プノンペンのネズミ事情

プノンペンのネズミ事情 4

写真 4 
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プノンペンのネズミ事情

プノンペンのネズミ事情 3

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プノンペンのネズミ事情

プノンペンのネズミ事情


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プノンペンのネズミ事情

プノンペンのネズミ事情   2012.5.30.  金森正臣

プノンペンには、結構ネズミが多い。皆さんも、車に轢かれてセンベイ状態になっているネズミを見られた方も多いと思われる。多くの人から、ネズミの駆除法を聞かれることもある。プノンペンの街中でも、数種類のネズミが生息しており、皆さんが道で見かけるネズミセンベイとは異なった種類が3~4種ほどいる。その中には、森林にしか住まないタイプのネズミがおり、プノンペンも以前には森林に覆われていたことを物語っている。写真1は、以前に我が家で捕獲されたネズミであるが、体長(鼻の先から尾の付け根まで)と尾の比率から明らかに森林生活者である。樹上のネズミは、尾が長く樹上で暮らすのにバランスを取りやすくなっている。このネズミは、日本のドブネズミの半分ぐらいの体重であるが、尾の付け根に立派な睾丸があり、既に大人である。
以前に朝の散歩の折に、フンセン公園で小さなネズミを見かかた。木の根元に置かれた果物をかじっていたが、私が近づくと急いで木の上に掛け上がった。30gぐらいであったが尾が長く、樹上に逃れるところからしても樹上生活者であった。これらのことからも、プノンペンは以前には森林であったことが明らかである。森林性のネズミは、果実を好む者が多く、落ちているマンゴー、アーモンドの種などをよく食べている(写真2、ネズミにかじられたマンゴー。食べた後に門歯の歯形が残っているので、ネズミであることが判明する)。
これ等とは異なり、道路でセンベイになっているネズミは、日本の都会にいるドブネズミである。体重は200g程度あり、体長よりも尾が短く、耳も小さい(写真3)。夜間にウロウロと路上に出て、車のライトに目がくらみ轢き殺されることが多い。夜行性の動物は、目が大きく瞳孔が広いために、一度明るいライトに照らされると、光の当たる世界以外が見えなくなり、立ちすくんでしまう。以前に日本の林道で、夜間に飛び出したウサギが車のライトから逃れられずに、当分道案内をしてくれたことがある。このドブネズミの仲間は、暑いところでは土中に穴を掘って巣を作ることがある。土中は地上ほど温度が上がらない。写真4は、フンセン公園の植木の根元に掘られた、ドブネズミのものと思われる穴である。以前に大阪の天王寺公園でも、ドブネズミの土中の巣を調べたことがあり、同じ様なものと思われる。

ネズミは、古くから世界中に分散しており、多くの種類に分化している。東南アジアもご多分に漏れず、かなりの種類が分化している。友人が以前に東南アジやのネズミを研究していた。日本には2種類しかいないラットの仲間が、7種類も分化しており苦労していた。中にはほとんど樹上で生活しており、地上には降りて来ないために、トラップに入らず、拳銃に散弾を詰めて、樹上の動いた葉をめがけて撃ち落としたと言う。
ネズミは、私の初期の研究対象で、20年ぐらいは付きあっていた。研究していたのは、日本の野生のネズミで、多くの方々はほとんど見たことのない種類である。いずれも6~50グラム程度で、家庭にいるものとは違って可愛らしい動物である。50グラムと言えば、カンボジアのアヒルの卵程度で、日本のニワトリの卵より2割程度小さい。長野県の菅平や志賀高原、北海道などがフィールドだった。森林にいるものと草原にいるものは、明らかに異なる特徴を持っている。

エジプトで1981年に、ネズミの調査をしたことがあり、森など全くない砂漠の中の集落に、樹上生活のネズミが3種類もいて驚いたことがある。動物の種としての特徴は、変化するには長い時間がかかり、人間が環境を変えて以来の8000年程度ではほとんど変わっていない。オアシスの様な集落にいたネズミは、家の天井に住んでいたり、オレンジ畑の樹上にいたりであった。エジプトの農家は、日干しレンガ(泥を水で練って箱に入れて成形し、日に干す)で作られており、天井はない。しかし、家によってはヤシの木を乗せ、トウモロコシの茎などを乗せて天井の様にしている。このトウモロコシの茎の中に住んでいるネズミがおり、長い尻尾をだらりと垂らしている。大きなピンセットで尾を掴まえ、簡単に捕獲できた。
ナイル川流域は、約1万年以前には森林であったと言われている。その後8000年前ごろから、焼き畑が行われるようになり、森林で作られた土壌は、5000年ぐらいで使い果たされて、砂漠化して行ったと考えられている。焼き畑の恒常化は、南極などの氷に封じ込まれた空気の泡の中に、煤や炭酸ガスが多くなることから、焼き畑の始まった時期の推測がなされている。その焼畑以前に住んでいた森林生活のネズミが、現在まで生き残っていることに対して、感銘した覚えがある。同時に、丁度サダト大統領(1918-1981)が暗殺された日に、カイロに戻り、一晩中照明弾とヘリコプターの音に不安な夜を過ごしたことが鮮明である。翌朝には、新聞報道もあり、安心してルクソールやアスワンハイダムを観光に出かけた。

