再び「ゾウコンニャク」

           再び「ゾウコンニャク」  2013.6.28. 金森正臣

 以前に「ゾウコンニャク」の記事を書いたのは、2009.12.25.のことである。日本から「カンボジアでコンニャクが作れないか」と尋ねて来た方がいて、その後調査していてカンボジアにもコンニャクの仲間があることを確認したので書いた。しかしカンボジアのコンニャクには、マンナンが無く、日本のコンニャクの様には加工して食べられないことが判明した。このゾウコンニャクは、カンボジアではイモとしてカレーにして食べていることも分かった。市場価値は無く、売り買いはされていない。イモは巨大で、人の頭ほどの大きさになると言う。

 今回、ベトナムとの国境のモンドルキリで、野生のコンニャクを発見したので、今までカンボジアの中で見た地域を整理してみた。カンボジアでは、野生のゾウコンニャクが、条件さえ合えば普通に野生で分布していたものと思われる。生育している場所は、水はけの良い場所で、しかしながら浸水はしない地域に限られている。土壌的には、多気孔質の地域で、粘土質のところには無いように思われる。腐植質は、ほとんどない土質の様である。


写真1:モンドルキリの滝の下で発見した、ゾウコンニャク。自然公園の中に数株が存在し、人が住んだ形跡のない所であるから、野生であると確信した。2012年6月10日。
写真2:明らかにコンポンチャム(2009年6月)やバッタンバン(2010年10月)で見たものと同じゾウコンニャクが生えていた。
写真3:最初に確認したコンポンチャムのもの。右に見える牛の尻と比較すると、その大きさが推定できる。農家で栽培されていた。2009年6月21日。
写真4:バッタンバンで見つけたゾウコンニャク。2010年10月22日。
写真5:座っている白い牛の右側、5メートルほどに、10本ほどのゾウコンニャクが生えている。特に栽培されている様には見えなかった(バッタンバン)。
写真6:サトイモ科特有の果実が半分赤く熟していた。左手は、案内して下さったバッタンバン大学の学長さん。

学名は Amorphophalluspaeoniifolius (syn. A. campanulatus)。英名は Elephant yam, Elephant-footyam。
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自然保護

自然保護 2013.6.26. 金森正臣

ベトナムとの国境の州、モンドルキリを訪問した。最初に行ったのは、2006年ごろであるから、それから7年になる。その間に1回行っているが、忙しかったのでいろいろ探索する時間は無かった。今回は比較的ゆっくりだったのと会社の慰安旅行だったために、モンドルキリの観光名所として注目されているブースラーの滝にも行った。

観光名所の滝は、モンドルキリの中心地、センモノロムの町から小型のバスで1時間ほど北東に向かったところである。以前にはどろどろの山道で、ところどころ崩れていたり、ぬかるんでいたりで、帰路が心配された。しかし今回はほとんど舗装されており、時間的にも30分以上短くなっていた。

 滝の近くには以前と同じように、売店があり、近くの産物が売られていた(写真1)。その中には、写真1の熊の胆があった。カンボジアには、ツキノワグマがおり、以前にパイリン(カンボジアの西の端で、タイとの国境の町。ポルポト派が最後まで拠点としていた町)で見たことがある。多分ツキノワグマと思われるが、マレーグマの可能性も否定できない。マレーグマは、絶滅危惧Ⅰに分類されている。

 写真2のサルの開きの燻製は、スローロリス。絶滅危惧Ⅰに分類されている。しかしカンボジアでは、伝統医薬品として普通に扱われていたものであり、彼らにしてみればなぜ駄目なのかは納得行っていない。その証拠には、外国人が来なければ、堂々と売られている。地方の町の市場に行けば、必ず伝統医療に使う医薬品の売り場があり、かなりの確率でスローロリスの開きの燻製が売られている。しかし外国人が多く出入りする地域では、隠されて売られており、彼らが未だに薬として重要視していることが伺える。
 自然保護の運動も、環境省が管轄しており、プノンペンでも時々イベントが行われている。希少生物を保護することも重要であるが、滝に行く道付近などの少数部族が住んでいた森林の保護の方が重要であろう。自然保護区にはなっているが、実情は森が切り開かれてゴム園やキャッサバ畑になっている。直柱(地面に直接柱を立てる)で円形の家を作り、柱以外は竹と草で家を作る彼らの文化は消失してしまうような気がする。彼らは、中国の雲南省から続く「メオ」の系統の部族であろうと思われる。
 カンボジアでは、まだ自然保護の行政は非常に遅れている。東アフリカのタンザニアでは、自然保護区が5段階に分かれており、国立公園の面積も広い。段階的に管理されており、ゲームリザーブ(特定の動物を案内人付きでハンティングをする地域)などの収益が、公園の管理費などになっている。地域の住民の利用できる地域もあり、住民生活は考慮されている。カンボジアでは今後自然保護の理念や管理について、更なる進化が必要であろう。


