金森正臣先生のカンボジアの文化・教育・食べ歩き体験記
金森先生のカンボジア日記
リハビリ
リハビリ 2008.1.30.金森正臣
年末に日本に帰るついでに、バンコクの病院によって、その後の骨の繋がり具合をチェックした。ほとんど繋がっており、リハビリに入ることにした。最初は、左足を着くことから初め、徐々に体重をかける練習。15日にカンボジアに戻ってから、歩く距離を伸ばし始めた。
最初に問題が起きたのは、右足のヒザ。10年ほど前にアフリカで、水の無い川の岸を歩いていて、庇状にえぐられていた砂が崩れて、3-4m落ちた。下に流木が有り、右ひざを打ってしばらく立ち上がれなかった。その数日前に、フィールドに入るためにほぼ1週間車を運転し続けて、直ぐに沢山歩いてので、右ヒザが痛くなっていた。この時には、もう娑婆に戻れないかと思ったことを思い出した。何しろ又、1週間近くも運転しなければ戻れないのだから。この年は期間が1.5月ほどで短かったので、焦りがあったのかもしれない。その古傷が痛み出し、悪化させるとまずいので、ゆっくりリハビリをする事にした。しばらく歩くことが少なかった訳であるから、右足も当然衰えていたのだと納得。
次に問題が出たのは、左足本体。ヒザや足首をひねっていたらしく、使い始めたら痛い。怪我をした時、左側からぶつけられ、脛の中央が折れ、足首やヒザは、内側に曲がると言う普段使わない方向に曲がっていたから、レントゲン的には何も問題が無くても、靭帯や腱は傷ついていたのだろう。当然と言えば当然。でも使い始めてみるまで分からないとは。
老齢化すると、色々問題を抱えているから、あちこちに障害が出る。もう到着点は、冥土と決まっているのだから、急ぐことでもないかと思い直し、スローライフを楽しみながらリハビリをしている。それでも、部屋の中は、杖無しでも少し歩けるようになった。近くのスーパーに買い物にも出かけ、好きなものが食べられる様になったのも嬉しい。それほど不便を感じていなかったが、近くのレストランに限定されていた食事は、食いしん坊の私には、多少ストレスがあったのであろう。
年末に日本に帰るついでに、バンコクの病院によって、その後の骨の繋がり具合をチェックした。ほとんど繋がっており、リハビリに入ることにした。最初は、左足を着くことから初め、徐々に体重をかける練習。15日にカンボジアに戻ってから、歩く距離を伸ばし始めた。
最初に問題が起きたのは、右足のヒザ。10年ほど前にアフリカで、水の無い川の岸を歩いていて、庇状にえぐられていた砂が崩れて、3-4m落ちた。下に流木が有り、右ひざを打ってしばらく立ち上がれなかった。その数日前に、フィールドに入るためにほぼ1週間車を運転し続けて、直ぐに沢山歩いてので、右ヒザが痛くなっていた。この時には、もう娑婆に戻れないかと思ったことを思い出した。何しろ又、1週間近くも運転しなければ戻れないのだから。この年は期間が1.5月ほどで短かったので、焦りがあったのかもしれない。その古傷が痛み出し、悪化させるとまずいので、ゆっくりリハビリをする事にした。しばらく歩くことが少なかった訳であるから、右足も当然衰えていたのだと納得。
次に問題が出たのは、左足本体。ヒザや足首をひねっていたらしく、使い始めたら痛い。怪我をした時、左側からぶつけられ、脛の中央が折れ、足首やヒザは、内側に曲がると言う普段使わない方向に曲がっていたから、レントゲン的には何も問題が無くても、靭帯や腱は傷ついていたのだろう。当然と言えば当然。でも使い始めてみるまで分からないとは。
老齢化すると、色々問題を抱えているから、あちこちに障害が出る。もう到着点は、冥土と決まっているのだから、急ぐことでもないかと思い直し、スローライフを楽しみながらリハビリをしている。それでも、部屋の中は、杖無しでも少し歩けるようになった。近くのスーパーに買い物にも出かけ、好きなものが食べられる様になったのも嬉しい。それほど不便を感じていなかったが、近くのレストランに限定されていた食事は、食いしん坊の私には、多少ストレスがあったのであろう。
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カンボジアに戻りました
皆様
