カンボジアの子ども達 1 子どもの成長

カンボジアから   金森正臣(2005.12.15.)

カンボジアの子ども達 子どもの成長1

市場のレストランにて

写真:良く朝食のお粥を食べに行く、市場の食堂。3*3m程度のお店で、お粥だけである。おばあさんと孫達でやっている。子ども達はそれぞれに役割を担っている。

 カンボジアや途上国では、幼い子どもがよく働いている。その能力は、日本の大学生でもなかなか間に合わない程度だ。

 今回は、子ども達の周囲の状況を把握する能力の成長について触れよう。

 良く行く小さな市場に有るレストランは、おばあさんと孫達が働いているらしい。孫達は見かけただけで兄弟姉妹と分かる特徴がある。写真のお兄ちゃんの上にもお姉さんがいて、下に3人の妹と弟がいるようだ。最低でも6人はいる。この食事をしている写真の左側の女の子は多分一番下の妹で、まだ明らかに小学校に入っていない。店に来ていると、この右側の就学年齢ぐらいの男の子と2人で、このレストランの片付けを、一手に引き受けている。写真は、お客さんのいない時を狙って、朝食にお粥を食べているところである。店にいる時には、例え食べていても、少しも油断はしていない。近づいてくる人の様子を、片目で伺いながら、食事をしている。お客さんが来ると直ぐに席を空けて、隣の空いている店の一角に移動する。店のお客さんの食事が済むと、下の女の子は直ぐに空いた丼や皿を片付け、男の子はテーブルを拭いて次のお客さんに具える。例え食事中でも何回もこの動作が繰り返される。この年齢でそれが出来る。

 日本の子ども達の現状はどうであろうか。大学生であっても、ここまで気を配れる学生は少ない。周囲の情報を把握できない。この差は何であろうか。多分訓練による差であろう。日本の子ども達は、周囲の情報を把握して、自分で判断する訓練がなされていない。親や先生から指示されて、それを実行するのがやっとである。即ち、感受する感覚が成長していないのであろう。これは人間としての一部分とは言え、成長が十分ではない、成長遅滞が起こっていることを示している。

 この様な感覚については、目に見えないから、大人になっても感知できない人も多い。親或いは教育者が、感知出来ないと子どもの成長は止まったまま放置される。或いは遅れている様だと感知出来ても、その原因が何によるかが、分析・理解できないと手の施しようがない。

 小さなことの様であるが、実は人生にとって大きな支えの始まりである。この子どもは、明らかに自分の存在感を自分の中に持っている。即ち、自分がこの店の役割を担っていることを認識している。その役割の範囲も、出来ることの範囲もきちんと認識出来ている。

 中学生になる上のお姉さんになると、盛りつけや会計を担当することが出来る。盛りつけは簡単な様であるが、実はなかなか熟練の技である。300食は入っているのであろう大きなお粥の鍋をかき回し、最後まで均一に盛れる様に注意しながら底に溜まりがちな米粒を適量盛る。大きなお玉で、2回ぐらいで1つの丼を盛るが、かなりの注意を払っているのが伺える。惣菜は、干魚の焼いたもの、干し牛肉の焼いたもの、小魚の煮付けがメインで、漬け物の刻んだもの、茹で野菜の千切りなどを付け合わせる。この量や盛りつけ具合もきちんと基準が出来ている。しばしば祖母のいないことがあるが、このお姉さんになるとしっかり代理が出来る。もう立派に店を切り盛りするノウハウを、身につけている。
 前に並べてある丼の数も、伊達ではない。お客さんの好みによって熱さが違うから、いつでも様々な熱さが選べる様に準備されている。時によると冷めた丼は鍋に返されて、盛り直しをする。

 自分に対する自分の存在の認識は、社会(初期には家族であり、次いで遊びや職場へと展開して行く)での役割を通してしか出来上がらない。この点が日本の子ども達に欠ける点である。子どもどころかカンボジアで見る日本人の多くも、自分に対する肯定感が低い人が多い。自分が自分を認められないとどの様なことが起こるか。常に周囲からの評価が気になり、ストレスが高くなる。これは生育過程における、親の養育態度と深く関係している。即ち親が子どもに任せる(信用する)ことが出来ずに、あれこれ口出しすると(口出しはしないが、自分の意向になるまで、子どもの意志を無視する、親がヒステリックに騒ぎ立てる等様々な状態を観察することがある)子どもは自分の存在意義が分からなくなり、親の意向を気にする様になる。この延長線上に、周囲の評価を気にする人格が存在する。親からは離れても、精神的状態は同じで、自己の肯定について何時も周囲の評価に依存する状態は変わらない。子どもが成長してからの暴力や親殺し、自殺などがしばしば起こっているが、原因はこの問題の延長線上にある。
 周囲の状況を正確にしっかりと把握するには、精神的に安定の状況が必要である。精神的に不安定であると、周囲の状況は精神の状況に左右されて、正確に把握出来ない。注意がそれてしまう。また精神の状況によって、極端に歪曲されて認識されることもしばしばである。精神的の安定の基本が、自分の存在の肯定である。

 この様に見てくると、如何に日本の子ども達の状況が大変であるか理解頂けるであろう。今の日本の子ども達には、自由を得て自己の判断で働く場所が存在しない。この人生の基礎になる問題は、生涯抱えて生きて行かなくてはならない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )