認知症は日替わり

認知症は日替わり

 

人生も80歳も過ぎると、何らかの認知機能の衰えが始まる。特に私は、心臓を悪くしてから、体調の変化による認知機能の変化が大きい。年を取るとただでさえ血の巡りは悪くなり、いろいろのところに変化が出る。心臓の調子も体調に左右されるから、血の巡りにも変化が起き、当然脳の機能にも変化が起きる。

 

少し風邪などになると、当然体の中で格闘が起きるので、熱も出るし、脳への血の巡りは少なくなる。食事の後も、しばらく休まないと、体がついて行かない。ただ注意していると、様々な変化から状態は把握でき、認知症も楽しむことができる。

 

朝の散歩などで、草や鳥の名前が思い出せず、状態が悪いかと思っていると、しばらくして突然思い出し、楽しくなることもある。またいろいろな思考も、その時の状態でかなり変わる。これがなかなか楽しめる。普段から体調や思考過程をよく注意していると、状態の把握が正確になる。悪いときにはしばらく待って、状態が回復してから考え直してみる。

このようなことは若いときにはなかったことで、年を取っての楽しみでもある。

またむやみに一つの考えで走ることがなくなり、人生が楽しめる。

 

やがて認知機能がもっと衰えるとどのようになるかは想像できるが、なかなか楽しめるうちは楽しみたい。

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オリンピックのごたごた

オリンピックのごたごた

 

最近になっても、政府はオリンピックを決行したいようだ。

いろいろ考えていると、国民の意向など考えずに、オリンピックを決行したいようだ。なぜこんなことになっているのだろう。

 

4月の中頃に(4月15日)、機心という記事を書いた。鈴木大拙師の本を読んでいて、ヒトの心の働きだす方向についてのことについてである。最初の一歩を踏み出し間違えると、成長するにしたがってとんでもない方向に行ってしまう。

 

現在の日本人は、人生を踏み出した後に修正したり、見直したりする機会を失っている。教育の中でも、この問題については、ほとんど考慮されていない。政府の要人もほとんどこの誤った道を見直すこともできない人材ばかりだ。

 

効率や利益優先の社会で、人生を見直す機会はほとんどない。地球環境を考えると、今後も右肩上がりに人の活動ができる見通しはない。国際食糧計画も、食料の確保のために昆虫食などを推薦している。

 

各自は各自で、自分の道を探さなければならない。

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子どもの成長と自然

子どもの成長と自然

 

最近子どものことを考える時間が多くなった。それとは別に、子どもと自然の関係について、考える機会もできた。

以前に感じていたことを、少しまとめてみた。とはいえ、順序も組み立てもばらばらで、まとまったとは言えないが。

 

もう40年ぐらい前であろうか。高層ビルの住宅が多くなって、どこかの大学の先生が調査した結果が気になっていた。高層ビルが増えて、3階以下の親に比べて4・5階以上の親は地上に降りることが少なくなるという結果であった。5階以上では、週に2回程度で、ほとんど外に出ていない例もあった。従って子どもも外で遊ばない。

もう60年ぐらい前に、都営村山団地が1964-1966にかけて建設された。先輩が引っ越しをしたので、手伝いに行ったが、7-8階だったと思うが上り下りが大変であった。当時のビル型住宅にはエレベーターがなかった。酔って帰ると間違えて人の家に入るので、家ごとにドアの色が異なっているのが印象深かった。そのころから次第に高層ビル住宅が増え、上記の調査が行われたと記憶している。

これ以前にも東京の新宿区に1949年に建設された戸山ハイツなる鉄筋高層住宅があったが、すべて5階建てで、それ以上の高層はなかった。

 

以前に豊橋の小学校で自然教室をしていたころに実験をしたことがある。小学3年生くらい以下だと、ミミズ、ナメクジ、カエルなどともすぐに遊べる。5年生以上ぐらいになるといろいろ遊べなくなる。性ホルモンは出始め、異性を意識するためと思われる。

ヒトの意欲を高めるには、自然と遊ぶことが大切。これはヒトの進化の過程でプログラムされてきた数百万年の結果であろう。急には変えられない。子どもたちの意欲を高めるためには、自然と遊ぶ始める年齢も時期も重要と思われる。

高層の住宅が増えるにしたがって、都市化をするに従って、子どもたちの意欲は下がって来るように感じられる。4月27日にも書いたように、子どもには自然が必要不可欠であろう。

 

新型コロナで子どもの学習機会が奪われる心配をしている人がいる。確かにそれもあろうが、戦争中、戦後は学習の機会が奪われるなどという発想はなかった。多くが学徒動員されたり、疎開をさせられたりしたが、その中から優秀な人々が出て、多くのノーベル賞などをもらっている。子どもたちに意欲があることが必要であろうと考える見本になっている。戦前、戦後の教育はいい加減であったように思われるが、子どもたちは自由にのびのびと自分の意欲を伸ばせる機会を持っていた。現在の子どもたちは、自由な機会が少ないので、意欲も十分に伸びていないように思われる。子どもの成長に関する視点が不足しているのではなかろうか。

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パイナップル

パイナップル

最近スーパーで台湾のパイナップルを見かけたので買ってきた。中国から輸入を邪魔されて、腹が立つので探していた。

 

長さは20センチぐらい、重さは1.5㎏以上2㎏以下。1㎏以上になると秤がないので、体重計で測っているので、この様な状態になる。最初に日本産の(多分鹿児島だったと思う)ものより少し小さいようだが、甘みは強い。

 

カンボジアのものはもっと小さく、甘いが汁が少ない。レストランの食事の後には必ず果物が出る。スイカの場合が多いが、パイナップルもかなり頻繁に出る。甘味は強いが果汁は少なく、やや乾いている気がする。農家の庭には普通に雑草のごとく生えている。果物を取った後は、上部の葉がついている部分を、土の上に戻しておくと再びパイナップルができる。

使っていた車にはドリアンを載せてはいけないとしていたが、運転手君がどこかに出張したときにドリアンを乗せて帰ってきた。車がしばらくドリアン臭で困ったが、運転手君は、パイナップルを二つに割って車に入れ、消臭剤にしていた。

 

日本で売られているパイナップルは、フィリピン産が多く、台湾産より少し小さい。東アフリカのタンザニアでもよくパイナップルを食べた。首都の付近のものは、フィリピン産と同じくらいでやや小振り。自転車にたくさん積んできて、路上で皮をむいて食べさせている。1個50円ぐらいで、かなり甘い。喉を潤すどころかかえって甘味で喉が渇く。しかし奥地のタンガニーカ湖の岸のキゴマの町のものは大きく、4-5㎏を上回る。甘味も強くおいしかった。5-6人でも一度には食べきれなくて、毎回2度に分けていた。

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