しばらくご無沙汰いたしました。15日にカンボジアに戻りましたが、帰ってから思いの他忙しくて、インターネットカフェーに来る機会がありませんでした。
先日は、皆様に正臣会でお会いでき楽しい思いをいたしました。有難うございました。
昨年は怪我をしたことで、様々なことを学ぶ機会が増えました。今年もより良く学んで行きたいと思います。
怪我をしてから最初に10日間ほど寝ていたために、運動神経がなまり、休む時間が多くなりました。運動をしなかったので、消化が悪くなり(特に体調を崩したわけではありません)、体力が落ち、疲れるから休む、運動が少なくなる、の繰り返しで悪循環でした。実際には、その時には特につらくもなく、特に悪かったと言う印象もないのですが、直ってきてみると、あのときには疲れていたのだと改めて知ることになりました。
体力が落ちると精神的にも消極的になり、そろそろ引退の時期かな、などと思ったこともありました。元気になってくると、あれしよう、これしようと思いつくので、体のコンディションは大切だということを痛感しました。年を取って体力が落ちるとこうなるのだろうと、老齢化する練習をしたようでもありました。
ゆっくり移動すると、いつもと違ったものが見えることも実感しました。普段歩く時には、道路の状況などをあまり気にしていませんが、足が悪く、ゆっくり移動していると様々なことが見えてきます。道路の状態ばかりではなく、通り過ぎてゆく人の精神状態も分かり、日本は大変な状況にあることも感じました。
足が不自由になって気がつくと、なんと足の不自由な人が多いことかとビックリしました。多くの人は直る予定はなく、そのままで人生を送らなければならない方々です。それを思うと、直る自分はもっと何かをしなければならない役割があるのだと思うようになりました。一生直らない方々が、必死生きていることも痛感しました。
年末年始の2週間は、時間が有ったようですが、数年前のアフリカの調査のデーターが必要になり、整理に追われていました。1998,2001,2002年のチンパンジーのネストのデーターを整理し、久しぶりにアフリカモードでした。その他の年のは、時間が無いのであきらめました。
思い出せるか心配していたのですが、始めてみるとネストのあった一本ずつの木も思い出されたりして、忘れていないことを確認しました。ネズミを調査していた若い頃、1回2週間、一日に18時間ぐらい4000ぐらいのデーターを集めていました。夜一日の整理をしているとき、ある日突然、現場での状況が浮かび上がるようになり、読み取ったデーターの誤りが修正できるようになりました。疲れてくると番号の読み取りと記録が一致しなくなったり、記号の組み合わせで番号をつけていますから、読み取りが誤ったりするのです。資料の整理の時に、野外で調査している状況が浮かび上がり、誤りが浮かび上がるのです。いくつかの検討をすると誤りを修正できます。このような経験が役に立っているようで、ゾウに脅かされた夜、シンバ(ライオン)に吼えられた夜、ニャーニイー(ヒヒ)がヒョウに襲われた夜、ヒョウの獲物のカモシカを取り上げた朝、チンパンジーの親子のやり取りなど、古新聞を読んでいる様に様々なことが思い出されて、楽しい一時でもありました。
やはり経験は忘れていませんね。それにしても、自分には室内よりも野外で調査することが合っているのだと改めて確認もしました。また機会があったら、野外調査に出たいですね。
カンボジアに戻ってから、海外青年協力隊員の皆さんと話す機会が、数回ありました。皆さん一生懸命に頑張って、立派な成果を挙げています。しかし、なかなかカンボジアの文化を理解することは難しく、違和感が残るようです。戻って次の日、16日には、大使館、JICAがカンボジアのNGOの人たちと協力して開いた、シンポジュームがありました。NGOの中には、15-20年もカンボジアに関わっている方がおります。でも皆さん、何か違和感を持ってイライラする場面も見られました。やはりカンボジアの文化を理解するのに問題がありそうです。多分この問題には、三つの異なった側面があり、一つは文化人類学的素養が必要と思われます。他の一つは、他の文化を理解するときに基準になる、自国の文化を理解しているかです。生まれ育った自国の文化がどのように出来上がり、何の影響で判断基準ができているかを理解していなければ、他国の文化の理解は難しいと思います。丁度、物差しを持たずに、物を計ろうとするようなものです。三番目は、自分の内面のこだわりを知っていることです。自分の内面のこだわりが大きいと、物事が有る様に見えません。日本では、「色眼鏡をかけて見る」と言う言葉がありますが、その状態になり物事が変化して見えます。
