フンコロガシ


この文章は、カンボジアンの日本人会会報のために書いたものです。
 2013.10.03.   金森正臣

フンコロガシ

 世の中には様々な商売があって、糞を研究している人がある。そもそもフンの研究と言っても様々で、実に多様である。

 動物のフンは様々で、皆さんが知っている物を思い出して頂ければ、多様性が分かる。と言っても普段あまりフンに興味の無い皆さんは、すぐには思い出せないであろう。牛は歩きながら、ベタベタと言う感じで柔らかい塊を道路に落として行くが、乾燥すると繊維質が残り、アフリカなどでは燃料や家の壁の材料になる。これがどの様に使われるかは、それぞれの文化を反映しておりそれだけでも面白い。同じ草食動物でも、ヤギやウサギになると形状が全く異なり、コロコロと粒状になって出てくる。小さかった頃、誰かがヤギやヒツジのお腹の中には小人がいて一生懸命に団子を作っているのだと言ったことがあって、信じていた時期があった。それにしても、ヤギやヒツジは、外に連れ出して草を食べさせ始めると、食べながらポロポロと落として行くので、口から肛門まで草が詰まっていて、食べると後ろから出さなければならないのかと思っていた時期もあった。同じ草食動物でも、ゾウになると巨大で硬く始末が悪い。草むらに転がっているのを見落として走ると、けつまずいて怪我をすることもある。腹を立てて蹴とばした奴が、捻挫をしていた。とにかく硬くて大きいので始末が悪い。でもこれを大好きなシロアリがいて、地面の下から食い始めて、一晩で食い尽くしてしまったりする。そのシロアリは、ゴマのような小さなフン粒に再生する。ゾウのフンは硬い繊維が多く団子にならないので、フンコロガシが使うことはできない。草食動物だけ見てもこのように多様で、現象として面白い。

 フンの研究となると、面白がってもいられない。肉食動物は用心深く、なかなかその姿は確認できないが、フンからその存在が確認できる。肉食動物のフンは、する場所にも特徴があって、イタチやキツネは、見通しの良い場所でする。肉食動物は消化の良いものを食べているから、残りかすは少なく、フンが硬くて出にくくなる。フンをしている時と交尾をしている時は、最も不用心になるので、見通しの良いところで敵がいないか確認しながらしているのではないかと思われる。ヨーロッパ人は肉食の習慣のために直腸へのフンの滞留時間が長いので、野菜をよく食べる人たちより(昔の日本人)、直腸癌が多いと言われていた。逆に植物質の多い日本人は、食物が胃に滞留する時間が長く、胃酸過多や胃癌が多いと言われていた。また、腸管が長くなるために、胴長な体系になり、短足に見える。現在では、食習慣が変わってきて、かなり差が無くなって来ている様だ。

 動物が何を食べているかを調べるのは、なかなか大変な作業である。しかしどの様に生きているか(生態学)を調べるには不可欠な要素になる。フンは、何を食べたかを集積しており、調べることによって食性が明らかになる。しかしこれにも落とし穴があって、動物タンパク質などは、消化が良いのでフンには出てこないことが多い。ニホンザルの食性を調べていた時に、秋には昆虫を食べている様であったが、なかなか見つけられなかった。しかし、フンの中にコオロギの目玉やバッタの足が出てきて、田んぼの脇の捨てられた稲藁をかき回していた状況が理解できたことがある。稲わらの山には、コオロギが良く集まっていることと一致した。このようにフンの内容物から、不明だった行動の意味が明らかになることもある。

 チンパンジーでも、よくフンを探し回った。表面についている腸内細胞から、遺伝子を採集しDNAレベルで、群れの間の個体間の関係を調べることが出来る。かなり離れた地域の(例えば、タンザニアとザイールやウガンダのチンパンジー)遺伝子から見た近縁の関係なども理解できる。私たちが新たに発見したタンザニアの一番南の地域に分布するチンパンジーは(アフリカの大探検時代以来の150年振りぐらいの最南端分布の発見であった)、タンガニーカ湖の南回りできたのか、それとも北回りでウガンダあたりのごループと近いのかなども、ある程度予測が付く(まだ解明されていないが)。
 DNAの他にも、フンの内容物から食性などが分かることが多い。基本的にはフルーツ食であるから、出てきた種の分析になる。そのためには、チンパンジーの食べそうな果物は全て採集しなければならない。果実からその種子の取り出しも、なかなか難しいことが多い。粘着質の果汁などに覆われていると、洗うのも大変である。川に出たときのキャンプで、一つずつ採集していると、アフリカにいることも、フィールドにいることも忘れていることが多い。ハチなどに刺されたり、マングースが顔を出したり、ライオンに吠えられたりして初めて我に返ったりする。チンパンジーは昆虫食もしており、アリ塚からアリを釣り出して食べる行動が、道具使用行動として知られている。しかし、アフリカの西部に生活するギニアのボッソー村に生息するチィンパンジーは、アリを食べていない。もちろん東のザイールやタンザニア・ウガンダと同じように、アリ塚はあるのであるが。これらのことは観察だけでは確認できないが、フンなどの研究によって、食べないことを補足的に強化することが出来る。

