最近のプノンペン事情

最近のプノンペン事情 1(2005報告3)
                   2005.5.22.    金森正臣

 土地事情
 昨年帰国した10月頃から、目立ってはいましたが、プノンペンの住宅街は今地上げが流行し、あちこちでビルの建設ラッシュです。資金が貯まってきたのでしょうか。
 今回借りた家から事務所までは、300メートルほどで毎日歩いているのですが、昨年まで古い木造の高床式クメール住宅(かなり古くて塀もトタンで囲ってあるだけだった。一般に新しい住宅は、高い煉瓦塀で囲まれ上部には有刺鉄線がバネ上に巻いて載せて有る)があり、庭には沢山の果実の木があったのでいつも楽しみに見ながら歩いた一角がありました。所が今年行って驚いたことには、角の家ばかりではなく数軒が取り崩され更地になっていました。先月から工事が始まり、今はビヤホールの様なレストランがオープン直前です。この更地の直ぐ近くにあった、ネパール料理のレストランは閉鎖されていました。
 バンケンコー1地区は、高級住宅街で、広さは東西7-800メートル南北約1200メートルの地域ですが、この中に10カ所以上の更地或いは建設中のビルがあります。いずれも古い高床式の木造住宅が取り崩されて、数軒分を更地にして新しい物を立てています。大きな土地ではサービス・アパートメント方式の5階建てくらいの集合住宅、やや狭いところは広い庭と2-3階建ての数部屋有る貸し住宅になることが多いようです。主に外国人が借りているようです。昨年ぐらいまでは、ほんの数人で延々と工事をしていることが多かったのです。建物の修理もそうでしたが、事務所から100メートルほどの所にあったホテルは、3-4人で工事をしており、今年やっと1階部分を使い始めましたが、3年ほどかかっています。今年は、大型機械が入り基礎工事をし、クレーン車が来て資材を運び込み、生コンのポンプ車も来て5階でも簡単にコンクリートを打つ方式に変わっています。このため工事期間は短縮され、2-3ヶ月でビルになってしまうこともあります。

 今年借りた家
 私の今回借りた家は、プノンペンの中ではもっとも安全な住宅地と言われている、バンケンコー1地区です。昨年も同じ地区で借りていましたが、車庫付き、庭付きの平屋でした。庭にはマンゴーやベルフルーツもあり、ランが沢山あって良い家でしたが、やや高いので、無給の今年は安い家を探しました。ビルの3階部分の半分を借りることになりました。村山さんという長期専門家をしていた人と(彼も今回は無給です)2人で借り、夜間大学に行っているラタナックという青年と3人で住んでいます。ベットルームは3室有り、各寝室にトイレとバスルーム(こちらではフランス式でしょうか、各部屋の一角にシャワーとトイレがある)が付いています。その他にゲスト用のシャワーとトイレ室、キッチンがあります。寝室はさほど広くありませんが、大広間があり20人ぐらいで会合が出来そうです。そこが気に入って、月300ドルで借りました。3階ですが付近は高いアパートと言っても、4-5階ぐらいがポツポツですから、眺めもかなり良いところです。風も良く通りますし、オフィースにも300メートルぐらいで非常に近いので(昨年の半分以下の距離です)便利です。ただ付近に食堂はあまり無く、やや歩いて行かなくてはなりません。

町中のお寺と葬儀
オフィースに行くまでには、ワット・ランカー(ワットは寺の意味)と言われる金持ちしか葬儀が出来ない、立派な寺があります。時々寺からお経が聞こえてきます。こちらのお寺は葬儀の時など良くカセットテープを流すので、これが聞こえてくるようです。町のど真ん中で、独立記念塔の間近ですが、寺の中に大きな塔があってここで遺体を焼きます。昨年はこの塔が崩れて、作り直していました。
 葬儀が多い時には週に2-3回も有ることもあります。だいたい朝に遺体を釜に入れ、遺族は脇の急造の野外テーブルで、お茶を飲んだり、食べたりしながら待つのが普通の風景です。遺体を釜に入れているのは、朝出勤する時に度々見て、やがてこうなるのだと考えを巡らせながら、身が引き締まって良い刺激になります。午後にはパーティーが開かれていることが多く、料理は寺の脇の歩道で作られています。カンボジアでは、葬儀や結婚式を賄うのは、出張パーティー屋が普通です。このパーティー屋が、イス、テーブルから幔幕、調理設備一式をトラックで運んできて準備をします。だいたい料理は、大鍋(直径1メートルぐらいのやや浅型の鍋)を3-4個持ってきて、歩道上で調理を始めます。ドラム缶を切った竈などを使って、薪で調理します。葬儀の料理でも結構肉類を使っていますから、日本のような精進料理ではありません。この寺では軍や警察関係の偉いさんなどがすると2-300人も集まるものですから、道路は大渋滞をしますが、カンボジアでは普通のことらしく誰も文句は言いません。結婚式なども町中の道路を封鎖してテントを張り出し、2日間も通行止めになることもあります。この辺は鷹揚ですね。この2-3年で自家用車の数も驚くほど増えていますし、当然庶民の乗り物であるモトトップ(バイクタクシー)も増えていますから、混乱に拍車をかけます。でも誰も大騒ぎはしません。