皆さんも、国際理解教育などに関わり、いろいろの国の文化を紹介しなければならないことも多いかと思います。またご自身で、外国を旅行される機会も多いかと思います。是非上の三点について、考えてみて下さい。
今年もボチボチ行きましょう。
しばらくご無沙汰いたしました。15日にカンボジアに戻りましたが、帰ってから思いの他忙しくて、インターネットカフェーに来る機会がありませんでした。
先日は、皆様に正臣会でお会いでき楽しい思いをいたしました。有難うございました。
昨年は怪我をしたことで、様々なことを学ぶ機会が増えました。今年もより良く学んで行きたいと思います。
怪我をしてから最初に10日間ほど寝ていたために、運動神経がなまり、休む時間が多くなりました。運動をしなかったので、消化が悪くなり(特に体調を崩したわけではありません)、体力が落ち、疲れるから休む、運動が少なくなる、の繰り返しで悪循環でした。実際には、その時には特につらくもなく、特に悪かったと言う印象もないのですが、直ってきてみると、あのときには疲れていたのだと改めて知ることになりました。
体力が落ちると精神的にも消極的になり、そろそろ引退の時期かな、などと思ったこともありました。元気になってくると、あれしよう、これしようと思いつくので、体のコンディションは大切だということを痛感しました。年を取って体力が落ちるとこうなるのだろうと、老齢化する練習をしたようでもありました。
ゆっくり移動すると、いつもと違ったものが見えることも実感しました。普段歩く時には、道路の状況などをあまり気にしていませんが、足が悪く、ゆっくり移動していると様々なことが見えてきます。道路の状態ばかりではなく、通り過ぎてゆく人の精神状態も分かり、日本は大変な状況にあることも感じました。
足が不自由になって気がつくと、なんと足の不自由な人が多いことかとビックリしました。多くの人は直る予定はなく、そのままで人生を送らなければならない方々です。それを思うと、直る自分はもっと何かをしなければならない役割があるのだと思うようになりました。一生直らない方々が、必死生きていることも痛感しました。
年末年始の2週間は、時間が有ったようですが、数年前のアフリカの調査のデーターが必要になり、整理に追われていました。1998,2001,2002年のチンパンジーのネストのデーターを整理し、久しぶりにアフリカモードでした。その他の年のは、時間が無いのであきらめました。
思い出せるか心配していたのですが、始めてみるとネストのあった一本ずつの木も思い出されたりして、忘れていないことを確認しました。ネズミを調査していた若い頃、1回2週間、一日に18時間ぐらい4000ぐらいのデーターを集めていました。夜一日の整理をしているとき、ある日突然、現場での状況が浮かび上がるようになり、読み取ったデーターの誤りが修正できるようになりました。疲れてくると番号の読み取りと記録が一致しなくなったり、記号の組み合わせで番号をつけていますから、読み取りが誤ったりするのです。資料の整理の時に、野外で調査している状況が浮かび上がり、誤りが浮かび上がるのです。いくつかの検討をすると誤りを修正できます。このような経験が役に立っているようで、ゾウに脅かされた夜、シンバ(ライオン)に吼えられた夜、ニャーニイー(ヒヒ)がヒョウに襲われた夜、ヒョウの獲物のカモシカを取り上げた朝、チンパンジーの親子のやり取りなど、古新聞を読んでいる様に様々なことが思い出されて、楽しい一時でもありました。
やはり経験は忘れていませんね。それにしても、自分には室内よりも野外で調査することが合っているのだと改めて確認もしました。また機会があったら、野外調査に出たいですね。
