カンボジアの地方 26 とうみ

カンボジアの地方 26 とうみ    金森正臣(2006.8.28.)

写真:とうみ。漢字では、唐箕と書く。ご存知だろうか。何処かの学校の空き教室を利用した博物館様施設で見られないであろうか。日本では馴染みの深い古い農具である。私の小学校時代には、何処の農家でも使っていた。足踏みの脱穀機と唐箕は、かなり長い間使われていた。コンバインが登場してから、出る幕が無くなってしまった。

 唐箕は、向こう側にクランク式の回転させる手が付いている。左手の円形部分に透けて見えている羽を回して風を起こす。その風を右手下の長方形の筒に送り込む。右手上の漏斗上の部分に選別する種子を入れて、底の板などで落とす種子の量を調節する。風が通っている空間に落とされた種子は、軽いものは遠くに飛び、重いものは近くに落ちる。右手下の長方形部分の底は、近くと遠くに、二つの斜めの滑り落ちる板があり、重さで選別される。

 現在では日本でほとんど見られなくなった農具に出会って、懐かしくなって思わず写真を撮った。日本のものはハッキリ覚えていないが、カンボジアのこの農具は全く釘が使われていない。全て木材だけで、組み木式で組み立てられている。なかなかな技術だ。

 アフリカではこの様な道具は見たことが無く、すべ自然の風を使っている。種子を箕に入れて頭の上にかざし、少しずつ落としながら選別する。「とうみ」はやはり、水田農耕民の文化であろうか。

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カンボジアの地方 25 ムラサキイモ 

カンボジアの地方 25 ムラサキイモ    金森正臣(2006.8.27.)

写真:スバイアンバルの渡し舟の上で、買ったムラサキイモ。大きさは日本で見かけるものより小さいが、結構甘くて美味い。この手の平サイズで、500リエル(1ドル:約4000リエル)。渡し場の両側にはレストランがあり、簡単な食事が出来る。そのほかにもいろいろなものを、売っている。渡しの船の上でも売っている。このイモは、船の上で買った。

 日本のムラサキイモは、愛知県でも作ってみたが、甘味が少なく、そのままでは食べられなかった。沖縄ではムラサキイモが結構沢山作られている。そのままでは食べたことが無いが、シャーベットやお菓子に造って売っている。そのままの売りが少ないところを見ると、あまり甘くないように思われる。カンボジアのものは結構いける。やはり光と温度が十分だからであろうか。それとも腹がへっていたからかな。値段も日本の焼き芋に比べると、格段に安い。

 カンボジアには大きな川が二つあり、渡し場が多い。まだ橋が架かっているところは少なく。メコン川の上流のコンポンチャムに1本、トンレサップ川には、プノンペン市内に1本。後は小さい川にある橋だけで、多くはフェリーで渡る。何処のフェリーも大同小異。
でもスバイアンバルのフェリーは、何処と無く田舎的でのんびり。

 何処の渡し場でも、船待ちの人を相手に市が立つ。カンボジア人は、たびたび少しずつ食べる習慣があるからなのか、この様な場所は旅行気分で財布の紐が緩むのか良く売れる。
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カンボジアの地方 24 スバイアンバルの渡し 

カンボジアの地方 24 スバイアンバルの渡し    金森正臣(2006.8.26.)

写真:倉田さんのコショウ園は、コッコンの町に行く途中にある。プノンペンからタイとの国境の町コッコンに行く道は、国道4号線を西の港町シアヌークビル(タイ湾に面した町)に約2時間半走り、カルダモン山脈の間を切り開いた道に入る。コッコンに行くまでには、4本の入り江や川を渡る。そのフェリーが、写真の渡し。見えている車とは、直角の方向に3艘の船を連ね、板を渡してその上に車を乗せる。乗用車で6台が限度。
 右手に見える二基のジーゼルエンジンで、プロペラを回して進む。車を乗せるときと川を渡る時には、90度動く方向が変わる。見事な操縦技術で、この横車の様な船を動かす。陸近くになると船は完全に横に動いている。船だから横車ではないけれども、やはり横車と言う言葉を連想する。

 スバイアンバルの渡しは、コッコンに行く最初の渡し。コショウ園はそこから10分ほど走ったところにある。この渡しは、まもなく大きな橋に変わる予定。スバイアンバルは、渡しの直ぐ下流にある、港町の名前。

 昨年4月のクメール正月にコッコンに遊びに行った。国境のカンボジア側には大きなカジノが二つある。これには、両国の大物が絡んで利益を上げているという話がある。コッコンにはサファリパークもあり、カンボジア人に大人気。タイとの国境の町パイリンにも同じような、ホテル付きのカジノが二つあった。この国境の町に、プノンペンからも人を呼ぶために、タイの援助で国道を直していると言う。
 昨年遊びに行った時にもあちこちで工事が進んでいた。今回いよいよ橋が着工されて、本格的に道が開通するのは近い。

 ちなみに、4月にベトナムから陸路で帰って来たが、国境にはやはりカジノがあった。しかし、こちらにはあまりあでやかさは無く、こぢんまりとしていて寂れていた。やはり社会主義の国との国境では、あまりお客さんが居ないのかもしれない。
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カンボジアの地方 23 青コショウ

   金森正臣(2006.8.23.)