 カンボジアの路上生活者
 この寺の前には、二組ほどの路上生活者が常におり、葬儀などのおこぼれに預かっています。2人とも女性で、まだ若いのかも知れませんが年齢不詳です。1人は寺の南西の角付近にいることが多く、昨年1才ぐらいの男の子どもが1人だけだったのですが、今年は二人目の男の子がおり、もう既に歩いていますから、1才くらいだと思います。2人の子どもは、下半身裸のフルチンで走り回っています。一般にカンボジアでは、子どもが3-4才になっても田舎では裸でいることがあります。5-6才になっても裸でいる子どももおり、あまり気にしていないのかも知れません。もう1人の女性は、北東の角付近におり、直ぐ近くの独立記念塔にいることも良くあります。彼女は、3人の子どもがおり、5才、3才、2才ぐらいです。下の2人は良く裸で走り回っています。これから雨の季節は大変だろうと思いますが、ビニールなどをかぶって過ごしていることもあります。日本のように寒く有りませんから、問題は少ないのでしょう。
 地方の町に行っても、結構路上生活者はおり、町中の歩道などで見かけます。かなり一般的な状況で、多くの人はあまり気にかける風もありません。

 濡れること
 雨に濡れることから連想すると、カンボジア人は、日本人よりも濡れることに無頓着だと思われます。オフィースのあるキャンパスには、小、中、高校と大学卒業後の教員養成大学の1年間の学生がいます。どの生徒・学生たちも雨が降り始めると良く外に出て遊んでいます。例えば雨の中でバレーボールをするとか、サッカーをするとか鬼ごっこをするとか。これには男女の差が無く、洋服を着たまま駆けだして行きます。大学を終わった学生達も結構よく遊んでいます。その他にも彼らは良くシャワーを浴びますが、拭くことをあまりしない場合があります。日に2-3回も浴びるのでしょうが、濡れたまま洋服を着ても平気です。背中やお尻のあたりが後から濡れてきますが、直ぐ乾くからか気にしていません。川にも良く洋服のまま入りますし、雨の後の水溜まりを歩くのも平気ですし、かなり濡れることに無頓着です。全く気にしないかというとそうでもなく、教官達はバイクの座席の下には拭く布が入れてあって、雨の後帰る時などは綺麗に拭いてから出かけます。服装に因るのか、年齢や地位に因るのか、気分に因るのか定かではありません。
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教師の発達段階について・2(2004年の最後の報告です)

昨年度の最後の報告ですが、1万語以上は送れませんので「その1」、「その2」の2つに分けました。

カンボジア教育事情 2 (教育問題雑感)「その2」
                       2004.10.24.
                       JICA 短期専門家(生物) 金森正臣

2.ヒトをどの様に理解するか
 生物学的理解
 生命の歴史的事実を考えた場合に、初期に獲得した物ほど重要な働きを持っている。例えば、生命が最初に獲得しなければならなかったのは、生きるためのエネルギーを取り込むこと、即ち食である。次いで休息が入ると著しく個体の生命は長くなり、次いで性が分化してくる。多分ヒトにとっても、生きる上での基本的な重要さの順番はこの様になろう。
 文化については、ヒトの文化は多様化していて現在の状況を比較しても簡単には理解ができない。しかしながら、遊牧と農耕が分化したのは僅かに1万年前ぐらい以降のことで、生命にとっての重要さは必ずしも大きくない。文化の根底は食の文化にあり、チンパンジーと分かれる以前から存在し、自然環境に大きく左右されている。
 遺伝子情報の発現の原理は、使うことによって保証されている部分が大きい。ヒトの二足歩行も、鳥の飛翔も使うことによって発現して使用が可能になる遺伝子情報である。使わなければ、使用が可能にならない遺伝子情報である。この問題は、ヒトが動物からヒトになる問題にもあてはまる。重要と思われるものに異なった二つの側面がある。一つは身体的能力であり、他の一つは社会性の発達である。いずれも時間さえ経過すれば発現する性質の「身長の成長や性ホルモン」の様な情報ではなく、使うことによって発現してくる情報である。このことはチンバーゲンやローレンツによって開かれた行動学の成果が、明らかにした。
 この様な遺伝子情報の発現も、進化の産物であって、変化には長い時間を要する。この進化的時間と最近のヒトを取り巻く環境の変化のスピードはあまりにも異なる。子どもたちの持っている遺伝子情報は、正常に発現しないまま成熟期に達する現象が、最近の先進国の問題であろう。
 カンボジアやタンザニアの様な低開発国と呼ばれる国々と日本の様に先進国と呼ばれる国の子どもを比較してみた場合に、何処に相違があるかが明らかになる。

