カンボジアの家庭料理

カンボジアの家庭料理                 2007.11.30. 金森正臣

 市場の惣菜の話を書いたが、カンボジアにも家庭料理が無いわけではない。地方に出かけると、良く家庭料理に招待される。この夜も、ある家庭に招待され夕食を頂いた。市場で出来合いの総菜がたくさん売れる一方、家庭ではなかなか、手の込んだご馳走が出される。この家庭の主婦は、近所でも評判の料理上手だと言う。庭の一角には、広い調理用のハウスがある。      

 かなり裕福な家庭らしく、プノンペンから4時間も離れた場所であるにもかかわらず、車を持っていたり、電気の鍋を持っていたりする。地方の州都で、電気は夜には使えるようだ。中央に置かれた鍋がそれ。だし汁に、魚のすり身のボール(日本のイワシの摘み入れに近い。但し淡水魚を使っている)、牛肉やトリ、野菜(下ごしらえされたイモや生の菜っ葉類)、などかなり日本の鍋に近い。ただし付けて食べるタレは、手前に見える茶碗に入れられた赤みのある唐辛子入り甘ダレ。ポン酢で食べれば、日本の鍋と変わらない。具はどんどん追加されるので、終わりが無い。 

 鍋の奥の右手に女性が差し出しているのは、トリの丸焼きのぶつ切り。カンボジアでは、ちょっとしたハレのご馳走で、市場でも丸焼きが売られている。家庭で丸焼きの調理をする場合は少なく、スープや空揚げにする。しかしこの家庭では、庭に丸焼き用のコンロがあり、家で焼いたものと思われる。手前のガラスの皿には、エビのテンプラとニンジンやキュウリ、レタスなど生野菜。ご飯も美味しく、大贅沢。

 家庭に招かれると、接待も心が行き届いていて感激しきり。良く知っている友人も同じで、色々気を配ってくれる。今回怪我をしてからは、特に心配りを感じる。しかし一般的には、他人のことにはあまり関心を持たないし、社会に対しても気配りは無い。だから交通ルールも無茶苦茶になるし、トイレの使い方なども無茶苦茶。学校にはトイレがあっても、鍵がかかっていることが多く使えない。この個人と公共の気配りの落差のギャップにチョット戸惑う。
   
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

カンボジアの元気な子ども達 

カンボジアの元気な子ども達           2007.11.22.金森正臣

 写真は、小学校の中学年(10歳以下)と思われる子ども達が、お昼を食べているところ。どう見ても丼飯の量。親子丼より多いと思われるが、皆5分ほどで食べて出て行った。ご飯に僅かなおかずをのせただけ。この食欲が元気の元。日本の子ども達にも、このくらいの元気さが欲しい。中学生ともなると、ご飯の量を多くしてもらい、おかずが足りなくなるので醤油をかけて食べている。

 足を怪我してから昼食に遠出が出来ない時には、学内に有る食堂で食べる。この食堂は、前の学長が勝手に構内に簡単な建物を作って、食堂として貸し出した。学内の運営費が足りないから、許可がなくしても、文部省は文句も言えない。それどころか、学内に小学校があり子ども達で賑っているが付属ではない。内戦のドサクサに、付近の住民が勝手に小学校を建ててしまった。終結しても、立ち退きもしない。大学も文句の言い様が無い。おおらかで良いと思うが、日本では考えられないルール。こう言ったルールに馴染めないと、カンボジア暮らしは出来ない。仕事をするとなると、馴染めなくて帰って行く日本人も多い。

