いじめ問題 4 如何に生きるか

いじめ問題 4 如何に生きるか  2013.8.28.  金森正臣

 大学の教官になって、もう50年が過ぎた。高等学校・大学時代は先生だけには絶対にならないと思っていた。それは父親の姿を見ていたこともあったが(私が小学校に上がる前の年まで小学校の先生をしていた)、同じことを何回も児童に教える仕事が、私に合っていると思わなかったからである。そこには先生の仕事についての誤解もあったし、無理解もあった。また、ヒトを相手にする仕事も、好きではなかった。

 学校における先生は、大学を卒業してすぐ一人前として扱われる、なかなか難しい職場である。現在学校が様々な問題を抱えているからという意味ではなく、お山の大将になりやすいからである。様々な研修などが組まれているが、クラスの担任を持つと、自分のお城になり易い。自分が中心で動かしている環境で、自分を顧みながら進むのは、かなりの難事である。結果として、自分自身を鍛えることに意思が働かないままに、時間が過ぎて行ってしまう。
 また、毎日の仕事が多く、授業の準備も十分にできないまま、時間が過ぎて行く。その結果、授業の準備を熱心にすることやその他の仕事をこなすことで、充実感を味わってしまい、自己の内面の成長にまで意識が回らない。
 先生達には様々な研修機会があるとは言え、同じ世界の人間同士の年長者が講師になることが多く、異なる世界の価値観を広く理解するには至らない。自分の人生を振り返って見ても、全く異なる世界に入った時にそれまでの価値観が通用しない場面に出会う。そのことによって、自分の人生の価値観を見直さなければならなくなり、別な世界に足を踏み入れる。先生の世界は、その機会が少ない仕事場と思われる。
 学校の先生は、教育公務員として保護されており、大きな失敗がない限り、失職することは無い。そのことを意識するかどうかは別にして、守りに入り易い。守りに入ると、自分自身を鍛えることには遠くなる。

 人生を簡単に要約すると、生まれて来て、生きて、死ぬのである。この普遍的事実から出発して、物事を考える必要がある。何時も変わりやすい他人の評価などから、自分の人生を考えていたら、真の事実にはたどり着けない。しかし、先生の職場は、人からの評価に晒されやすい職場でもある。クラスの保護者からの場合もあるし、同僚からの場合もあるし、教育委員会からの場合もある。クラスにいる時は、一国一城の主であるが、教員組織の中で働いていると、孤立してしまうのも苦しい。カンボジアで見ていると現職で教育支援に来る先生の中に、明らかに学校に不適応で一時避難場所として来ている方もいる。もちろん多くの現職の先生は、自分の見聞を広めるために来ており、人生の上で、またその後の教育の上で大いに有効であろうと思うことも多い。
 この様な先生たちの世界に振り回されて、自分の進むべき道が変化すると、人生にも教育にも当然大きな影響が出る。子どもたちもモデルにならない先生はきちんと見抜いており、先生自身が苦しむことになる。派手なパホーマンスを披露して、子どもたちの人気を取ろうとしても、ほとんど無視されることになる。その結果先生自身が不登校になり、結果的に続けられなくなった方も、かなり多く知っている。やはり子どもたちには、先生自身が自信を持てる人生を示してこそ、教えることが伝わるようになる。教育と言うのは、自分作りの仕事だと私は思っている。

 何の仕事をしていても同じだと思うが、どの様な人生をするかは、個人の責任の問題出ると思われる。およそ700年前の一遍智真上人の言葉にも有る様に「一人生まれて一人死す・・・」のである。誰の責任でもない、自分自身だ。
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帰国 

帰国  2013.8.18.  金森正臣

 皆様
ご無沙汰いたしました。1999年2月から関わってきましたカンボジアの教育支援を終了し、8月7日の朝に中部空港に帰国いたしました。今後は、公益財団法人CIESFの理事として、国内において非常勤で支援することになりました。

帰国時の機内で風邪を引き、おまけに日本の暑さに参り、しばらく休んでいました。ようやく体調も良くなりつつあり、活動を再開しました。このブログについても今後どの様にするか、まだ何も決めておりませんが、とりあえず帰国の報告です。

最初に調査に出たのが、1980年11月に韓国の非武装地帯のすぐ南側でのネズミ調査でした。以来、各地で調査してきました。しかし自分の調査・研究とは異なり、999年2月からは、カンボジアで教育の支援を行ってきました。

今回、無事帰国し、今後はゆっくりと休みながら、老後を楽しみたいと思っています。多くのご支援を頂いた卒業生の皆様・関係の皆様に感謝いたします。
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