ヒトの家畜化  12 親による子殺し

ヒトの家畜化  12 親による子殺し

昨年6月頃元事務次官の76歳のKさんが、40歳半ばになる息子を殺した。新聞にも大きく報じられ、話題になった。私も新聞報道の範囲内でしか知らないが、全体的視点に欠けているように思われた。千葉市における幼い女児を、父親が殺した事件も全体像があまり見えてこない。

息子さんは発達障害があり引きこもりになっていて、父親が熱心にサポートしていたが、他人に危害を及ぼす危険があると思って殺害したと言う。母親もうつ病になっており、娘さんも自殺している。この状況を全体としてみた時に、大きな違和感を覚える。
Kさんは優秀な方で、事務次官まで登りつめているが、その過程で何があったのであろうか。
過去については何も報道されていないが、Kさんが出世街道を進むうちに家庭の構成員にかなりの圧迫があったことが想像される。私の周囲でも、仕事熱心のあまり、自分中心になり家族が圧迫されている家庭もたくさん見てきた。十分に余力があって熱心に仕事をするのは問題が少ないが、仕事中心でストレスを感じていると家族への圧迫が起こる。息子は発達障害と言われているが、身体機能上の問題がなくても、家族の中での問題でも発達障害のようになる場合がある。不登校の子どもたちに関わったいる中で、家族の力関係が歪んでくると、弱い立場の者が圧迫され十分に発達することが出来ない。その結果、不登校や引きこもりになるなどの現象が起こる。娘さんも自殺、母親のうつ病などを総合的に考えると、父親中心の家庭で、他のものは大きな圧迫を受けていたのではないかと思われる。

息子についても熱心に支えていたということも併せて考えると、退職後直接向かい合う時間が多くなり、熱心に支援するようになったと考えられる。退職すると出世街道の過度なストレスから解放され、我に返ってみると息子の状況に向かい合わざるを得ない。その結果無意識の中の過去の家族への仕打ちが、補償作用として熱心な支援となったと思われる。職についているうちは、熱心に職責を果たすと言う大義名分があるが、離れてみると家族を圧迫していた正義は存在しない。

現在日本では、30-60代の引きこもりは、60万人以上になっていると言う。上記の事件から学べることは多いはずである。
これは単なる想像であって事実と異なるかもしれないが、我々はもっと全体像を見るように努力しなければ、このような事件の問題解決には至らない。この様な事例から教訓を得るとすれば、もっと全体の様子を知る必要がある。

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原発の問題点

原発の問題点

最近福井県の原発の贈収賄が明るみに出て、今更のように問題になっている。原発に関しては、東海原発(1960年着工)の時代から、贈収賄はつきものであった。当時は、60年安保に忙しく、原発の金銭問題は、大きな問題として取り上げられなかった。

最近三重県の芦浜原発が、建設中止から20年が経ったと話題になっている。この問題は、関電が1963年から建設しようとして問題が起きていた。私は、1978年ごろ愛知県に赴任して来たが、まだその頃はほとんど理解していなかった。その後海上の森で国際万国博覧会が計画され、そのアセスメントの問題に関わっていたころ、仲間に誘われて芦浜の原発誘致地域を調査に行った。この時に原発マネーの恐ろしさを痛感した。

関電は、小さな町と村に約3億円の資金をつぎ込んで住民を分断し、建設に動くように工作していた。案内してくれた地元の人々は、村が分断されてゆく恐ろしさを語ってくれた。福井の原発の贈収賄の報道の様に、大きな金を動かして建設を強行する方法は、最初の東海原発の時からの伝統である。

そもそも原発は、まだ人間の使える状態にはなっていない。確かにその時々は安く電力が使えるが、その電力を取り出したことによって発生する放射能を抑え込むエネルギーは、使えるエネルギーよりははるかに多く必要である。これは物理を少し習った者であれば、エントロピーと言う概念(状態量の概念)で理解することが出来る。これを理解すれば、今使って居るエネルギーは、将来の子どもたちに負担を強いるものであることも理解できるであろう。

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コブシ  花の記憶

コブシ  花の記憶

   

公園のコブシの花が、3月10日頃に咲き始めた。愛知県ではかなり早いが、私の育った長野県の標高750メートルぐらいの地点では、かなり遅い。おまけに山の中ではあまり群れていないから目立たない。まだほかの木が芽を出す前であるので、かろうじて存在が確認できる。同じもくれん科の花では、ホウの花が大きく香りも良いので山の畑に行くときには、花弁を拾うのを楽しみにしていた。少し茶色になり始めても、芳香を放ち、胸のポケットに入れていると次の日迄匂っていた。
今住んでいる家の前には、タイサンボクの木があり、子どものころの様に花弁を楽しんでいる。こちらはもっと遅く、まだ蕾も目立たない。