 子ども達の元気の源は、遊びにある。カンボジアの子ども達は、子ども同士でよく遊ぶ。先生や大人が干渉しないから、夢中になれる。ルールも自分たちで作り出す。遊ぶと運動量が増えるから、腹もへるし、消化も良くなる。動物は、どんなものでも運動と消化は連動している。爬虫類の様に食べて運動しないものは時間がかかる。恒温動物では、消費エネルギー量が多いから、運動によって消化が助けられるようになっている。ウマなどは、骨折などして動けなくなると、腸の運動が足りなくなりガスが溜まって死に至る。子ども達も運動することによって、消化が助けられている。日本の子ども達の食の細いのは運動不足によるところが大きい。お母さんが、料理を色々工夫して、食べさせようとする努力は賞賛するが、本末は転倒。私の学生は、「食べたエネルギーの量しか働けないよ」と良く言われて戸惑っていた。 思い出せる人も有るだろう。30年前の学生は、良く食べる人が多かったが、次第に食が細くなって来ている。最近は、飯盒一本(4合の米:メし茶碗10 杯分ぐらい)で足りなかったり、大きなニワトリの丸焼き一羽で足りなかったりする学生は、居なくなって来た。子どもの時の食の細さは、結構大人まで持ち越されるし、それが日本人の若者の活力に影響しているように思われる。

 食べてからの消化が良くないと、胃や腸の食物滞在時間が長く、気分的にスッキリしない。考えがまとまらず、ウジウジと考える時間が長くなる。この様な現象が続くと、精神的に不安定になり、イライラやニートなどの現象と結びついてくる。やはり日本の子ども達の生活は、異常が起こり始めていると思わざるを得ない。危惧だろうか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

大せんべい

大せんべい                    2007.11.26. 金森正臣

 先日、昼食に出かけた教官が、帰りに大せんべいを買ってきて分けてくれた。材料は米の粉だと言うが、見た目は全く日本のせんべいと同じだ。でも持って見ると意外に軽い。何だか何時もの様な気がして、半分食べてからここはカンボジアだと気が付いて写真を撮った。幾つになっても、何時も食い気が先行する。なかなか直らない。

 見た目は醤油せんべいの様だが、味は塩味。適度な焦げ目で醤油せんべいに見える。味は、カキモチの塩味に近いが、あっさりとしていて軽い。歯ざわりはサクサクしていて、せんべいのバリバリ感からは遠く、頼りない。これは米の粉から作ると言うから、粘りも中の粒状態も異なるのだろう。でも何だか日本のせんべい感覚で食べられる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

カンボジアの技術 5 箕を編む

カンボジアの技術 5 箕を編む          2007.11.25. 金森正臣

 農家のおじさんが、納屋の中で箕を編んでいた。材料は山から切り出してきた竹を割り、細くして一度枯らしてから、湿らせて使って居る。日本に有る技術とあまり変わらない。

 日本でも、戦前には多くの人が作れたと思われるが、私の記憶にある戦後は、かなり少数の人が作っていた。母方の祖父は、器用な人で裏の竹林から竹を切り出し、細く裂いて籠や箕を編んで人様にもあげていた。そのために、私も見様見真似で竹を割ることは出来るが、箕を編んだ覚えは無い。竹を割るにはなかなかな技術が必要で、思う様に均一にはならない。大きく割る時はともかく、写真の様に細く割ってくると均一にするのに技術が居る。

 小学校の高学年の頃、村に一軒ある桶屋さんが、近くに出張して来て、風呂桶を作っていたことが有り、何日も見ていた覚えがある。風呂桶のタガは、全く違う技術があり、驚いた。割った竹を何本も組み合わせるために独特の技術が必要であったのだろう。隣の炭焼き名人のお爺さんは、無口な人でほとんど話さなかった。山にあるクマヤナギを使って、炭焼きに使う箕を編んでいた。これは目の粗いもので、窯から出した炭に灰の湿らせたものをかけて、火を消した後に、炭と灰を篩い分けるためのもので、粗さが理にかなっていた。

 現在は、この様な技術が消失し、プラスチックに置き換わっている。地球温暖化に関係するエネルギーの使い方から言っても、もう一度昔の技術を見直す必要があるであろう。利益を追求するスピードを考えるあまり、スローライフを失った時、人間性も失う様な気がする。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

市場の惣菜売り 連発9 

市場の惣菜売り 連発9               2007.11.25.金森正臣

 こちらも鍋の中は、スープや総菜。スープもナイロン袋に入れて、お持ち帰りがカンボジア流。前にあるボールに入っているのは、右端がビーフンともやしの炒め物。次は古漬けのタカナの類を刻んで、トウガラシが混ぜてある。3番目のボールは、漬物。鍋の中は何だか不明。魚の切り身とスイレンの花軸の入ったスープやココナッツミルク入りのトリのカレーなど。

