認知症は日替わり・体調も日替わり

認知症は日替わり・体調も日替わり

 

歳をとるといろいろと楽しむことが多くなる。

癌で大腸を13センチも切り、心臓の手術も2回もすると、当然毎日の体調の変化が大きい。それに伴って認知症の状態も変化する。今日はどんなかなと、楽しみも増える。

 

朝散歩をしながら今日の状態を確かめる。忘れていることもあるが、忘れている時は大体状態が悪い。あまり状態のよくないときは、何かすっきりしない。トリの声を聴いても種類が思い出せなかったり、以前の事件を思い出してもそれに関連する人の名前が思い出せなかったりする。とはいっても突然とんでもなく以前のことを、思い出して驚くこともある。

 

朝と午後では状態が異なることも多く、少し休むと体調が改善することもある。従っていつもあまり無理はしないことにしている。これは山岳部時代に身についた、体調の状態チェックによるところも大きい。山にいると下山するまでに時間がかかるから、常に自分で状態を把握していないと危険である。高地では、酸素が少ないので肺炎や盲腸では早く下山しなければならない。熱などがあるとバランスが悪くなるので、岩登りなどは特に注意が必要になる。

 

最近は、ケガで45日ほど散歩ができないでいたが、散歩を復活すると体力の衰えが目立つ。休んでいた期間の倍ぐらいで回復すれば、上々であろうと思っている。歩かないでいると消化の状態も悪く、歩くと腹の調子も回復する。しかし毎日かなり疲れることもありよく、昼寝をする。予備校時代の友達が「朝起きて、夜寝る前に昼寝して、時々起きて転寝をする」とか、「世の中に寝るほど楽は無かりけり、浮世のバカは起きて働く」などと言っていたのを思い出す。東大を7年も落ちて私立に特待生で入り、のちに大手予備校の校長になっていたがどうしているだろうか。

 

いろいろ思い出せるのは、まだ認知症ではないと言う人もいるが、思い出したいときに思い出せないと、やはり認知症のある形ではあろう。

 

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日本の子どもたちの問題 1 意欲

日本の子どもたちの問題 1 意欲

 

新型コロナウイルス問題で、文部科学省の意見は見当違いをしている。学校の教育時間数は問題にしているが、本質から離れている。またいろいろな教育評論家の意見も、子どもの置かれた状況の理解が不足している。

自民党の総裁選が賑やかに行われている。しかしどの候補を見ても、子どもに対するまともな意見は出てこない。

 

現在の日本の子どもの問題は、気力がなく、意欲が低い点である。もちろん全員ではないが、途上国の子どもたちを見ていると、日本の多くの子どもたちの発達過程で、意欲や気力が落ちていることは明らかである。

 

私は、45年ほど前まで山の中で生活していて、突然大阪市の真ん中に移住した。まず目についたのは、子どもの遊ぶ場所がないことである。住宅の並ぶ街中には、小さな公園があるだけで、遊んでいる子どもは少ない。その後愛知県に移って、アフリカの調査に行くようになって途上国の子どもを観察するにつけ、日本の子どもの置かれている立場が異常に見えてきた。

就学前から管理された空間でしか遊び場がなく、自由に遊べることが少ない。子どもは繰り返し自分の好きな遊びを行って、少しずつ遊びが進化してゆく。この中で意欲が次第に高めると考えられる。このことを2001年の愛知教育大学の教育実践総合センターの紀要の4号に書いた。

 

私の子どもの頃は、終戦直後で、十分な教育は行われていなかった。教員の数も足らず、15-6人いた教員の内に、正規の教員は3人ほどで、あとは高卒直後の代用教員であった。また5年生の時には、復員してきた教員が担任で、ほとんど授業を受けた覚えがない。ほとんど時間を付近の野山で駆け回っていた。現在のように時間数など問題にしなかったが、誰も貧しくても人生に困ってはいなかった。

 

今回の自民党の総裁選を見ていても、子どもを中心になどと言ったり、予算をつけることを言ったりしているが、子どもの成長の基本を理解している人はいない。

 

日本は今後も、子どもの成長で問題を持ち続けることであろう。各自気が付いたら自衛するしかない。

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体調の変化

体調の変化

 

私は11年前に、直腸癌になり手術を行った。大腸の最下降部のS字結腸をほとんど取り除いた。人工肛門にならなかったのは、奇跡に近かったようだ。同級生で、人工肛門になった人がいて、やはり大変なようだ。

 