 東南アジやでは、食用にされるネズミがおり、大型のバンデコーダやタケネズミが有名である。タケネズミの仲間は、多くの世界で食用にされており、美味しいネズミである。アフリカでも7-8㎏になるタケネズミの仲間がおり、乾季にはそれ専用の猟法がある。集落総出で狩りをするところもある。バンデコーダは、東南アジアの水田に生息するネズミで、採集のための罠がいろいろ分化している。お客さんが来る時には、前もって罠を仕掛けるという記述もある。ネズミと言うと偏見を持たれるが、野外にいるネズミは、家庭にいるネズミと異なり、菌も少なく、草食であるからシカやイノシシと変わらない動物である。


 この文章は、カンボジアの日本人会の雑誌のために書いたものである。もう発行されたから、転載しても良いと思われる。写真は、後程写真だけを載せる。
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太陽の光

太陽の光  2012.5.14.  金森正臣

 カンボジアは、祝日が多く、5月13日日曜日から16日まで連休。13-15が前の王様の誕生日で連休。前シアヌーク国王は、いまだに国民に人気があり誕生日は休日。16日は、13日の日曜日の振り替え休日。このような祝日が年間24日ぐらいあり、多いと思っていたが、日本とあまり変わらない。日本は、15日ぐらいであるが、官庁は、年末年始で6-7日程度は休みになり振替休日もあるから年間22-23日ぐらいは休みがある計算。確かにあまり変わらない。カンボジアは、正月の休みの3-4日は祝日に入っている。

 ともかく、連休があってちょっと一休み。やっとブログを書く状態になった。先日労働者の訓練で、レンズと光の勉強のために、太陽光をレンズで集める実験をした。皆教科書では習っているが、実際にレンズを使うのは、初めての人が多い。まず光を、レンズで集めて焦点を結ぶのに一苦労。それでも、黒い紙なら1-2秒で煙が出るので大喜び。いろいろな色について、試してみて、白はなかなか燃えないことに感心しきり。文房具屋さんで売っているレンズは、安くて質が悪く、光を集めるのにも影ができたりする。それでもここは熱帯、紙を焼くぐらいは何の問題もない。

 他の時間にも太陽光を、鏡で反射して遊んでみた。鏡を数枚つかって光を集めると、手に当ててみると熱くなるのを実感。太陽の光には、熱があることを実感した。普段日向では熱いことは知っていて、直ぐ日陰に入るが、太陽光が熱を持っていることには理解が及んでいない。

 さらに太陽の光の熱を理解するために、日向と日蔭の温度差を測った。温度計の球の部分を、白い紙と黒い紙で覆い、日向と日蔭で温度を測定。日向では白と黒で数度の温度差が出て、測定は成功。でもこの実験は、ちょっと失敗。黒い紙による日向と日蔭だけにすれば良かった。白黒と日向と日蔭と言う2項目が入っていて、複雑で理解できない学生が、3割程度。時間がないのでついあれこれ盛り込んでしまうが、理論的思考に慣れていないカンボジアの人たちには、注意しなければと反省しきり。

 問題はこのような実験は、お天気次第。雨期に入って曇ることも多く、特に先生候補にする午後の授業が難しかった。最近雨期で、午後に雨が降ることが多い。でも何とか、理解頂けたようで、メデタシメデタシ。

 
 昨日十分に調べずに投稿しました。記事に誤りがあります。休日のところで、5月13-15日が、前国王の誕生日としたのは誤りで、新国王シアモニ国王の誕生日でした。父王の誕生日は、10月31日でした。祝日になっています。失礼しました。因みに、10月は29日が、シハモニ国王の即位日で祝日(日曜日)、土曜日(27日)から多くの国民は、自発的に4連休になったしまう。
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カンボジア人の絵

カンボジア人の絵  2012.5.7.  金森正臣

 労働者の訓練の中で、絵を描かせることがあった。最初は色の特徴を知ってもらうために、絵の具によって色の混合の授業をした。すごく嬉しそうであり楽しそうなので、聞いて見たら誰も絵を書いたことがなく、初めての経験であるという。その後しばらく色々な授業をした後に、ブンブンゴマを作り、クレパスを使って色の混合をした。

 色々な色を使えるようになってから、絵を描いてもらうことにした。自分のイメージの風景を描くことにしたら、皆同じような山と空の絵になった。驚いたことに、17人中11人の絵に太陽が描かれていた。

 太陽を絵に描くのは、横山大観やゴッホぐらいと思っていたので、カンボジア人は大画家なのかもしれない。小学校の低学年では、時々太陽の絵があったような気がするが。年齢をしていても、絵の描き初めには、強烈な印象の太陽が出てくるのであろうか。

どなたかそのような事例研究をご存知ですか。
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