 フンコロガシは、ファーブルの昆虫記に出てくるので、多くの人々に知られるようになった。日本では、ダイコクコガネと呼ばれている仲間である。カンボジアにもフンコロガシがおり、時々見かける。主にスイギュウのフンを使っているらしく、スイギュウの多い地方で見かける。クラチェやコンポンチャムで採集したことがある。夕食をオープンエアーのレストランで食べていると、明るい光に誘われて飛来し、テーブルの上に落ちて来たりする。体のあちこちにフンを付けているし、ほのかに匂いもする。あまり食欲が減退しないうちに、とりあえずペットボトルのビンに取り込み、後ほどアルコール漬けにする。
 もう30年も以前になるが、吉川久美子さんと言う、タイの北部で山岳部族のカレンの研究していた友人がいた。彼女の本には、カレンの村に住み着いてしばらくしてから、夕食時に暗闇の中で出されて食事をしていた時に、フンコロガシを食べた話が書かれていた。硬い羽根は取られており、油で炒められていたので何だか分からなかったが、ほのかにフンの匂いがしたと書かれていた。味はまずくはなかった様である。動物タンパク質であり、エビ・カニと同じ節足動物に属するのであるから、うま味成分は同じ様なものであろう。カンボジア人は、何でも食べる人たちであるが、フンコロガシが食用になっているのは見たことがない。その意味では、何でも食べるカンボジア人もカレンに負けるかな。
エジプトのナイル川中部のルクソールには、「王のなかの王」と言われるラムセス2世が改修した神殿があり、この神殿の中にはスカラベ(フンコロガシ)の巨大なモニュメントがある。2メートル以上ある石の角柱の上に、体長2メートル近い石のスカラベが、デンと置かれていた。古代エジプト人は、フンコロガシが作ったフン玉から、新しい命が誕生することを不思議に思い(フンコロガシのフンの球を割って見ても、産み付けられた卵を見つけるのは難しい。いかんせんフンまみれであるから)、生命の神の使いであると思ったのであろう。ファーブルは、フンコロガシが子育てのためにフン玉を作っていることを解き明かして見せたが、古代エジプト人には、ちょっと難しかったようだ。ラムセスの神殿の対岸には、ツタンカーメンの墓などのある王家の谷がある。


写真1:フンコロガシ
写真2:カンボジアの食材にも昆虫は多いが、フンコロガシは見かけない。
写真3:カルナック神殿のフンコロガシ(スカラベ)のモニュメント
写真4:スカラベの装飾品
写真5:ヒエログリフにみられるスカラベ。左の囲みの中。 

写真は、2を除いて全て、本やネットからのパクリです。私のエジプトに居たのは、1981年頃ですから、記憶もあいまいです。
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環境教育の話題

環境教育の話題  2013.10.02.  金森正臣

 先日の夕食会の場所で、環境教育が話題になりました。その際に、自然保護の新しい考え方についてお話し、以前に書いた本の内容を掲載する約束をしました。家に帰って調べたところ、3.5インチのフローピーを使っていたころの原稿らしく、見つけ出せませんでした。書いた本は共著で、浅見輝男編著、「自然保護の新しい考え方」-生物の多様性を知る・守 古今書院 2006.6.6. です。絶版になっていると思いましたら、定価は2,800円で、現在もネット上でこのままで売られていました。

 この本は、私がまだ環境教育学会に所属していたころ、日本学術会議の自然保護研究連絡委員会の委員として第18期の委員会に所属していた9人のメンバーで書いた本です(本の発行は、2006年ですが、委員会にいたのは2000年頃です)。
 私が書いた趣旨は、現在の日本の状況を考えて、環境教育の方向性を書きました。環境教育と言うと、環境の要素や現象について教えることが多い様です。しかし現在重要なのは、ヒトの持っている遺伝子上のプログラムを十分に使えるようにするのに、環境が必要だと言う点です。食事会の時に、闇夜で焚く火や小川の遊びによって引き出されてくる子ども達の意欲や興味について簡単に話しました。これは、ハコ心理研究所をしていた亀井敏彦さんとした「野外塾」、愛教大の公開講座として実施したキャンプによる宿泊を伴った「野外塾」の経験から得たものです。
 ヒトの持っている遺伝子の情報は、経験を積むためのきっかけを持っていますが、それを十分に使わないと使えるように完成しません。意欲や興味は、繰り返し行うことによって次第に高くなるようです。そのきっかけとして、火を焚くことや水で遊ぶことが有る様に思います。いずれも、2-3歳から15歳ぐらいまで、次第に進化しながら意欲や興味がかき立てられて行きます。
 今後の環境教育の重要な点は、子どもの意欲や興味をかき立てるように環境を使うことであろうと思います。
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御礼

御礼  2013.10.01. 金森正臣

 帰国祝いの食事会を開いて頂き、頂き有難うございました。帰国後、「熱中症」はたまた小学生の時にした「熱射病」(この時は三途の川を渡りそうになり、回復に3週間ほどかかりました)になり数日動きが取れませんでした。でも次第に夜が涼しくなり、最近は快調になりました。

 久しぶりに皆さんにお会いして、何だか一時35年前の様でした。初めて教育大に伺った年のメンバーも来られて、急に時間が戻ったような錯覚でした。良いものですね、懐かしいメンバーと心おきなく話し合えるのは。

 その後、千葉に用事が有り1泊で出かけましたが、やはり都会は忙しく、そろそろついて行けなくなった感じです。多くの人が、携帯電話に縛られている様子を見ていると、テレビが普及し始めたころ、大宅壮一氏が、「1億総白痴化だ」と言ったことが今更新鮮に思えます。電車の中でも携帯に振り回されていると、物事を考える時間がないように思います。考えは繰り返し考え直すことで、少しずつ深化し、必要な物事の根本に近づくように思います。若い人の携帯依存も、新聞に報道されていますが、考えが浅くなり、直感的になって、真理を追究する深い思考が難しくなるように思います。

 御礼が遅くなりましたが、楽しい時間を有難うございました。皆様とまたゆっくりお話が出来る時間を楽しみにしております。若かった皆様も、既に中堅以上になっており、お忙しいことと思います。十分に健康に注意して、精進して下さい。
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