
スポンサーなどの不買運動などをしたらどうであろうか。
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