写真1:右端のペットボトルは、野生のハチから採ったハチミツ。以前の3-4倍程度の値段になっていた。500㏄で5ドルほど。精製されていないので、ハチの巣などが入っている。白い球状のものは、ハチ蝋。その奥の黒い塊が問題の、熊の胆。左側は、木工製品の楊枝立など。さらに左の端に、サルの干物の端が見える。
写真2:サルの開きの干物。燻製になっており、伝統的な薬である。サルは樹上生活のスローロリス。絶滅危惧Ⅰに分類されているために、自然保護団体からの告発が多く、写真を撮ろうとしたら、隠されてしまった。しかし、カンボジア人が説明してくれたら、写真を撮らせてくれた。
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バナナの原種

バナナの原種  2013.6.24.  金森正臣

 普段我々の食べているバナナは、かなり品種改良がくわえられたもので、いろいろな品種もある。カンボジアでは4品種ほどが出回っているが、アフリカなどではまた異なる品種がある。さらに調理用バナナも、幾種類かあり、食料として有用だったバナナは、各地でかなり改良されて来たものと思われる。南米のコロンビアでも、東アフリカのタンザニア・ウガンダとは異なる大形の調理用バナナがあり、子どもが生まれると庭にパパイアと共に植えると話していた。調理用のバナナは、大型でありサツマイモのような食感である。調理方法もいろいろで、コロンビアでは主に焼いていたが(サツマイモに似ている)、ウガンダでは蒸して潰して「マトケ」と言う主食になる。

 以前に東アフリカでもラオスでも原種のバナナを見たことがあり、気になっていた。いずれも栽培されているバナナとは、葉で区別ができる程度に異なっていることは分かっていた。今回カンボジアのモンドルキリで、原種のバナナの果樹がなっているのを初めて見た。アフリカでも、ラオスでも、カンボジアでも原種のバナナは食べられないと言っている。アフリカでは、毒が有ると言っていたが、カンボジアでは確認できなかった。また原種のバナナは、大豆程度の大きさの種がたくさんあると言うが、今回は確認できなかった。滝の下のわきの林の中にあり、栽培のバナナと草丈などの大きさはあまり変わらない(写真1)。国立公園の保護区になっているので、切り倒してバナナを取ることは遠慮した。

 原種のバナナの果実は、栽培種とは外見も異なり、バナナが大きな苞に包まれており、外から観察できるのは、バナナの先端部分だけである(写真2)。まだ開花していない花を包んでいる苞も薄緑色で、栽培の通常のバナナの苞が赤紫であるのとは大きく異なっている(写真3)。栽培のバナナは、果実が外側にそり8-9段の房が付くと、その先の花は切落とされる(写真4)。これは花が先へ先へと咲き続けると、なかなかバナナが熟さないためと言う。ちなみに、カンボジアでは4房を1単位として市場で売られており、房が8段程度で花は切落とされる。

 切り落とされたバナナの花は、市場で食材として売られている(写真5)。その赤紫の苞の中をのぞくと、白い筒状花が見える(写真6)。繊維に直角に薄く輪切りにして、生でサラダにしたり、スープに入れたりする。白い花の部分だけ取出し、乾燥したものを市場で売っている。日本のどこかの地方で売っていた、ヤブカンゾウの花の干したものに似た触感がある(もう昔のことで、どこであったか思い出すことができない)。


