日本の子どもたちの問題 2 人間関係ができていない

日本の子どもたちの問題 2 人間関係ができていない

 

現在の子どもたちは、人間関係を作る場所がなくなっている。

最初の出だしは、母親の授乳時期にある。正高信男が1993年に出した「0歳児がことばを獲得するとき」によると、母親とのやり取りは生後8週間ぐらいには出来上がる。この時の人間関係が、子どもにとっての最初の人との関係である。ここで上手に人との関係ができると、以降もそれが自然に発達すると考えられる。ここでの関係がつまずくと、以降の関係を構築するのに苦労すると思われる。正高の調査によると、この調査時に既に、親が授乳時に、授乳以外のことに気を取られて(例えばその後の仕事やテレビなど)いて正常な関係が出てこない例が知られている。現在は、スマホなどもさらに発達して、この時期よりも授乳時の親子の関係は、悪くなっているであろう。さらに今から30年ぐらい前の調査時の子どもが親になっているのであろう。その中には既に、親子関係がうまくできていない親も含まれている。

正高信男は、最近データー捏造で話題になっている。詳しくは知らないが、彼が脳梗塞か何かをしてから問題を起こしたのであると思われる。新生児と母親のやり取りに関する初期の研究に関しては信頼がおける。

 

子どもたちは、親から離れるようになっても自由はほとんどなく、子ども同士で遊ぶことは少ない。まだ十分に意思も伝えられないほど小さい時代に、人間関係の基礎が出来上がる。

 

さらに小学校時代も重要であるが、ここでも自由はほとんどないし、誤った教育観も蔓延している。ある小学校の4年生の授業を見学した後に、校長先生と話したときに驚いたことがあった。体育の授業中のゲームで、班の中で喧嘩が起きたことがある。担任は止めなかったが、校長は普段の学級経営がなっていないから喧嘩が起きると断じていた。この校長は、子どもがどのように成長するか理解できていない。子どもは喧嘩をして初めて仲直りの方法を手に入れる。生きて行く上で、仲直りは重要な手段である。現在の子どもたちはこの方法がないから、自分の意見も十分に相手に伝えられない。意見が違っても、仲直りの方法があれば自分の意見が言える。

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知多半島でエヒノコックス症が発見された?

知多半島でエヒノコックス症が発見された?

 

昨日、インターネットを見ていたら、愛知県の知多半島でエヒノコックス症が見つかったという。既に定着していると判断されるという。

エヒノコックス症は、北海道の特有な感染症で、主にネズミとキタキツネの間で広がっているとされていた。礼文島では特に多いとされ、生水や野草を食べないように注意された。

 

私が愛知県に来た40年ぐらい前には、キツネがほとんどおらず。絶滅状態であった。これはフラトールによるネズミ駆除によって、キツネが著しく減少したためであった。その後10年ほどして各地で見かけるようになり、知多半島でも穴があると言って見に行った覚えがある。

 

エヒノコックスは、感染したネズミを食べたキツネやイヌなどによって、各地に運ばれる。糞や死体から流れ出した卵などが、草食動物や肉食動物を経て、水や野草からヒトに感染する。経口感染と傷などからの感染もある。肝臓などで発育増殖する。

 

知多半島では、生水を飲むような川は無いと思われるが、イヌやネズミの糞などには注意した方が安全である。

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若い方の活躍

若い方の活躍

 

最近テレビや新聞で、昔交流のあった人の活躍が目につく。クマの研究の金沢大の大井さん、サルの研究の京都大の中川さん、椙山大の五百部さんなど。皆愛教大で非常勤をお願いしたメンバーである。

私と同じ年代の文化人類の松原さん、池田さんなどの書が今朝の新聞に載っていた。松原さんの「遊牧の人類史」(岩波書店、3300円)はきっと面白いと思われるので、お勧めである。以前に彼が大阪の民博で助教授をしていたころに、一緒にゼミをしていたことがあり、非常に面白かった。そのころに出したトルコの遊牧民の生活を描いた「遊牧の世界-トルコ系遊牧民ユルックの民族史から」(ユルック:歩く人の意味)も非常に面白かった。世界には謝らない世界が存在することを、初めて理解した。

池田さんは、私が助手の頃の学生で、その後山梨大に努めていた。その頃一度授業に行った覚えがある。甲府は暑いところだった。その後は早稲田大学に移り、構造主義生物学などを提唱していた。今回は、「平等バカ」なる本を、扶桑社新書で出している。私も、最近のジェンダーなどに関している人々が、生物の基本として雄雌の平等はどのように理解しているのかと疑問を持っている。

 

私を振り返ると、最近は仕事をあまりしていない。「一遍上人語録」などを読み進め、そろそろ冥途への準備に専念している感がある。これもなかなか楽しい。

 

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タメーヤ

タメーヤ

 

今朝の新聞にタメーヤが載っていた。ずいぶんローカルな話だが、印象深い思いだった。

タメーヤとは、エジプトの国民食になっているらしい。

 

私が調査に行ったのは、40年ぐらい前で、第4次中東戦争の10年ぐらい後である。中東戦争後に増大したというネズミの調査に行った。これはナイル川の氾濫が無くなったことに関していると思われる。アスワンハイダムができて、洪水はコントロールできたが、その結果ネズミが増え続け、大きな被害を出していた。

 

ギザ県(ギザのピラミットのある県)の県庁に挨拶に行った時に、県知事からタメーヤをご馳走になった。今朝の新聞記事では、そら豆を加工したとなっていたが、その当時は大豆の加工品であった。中東戦争で進駐していたアメリカが栄養を考えて、大豆の栽培を奨励したが、食べる習慣のなかったエジプト人に普及は難しく、大豆の加工品として作ったと説明を受けた。大豆をつぶして、固めて揚げたものである。今朝の新聞には、薄いパンに挟んで食べるとなっていたが、多分チャパティーに挟んで食べたのであろう。以前のエジプトは、トウモロコシを主食としていて、引いた粉に小麦粉をつながる程度に混ぜて、チャパティーを焼いていた。トウモロコシは、細かく粉にするとつながるが、当時のエジプトの粉は荒く、そのまま焼くとつながらなくてバラバラになる。農家での食事は、トウモロコシ中心のチャパティーであった。

 

タメーヤは、日本にもあった爆弾(ゆで卵をひき肉でくるんで揚げたもの)に似ていて、ゆで卵を中にくるんだものもあった。レストランで出るようなものではなく、街角の屋台のようなところで良く売っていた。エジプトでは他に、ピジョン(ハト)料理が印象深く残っている。

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