 食べる時に温めるかと言うと、そんな風習は無い。ご飯も汁物も熱々なのが出されることは少ない。レストランでは、ココナッツカレーなどは作り立てで熱いこともあるが、ご飯などは結構人肌ぐらいに冷めている。暑い気候と対応しているのだろう。

 この市場では見かけなかったが、多くの場所でご飯も売っている。1斗(18リットル:古いナー)は炊けるアルミの平鍋で、多量に炊く。これで中ぐらいのお皿(シャモジ代わり)を使って、ナイロン袋に入れて売る。量は適当で秤は無い。値段は買い手との交渉。

 カンボジアでは、町場に居ると買い回ると食事が家で出来る仕組みになって居る。レストランより安く、好きな組み合わせで食べられて良い。

以上に、お腹を壊した時のカニを入れて、市場の惣菜売り、連発は10で終わり
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

市場の惣菜売り 連発8 

市場の惣菜売り 連発8               2007.11.22.金森正臣

 こちらは肉類。右手に見えているのは、豚肉。黒ゴマの様に見えるのは、ハエ。これは調理して食べるから問題はないか。

 以前にエジプトで見た屋台の店では、黒い塊が有って何だか分らなかった。しばらく見ていると買い手が来て、主人が戸板を叩くとハエが舞い上がり、それがデーツ(ナツメヤシ:干してあった)であることが分かった。買った人は、すぐその場で食べ始め、見ていた私にも一つ勧めてくれた。貰ったけれど、その場では食べなかった。デーツは、生だとやや渋味があるが、干すと強烈に甘くなる。その糖分にハエが集まっていたのだ。乾いて温度の高い砂漠地帯でこれを食べると、のどが渇いて閉口する。汗をかいた体(ほとんど湿らない)には、美味しい糖分なのだが。

 だいたい日本人は、神経質でハエなどを気にし過ぎると思われる。周辺で赤痢やコレラなどが起こっている場合には、加熱しない場合には注意がいるだろう。また長期保存する場合には、問題が起こるであろう。しかしながら、あまり神経質になると、自分自身の抗体の生産性が落ちたり、ストレス性のアトピーをお起こしたりする。食品が不衛生であって良いとは思わないが、過剰反応はあまり良くない。日本でも200年前までは、それであまり問題なく生き残って来たのだから。カンボジア人も結構神経質な面が有り、レストランで出された食器をティッシュで拭いたり、ジュースやお茶、水をストローで飲んだりする。どれほど菌が除去されるかは疑問。一種のファッションになっている。レストランで使うティッシュの量は半端ではない。

 お客さんの脚の間に見えるのは、内蔵の加工品。単に茹でてある程度だが、処理が上手なので、臭みは少ない(上手に処理されていない物にも出会うことがある)。古くから中国の肉食の文化が入ってきているからであろう。脚の右手に見える緑色の容器の中も、ブタの内臓の加工品。右手奥の緑色のお盆の上はソーセージ。そのまま焼いて食べたり、チャーハンに入れたりする。かなり甘くてびっくり。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

市場の惣菜売り 連発7               2007.11.20.金森正臣

市場の惣菜売り 連発7               2007.11.20.金森正臣

 こちらも同じような魚の干物屋さん。しかし扱っているものは単純で、ライギョの細く身を切って干したもの主体。開き方に特徴が有り、尻尾の部分はつなげてある。一匹分が分かる仕組み。三枚に下ろすようにしてあり、骨は抜き、両側の肉の厚い部分を、2-3枚に切り分けて、棒状にする。乾きの程度が良くなり味が良くなっている。アフリカでは、野生の動物を捕獲した場合に、塊の肉を見事に、紐状に切り伸ばしてから、塩を振り干す。火であぶりながら長い時間をかけると、タンパク質が分解して味が良くなる。同じような原理を使っている。彼らは、タンパク質が分解すると、イノシンサンが多くなることなど理解していないだろうが、経験則はすごい。先進国で、牛を殺してから10日間ぐらい貯蔵してから出荷するのと同じ原理を、はるか太古からしてきた人類の知恵は、原理は知らなくても何ら問題のないこともあることを示している。