社会性の獲得
社会性の獲得と成長の段階を、進化に照れして検討すると様々な問題が明らかになる。例えば、子どもは成長すると嘘をつく様になるが、これは社会の進化上重要な要素であったことが伺える。チンパンジーなどで見る限り、嘘或いは相手を騙すことによって起こる現象は、個体間の争いを少なくしていると判断される。例えば、ある雄が、発情している雌に近づいて交尾を要求しようとする。チンパンジーの雄は、ペニスを勃起させて、雌に見せながら求愛をする。そこに上位の雄が現れると、下位の雄は自分の勃起したペニスを隠して、感心がなかったかの様に装う。この様なウソは、個体間の争いを少なくし、傷つく個体を少なくし、社会の安定を促進する。
嘘について
ヒトの子どもは、良く観察するとかなり早い段階から嘘が発現してくる。例えば生後6月もすると悲しくもないのに泣き声を上げて、親の関心を引き寄せようとする。この時の泣き方は、明らかに必死な様子はない。これは一つの社会性の発達であって、目くじらを立てて怒ることではない。しかし、小学生ぐらいになると先生から嘘はいけないこととして、叱られることになる。高度に社会が複雑化しているヒトでは、嘘の発展が自分自身の首を絞めることにもなりかねないので、注意は必要である。しかしながら先生の中には、この様な社会的に重要な行動形質であるにもかかわらず、異常に厳しく叱る先生がいる。これは無意識の中に、これに関する問題を持っている先生の場合が多い。このことに先生自身が気付かないと、同じことを何時までも繰り返していることになる。親も同様で、この様な嘘の必要性を十分に理解していて叱らないと、子どもの社会性は著しく低くなる。親や先生でも嘘をつかない日はないであろうし、必要悪と言う言葉はこのためにある様に感じられる。現在の日本では、この様な問題に寛容になれない大人が多いために、逃げ場を失った子どもの問題が拡大している。そもそも、正しいことと正しくないことは、動物が社会(即ち個体が集まる)を持つ様になってから発生する概念であることは理解されているのであろうか。
喧嘩について
子どもの喧嘩は、言葉の表現力がまだ十分でない時期に普通の現象である。また、自己が発達してくると他と衝突するのは普通の現象である。衝突して自分を主張することによって、自分の考えの位置が明らかになって行く。そして重要な点は、十歳未満の多くの喧嘩は、長続きせず仲直りの手段を手に入れることである。この仲直りの手段は、社会性の獲得に重要な要素で、喧嘩の結果手に入れることができる。これは年齢が進むと、恨みを引き起こし、簡単には妥協出来なくなる。
最近の親や先生は、この事実に気づかず、喧嘩を許容して見ていることができない。喧嘩をさせてもらえない子どもたちは、社会性の発達が悪く、大人になっても喧嘩になることが怖くて自己主張ができない。大学生の多くがこの様な現象に陥っていることは、大きな社会問題のはずであるが、あまり認識されていない。その結果、ストレスを抱えたまま人間関係を築くことができず、引きこもったりする結果になる。心理学者などの引きこもりの話を聞いていると、対症療法的で核心には触れていない。その結果、対症療法は蔓延するが、引きこもりの数は年々増加している。本質に迫ろうとしない専門家の蔓延は、問題の解決には向かえない。
たった二つの事例を述べただけであるが、低開発国の子どもたちを見ていると、日本の教育の問題が改めて認識される。この様な事柄が、年間3万人もの自殺者を作り出していると思われる。この数は氷山の一角であって、実際に自殺を考え、時に試したりして苦しんでいる人々はこの十倍、或いは数十倍に及ぶのであろう。日本の教育や社会が如何に異常を起こしているかにもっと真摯に向き合わなくてはならない。