写真:3月頃から花が咲いたコショウは、ようやく辛味が付いてきた(7月26日)。丁度粒の大きさは日本の山椒くらい。棘も無くいたって素直。噛んでみるとさわやかな辛味が、口いっぱいに広がる。

 カンボジアでは、この青コショウを房ごと使った料理がある。日本ではまずお目にかかれない。摘み取った房は、2-3日で黒くなり始め、苦味の様なものが出てくる。特に新しい房と、イカの炒め物が上手い。青ねぎなどを入れて炒めると、ビールが一段と上手くなる。プノンペンでも食べられるが、海辺の町のものが最高に上手い。イカは肉質の柔らかい、小型のアカイカの仲間が使われている。
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カンボジアの地方 22 コショウ園 

カンボジアの地方 22 コショウ園  金森正臣(2006.8.23.)

写真:もともとコショウは、熱帯雨林の中の蔓植物として進化してきたものと思われる。そのコショウを、コショウだけで作ろうとするとなかなか工夫が居る。5メートルぐらいの支柱を立てて、そこに2-3本の蔓を絡ませる。あまり空いていると、直射日光に当たりすぎて枯れてしまう。なかなか気難しい。雨量や日照時間の適したところでないと、良いものは作れない。もちろん土壌にもいろいろ条件がある。

 昔からカンボジアで栽培されてきたコショウは、東インド会社の重要な商品であった。品質も良く、世界で一流品と認められていた。肉食のヨーロッパ世界では、欠かすことの出来ない必需品。それが内戦のさなかにほとんど栽培技術が消滅してしまった。現在カンボジアでもあちこちで栽培されているが、技術がまだ復活していない。

 倉田さんは、この畑を開いた頃、古老からいろいろと技術を学び、昔の栽培方法を復活した。土作りから初めて、現在もその技術を守っている。水はけを良くして、肥料も長い間寝かせた堆肥だけ。化学肥料は使わない。まさに熱帯雨林の林庄の再現。熱帯雨林の林床は、日本の森の様には落ち葉などが貯まらない。湿度、雨量などの関係で分解が早く、直ぐ消失する。

 特に難しい完熟コショウを復活させた。熟れ過ぎると外皮がむけて白コショウになってしまうし、未熟で皮がむけないと黒コショウになる。赤く熟れ始めたところが勝負で、一粒ずつ手で摘む。労力がむちゃくちゃかかる作業だし、その後の乾燥も難しい。

 このコショウ園を開いた頃(1996年頃)に、トラが出て子どもが噛み付かれたと言う。まだカンボジアには、トラが生息しているところが幾つかあるようだ。隣のボッコウマウンテンに昨年行ったときに、自動撮影で取ったと言うトラの写真を見た。また、夜車で走っているときにも野生のゾウの声を、間近に聞いた。人口密度が低いカンボジアには、以外に自然が残っている。内戦の影響で、地雷などによって入れない地域があるのも幸いしているのは、皮肉の様でもある。
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カンボジアの地方 21 田植え時期は暇なスイギュウさん  

カンボジアの地方 21 田植え時期は暇なスイギュウさん  金森正臣(2006.8.23.)

写真:代かきが終わって、田植えが始まるとスイギュウさんは、暇になる。植えたところを食い荒らしても困る厄介者になり、よく家の脇に繋がれている。おとなしくて、気は小さいが力持ちの、いたって人柄のと言うかウシ柄の良いスイギュウさん。のんびりとリラックス中。

 全く図体が大きく角が立派なのに気が小さいんだから。人が近づいただけで、ナニスンダヨーとばかりに後ずさり。全く抵抗する気配は無く、逃げる体制に入る。

 慣れた家の人にはいたって扱いやすい家畜。小学校にあがる前の子どもでも、背中に乗って畑から帰ってきたりする。驚かせない限り、扱いやすい。とにかく気が小さいので、驚かせないのが肝心。暑いときには水中に潜っていたりする。水中の草も大好き。

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カンボジアの地方 20 スバイアンバルの田植え時期

カンボジアの地方 20 スバイアンバルの田植え時期  金森正臣(2006.8.23.)