 右端の板状のものは、牛肉の乾燥品。薄く板状にして干してある。焼くとかなり硬いが、薄くしたあることや、たたいたりすることで柔らかくなる。かなり塩味が効いていて、カンボジア人は、スイカと一緒に食べるのが普通と思っている。確かに角切りのスイカとよく合うが、ご飯と一緒に出されるとちょっと食べ方に躊躇する。ご飯とスイカは、別の時点で食べたい気分。でも食べてみると結構うまい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

市場の惣菜売り 連発6

市場の惣菜売り 連発6               2007.11.16.金森正臣

 こちらは、干した魚を売っている。これは買って帰っても、家庭で調理が必要。調理済みの惣菜と組み合わせて使う家も多いが、調理済みだけで済ます家庭もある。日本でも最近は、コンビニ弁当で済ます遠足の子どももいると言う。もっと進んでいるのかもしれない。最も、熱帯では普段時間のかかる調理法はあまりしない。お客さんが来ると、じっくり時間をかけるが、いつもは簡単。

 前の板に乗っている左端の切り身と次の細長くして干してある身は、ライギョの仲間か?塩がしてあり、焙ったりから揚げしたり。やや硬いので、火を通してからたたくとみが解れる。酒の肴、お粥に合う。中央の細長い魚は、口も細く日本では見かけない淡水魚。味は良く、塩干したものをから揚げする。その奥の白いのは、ナマズの塩干。かなり脂が乗っていて、スープなどで食べたことがある。ある日本人は、油が臭くてだめだと言った。右手前もナマズの仲間に近いが、あまり油は無い白身の魚。焼いて食べる。その奥の秤の隣の開きは、ライギョの仲間。焼いてサラダなどに入れる場合もある。奥の籠に入ったシャモジ付きの小魚は、何だか不明。塩干してある。敷物に蓮の葉を使っている。カンボジアでは、市場で物を包むのに良くハスの葉が使われる。さすが熱帯。何時でもハスの葉も花もある。花や葉を集める商売も成り立っている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

市場の惣菜売り 連発5 

市場の惣菜売り 連発5               2007.11.14.金森正臣

 カンボジア名物、殻付卵の串焼き。魚を焼く時には串で挟むのに、卵の時には串を刺してある。お馴染み鉄製の長コンロの上で、卵の串焼きを焼いている。焼く前に卵はゆでてある。どの段階で串をさすのか不明だが、多少中身があふれ出しているから、生の時に串を刺すのだろう。時によっては味が付いている。プノンペンでは、バイクに付けたリヤカーでコンロを乗せて売り歩く。焼き芋の様に同じメロデーが有り、

 卵の手前で焼いているのは、トリの手羽先。カンボジアでは足の先まで食べる。これでは親子丼ならぬ、親子焼き。サービスで鳥の足を一皿出されたことがあったが、美味しいが食べにくかった。やはり食べ慣れていないから、技が無い。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

市場の惣菜売り 連発4

市場の惣菜売り 連発4               2007.11.14.金森正臣

 こちらは、焼きながら販売。右手前の鉄で作った長コンロに炭を入れ、その上で魚も肉も、鳥も焼く。すべて竹で作った串で挟んである。コンロの右側は、鶏肉、左側には味付けしていない豚肉が見える。手前に見える、焼き上がったライギョも焼き鳥もこのコンロで焼いていた物。

 奥に揚げ物の鍋もあって、魚の輪切りをあげていた。手前のお盆の上に、揚げた物が乗っておる。お盆の上の奥に、串で挟んだ干した魚が有る。シシャモよりやや大きい。生乾きのこの魚は、なかなか美味いが、骨は硬くかなり頑固。お盆の手前にあるのは、塩漬けの干し魚で、揚げてある。日本の塩ジャケに似ている。白粥や酒の肴にはもってこい。お盆の左隅に載っている赤いものは、中華式ソーセージ。かなり甘味があって、ちょっと戸惑う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