 心理学的理解
ストレスと無意識
 ユング心理学的に理解すると、ストレスと無意識は深い関係にある。意識している自分の姿と無意識の中で要求している自分が乖離しているとストレスになる。即ち自分の意識の中では、他から良く仕事をする人だと認められたいと思って一生懸命に働いている。ところが無意識の自分は、疲れて来て少し休みたいと思っている。それにも関わらず誰かが、仕事について少し批判したとすると、突然その事が気になって夜も眠れないほどになる。この様な時に一時的緊急避難の方法として無意識が働き、風邪を引いたり、目まいがしたり、神経性下痢炎になることはよく見られる現象である。ひどくなるとアルコールや睡眠薬に頼ることになる。この様な状態が、意識と無意識の乖離である。
 この様な意識と無意識の乖離は、「無意識」が意識出来ない部分を指す言葉だけに、簡単には意識出来ない。そのため何かと外に原因を探して解決しようとするために、周囲との関係が悪くなり、ますますストレスが増加する悪循環になる。問題の解決のためには、自分の無意識を知ることであるが、簡単ではない。カウンセラーなどに協力して貰いながら、無意識に近付くことになる。しかしながらカウンセラー自身もいろいろの問題の根本解決に向かっていない場合が多く、対症療法はできてもそれ以上の進展は望めない場合が多い。
不安と無意識
ストレスが多くなると、自然発生的に不安が増加する。或いは不安があるから、ストレスが発生するとも言える。不安が大きくなると解決のために、思わぬ方向に無意識が動き出す。ついには自分自身で動くことが出来なくなり、引きこもりになったりする。
この様な現象はこの20年間で著しく増加していると思われる。大学生を見ていると、20年前には入学者の3-5%だったモラトリアムは、近年では15%程度になっている。これは全国的傾向で、何処の大学でもかなり悩んでいるが、解決策は見つかっていない。筆者は、この根本原因は子どもの時に、遺伝子情報を発現させるための「遊び」が、減少したためと思っている。遺伝子の情報の発現が少ないほど、不安やストレスは増大すると考えている。
不安やストレスを持っていると、幸福感とは遠くなる。この様な状態の者は、相手に幸福感をもたらすことはできない。現在日本における教育問題の一つは、持っていない物を教えようとすることである。余裕のない先生が、「ゆとり」を教えようとしたり、先生以外に何もできない先生が、「生きる力」を教えようとしたりすることである。持っていない物は、子どもたちに伝えることはできない。不安やストレスを持っている人が教えると、不安やストレスを伝えることになる。もっともこの様な現象がひどくなって、「ゆとり」や「生きる力」が無くなってきたから、声高に叫ばれる様になったのであろう。
 親の問題と子どもの関連
 最近の傾向として親による虐待や子殺しが頻発している。これは遙か前から兆候があり、筆者は注目していた。即ち、持っている遺伝子能力の発現が少ない世代が、親になったことである。
 本来出産や子育ては、自然現象で賄える遺伝資源を持っているはずである。もしここが変であったなら、人類は滅亡していたであろう。別の面から見ると原始的社会や途上国では少ない現象である。即ち遺伝子情報は、過不足無く備わっている。にもかかわらず、エネルギーを多量に使う先進国ほど、問題が起こる傾向が強い。
 エネルギーを多量に使うことと、子どもたちが自分の持っている遺伝子情報を発現することができるかどうかとは、負の相関がある様に思われる。カンボジアなどの途上国の子どもたちは、自然に近い状態で生育する。この結果、遺伝子情報は、必要なだけ発現して、自己完結し生きる力が獲得される。自己完結は不安の減少に大きな役割を持っている。難民の子どもなどが、両親が亡くなっても元気で過ごしていると、黒柳徹子ユニセフ親善大使が報告したことがある。私はタンザニアでザイール難民を見ただけであるが、子どもたちには、日本の子どもの様な不安感は感じない。これは自己完結しており、自分に生命があれば生きていける自信だと思っている。
 日本などでは多量にエネルギーを使うことによって、子どもたちの生活は自然から離れていった。テレビ、漫画、ゲームなどの発達によって、子どもたちが自ら遊ぶ時間が減少した。もう30年ぐらい前に、仕事や遊びに忙しい母親が、テレビの前に子どもを座らせて子育てをして、無気力な子どもになったと問題になったことがある。
 遺伝子上の能力は、遊ぶことによって引き出されて使える様に準備される。自ら歩き出す最初の段階を良く観察していると、水や泥が格好の遊び道具になる。この遊びは繰り返し行われ、遺伝子情報が引き出されてくるものと思われる。この最初の出発点が欠けると、以降のプログラムの発現に何かと困難がつきまとう。この様な状況にあった子どもたちが現在の親の世代になった。その結果、遺伝子情報としては持っているのだが、十分発現してきていないために、子育てという自然現象が遂行出来なくなっていると思われる。それに拍車をかける様に、育児書などが出回っているので、不安な母親は振り回される。十分に遺伝子情報を使えない結果が、上記の子殺しや虐待に繋がっている。
 タンザニアでもカンボジアでも、日本の母親よりも教育も低く、字の書けない人も少なくないし知識も少ない。しかし子育てについては、遙かに優れている様に思われる。
この様な現実を、我々は直視する必要がある。