写真1:原種のバナナは、滝の下の林の中にあった。
写真2:バナナの果実は、緑色の苞に包まれており、先端しか見えない。
写真3:バナナが成って行く先端の花を包む苞も、緑色で栽培種の紫赤(写真5)とは異なっている。
写真4:栽培のバナナは、果実は苞に包まれていない。果実が8-10段付くと、バナナが早く熟すように先端の花を切、市場などに食用に出荷する。
写真5:市場に並んだバナナの花。濃い赤紫色で、砲弾型をしている。
写真6:赤紫の苞の下に、白い筒状化がある。開花直前のこの白い花を取って吸うと、根元には蜜が入っている。苞の下の未熟な花は、それを取り出して乾燥したものも売っている。蜜の臭いなどがあり煮ても美味い。一番右側の苞の下側に、白い花がのぞいている。
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モンドルキリ

モンドルキリ  2013.6.13.  金森正臣

 久しぶりに、カンボジアの東部、ベトナムとの国境に近いモンドルキリに行った。友人が社員の慰安旅行に行くと言うので、便乗させてもらった。なかなか行く機会のない場所で、これが3回目だと思う。最初に行ったのは、2006年5月ごろで、まだ道路も悪く350㎞ぐらいに2日間かかった。途中に適当な泊まる町がないので、2時間もかけてメコン川のクラチェの町に出て泊まった。プノンペンからは14時間ほどをかけて行った覚えがある。今回は、中国の援助で出来た道路が完成しており、やや小型のバスで7時間ほどで行けた。

 以前には道路のわきに始まったばかりであった、森林を切り開いた焼き畑の場所が、すっかり立派な村になっていた(写真1)。また家が多くなり森が道路のわきから、2-3キロ奥まで開拓され、ゴム園やキャッサバ畑になっていた。以前の時には、狭い山道で道路は一部が広くなっており、埃だらけの赤土の道であった。カンボジアでは、道路ができるとどこからともなく人々が入ってきて、農業を始める。土地の所有権がはっきりしないところが多いから、どこかの村で働くことが難しくなった農民が移動して来る。カンボジアと日本の農民の違いは、わりに平気で移動をする。一家の働き手が病気などになると、借金で土地を失うことも多く、全てを捨てて移動する。寒い冬はないから、焼き畑などをしながら新しい農地を開く。森の中に移って、草で家を作り、付近の村で小作などをして働きながら、キャッサバやトウモロコシを作ると半年ぐらいで食糧は確保できる様になる。このへんが熱帯の良いところであろう。キャッサバは、地下の食糧庫のような植物で、放置しておけば数年間は収穫ができる。

 モンドルキリは、特別な観光資源があるわけではない。しかし、カンボジアでは平地ばかりで、モンドルキリの丘また丘が続く風景は珍しく、今回も途中で車を止めて、皆で撮影大会となった。日本では普通の丘陵地の光景が、カンボジア人には大受けである。他には、ブースラーの滝と言われる、20mぐらいの滝が大景勝地になる(写真2)。皆さん滝が大好きで、国内の他の場所でも、いずれも20-30mの滝は大人気である。日本では、華厳の滝(97m)、称名の滝(350m、4段になっており、最下段が126m)、剱大滝(高さ不明)などがあり、20-30メートルではなかなか名所にはならない。アフリカの調査地でも、130-180mぐらいの滝にいつも出会っており、なんだかカンボジアの滝は貧弱な気がするが、それでも彼らにとっては楽しい所の様だ。遊び方もちょっと異なっており、滝の下に入って濡れるのを楽しみにしている。熱帯で寒くないから、着て来た服のまま入っている人もいる。また、モンドルキリ地方の少数民族の服装に着替えて、滝の見えるところで記念撮影するのも大人気。写真屋さんが何人もいて、ポーズを決めて撮影(写真3)。プリンターも持って来ていて、その場で印刷して売っている。もちろん電気は来ていない。便利な世の中になったものである。
 モンドルキリは、標高が高く町(センモノロム)は750mほどある。そのためにカンボジアとしてはかなり涼しく、避暑地になっている。欧米人の長期滞在組も多く、エコツーリズムなども始まっている。そのためにホテルなども急増しており、ホテルやロッジが急増中である。以前に比べてホテルも数倍になり、斜面に沢山の建設中のロッジが見渡せる(写真4)。
 モンドルキリは、涼しいのでコーヒーの栽培にも適している。町の中の農園では、立派なコーヒー農園が、始まっていた(写真5)。カンボジアやベトナムのコーヒーは、ロブスター種で、アフリカや南米の、アラビカ種とは異なる。豆がやや柔らかく焙煎は高温でなされるので、苦みが強くなる。これにコンデンスミルクをたっぷり入れて飲むのが、カンボジア流で、熱帯では美味い。しかし日本に多いコーヒーの味とはやや異なる。

