今日は認知症日和

今日は認知症日和

 

毎日の中でも、時間によって体調が変わる。

体調が悪いと、当然頭の回転も悪くなる。その様な時には、認知症と思われる状況が出現しやすい。思い出せないことが出てくるし、思考がうまく回らない。

 

最近気が付いてことでは、視覚の問題がある。視覚は、入ってくる情報を正確にとらえる網膜の働きが話題を集める。しかしよく観察していると、その後の処理の問題もある。私はかなり以前から乱視があり、特に左目が強め。これは若いときに顕微鏡をよく使い、左目を酷使したためだと思われる。乱視が出たのもこれに関係していると思われる。左右が異なるので、調整しようとして歪みが強くなったようだ。その後60代になって、左目で見ると月が二重に見えるようになった。最近では、左右両眼を使っても二重に見える。認知症に関係する問題としては、目に情報が入ってきてからの処理の問題がありそうだ。最初は処理速度が遅くなり、動態視力が落ちてきた。最近では、二重に見える現象とともに、入った情報の処理が正確ではなくなり、経験してきた現象と一致しなくなっているようだ。そのため見たものの判断が遅くなり、不正確になっている。

 

年寄の道楽で、自分に起こっている現象を楽しんでいる。

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人生は競争ではない

人生は競争ではない

 

オリンピックやパラリンピックで、競争が重要視されている。

しかし人生は、競争や勝ち負けではない。最近は、勝ち組とか負け組などの評価もある。しかし人生には、勝ち負けもなく、競争もない。すべては本人の人生で、誰とも比べようがない。

以前に(2021.4.15.)に「機心」というブログを書いた。この時の趣旨も、全ては本人の人生で、誰も関係ない世界である。従って、自分が決め、自分で行うのが人生である。人と比較することもないし、競争することもない。負けもないし、勝ちもない。

 

この基本を履き間違えると、人生は異様なことになる。常に周囲を気にし、人の評価に振り回され、自分が何を求めているのか不明になる。多くのストレスを抱え、毎日が苦しくなる。現代人に多い現象だと思われる。現代人は、義務教育のころから、この問題をはき違えている。そのため常に追われているような不安とともに生きている。

 

人生が終わりに近づくと、徐々に全体が見えてきて、振り返ることも少しずつ変わってくる。業績も、名声も不要で、自分の人生が自分で評価できればそれでよくなる。無名のまま世を去った先人たちの知恵に学びたい。

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ご無沙汰しました

ご無沙汰しました

 

ドジをしました。8月10に調査に行き、休息の喫茶店を出るとき、玄関の3段ほどの階段を踏み外し、庭のアスファルトに落ちて、骨盤にヒビが入り今は松葉杖生活です。

小鹿先生にお世話になり、安城の厚生病院で診てもらい、無事に家に帰りつきました。次の日も小鹿先生にお願いして病院に行き、現在は家で休むことが多くなっています。

階段を踏み外した原因は、玄関に会った珍しいスイカに見とれて、階段を踏み外した次第です。スイカは、黒部スイカのように長い砲弾型で、明るい緑で縞模様がありました。私が小さいころ胃が弱く、あまりスイカを食べられなくて、憧れがあったことが見とれる原因のようです。

 

その間に、パソコンのメールのアカウントが乗っ取られ、着信が読めなくなり、しばらくジタバタしていました。昨日になってようやく自分のメールが読めるようになり、何とか仕事を始めました。パソコンの勉強をシッカリしていないので、動かなくなるとまるでブラックボックス、困っています。メールが読めるようになったのも、原因はよくわからないままです。

 

この間に、パラリンピックも始まり、新型コロナウイルスは爆発的に増え、政府の安全、安心は全く信用できないことが明らかになってきました。さらに新しい南米型の変異ウイルスも既に日本に入っているようで、今後の対応が心配です。

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終戦記念日

終戦記念日

 

終戦から76年が経って、終戦記念日が来た。私は、次の年の4月に小学校に入学した。3月17日生まれであったので、クラスでも2番目に小さく、かなり遅れていた。

 