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教師の発達段階について(2004年の最後の報告です)

昨年度の最後の報告ですが、1万語以上は送れませんので「その1」、「その2」の2つに分けました。

カンボジア教育事情 2 (教育問題雑感)「その1」
                       2004.10.24.
                       JICA 短期専門家(生物) 金森正臣
 はじめに
 カンボジアの中等理数科教育改善計画に関わって、5年目になる。日本では考えられない様々な問題を抱えるカンボジアでの教育は、基本的な問題を考える上で絶好の機会となった。教育が極端に崩れた歴史を持つカンボジアは、日本にいると見逃しやすい基本問題の考察無くして、取り組むことが出来ない。「教育とは何か」の根本問題は、見逃しやすい日常的な課題である。
 カンボジアは、ポルポト時代に教育を意図的に崩壊させた。即ち、多くの教師を殺し、学校を破壊し、書物を焼いた。このため多くの教育資源を失った。また社会的リーダーや宗教を迫害したため、教育の基盤も破壊した。この間は5年ほどであったにしても、その後も内戦が続き、海外からの支援も少なく、教育の制度だけは復活しても、ほとんど崩壊したままの教育が約20年間繰り返されていた。即ち、字が書ければ教師であり、その教師から習った高学年の児童が、低学年児童を教える教師になると言ったことによって、教育が維持された。この結果、教室で教えられる内容は限られている上に、覚えることに偏重し、思考する方法はほとんど教えられていなかったと思われる。また、現在の30代の先生たちは、小・中学校の期間に、3-4年程度しか学校に通っていない。従って学習時間が極めて短かった。他にも、教科書、ノートなどの教材も無く、繰り返しの練習はほとんどなされていない。教師が黒板に書いたものを唱和して覚えることだけで教育が行われてきた。このため知識間の関連、論理的思考に関する部分、具体的に物事を見る、抽象化するなどに大きな障害が横たわっている。
 途上国の教育支援に置ける一つの問題は、日本の文化を背負った筆者が、カンボジアの文化との異なりをどの様に認識するかに有る。何処まで異なる文化を押しつけることが許されるのか。この観点は、教育に置ける最終目標との関連で、重要な課題である。この問題の解決のための一つの視点が、相手側の自立を尊重することである。このことに関連して、教育に関わる側の発達の段階が重要であると思われたので、この点について考察を行った。
 この様な教育に関わる側の点については、あまり論じられることが無く、馴染みが少ないと思われる。最初に、教育に関わる場の構成と目標を述べ、その後になぜこの様な考えに至ったかの概要を述べ、その後に教育に関わる側の発達の段階について述べる。その他教育に関連する事項として、ヒト(人間)そのものをどの様に認識し、理解しているかについても述べる。
 この報告は、科学的論文とは書き方が異なり、論理の構築の方法も異なる。経験的に考えると、発展の過程で下の段階では、上の段階が全く認識できない。ある段階に到達した時にその段階が次第に明らかになってくる。その段階を十分に消化した後に初めて次の段階に出る可能性が出てくる。読む場合に、この点についても配慮を願いたい。