カンボジアに戻ってから、海外青年協力隊員の皆さんと話す機会が、数回ありました。皆さん一生懸命に頑張って、立派な成果を挙げています。しかし、なかなかカンボジアの文化を理解することは難しく、違和感が残るようです。戻って次の日、16日には、大使館、JICAがカンボジアのNGOの人たちと協力して開いた、シンポジュームがありました。NGOの中には、15-20年もカンボジアに関わっている方がおります。でも皆さん、何か違和感を持ってイライラする場面も見られました。やはりカンボジアの文化を理解するのに問題がありそうです。多分この問題には、三つの異なった側面があり、一つは文化人類学的素養が必要と思われます。他の一つは、他の文化を理解するときに基準になる、自国の文化を理解しているかです。生まれ育った自国の文化がどのように出来上がり、何の影響で判断基準ができているかを理解していなければ、他国の文化の理解は難しいと思います。丁度、物差しを持たずに、物を計ろうとするようなものです。三番目は、自分の内面のこだわりを知っていることです。自分の内面のこだわりが大きいと、物事が有る様に見えません。日本では、「色眼鏡をかけて見る」と言う言葉がありますが、その状態になり物事が変化して見えます。
皆さんも、国際理解教育などに関わり、いろいろの国の文化を紹介しなければならないことも多いかと思います。またご自身で、外国を旅行される機会も多いかと思います。是非上の三点について、考えてみて下さい。
今年もボチボチ行きましょう。
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ご挨拶
ご挨拶
2008.01.01. 金森正臣
新年おめでとうございます。おめでたいかどうかは、あまり良く分からない。一休宗純和尚の「正月や冥土の旅の 一里塚」の句がある。
元旦に家に居るのは、25年振りぐらいで、もちろんブログで挨拶を書くのは初めて。怪我の功名と?功名ではないが、こんなことでもないと家に居ない。
昨年は、いろいろなことが有って、久しぶりに学ぶことが大きかったように思う。
今年も皆さんにとって良い年でありますように。
元旦の新聞を読むのも久しぶり。環境問題の話題が載っていたが、問題の視点が貧弱。正義の味方の様に、省エネや技術改革、個人の意識の変革などを取り上げている。個人の意識の視点が違う。自分の人生をしっかりと見つめないと、新聞の論調などに振り回されていたら、今年もダメ。
普遍的な真実を見つめて、まあボチボチ行きましょう。
2008.01.01. 金森正臣
新年おめでとうございます。おめでたいかどうかは、あまり良く分からない。一休宗純和尚の「正月や冥土の旅の 一里塚」の句がある。
元旦に家に居るのは、25年振りぐらいで、もちろんブログで挨拶を書くのは初めて。怪我の功名と?功名ではないが、こんなことでもないと家に居ない。
昨年は、いろいろなことが有って、久しぶりに学ぶことが大きかったように思う。
今年も皆さんにとって良い年でありますように。
元旦の新聞を読むのも久しぶり。環境問題の話題が載っていたが、問題の視点が貧弱。正義の味方の様に、省エネや技術改革、個人の意識の変革などを取り上げている。個人の意識の視点が違う。自分の人生をしっかりと見つめないと、新聞の論調などに振り回されていたら、今年もダメ。
普遍的な真実を見つめて、まあボチボチ行きましょう。
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カンボジアでの私の仕事
カンボジアでの私の仕事
2008/01/01
金森正臣(NIEサイエンス・アドバイサー)
カンボジアの教育には、STEPSAMの調査で1999年に関わり始めた。今年は10年目になる。当初は、現状が理解できずに苦労した。調査時の質問紙調査や面接時から、理解出来ていないであろうと言う不安は持っていた。2000年から始まったプロジェクトに短期専門家として関わって、不安は現実のものとなった。
1)カンボジアの教育の問題点を整理すると、幾つかの異なった原因が存在する。
a 教育資源の問題
ポルポト時代に、教育の資源が無くなった。教える人材、本(教科書、参考書など)、場所(学校や様々な施設)、教育のシステム、教育方法など全ての教育資源が消失した。資料がほとんど無いため、多くに先生は自主学習は出来ない。
b 教育内容の問題
教育の復活は1980年ごろ、教育システムと学校を開始した。まだ内戦が続き援助国はロシアやベトナムに限られ、小中学校では、教育内容が無いまま教育が行われていた。