 気がかりなのは、滝に行く道は以前には森林に覆われていた。現在はすっかり切り開掛けたところが多く、ゴム園になったり、キャッサバ畑になったりしている(写真6)。この付近に住んでいた少数部族はどうしているのだろうか。農場に雇われ人になっているのか、さらに奥地に移動したのか。滝の付近では売店が出来て、ハチミツや薬となるスローロリスの干物や熊の胆が売られていた。写真を撮ったらすぐに隠されて、撮影は駄目だと言う(写真7はスローロリスの開き。薬にする)。自然保護団体がうるさいのだ。彼らの古くからの文化に対して、理解が低いように思われる。話はそれるが、欧米の文化は、他の文化に対する理解が低いのは、一神教の影響もあるように思われる。日本の自然保護のメンバーも、西欧文化は進んでいると単純に信じている人々がおり、自分たちの文化さえ十分に理解していないのは残念なことだ。
 自然を大切にすることに異論はないが、少数部族の持っていた文化に対しても、十分な理解をする必要がある。自然の多様性を提唱するのであれば、文化の多様性も同時に提唱するべきであろう。自然保護を職業的にしている人たちには、文化の多様性について理解している人は少ない。


写真1:新しい道路沿いの各地に、新しい農地が開かけていた。
写真2:モンドルキリの観光ポイント、モノロムの滝。
写真3:滝では、山岳部族の衣装に着替えて記念撮影が人気。
写真4:中心の町には、新しいホテルが数倍に増えていた。
写真5:モンドルキリにも、コーヒー園が始まっていた。
写真6:観光名所の滝に行く道路沿いにも、新しい村が出来ていた。
写真7:薬として売られている、スローロリス。他にも「熊の胆」が売られていた
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農村の子ども

     農村の子ども  2013.6.2.  金森正臣

 農家の調査があり3月中旬から、何回か出かけた。やはり目につくのは、子どもたちの暮らし。調査した農村は、いずれもかなり貧しい地域で、数人家族で1日当たり1ドル(約100円)使えていないように思われる。ほとんど現金収入は無く、食べるだけ作るのがやっとの様だ。それでも飢え死にしないのが、カンボジアの良いところ。親は出稼ぎに出かけていて、中学生以下ぐらいの子どもだけですんでいる家もある。家畜だけが住んでいて、近所の家が面倒を見ている家庭もある。

 それでも子どもたちは元気で、興味津々でついて歩く。2歳ぐらいまでは、ほとんど裸で暮らしており、それが普通となれば、それはそれかと思う。寒くは無いし、汚れれば水で丸洗いすれば良いのであるから、親も楽だ。
貧しくても(いや貧しいからかナ)、皆仲良く、遊びに行くのは一緒。同じぐらいの子どもが集まって、仲よく遊ぶ。あまり除け者になどしない。少し年長者は、年下の面倒をよく見る。多分兄弟姉妹でなくても、あまり気にしない。弱い者には、十分な配慮がされる。

 日本の最近の子どもたちを見ていると、何か別の世界の様な気がする。なぜであろうか?
大きな原因として、子育ての親の態度が違う。親は自然体で昔さながら、本能に任せて子どもを可愛がる。その結果、子どもたちは他の人を信用している。遊びに行って困っても、誰かが助けてくれる。冒険心も旺盛。日本の子どもには、行動の自由と他人への信頼がない。旺盛な冒険心は、意欲を高めているが、日本の子どもには少ないように思われる。


写真1:裸ンボの子どもたち。熱帯は寒くないから、かなり大きくなるまで裸。
写真2:ほとんど子どもは素足だ。
写真3:暑いから氷が大好き。田舎でも氷売りが来る。栄養ないのにと思うのだが。
写真4:お母さんは子どもを抱えながら仕事。ここは森本さんが始めた、「伝統の森」の村。親たちは子どもを連れて来て、綿紬の仕事をしていた。
写真5:遺跡の堀で、浮かせた木に乗って遊ぶ子どもたち
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