一日の温度格差

一日の温度格差

 

最近、日の温度格差が大きくなり、10度ぐらいはたびたび起きる。以前には全く問題に感じなかったが、最近は少し疲れるようになった。

 

東アフリカのタンザニアの調査地は、内陸部の1300メートルぐらいの高地にあり、日の温度格差は、20-30度は普通であった。乾季に行くので湿度は低く、勢い日中は温度が上がり、夜間は冷える。明け方は10度を切るが、日中は40度に達することもまれではない。約30度の差である。しかし不思議なもので、わずか数日で体は慣れて、支障はなくなる。

 

カンボジアでは、25度ぐらいと35度ぐらいで、日の格差は10度ぐらいであった。

 

コロンビアでは、調査地はアンデスの東側の3標高00メートル地帯で、乾季は無く、大雨季と小雨期呼んでいた。とにかく良く雨が降った。毎朝シャワーがあり、道路が冠水する。標高は300メートルくらいで、年間の月平均気温は、24.5℃であまり変化がない。北緯2度だとこうなるかと感心していた。

 

やはり年齢のせいか、温度差が大きくなると疲れる。

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トウモロコシ食べた

トウモロコシ食べた

 

今年初めてトウモロコシを食べた。隣の碧南市産で、新鮮でおいしかった。子どもの頃、トウモロコシは、時間で畑に戻ると教えられ、時間がたつと味が落ちる。隣の市であるが距離は近く、農協の直産所では朝取りから1―2時間で出る。 

 

トウモロコシは、各国で使用方法がかなり違う。

東アフリカのタンザニアでは、生では食べない。すべて乾燥して保存し、粒にしてから粉にして、熱湯でこねてウガリとして主食になる。房も大きくて立派である。以前の主食はキャッサバであった様であるが、トウモロコシが入ってきてから主食はトウモロコシ粉になった。キャッサバの方が澱粉も上質で粘りが出るが、彼らはトウモロコシが良いと思っている。キャッサバのウガリは、バナナの葉でくるんで蒸し、そのまま1週間ほど置くと発酵して酸味が出る。そうすると1月程度は持つので、サファリ(旅行)をするときには便利な食糧だ。

 

コロンビアでは、トウモロコシは生の房のぶつ切りがスープに入っていた。房の直径は7センチほどもあり、長さは4センチほど切り、2個ぐらいが入っている。スープは、牛の背骨が2個ほど入っていて、大きな土鍋で出てくる。かなりの分量で、一人では食べきれない。レストランの入口には、乞食が2-3人待っていて、食べ終えたスープをもらって、端の机で食べている。食べ終わると骨やトウモロコシの芯をゴミ箱に入れて、流しに運んでいる。一緒に行った政府の高官たちも、それが当たり前のようにしていた。なかなか穏やかな世界で、好感が持てた。当時はゲリラや反政府勢力が 群雄割拠していたが、それを忘れるような穏やかさであった。

 

ペルーのアンデス世界では、原産地だけあって種類が非常に多かった。大粒なものは、一粒が親指の頭ほどもあって(ジャイアントコーン)、乾燥したものが炒って出された。割にもろくて美味しかった。紫のコーンは、ジュースに絞られていた。コロンビアと同じようにスープにも使われていたが、大きさはかなり小さかった。

 

南米からトウモロコシが世界に分散し、人口の増加が起きたと言われているが、かなり効率の良い食料である。

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卒業生の本 豊橋の滝崎先生

卒業生の本 豊橋の滝崎先生

 

愛知教育大学に就任した年の1年生いた、滝崎先生も定年退職の年齢になった。記念に出版した本を頂いた。先生として38年間勤務中に、生徒のために書いていた植物の歳時記である。勤務中に書いた485ページにも上る写真と解説である。

 

彼のお母さんの協力を得て始めた自然教室は、その後23年ほど続けた。私の大学での教育の中心的な仕事になった。学生の参加も、他教室の学生もいたりして、大変楽しかった。その成果も大きかったことは、卒業生に会った時に自然教室の話が多く出るのでいつも確認された。

 

私は、初任の菅平の実験所にいたときに長野県の自然保護の会を立ち上げに参加し、自然の大切さを伝える必要を感じた。大阪に移っても、関西自然保護連合の設立に参加することになり、やはり自然保護の必要性を感じていた。結局自然の継承には、子どもたちに伝えることが最も大切と考えて、自然教室なる方法を考え出した。

まず学生に伝えるのに、教室では伝われないので、子どもの好きな学生たちが教えることで学んでほしいと思っていた。また卒業してからも、先生が子どもたちを野外に連れ出せる基本的な技術を身につけてもらえる方法として、自然教室を計画した。

その最初の学年に滝崎先生がいた。

 

彼の学生時代に、秋田の森吉山、五島列島の下山島などの調査も一緒だった。他にも北海道の礼文島で偶然に会ったことがあり、稚内までの船上でイカソウメンを肴に飲んだ思い出がある。