手術は成功し、その後の治療もほとんどなく、普通の生活に戻れたのはお医者さんのおかげである。手術後から異変を感じていたのは、足の裏の感覚。ネコの肉球のような、斑状に神経がある様で、全体がついている感覚がなかった。また、尿と大便の感覚の相違が無くなり、便座に座るまで分からなくなった。また以前から痛めていた右の膝がやや不便なことが多くなった。また下半身の冷えが激しくなり、初でも冷えて眠れないことがある。しかしこれらのことは、人工肛門に比べればはるかに楽で、手術後6月ほどで、ラオスに2週間ほどの踏査に入り、無事に終了した。

 

最近になって心房細動が起こり、2017年に1回目の手術をした。その後脈が飛ぶ現象が起こり、1年後にペースメーカーを入れる手術をした。そのころから心臓の働きが悪くなったのか、下肢の血行が悪くなったようである。膝の調子も落ちたし、夜寝るときに膝から下が冷たく、膝から下に、靴下などが必要になった。熱い夏の時期にも同じで、汗をかきながら下肢は冷たい感覚がある。

 

いろいろあるが、生きているので楽しみも多い。例えば、毎日体調が変わるので、今日はどうかと楽しみになる。若いときには忙しくて、体調の変化などを楽しんでいる時間は無かった。学生時代に山岳部に居り、体調管理にはかなり気を使っていた。3000メートルの高山に居ると、肺炎や盲腸は進行が早く命取りになる。従って自分の体の変化は、常にチェックしていた。この習慣はその後の異国での調査時に役立った。例えばアフリカでは、調査地から街に出るには、2-3日はかかる。調査地は1000メートルを超えており、病気の進行も速い。おまけにマラリヤなどの病気はいろいろあり、常に自分の体調は自己責任。

 

認知症も、自分で兆候を見つけて楽しむこともでき、年をとっても人生は捨てたものではない。

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人生を考える

人生を考える

 

人生も終わりに近づくと、いろいろな側面が見えてくる。いろいろな経験は、無駄なことなど一つもない。全てが自分の人生であり、貴重な経験である。しかし何かに固執していると、その貴重な経験を使うことが出来ないままになる。

また、本質から離れたことに向かっていると、いつまで経っても自分の人生を歩くことが出来ない。例えば、誰にとっても普遍的なことは、生まれて来たこと、そして必ず死ぬこと。この基本的なことを見極めていないと、多分すべて末葉なことになる。

 

そこで何のために生きるのか、という課題が重要になる。しかし、人生は生きること自体に大きな意味があって、その次に様々な課題がある。

 

生物は、自然界の物理的法則に逆らっているから、常に生命の危険にさらされている。即ち、物理の簡単な法則「エントロピーは常に増大する」、に逆らって生きている。これは、状態量の概念で、あらゆるエネルギーは、常に拡散することで説明できる。例えば、薬缶に入れて水を沸かすと温度は上がる。しかし火を止めた時から、水の持っているエネルギーは常に空中に放出されて、もとの状態から変化する。ところが生命体では、取り込んだエネルギーを生命というシステムの中で、恒常性を保ちながら生命を維持する。

お釈迦様が言われた様に、生命は「生老病死」の四苦を持っているのであろう。

 

ヒトは人生において、常に効率を求め、より快適なことを求める。しかしながら、2021.4.15.に書いた「機心」のよう、効率や快適に溺れると、人生を踏み誤る。

 

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言葉

言葉

 

言葉は、心理学者のユングが言うように、同じ経験をしたものでなければ、同じようには理解できない。

言葉は現象や物の一部分を表しているが、全体を表しているわけではない。いかに表現にいろいろの言葉を追加しても、全体は表現できない。

 

このことは意外に認識されていない。そのために各種の誤解が生じる。仏教の修行では、「不隆文字」という概念があって、師匠から弟子に伝える本質は、文字には表せられないとされている。われわれは日常的に言葉をやり取りしていて、相手に伝わっていると思っているが、実際にはやや異なっている。

 

先日ある会合で、ある人から批判されることが苦痛であるとの話があった。私は彼に、人の批判は気にしなくて良いと伝えた。それは相手の意図は、彼が受け取っている言葉の意味とは必ずしも一致していないと思われるからである。各自がかなり自己流に解釈して、相手方の言葉に傷ついている場合が多い。

 

学生の話にしても、直接している時にはどのように感じているかを含めて、かなり情報が多い。しかし書いたものでは、情報はあまり伝わらない。現代の若者言葉は、かなり省略されていて、意味が十分に通じない。省略しなくても同じかと思うこともあるが、本人が発する段階ですでに意味が曖昧になっているように思われる。これでは相手の意思をくみ取るのは、かなり難しくなっている。特に親子の間でこのような現象が促進すると、家庭の崩壊であろう。