 教育の行われる場の構成と目標
 教育は、どの様な教育であれ、1:教育される者・或いは対象者(児童・生徒・学生・社会人など)、2:教材・教科などの媒体、3:する人(先生など)、4:場所(学校・社会教育施設・或いはいつでも何処でもなど)、5:以上の四つの構成要素によって教育の場面が構成される。
多くの場合に、対象者である児童・生徒、教材・教具・教科内容など媒体、行われる環境については良く研究されるし、言及される。しかしながら重要な構成要素である先生についての研究は少ないし、言及されても明確な基準が無く理解が低い。多くの場合は、知識や技量が議論される程度である。
教育の場面(事態の発生、時間的経過、働きかける状態)についても、研究は十分ではない。教育の場面は、上記の4構成要素によると考えられるが、それぞれは複雑に変化している。教育の対象者は、どの様な経験をどの様な順番で持っているかがそれぞれ異なる。例えば兄弟姉妹があるか無いか。あるとすれば何番目であるか。幾つ年が離れているかなど対象者自身の生育歴を見ただけでも、複雑な要因を含んでいることが分かる。これらの要因は、顕在化している部分と無意識の中に内在化している面とが存在する。これは働きかける側が、同じ行動を起こしても、受け取る側は異なった受け取り方をすることを示している。教育をする側にも同じことが言え、どの様な経験をどの様な順番でしてきたかによって、思考の過程やその結果発生する行動様式に影響を及ぼしている。さらにそれぞれが異なる親によって育てられており、複雑さは一層増す。体験的に考えると、自然界の中の法則性の発見には、複雑さに限界があり、両端と中央、さらにその中間を入れてせいぜい5段階までの認識が限度である。5段階を認識した後に、その中間段階を詳細調査して9段階までは可能であると思われる。しかしながら、教育の場面はそれ以上に複雑であり、なかなか法則科学には成り得ない、要因と考えられる。
本報告においては主に、3:教育をする側と5:場面に関連する部分に付いて述べる。この部分が、相手の自立と深く関わっていると思われるからである。
教育における筆者の目標は、「最終的に受けた者がより良い人生が送れる様になる」こと、即ち「人生において普遍的な幸福感を持てる様になる」ことと考えている。その場限りの喜びや消失する一時的な満足感では無く、「人生の最後が満足感を持って終息する」ことが教育の最終目標である。臨終は人生の総決算である。如何様に死ぬかは、人生をどの様に生きたかであり、その人の人生そのものを示している。人生における最大の課題は生死である。誰にも必ず訪れる普遍的・根本的問題である。この問題から目をそらさず、正面から真摯に向き合う必要がある。
ヒトはそれぞれ個性があり、従って人生はそれぞれに異なる。その幸福感や満足感もそれぞれに異なる。同じ場で教育が行われる場合に、個人の尊重が重要な点はここに関わる問題である。個人の尊重を人権などで語る場合は、まだ根底を見据えていない様に思われる。これに対処する方法は、個人の自立を育てる他にない。
カンボジアにおいては、この様な教育の目標や教育がどの様に構成されて出来上がっているかはほとんど考えられていない。これは教育の目標は知識の教え込みであり、人格の形成や自立、人生の最終目標などが教育の視野の中に入ってきていないためだと考えられる。もう少し社会に余裕が出てくると、大きな問題になる課題であろう。