 

愛知教育大学に来てから約40年、子どもたちに自然を伝える同じ仕事を、卒業生がして居たことに感激している。同じような意思を持って仕事をしていた仲間がいたことは、大変嬉しいことである。

 

なお本の必要な方は、豊橋市の協和印刷株式会社に連絡するか、私宛に連絡頂ければ入手が可能になる。本は「東三河―野の花たちの歳時記」、著者は、滝崎吉伸氏。

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東京オリンピックは最初から問題があった

東京オリンピックは最初から問題があった

 

招致の最初に、国際オリンピック委員会から、国民の支持が少ないと意見され、支持の多き場所でアンカーとをした経緯がある。

 

招致の時期に安部前首相が、福島の放射能はアンダーコントロールにあると世界に発言していた。いまだにメルトダウンの放射性物質も取り出されていないし、コントロール下に置く目途も立っていない。さらに漏れ出す汚染水は増えるばかりで、一部は薄めて海洋に放出などの方法がとられようとしている。

どこがアンダーコントロールであろうか。

 

加えて、復興五輪と銘打っていたが、五輪でどこが復興されたのであろうか。国民の目をだますために、オリンピックをすればあたかも福島が復興するかのように喧伝した。言葉だけのだましのように思われる。

 

森元組織委員の会委員長の、女性蔑視発言やその後の数だけ女性を増やした委員会など問題は上げきれない。

 

聖火リレーも、観客もなく、走ることもないところもある。そもそも聖火リレーは、ドイツのヒットラーが国威発揚のために初めてことなのだ。平和とは何の関係もない。

 

新型コロナが始まっても、組織委員会は頑なに開催を目指している。国際オリンピックの金もうけのために、国民が犠牲になってもしなければならないお祭りではない。選手の皆さんが努力してきたのは理解できるが、国民の命と引き換えにはできない。既に各地で医療崩壊が起き、医療を受けられなくて死んでゆく人も出てきている。

 

政府は国民の意見を謙虚に聞く時期に来ている。

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オリンピック委員会や関係者の無責任

オリンピック委員会や関係者の無責任

 

オリンピック担当大臣が、国民の健康に配慮した専門委員会の意見に、違う地平で見ているといちゃもんをつけた。どのように違う地平であるのか、説明を求めたい。

 

組織委員会の会長や首相も、国民の命と安全を守るというが、5月の末から6月にかけて毎日100人近くが死亡している。それでも命や安全を守っていると言えるのであろうか。

 

いい加減な発言を繰り返す、オリンピック関係議員に関しては、次の選挙で落選運動をした方が良い。

 

新型コロナは、ワクチンで迎撃できるほど簡単ではない。まだいろいろと変異が起き、世界を駆け回るであろう。

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SDGsの違和感

SDGsの違和感

 

国連でも日本政府も、SDGsを目指している。

私の違和感は、開発目標とある点である。Sustainable Development Goalsの略で、持続可能な開発目標と訳される。

 

私は約50年前にIBPというユネスコが主催した、国際生物学計画に参加した。地球上の生産力の測定を目標にしていて、どれだけのエネルギーが使えるかという試算であった。多くの国が参加し、日本でも5地点が選ばれて、それぞれ数十人の研究者が参加し、その地点の生産量を測定した。植物・動物などそれぞれの研究者が、分担して7-10年をかけて測定した。

その結果は、当時の推測で地球上の養える人口は、7-80億から120億が限界であろうという結果であった。これは生産されたエネルギーが、理想的に分配された場合であって、現状ではそのようなことは起こらない。「世界がもし100人の村であったら」という本に示されているように、現在のエネルギーの配分は著しく偏っている。

 

日本だけ見ても既に大きく偏っているし、過密になりすぎている。日本の生産量であれば、現在の約半分の人口で十分である。どこまでも発展を続けることは不可能である。

 

そろそろいつまでも発展を考えるのではなく、持続可能な縮小を考えるのが正常であろう。日本の政府な何を考えているのであろうか。

 

オリンピックなどでエネルギーを多く消費している場合ではない。

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オリンピックの凋落

オリンピックの凋落

 

東京オリンピックのごたごたで、近代オリンピックの精神は完全に崩壊していることが明らかになった。クーベルタンの提唱による近代オリンピックは、もとは平和の祭典で、アマチュアイズムを目指していたが、今はその面影はない。当初から比べると、テレビなどの発達で、放映権料が桁違いに入るようになっている。

 

IOCのバッハ会長は、ともかく自分の利益のためにしか動いていない。選手や開催国の国民のことなどほとんど眼中にない。商業主義に陥り、理事たちの食い物になっている。

 

日本が招致した時も、裏金を使った疑惑で日本の理事が辞任している。

もう綺麗ごとは止して、本来の姿をさらけ出してはどうであろう。ショウビジネスであれば 、国民の税金を使う必要もない。日本の委員は、そのくらいのことは知っているはずだ。

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