今回はその話ではなく、最近の政府の対応を見ていると、戦争に突入していった頃の軍部に等しい。他の意見は聞かず、「安全」、「安心」を上げてひたすらオリンピックに突き進む。多くの感染者が自宅療養で、普通の治療も受けられずに生活し、死んでゆく人もある。このような状況は、首相にとっては安全・安心であっても、多くの国民にとっては、安全でも安心でもない。

 

我々は、このことをシッカリと覚えておかなくてはならない。

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新型コロナの問題:これは医療崩壊

新型コロナの問題:これは医療崩壊

 

政府はオリンピックを、安心・安全に開くと強調して、強行した。しかし現状は、自宅療養という言葉がまかり通っている。

 

自宅療養は、既に医療が崩壊していることを示す言葉である。いかにも療養しているように聞こえるが、感染力が強い新型コロナは、自宅で療養できるような病気ではない。独身者や老人のみならず、自宅に感染者がいることは極めて危険な状態である。そのために家庭内クラスターも増えている。

 

パラリンピックも、入場者制限の問題に置き換えられているが、中止することこそ重要である。菅内閣は、総合的に考えてを強調するが、総合的に考えるにはそれなりの広範囲の基礎知識が必要であるが、それが決定的に欠けている。

 

総選挙では、是非国民の命を軽んじた、現政権のメンバーを選ばないようにしよう。

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大雨

大雨

 

日本での大雨は、最近被害が大きい。川が急斜面を駆け下りていて、土石流や山津波が起こりやすい。

 

カンボジアでは毎年大水が起こるが、国全体が平たんなので、年中行事として生活に受け入れられている。だいたい5月ごろから雨期が始まり、11月ごろまで続く。この間にメコンの水は、プノンペン付近で毎年8メートル程度上昇する。これを受けてトンレサップは、ほぼ半年間逆流し、増水を吸収する。時によるとメコンの増水が10メートル以上にもなり、2000年ごろには、プノンペンが水浸しになり、ボートで移動しなければならない事態もあった。しかしながら増水による被害はなく、皆引いて行くのを待っている。

 

南米のコロンビアでは、乾季は無く、小雨期と大雨季がある。毎日の振り方は我々からみると尋常ではない。オリノコ川の上流3000キロメータ付近のグレナダの町は標高300メートルで、ほぼ平坦に近い。朝雨が降ると付近は10センチ程度の水浸しになる。橋が見えなくなるので、自動車は動かせない。しかし馬車は水没に関係なく、道路をバシャバシャと動いている。何を見ているのか橋から外れるようなことない。馬は賢い。裕福な家の子どもは長靴を履いているが、貧しい家の子はほとんど裸足。通学するのに、長靴は水が入って歩きにくいが、素足は歩きやすい。神は平等なのかと思わず笑ってしまった。

 

エジプトで調査している時に、平均雨量を聞いたら年50ミリとのことであった。砂漠の中に水の流れた跡が見られたので、昔川があったのかと聞いたら、6年前に300ミリほど降ったことがあって、その時の川だと言う。それで年平均50ミリと言われても、ただ唖然である。

 

昔学生時代に、土木工学で人工的に変化させた流れは無理があり、災害が起こりやすいと学んだ記憶がある。現在の日本の河川は、ほとんどが人工的に変化している。十分に警戒する必要がある。

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ご無沙汰いたしました

ご無沙汰いたしました

 

新型コロナのワクチンをしたら、2回目はかなりきつく、数日苦労した。当日は良かったのだが、次の日から調子が崩れ、脈拍が上がったり、水分が異常に欲しくなったり、体調の変化に苦労した。黄熱病のワクチンより短期的にきつかったように思う。

 

感染はますます拡大し、留まるところが見えない。これは政府の人々の感染への無知によるところが大きく、感染経路さえよく理解していない。医学部の実験室の除菌をしていた身にとっては、なんとも理解しがたい政府の対応だ。国民の安全安心などと言葉では言うが、何も実行されていない。オリンピックで、多くの国民が医療を受けられないままに死んでゆくのは、政府の責任である。自宅療養を安易に進めるべきではない。

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