 

私は、サルやチンパンジーの観察を通して、言葉以外の情報で状況を読みとることをしてきた。そのために言葉の通じない国であっても、相手の状況を読み取ることができる様になっていた。カンボジアでもこの経験が生きて、言葉以外から彼らが何を分かり何が分からないのかを読み取ることができた。

 

我々は日常の中でも、言葉以外の状況を読み取る必要がある様に思われる。

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毎日いろいろの食事をしている。そのつどいろいろな味を楽しんでいる。しかし味の正体はなかなかつかめない。

 

味は食材の持つそのものと、自分の過去の経験の中の記憶とが入り混じっていると思われる。また体調なども、強く影響する。例えば、コーヒーなどもどのブレンドが美味いとか、どの濃さが美味いとかそれぞれの好みはあるが、体調であったり、その日の気分であったり、飲む場所であったりして味が変わる。

 

例えば、カンボジアで飲むコーヒーは、多くがアイスコーヒーで、熱いのはあまり飲まない。日本では、あまりアイスコーヒーは飲まないが、カンボジアでは逆になる。これにはいくつかの理由がある。カンボジアのコーヒーの多くは、アラビカ種ではなくロブスタ種であるために、やや苦く(これは焙煎方法にもよる)ベトナムコーヒーのようにコンデンスミルクを入れて飲むのが普通である。また環境が熱いので、つい冷たいものが飲みたくなり、アイスコーヒーになる。甘くて冷たいのが美味い。

コロンビアでは、アラビカ種系で、非常に安い。このために首都では主に、熱いのを飲んでいた。国の政策で、良い品は輸出用になり、国内ではそのはねだしが安く流通している。お土産に500グラム2ドルぐらいの豆を持ってきたが、非常に美味しかった。タンザニアでもキリマンジェロコーヒーなど、高地でアラビカ種系のコーヒーが栽培されている。かなり旨いコーヒーであるが、現地ではコーヒーよりも紅茶が好まれ、どこのレストランでもチャイが置いてある。紅茶の葉も上質のものが栽培されていて、旨い茶葉が多い。レストランでは、チャイを飲むことが多い。しかしキャンプ地では、40度を超す気温が下がり始めた疎林の落ちる夕日を見ながら、ハンモックで飲むコーヒーは格別である。

 

ニワトリの味も各地でかなり異なる。カンボジアの地方に行くと、ニワトリは放し飼いで元気である。結果としてかなり硬いが、味は非常に良い。食事には、スープ系と焼いたものが出るが、どちらもかなり旨い。タンザニアでも同じで、基本的にニワトリは自由に駆け回っている。人々は飼う意識がなく、餌などは与えないので、自分でアリなどを探して自給している。従って、かなり硬い。しかし味は抜群で、なかなか日本では出会えない。また、スープにすることが多いが、出汁も良く出る。アヒルも時々見かけるが、アフリカのアヒルは家の屋根の上まで舞い上がって夜を過ごす。これも旨い。その点では日本のニワトリは、水気が多く、味は薄い。これは飼育方法による品質の低下であろう。極力味付けで補うから、トリの味がしない。

 

最近コロナ渦で、通信販売が盛んになっている。北海道の食材を手に入れるのも簡単になっている。しかしながら、ウニやカニなどは現地で食べると旨いが、時間がたつと如何なものであろうか。現地で食べていない方が、幸いかもしれない。

 

味はどうしても過去の経験と関係して判断するから、簡単にそのものの味では評価できないように思われる。

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今朝のニュース アフガン続き

今朝のニュース アフガン続き

 

今朝(2021.9.5.)何気なくNHKの日曜討論を見ていたら、知っている顔が出ていて驚いた。シャンティ―ボランティア会(SVA)(旧曹洞宗ボランティア会)の、山本英里事務局長が出ていた。私がカンボジアに居た頃に、SVAのカンボジア事務所の所長をしていた。日本のNGOの会合にSVAの事務所を使わせてもらったことも多く、比較的顔を合わせることが多かった。

 

そもそも私が初めてカンボジアに赴任したころ、大使館の計らいでSVAの皆さんと会食をしたことがある。我々のティームは、JICAの所属で、初めてのカンボジアの教育支援であったからいろいろと聞いた覚えがある。その後カンボジアに長く住むようになると、SVAの初代の所長であった手束さんと親しくなり、良く食事を一緒にした。彼は曹洞宗の駒澤大学の出身で、宿無し興道と言われた昭和の有名な禅師の流れをくむ僧堂で座禅をしてきていた。徳島の出身で、阿波踊りの名人で、日本人会の盆踊りなどでよく指導していた。現在でもカンボジアに居り、カンボジアの仏教会の相談役などをしていると思われる。