写真:丁度田植え時期に当たる、7月26日にスバイアンバルの倉田さんのコショウ園に温・湿度の記録を取りに行った。ほとんど海抜標高は無い地域で、盛んに田植えが行われていた。手前の策で囲ってあるところが、苗代。その向こうは、田植えの終わったところと、まだ代かきが済んだだけのところとが混在している。
 中央付近に見える影は、田植え中の人。ヤシの木の左側に見えるのは、代かきを終わってのんびりしているスイギュウ。

 スバイアンバルは、カンボジアの西の地域のカルダモン山脈の西の山裾。この水田の直ぐ向こうに見える林の先は、川の様な入り江があり、標高はほとんど2-3メーター。雨が多い地方で、雨季にはほとんど毎日降る。年間の降水量も、4,500mmを越えている地域。タイ湾から吹く西の風が、カルダモン山脈に当たって大雨を降らせる。つい先週も大雨で土砂崩れがあり、国道4号線(プノンペンからシアヌークビルに行く道)が崩壊して通行止め。

 
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プノンペンの朝の風景 22 公園の朝の喫茶店 

プノンペンの朝の風景 22 公園の朝の喫茶店  金森正臣(2006.8.19.)

写真:朝公園の一角に喫茶店が出現する。ここには2店が出ている。それぞれコーヒーや豆乳、簡単なスナックなどを売っている。

 人の集まるところ、様々な店が開店する。この場所のお客さんは、朝の散歩に来た人々。ダイエットのために来ていると思われる体型の人が、お客さんに多いので、何となく笑ってしまう。ダイエットはどこの国でも、難しいよね。サプリメントなどテレビでも色々宣伝しているのは、日本と同じ。でも思う様にはいかないのも、いずこも同じ。

 ダイエットと楽しみと、二兎を追うのは難しい。


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プノンペンの朝の風景 21 公園の朝の揚げ菓子売り 

プノンペンの朝の風景 21 公園の朝の揚げ菓子売り  金森正臣(2006.8.17.)

写真:ここのメインは、揚げ菓子。先の報告の豆乳も売っている。メリケン粉の生地を伸ばしただけで、特に餡が入っているわけではない。中央の高校生ぐらいの男の子が器用に生地を伸ばして、様々な形に作って揚げる。手前で揚げざるをいじったり、生地をいじったりしているのは、お客さん。右手前の二人の女性は店の人で、オレンジジュースを絞っている。オレンジを数個絞ってコップ一杯になり、1ドルぐらい。

 毎朝公園の一番奥のメコン沿いで、この風景が展開される。更にこの右脇には、車に積んだスピーカーを持ってきている人がいつもいる。20-30人で踊りまくっている。そのダンスを見ながら、散歩の人が豆乳やスースを飲みながら、揚げ菓子を食べている。食べたことは無いが多分何処も砂糖が入っていて、少し甘い。最後には、ダンスをしていたメンバーが、イスに座って話しながら、豆乳やジュースを飲む。

 皆楽しそうで、数年前の緊張感はほとんど無い。平和になったカンボジアを実感する。でもそれにしても朝から食いすぎだよね。お客さんは、太目が多いんだから。
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プノンペンの朝の風景 20 公園の朝のミルク売り

プノンペンの朝の風景 20 公園の朝のミルク売り  金森正臣(2006.8.5.)

写真:公園の片隅に毎朝出る、豆乳を沸かしたミルク売り。持ち帰りも多いが、その場にもテーブルが3つとイスが出て、簡単な喫茶店の趣。しかしここでは豆乳と肉マンだけで他には何も無い。卓上ガスコンロを、ダンボールの風覆いで囲んでいる。チョット危ないんじゃないかと思うけど、火事になっても周りに燃えるものは無いから平気・・。

 多くの人がここでミルクを飲んで駄弁っている。とても楽しそう。卓上にはインスタントコーヒーの空き瓶の様なものにたっぷりと砂糖置が置いてある。ミルクをコップに貰うと、イスに座り込んで砂糖をたっぷりと入れて飲む。朝の散歩のエネルーギーを遥かに超えていると思うけど。ダイエットに来たんじゃないの、太目の皆さん。でも運動後の美味しさには勝てない?

 その後水のペットボトルの空き瓶にたっぷりと買って帰る。いくら豆乳が健康に良いと言っても、飲みすぎると同じじゃない。

 右の手前のドーム型の鍋は、蒸し器で肉まんが入っている。1個1/4ドル(30円程度)でたっぷり。大きさは日本のものとだいたい同じだが、日本の肉マンより中身が濃いし、皮も厚い。

朝の1時間半ぐらいの商売でした。

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