 筆者の思考の変遷の過程の要約
 エジプトの農村で見た1980年代初頭の光景は、大きな思考の転換点になっている。ナセル大統領は社会主義を上げて、小作民を無くし自作農を目指した。それを受けたサダト大統領は、自由主義も取り入れバランスを保とうとした。筆者の滞在中に、サダト大統領が暗殺され、ムバラク大統領が後を受けた。農村で見た風景は、これらの表面上の歴史の流れとは隔離されたかの様な、4500年前の墓の壁画に見られる風景と変わらぬものであった。国を動かすエネルギーを作り出している農民は、幾千年も変わっていなかった。多くの人々は小作農に返り、日々の暮らしは貧しさこの上もなかった。家の中にはほとんど家具らしき物はなく、食料も少なかった。毎日食べているのは、トウモロコシに僅かに繋ぎとして小麦粉を入れて焼き、塩を塗っただけの膨らまないパン、チャパティーとナスの塩漬けぐらいである。彼らの生活は貧乏ではあっても、不幸な感じは無かった。朝夕の涼しい時にだけ働き、日中は長時間木陰で一家団欒である。ヤギやラクダ、水牛も周囲に座り込み、しゃべり、笑い合って楽しんでいる。何もない中で、知らない国から来た客をもてなそうとする温かな心が伝わってきた。
 当時日本はバブル景気に湧いており、右肩上がりの景気の動向に疑いを持つ者は少なかった。所得倍増こそ、より良い人生を過ごすための最良の方法であるかの様に思っていた人は多い。自己の中で明らかな認識を持っていないまでも、乗り遅れないことが必要であるかの様に急がされていた。戦争中の食糧難から解放された世代は、蓄えることこそ幸福につながる道かの様に働いた。
 その後中南米のコロンビアや東アフリカのタンザニアにおいて現地先住民の経済的には貧しい暮らしに接することによって、経済的発展が必ずしも教育の最終目標(人生の最後が満足感を持って終息すること)には成り得ないことを体験的に感ずることが出来た。
 この認識の過程において重要な点は、40代に得た認識方法の拡大である。科学に従事していた結果、認識と思考はユングの言うところの感覚と思考の分野に片寄っており、感情と直感は、軽視されていた。宇宙物理学の先生からの質問によってユング心理学と遭遇した。ユング心理学は、行動学との関係で様々な思考過程を生み出した。彫塑や絵画をする美術の先生との出会いによって、感情や直感の認識と科学的認識の方法は、しばしば同じ結論に到達することを体感的に知ることができた。
 ユングの夢分析、自己分析、内観を経て仏教の修行に行き着くことができ、自己の認識の特徴を理解することができた。また、認識の方法が飛躍的に拡大した。まだ先の長い修行中であるが、その結果、教育の持つ本質的部分の重要性が明らかになった。教育はする者の向上こそが、受ける者の向上につながる道である。他にはどの様な方法も、勝る方法は見つけ出せない。
 人間に関する理解では、動物学的理解の他に不登校児のキャンプや子どもたちとの野外活動が役立っている。多くの具体的理解が得られ、自分自身を見直す結果になっている。
 文化については、乾燥地の農耕民、遊牧民、熱帯の多雨林、肥沃な地帯の農耕民に接することによって、様々な文化を体験することができた。さらにチンパンジーやニホンザルの研究から、文化は、既にサルからヒトが分化する以前から持っている特質で、その基底は自然環境に依存していることを認識する様になった。ヒトの文化は著しく多様化しており、複雑化しているが、基本原則は同様である。これはあたかも生物が如何に多様化しても進化に系統性がある様に、文化にもその基底には明らかに自然環境と関連した系統性があると思われる。
 ニホンザルやチンパンジーの観察は、行動学という言語以外の方法による文化の分析に役立った。この感覚は、学生や子どもたちと接する時にも言葉以外の部分が認識され、教育に生かされた。即ち言葉で表現されたことと、本人が意識的無意識的に感じていることに齟齬がある場合には、感じ取ることができた。その結果、教育に関わる働きかけの瞬間が、明確になった。
 以上の思考と深く関連しているのは、動物学上の進化の思想である。観察され感じられた事項の多くが、この系統進化の思想と関係性を持ちながら整理された。
カンボジアに置ける文化も、上記の文脈を通して理解を深めようと努力している。細部では不明な部分が多いながら、全体的には理解が可能になりつつある。