 

山本さんは、アフガンの滞在もあり、日曜討論のアフガン問題に引き出された様だ。現地の滞在が長いと、あまりいろいろなことは言えないが、現状を的確にとらえているように思われた。

 

私が2010年ごろラオスの調査に入った時に、SVAは各地の小学校に絵本を配布していた。カンボジアでも配布していたが、その文字部分をラオス語に訳していた。案内してくれたラオス人は、その中の「野口英世」の話が好きだと言っていた。配布されていた半分ぐらいは、日本の話であったようにお覚えている。

 

SVAは広島の曹洞宗のお坊さんが始めた活動だと聞いている。カンボジア事務所の開設10年であったと思われるが、記念行事に呼ばれて行って驚いた。広島のお寺の住職の奥さんに、愛教大の卒業生がなっていた。彼女は学生の時にも驚かされた。私が最初に赴任した長野県の菅平の近くの中学の理科の先生に、藤沢先生と言う方がいた。その方の娘さんだ。それがまた、カンボジアで再びお会いするとは、不思議な縁であった。

 

タイのカンボジア難民キャンプで始まったSVAの活動は、現在でもカンボジアの支援の中心を担う存在である。

 

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教員の免許更新とそのための講習

教員の免許更新とそのための講習

 

文部科学省が、やっと教員免許の書き替え前の講習の義務化を取り消すことになった。そもそも講習が有効かどうかは、最初から意見があった。

 

私が教員養成に関わったのは25年ほどである。しかしそこでは子どもの成長の過程の理解が著しく低いことに驚いた。古い教科書による形而上学ともいうべき子どもの成長が示され、生きた子どもの成長を聞くことは少なかった。また動物の進化の過程から考えられる、子どもの成長の過程の視点もほとんどなかった。

 

教育学者の考える成長は、人だけを見た結果に限られ、実際の観察は極めて少なかった。もちろん文部科学省においても同様で、子どもの真の姿をとらえるべき視点はかけている。その結果、教員に対する研修の内容も、かなりずれたことになっている。

 

現在の子どもたちの最も大きな問題は、意欲の欠如である。これが社会に次第に広がり、様々なことにチャレンジすることが少なくなっている。この意欲は、2-3歳の頃に養われており、それ以降は次第に学習が難しくなる。また最近は、意思疎通の苦手な若者が多くなっているが、これは家庭での問題が大きく、学校などでは養うことが難しい。これも就学以前の問題で、学校で養うのは難しい。

 

このような基礎的問題に理解がなく、教員の資質向上を目指しても、効果が薄いであろう。

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アメリカのアフガニスタンからの撤退

アメリカのアフガニスタンからの撤退

 

米軍が昨日を以てアフガニスタンから撤退した。そのほかの国も既に撤退を終わっているようだ。

米軍はアジアでの戦争から撤退するのは、3回目になる。最初はベトナム戦争。多くのベトナム人を協力者として、南ベトナムを作り北ベトナムと対抗したが、最終的には敗北して逃げ出した。この時もベトナム人協力者が米軍と共に逃げ出し、多くはアメリカに住んでいる。

現在は観光地になっているが、地下に掘った地下道や各地にあるキャッサバ畑は健在で、これでは米国は勝てるはずがないと思い知らされる。

 

続いてラオスでの戦争。ラオスでの戦争は、米国側は内戦だと主張しているが、ラオス人は米国との戦争と言っている。これは少し複雑で、米軍はベトナク戦争に関連して、ラオスに基地を作った。ビエンチャンと言う首都から北に3時間ほどのバンビエンと言う町に、飛行場を作り、付近のモン族を懐柔して協力者として使っていた。その後パテトラオが米軍を排除して、国の実権を握った。そのために協力者であったモン族約30万人が国外に逃れたと言う。私が調査に入った2010年ごろには、モン族の人々はかなり戻っていた。さすが仏教国で、現在でも多くの男性が一度はお寺で修行する。今でも皆が仏教を深く信じており、懐が深い。毎朝暗いうちから坊さんの列が托鉢に出て、多くの住民が道路わきに並んで喜捨する習慣が残っている。

 

今回のアフガニスタンは、ベトナムやラオスとは異なっていて、イスラムの国である。イスラムの国に住んでみると分かるが、仏教国とは異なった一神教のルールで、今後の予想は難しい。

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