即ち、形式だけの教育で、内容は読むことが中心、考えることは教えられなかった。先生に恥をかかせないために、質問することはしないのが習慣化した。考えることは全く教えられず、先生が覚えていること(ほとんど本は焼かれたために、何も参考書は無かった)を、ボードに書き、ただ覚えることが中心であった。先生は、字の書ける人が選ばれ、小学校を卒業していない人もいた。現在でもこの先生は、2-3%いると推定されている。教育の内容は、極めて貧弱だったと思われる。小学校でも、高学年の児童が低学年を教えていたと言う。
c 学習方法の問題
教材、教具がほとんど無かった。1999年に多くのリセ(中学と高校の6年の学校:フランス式)を見学したが、70人クラスで、ノートを持っている生徒が1-3人、教科書も同程度であった。このことは家庭での学習が不可能であったことを示している。加えて、カンボジアの上座仏教は、日本の禅宗などの仏教と違い、寺に入った時から仏様の代理となる。禅宗の様に修行に修行を積むような文化は存在しない。従って、文化的にも学習態度は、淡白である。当然学習したことの定着率は悪い。
教材もほとんど20年間に渡って存在しなかったために、殆ど使えない状況にある。多くの小・中・高・大学の先生は、物差し、秤、分度器などは正確には使えない。従って、数値の取り扱いは苦手で、平均値などが直ぐには計算できない。グラフなどの作成も極めて困難である。数直線の概念が無く、どの数字が大きいかは、なかなか判断が出来ない。
d 思考過程の問題
小学校から始まって、思考を育てることは考えられていない。従って、論理的思考は殆どできない。物事をイメージだけで考え、具体的に観察できないし、事実に基づいて論理的に考えることができない。
具体的に物事を観察することができないので、比較することが困難である。
2)私の現在行っている主な仕事
a 師範学校の教官たちの力を上げる
NIE(National Institute of Education:高等学校と地方の教員養成校の教官を養成している)のサイエンスアドバイサーとして、理数科の教官たちの学力向上を目指している。
実際に授業を行う他に、若手の教官たちを、日本の大学の修士課程に送るのも、学力の向上に役立っている。日本の友人たちに依頼して、現在11名を送り出している。問題点は奨学金の獲得であるが、ほとんど友人たちが世話してくれる。今年3月には2名の教官が戻って来た。1名は、博士課程に進学できた。
直接指導することは、以前にあったSTEPSAM(理数科教育改善)のプロジェクト時代のカウンターパートたちの指導であるから、人間関係は構築されており、殆ど問題は感じない。
b カンボジアの現状を認識すること
実験や授業を通して、彼らの思考過程を観察し、問題点の原因を探る。問題点の解決のために、幾つかの思考過程を示し、理解を得るように勤める。しかし実際には、なかなか進まない。
実験を通して論理的思考を育てる。この課程で彼らがつまずいている場所が確認できることが多い。
これ等の原因の解消のために、一人一人の原因の解明とその解決策を実行するのが、現在の私の仕事である。
このような教育の問題点の解決には、50-100年単位が必要であると思われる。現在は、出来るところから徐々に改善をして行くしか方法はない。
最近気が付いたら、ほぼ最初の調査で描いたイメージ通りに進んでいるのにビックリ。プロジェクトが終了し、大きな支援が途切れたため、1-2年の遅れは出ている。カンボジア人の日本への留学などは、多くの友人に助けられて、順調に進んでいる。彼らの意欲を継続させるのに、重要である。今年は、新たなスッテプに成る様に、ボチボチ行きたい。
2008/01/01
金森正臣(NIEサイエンス・アドバイサー)
カンボジアの教育には、STEPSAMの調査で1999年に関わり始めた。今年は10年目になる。当初は、現状が理解できずに苦労した。調査時の質問紙調査や面接時から、理解出来ていないであろうと言う不安は持っていた。2000年から始まったプロジェクトに短期専門家として関わって、不安は現実のものとなった。
1)カンボジアの教育の問題点を整理すると、幾つかの異なった原因が存在する。
a 教育資源の問題