教育する側の発達の段階
 途上国の教育支援において重要な点は、相手側の自立である。相手の自立を意識すると、知識の伝達では到達出来ない問題が存在することは明らかである。相手の自立を中心に考えた場合の、教育する側の発達の段階は次ぎの様になると思われる。
 筆者自身の体験や多くの学生・卒業生・先生方に接し、教育の最終目標に近付く過程で、次の様な発達段階があることが経験された。
1)持っている知識や教科書の内容を伝えることに主眼がある段階。
一生懸命に勉強し、正しい知識、博識などを重要と考える段階である。教科の内容や教材の研究、方法を重要と考え主張することになる。新しい知識や人の知らない知識に執着して、知識に振り回される傾向が強い。
相手の評価はテストに頼りがちであり、結果の点数の上がり下りに囚われることが多い。子どもたちとの関係背は、不十分であるため、どこかで不安を抱えている。する側に不安があると、子どもたちは意欲が高くならない。その結果子どもたちを競争させて意欲を引き出そうとする傾向がある。
子どもを一生懸命には観察しているのだが、自分のこだわりが大きいため、ある様に見えずに自分のこだわりを通して見えるため現実とはかけ離れて見えている。このために指導しても、現実と合っておらず、相手から受け入れられない。
相手からの評価や周囲からの評価が気になり、常にストレスにさらされている。このストレスが悪循環の原因になって、過剰な反応が起き、さらに周囲との関係に気を遣わざるを得ない。
相手が、自分から努力するようになったように見えるが、先生が替わると目的を見失ったりする。実際には相手や子どもたちは自分自身で動き出していない。子どもたちは敏感に先生に反応して、迎合している。
この段階では、「教育」の育てるに相当する部分の内容が不十分であることが多い。
2)相手のつまずきの問題点を理解する段階
一途にただ教えることから、相手の理解できないでいる点を理解し始める。様々な場面やテストから、学習者のつまずきを探り、その理解に努める。どの様な手段で理解させるかが大きな課題になっている。様々な方法を駆使して、相手が理解できる様に努力する。テストの内容も変化する。但しまだテストが出来ることが良いこととして囚われている。相手が理解した時に大きな喜びを持ち、それを生き甲斐に感じている。
 相手に役に立つことに努力し、役に立つか役立たないかの判断を自分の基準でしていることが多い。従って、相手の現実とは必ずしも一致しない。また、良いと思われることを思いつくと、実施せずにいられない段階で、思考や認識の範囲が狭い。
心理学的理解を進めると、この段階のことまでは理解することが出来る。
ここまでは訓練の段階であって、動物の訓練とあまり変わらない。日本の先生の中には、訓練と教育の違いについて理解していない人が多い。もちろん教育の中に訓練の部分が存在することは重要なことであるが、訓練と育てる部分は理解しながら使う必要がある。
生徒が偶然に、自分からやる気になる場合がある。
3)自分の囚われに気付き、相手の囚われを理解する段階。
そろそろ教育の育てる部分になりつつある。
心理学的理解によって近付くことが出来る部分はあるが、自分の囚われについて体験的理解を持たないと、使える様にはならない部分が多い。
「子どもから学ぶ」とよく言われるが、これはこの段階を指した言葉である。この言葉の使い方によって、2)の段階か、この段階に来ているかが明白である。子どもの発想は素晴らしいとか、沢山の子どもが居ると自分では思いつかない考え方をするとか言う段階は、前の2)の段階である。子どもの行為が気になった時、それは自分自身の無意識の内面の問題であることに気付くとこの段階である。この学習こそが「子どもから学ぶ」と言う言葉の意味である。我々は沢山の行為に接しているが、気に留まる行為はほんの僅かな部分である。授業研究などでも、子どもの行為を問題とする時、人それぞれに異なる。それはそれぞれの無意識の中の問題が異なるからである。自分の無意識の問題に取り組むと、やがて様々な物がよく見える様になってくる。その時、自分自身の問題に気付くことが多くなる。
自分への理解が進むと相手がなぜ、何に囚われているかを理解し、その乗り越え方に工夫を重ねる様になる。
まだ良し悪しの判断が働き、既成の概念に囚われて、心から自由には相手に接することが出来ない。
相手の問題点にかなり接近でき、部分的には改善できるが、根本の問題には近付けない。
比較的生徒がやる気になって自分で動き出すことが多くなる。
自分の問題に取り組むことによって、児童・生徒が向上することを体験できることがある。この体験を持つと、この段階の後半になるが、相手の問題をどうこうするよりも自分の問題を解決することが重要であることに気が付く。ここまで来ると、常に相手のことが気になるのではなく、しばらく忘れて自分のことに集中できる様になる。
4)自分の判断の基準を捨てて、相手の状況が理解できる段階。
心理学的理解程度では、この段階の理解は困難である。体験的に身体と感性が一体となっていることが重要である。囚われが少なくなり、あるものがある様に見えることが多くなる。
自分の良し悪しの判断を捨て、相手の判断が理解できる。日常では相手のことを考えていなくても、対面した途端に必要なことが思い出されてくる。全てのことが思い出されてくるわけではなく、必要なことが思い出される。必要でないことはかなり忘れていることが多い。
働きかけることが限定されてきて、適切な場で適切な働きかけが出来る。必要以上の働きかけはしなくなる。また良し悪しの判断はほとんど無く、何故そう働きかけたかもはっきりしない場合が多い。
自分を捨てて、一瞬相手と共に歩くことが出来る。相手はこの瞬間の影響を強く受け、自立して行く。相手は本人自身の状況で動き出すことが多くなる。
5)その上の段階があるが、私には分からない。
一般に下の段階にいるときには、上の段階のことは、理解も想像も困難である。

 この様な発達の段階の問題は、幼・小・中・高・大学を通じて同様である。大学で高度な知識を教えているからと言って、1)や2)の段階にいる人は多い。自分の研究はできるが、弟子の育たない教官は沢山いる。相手を自立させられないまま、自分の殻を押しつけているだけだからであろう。またこの段階に留まった人に、アルツハイマーになる人が多いと思われる。老人施設や老人医療に携わっている方々と話をすると、先生をした人にアルツハイマーが多いことが指摘される。先生は現職の内は皆から尊敬されている様に見えるが、一度退職すると何の力も持っていない。1)、2)の段階に留まった人は、何もなくなった時に尊敬される様な人格を形成しないできている。多分無意識の自分と意識の中で社会的に認められたいと願っていた自画像とがあまりにもかけ離れており、忘れたと言うことでしか現実に対処出来なかった人が、アルツハイマーになると思われる。
途上国の教育支援において、相手国や個人の自立を考えるのであれば、支援に関わる専門家の能力はある程度この様な理解がないと判断できないであろう。JICAはどの様な基準で考えているのであろうか。机上の空論として言葉の上だけの「自立」になっていないであろうか。

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