長く住んでいた菅平では、コブシが沢山あり春の楽しみの一つであった。特に菅平の中央にある湿原の周囲に多くあった。須坂市から通っていた道中には、タムシバやキタコブシがあり、こちらは木が大きくなるので春先の林の中で白い花が目立っていた。

信州大学の志賀高原の研究施設で、IBP(国際生物計画)の調査をしていたころ、オオヤマレンゲに出会い、その美しさが記憶に強く残っている。灌木であまり目立たないが、花が咲くとその美しさと芳香で特別な花に思えた。

家の前の畑には、シデコブシの花が咲いている。こちらはコブシよりに少し早く咲き始めた。どこから来たシデコブシかは不明である。万博問題が浮上した頃、海上の森のシデコブシを調査したことがある。その頃知多半島にもシデコブシがあると言うので、調査に行った。自然分布のものは確認できなかったが、所々で栽培されていた。多くの話を総合すると、以前には知多半島にも分布していたようで、開発で消えてしまったようである。その頃、西尾市でもいくつかの株を見つけたが、どうやら園芸屋さんがシデコブシを栽培し売っていたようであった。家の前のシデコブシも多分そのような株のように思われる。

コブシの仲間は、美しさと芳香がありなかなか印象が強い。

 

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親の暴力に対する法的規制

親の暴力に対する法的規制   

親と子どもの関係を法的に規制しようとする動きが出ている。問題は大きく二つあり、規制しなければ歯止めがかからないような親子関係、もう一点は法的規制などで改善されないであろう現状である。
以前にも書いたように、アドレナリンなどによる興奮状態にある人は、法的規制などでは止めることは不可能である。子どもの行動に攻撃的になり始めると、自己規制はほとんどかからない。自分の言葉や行動に興奮し励まされて、どんどん行動はエスカレートする。

興奮が始まるとアドレナリンはますます増え、行動を抑制する機能は、ほとんど働かない。ニホンザルなどで、子どもを持っているメスには、多くのサルが遠慮するのは、妊娠によりアドレナリンの生成が盛んになっているためと考えられる。このことは子どもや子孫を守る上で、有効な進化であろう。妊娠した雌にとって、胎児は異物で有ろから、ストレスがかかり、アドレナリンの分泌は増す。

現在の日本の社会で起きている現象は、親にとっても子どもにとってもストレスの多い社会で、常に攻撃的になる可能性がある。特に生活が苦しくなったり、何かの問題を抱えたりすると、そこから抜け出すのは大変である。家庭が核家族化し、考えの幅が小さくなると、抱えた問題から抜け出す知恵は、ほとんどないに等しい。

この様な現代社会の問題には、法規制以外の方法も探す必要がある。しかし現在ほとんど新たな道は探されていない。
特に大きな問題になるのは、親の生育期の問題である。この点について問題を解決しないと、永久に問題は拡大して行く。日本の現状は、あまりに場当たり的な対処法に終始するところである。

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新型コロナウイルスで見えたもの2  お医者さんの現状

新型コロナウイルスで見えたもの2  お医者さんの現状

新型コロナウイルスで、にわかにお医者さんがテレビに出る様になった。国会などでもいろいろとお医者さんが、話題になっている。

気になるのはお医者さんの現状の問題である。私は40年ぐらい以前に医学部で教えていたことがある。お世話頂いた教授の皆さんはとても良い方で、快適に過ごすことが出来た。京城大学の出身者が多かったからであろうか、小説「白い巨塔」の様な権力争いもなく、なかなかオープンで風通しが良かった。これは多くの先生が他国でもまれて、国内とは違った雰囲気であったからの様な気がする。

当時世話をしてくださった教授からは、医学部で医学概論を講ずる先生がいなくなったと嘆いていた。他の場所でもこの話はベテランの先生から聞くことがあった。医学概論とは、医学哲学のことで卒業近くになってから、学んできたいろいろの知識を整理しながら、医学がどのように成り立っているかを講義することで通常経験豊富な教授が当たる。話を聞いた頃は、様々な分野が分化し、遺伝子情報も多くなり専門性がより追及されていた。その結果、全体を見渡すことが難しくなり始めた頃である。

