忙しさにまぎれて

忙しさにまぎれて 2011.12.26. 金森正臣

 忙しいとは、心を亡くすと書くが、最近はまさにその状態。時間的にはそれほど忙しいわけではないが、いろいろな複雑な問題に直面すると、しばらく考えている間に時間が過ぎてしまう。年を取って頭の回転が鈍くなり、しばらく考えていないと全体が把握できない。でもその分、誤りは少なくなり、後悔することも少なくなったような気がする。功罪相半ばと言ったところであろうか。

 先々週から続いた、教育行政官のための大学院の設立準備。労働省の職業訓練校の視察。いずれもかなり複雑で、問題の切り抜けをどの様にするかかなり迷う。大学院問題は、広島大学教育学部の大塚先生にお願いしていて、あまり問題はないのだが、それでもカンボジア側の担当者をどの様に納得させるかは、いろいろ考えなければならない。大塚先生とは、1999年に、JICAのカンボジアの理数科教員改善計画の(STEPSAM)調査の時からご一緒で、気心が分かっていて有難い。いろいろ勝手を言いながら、お願いできる。カンボジア側の担当者も、教育省の長官は、元大塚先生のところに留学したことのある人。直接の担当者の、NIEの学長は、私が世話をして愛知教育大学に留学したソバンナさん。その補佐の副学長も広島大学に留学していた人。話は通り易く、なかなか良い関係ではあるが、大学院に在籍していてことはあっても、作ったことなどはない。どの様な準備がいるかはよく理解できていない。25年ぐらい前であったと思うが、愛知教育大学の大学院を作った時に、教務委員などをしていた関係で、およその作り方は分かる。40年も大学院の担当をしていたので、単位の認定や、論文の認定などをどのようにしたら良いか大体理解できていた。大学院の目的から議論を始め、今回で3回目の数日間の議論で、大体の輪郭が出来上がった。

 労働省の訓練局の見学は、実に意外なものであった。ほとんど文部省の持っている大学と同じような資格認定制度を作っていて、短大、学部卒の資格を当てている。以前に高等学校に実業高校を作ろうとした時に、労働省との関係で出来ないと聞いていたが、その意味がようやく実感できた。しかし、シラバスも教科書もあいまいで、統一性は取れていない。労働省の中には4か所ほどに学校があるが、夫々ドナー(支援者)が金を出した時に作っているらしく、かなり内容が重複しているように思われる。2年生と4年生が主体で、短大と4年制大学の資格を出しているが、その認定制制度にもかなり差がありそうだ。日本の戦後の復興は、中学卒の金の卵と呼ばれた人々が労働者としての中核を担い、高卒が中堅リーダーを担当していた。多くの地方の金融機関の支店長さんは、ほとんど高校卒であった。当時高校へは、17%ぐらいが進学し、大学へは7%ぐらいであったから(昭和34年ごろ)、現在のカンボジアに似ている。

 カンボジアの場合には、中学校卒でも、高等学校卒でも、大学の先生に至るまで、小学校低学年の基礎教育が崩れており、基礎が無いためにほとんど役に立たない記憶に頼ることが多い。レストランなどを経営している高校卒業者でも、材料費、経費、人件費など計算できる人は少なく、どんぶり勘定でするから、収益が上がっているのかどうか不明のまま倒産する例が後を絶たない。出来てはなくなり、また新しい店ができる繰り返しである。カンボジアの高等学校卒業者が、まともな労働者として働く技術が身に着くのはいつのことかと、時々考えてしまう。それでも、その時に出来るところから、出来るところまでしなければ、進歩はない。
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