ポルポト時代に、教育の資源が無くなった。教える人材、本(教科書、参考書など)、場所(学校や様々な施設)、教育のシステム、教育方法など全ての教育資源が消失した。資料がほとんど無いため、多くに先生は自主学習は出来ない。
b 教育内容の問題
教育の復活は1980年ごろ、教育システムと学校を開始した。まだ内戦が続き援助国はロシアやベトナムに限られ、小中学校では、教育内容が無いまま教育が行われていた。
即ち、形式だけの教育で、内容は読むことが中心、考えることは教えられなかった。先生に恥をかかせないために、質問することはしないのが習慣化した。考えることは全く教えられず、先生が覚えていること(ほとんど本は焼かれたために、何も参考書は無かった)を、ボードに書き、ただ覚えることが中心であった。先生は、字の書ける人が選ばれ、小学校を卒業していない人もいた。現在でもこの先生は、2-3%いると推定されている。教育の内容は、極めて貧弱だったと思われる。小学校でも、高学年の児童が低学年を教えていたと言う。
c 学習方法の問題
教材、教具がほとんど無かった。1999年に多くのリセ(中学と高校の6年の学校:フランス式)を見学したが、70人クラスで、ノートを持っている生徒が1-3人、教科書も同程度であった。このことは家庭での学習が不可能であったことを示している。加えて、カンボジアの上座仏教は、日本の禅宗などの仏教と違い、寺に入った時から仏様の代理となる。禅宗の様に修行に修行を積むような文化は存在しない。従って、文化的にも学習態度は、淡白である。当然学習したことの定着率は悪い。
教材もほとんど20年間に渡って存在しなかったために、殆ど使えない状況にある。多くの小・中・高・大学の先生は、物差し、秤、分度器などは正確には使えない。従って、数値の取り扱いは苦手で、平均値などが直ぐには計算できない。グラフなどの作成も極めて困難である。数直線の概念が無く、どの数字が大きいかは、なかなか判断が出来ない。
d 思考過程の問題
小学校から始まって、思考を育てることは考えられていない。従って、論理的思考は殆どできない。物事をイメージだけで考え、具体的に観察できないし、事実に基づいて論理的に考えることができない。
具体的に物事を観察することができないので、比較することが困難である。
2)私の現在行っている主な仕事
a 師範学校の教官たちの力を上げる
NIE(National Institute of Education:高等学校と地方の教員養成校の教官を養成している)のサイエンスアドバイサーとして、理数科の教官たちの学力向上を目指している。
実際に授業を行う他に、若手の教官たちを、日本の大学の修士課程に送るのも、学力の向上に役立っている。日本の友人たちに依頼して、現在11名を送り出している。問題点は奨学金の獲得であるが、ほとんど友人たちが世話してくれる。今年3月には2名の教官が戻って来た。1名は、博士課程に進学できた。
直接指導することは、以前にあったSTEPSAM(理数科教育改善)のプロジェクト時代のカウンターパートたちの指導であるから、人間関係は構築されており、殆ど問題は感じない。
b カンボジアの現状を認識すること
実験や授業を通して、彼らの思考過程を観察し、問題点の原因を探る。問題点の解決のために、幾つかの思考過程を示し、理解を得るように勤める。しかし実際には、なかなか進まない。
実験を通して論理的思考を育てる。この課程で彼らがつまずいている場所が確認できることが多い。
これ等の原因の解消のために、一人一人の原因の解明とその解決策を実行するのが、現在の私の仕事である。
このような教育の問題点の解決には、50-100年単位が必要であると思われる。現在は、出来るところから徐々に改善をして行くしか方法はない。
最近気が付いたら、ほぼ最初の調査で描いたイメージ通りに進んでいるのにビックリ。プロジェクトが終了し、大きな支援が途切れたため、1-2年の遅れは出ている。カンボジア人の日本への留学などは、多くの友人に助けられて、順調に進んでいる。彼らの意欲を継続させるのに、重要である。今年は、新たなスッテプに成る様に、ボチボチ行きたい。
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