医者になるには専門家として優れた知識を有していなければならない。医師の国家試験はかなり過酷で、多くの人にかなりの我慢を強いる。特に様々な思考を発達させる18-24歳ぐらいの時期に、記憶を中心とした勉強が強要される。このことは人生の上で視界を広めるために問題を起こす場合がある。
世間ではあまり知られていないが、各大学の医学部は様々な特徴がある。私が務めていた大学は、受験者に対する医師国家試験の合格率は、常に上位5位以内ぐらいにあり優秀な学生が揃っていた。ところがわりに近くに有った私立大学は、受験者の合格率は、35%ぐらいで常にワースト5位以内くらいであった。大学も評判を気にして、学内で模擬試験をして上位者だけを受験させてこのような次第であった。更に裏口入学に2000万円ほどかけて入っても、30%以上が結局国家試験に受からないまま退学になっていた。良く一緒にゼミをしていた当大学の教授曰く、「地方の病院の子どもなどは、医師の内容をある程度学べれば、帰って病院を経営すればよいので、医師になれなくても学生は減らない」と言う。
また近くの都市の国立大学は、医師の国家試験の合格率は80%中段で、高くはなかった。しかし授業をしてみると、私のいた学校よりは学生に余裕が感じられ、質の高い医師が育っていると思われた。

今回の事件で見えてきたことは、テレビなどに出ている一部の医者であるが、あまりの視界の狭さである。絨毯が敷かれた船の中を見れば、細菌や感染症の専門家であれば、絨毯がどのような現象を引き起こすかは明らかである。目に見ない小さな切れ端が宙に舞い、それに細菌が付着すればエアロゾル感染よりも、空気感染に近くなる。また船の空調は、実験室の空調とは異なり、細菌フィルターや全てをセパレートする回路にはなっていない。感染者がいれば当然全船内に細菌が回る。
この様な現象は、実験室の滅菌などを実践していればいとも簡単に理解できる。しかし教科書の上だけでの理解では、現場に出た時にそこまで理解が出来ない。現在の医学部での授業では、実験室の滅菌実験をするほど時間的余裕はない。

多くのお医者さんは、知識も優れた優秀な方々である。私も最近10年ほどの間に3回ほど大きな手術などを経験して、優れたお医者さんに感謝している。しかし今回の問題を見ていると、医師が突然野戦病院のような状況に適応するのは、なかなか大変なことだと思うところである。

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新型コロナウイルスで見えたもの

新型コロナウイルスで見えたもの

中国で始まった新型コロナウイルスで、日本でも学校の閉鎖が問題になっている。このニューで、中国では子どもと学校はインターネットで繋がり授業をしていると言う。ところが日本では、まだインターネットはそのレベルにはなく、子どもたちは自宅で保護者が面倒を見ることになって、社会全体が慌てている。さすがファーウェイの国で、日本より進んでいるようである。しかしそれがどこまで普及したいるかは、ニュースだけでは分からない。中国が進んでいるからと言って、あまり追随することではない。

問題は、ITの普及の問題ではなく、技術に頼る社会がヒトの成長をどのように歪めるかである。

世界の中で大きな遺跡を生んだ文化を見ていると、その文化を生み出した社会的余裕が大きなことが理解できる。社会的余裕とは、直接食糧生産に関わらない人々の多さである。日々生きるための食糧の確保に追われていると、様々な思考を巡らせて文化を生み出す余裕はない。その余裕を生み出した結果が、多くの遺跡が残っていると考えられる。

しかし遺跡を作った文化は、多くの場合には長持ちはしない。上層部は何らかの理由で崩壊し、遺跡だけが取り残され、食物を生産していた人々は、昔と変わらない姿で暮らしている。
結局、働かずに過ごして何代かすると、動物としての正常な成長が難しくなり、滅亡の方向に進むのであろう。

現在の日本も、政府はITの普及などに熱心になり、子どもの正常な成長に何が必要なのかと言った観点は失われている。親の暴力やいじめ、親子間での殺人など異常な現象が進みつつある。これはヒトが動物としての能力を発達することが出来ないままに大人になり、子どもを持つことにより、子どもを正常に成長させることが出来なくなっている現象であろう。

社会全体がこの点に早く気が付き、子どもの正常な発達を促さないと、やがて崩壊に向かうと予想される。

新型コロナウイルスで、何となく日ごろの問題がよりはっきりしてきた。

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