カンボジアでも健康ブーム 

カンボジアでも健康ブーム 2011.6.29.  金森正臣

 カンボジアでも、経済状況が良くなり、金持ちが増え始めた。まず目立つのが、肥満者が増えたことである。飢えの時代を生き抜いた大人たちは、お金が溜まるとまず食を満喫する。その結果、肥満者が増えることになる。

 最近は、その肥満者が健康を気にするようになり、朝の公園は散歩をする人、グループで踊る人、太極拳と様々な活動がある。私が毎朝散歩をするのは、少々異なり、如何に体力を維持して時間がかかる教育支援を維持して行くかである。

 ある朝太極拳のグループの脇を通ると、何かいつもと変わった感じ。良く見ると見慣れないメンバーが、幾つもの箱を積んでいろいろ説明している。どうも健康のためにサプリメントを売り込んでいるらしい。健康のために運動しているグループにサプリメントを売り込むのは、なかなか優れた発想だと思って見ていた。しかしどうも売れる様子はない。

 写真の右から2番目の白いシャツが売り手。後の4人は、後ろに見えている太極拳を練習している仲間。もう数年は続いているから、そばを通るだけであるが、メンバーは見ると分かる。右手の太めのおばさんは、リーダー格でなかなかの踊り手。多分グループのNo.2である。太めだが身は軽く、かなりの長時間指導していても息が上がらない。このリーダー以外には、あまり太めはいないグループ。売り込む場所が、ちょっと悪かったんではないでしょうか
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エネルギー問題 4 エネルギーと物質・経済活動

エネルギー問題 4 エネルギーと物質・経済活動 2011.6.23.  金森正臣

 エネルギー問題のもう一つの重要な側面は、経済活動である。経済活動は、利益を追求して活動が行われ、エネルギーとしてはあまり意識されていない。大阪に勤めていた35年ほど前に、日本環境教育学会を立ち上げようと、10人ほどが集まって話し合ったことがある。当時私は医学部にいたので、環境教育にはあまり熱心ではなかった。しかし45年ほど前に、長野県の美ケ原の開発の問題から「長野県自然保護連合」を作った経緯があり、呼ばれた様である。その席で「環境経済」という概念で活動していた研究者から、非常にラフな話ではあるが、1円を2カロリーぐらいとして計算してみると、全ての経済活動は使ったエネルギーの概念で理解できると聞いたことがある。1円が何キロカロリーかはさておき、あるものを買った場合に、自分がいくらのエネルギーを使っているかと言った概念が生まれて面白かったことを覚えている。

 我々は、経済活動で様々な物を得ているが、それらはすべてエネルギーが伴っている。ところで、お金も物も、沢山得られれば幸せになれるかと言うと、その様には簡単に行かない。経済活動が順調でお金を儲けていても、わずかな狂いで自殺をしてしまう人もいる。大きな邸宅に住んで、優雅な生活をしているように見えても、不安と猜疑心に悩まされている人もいる。戦後の何もない時期に比べれば、現在は全てが豊かで満たされているように見えるが、その様にはなって居ないのが皆さんの実感であろう。沢山エネルギーを使って、豊かに見える生活が保障されていても、人間はそれで幸せが得られるわけではない。若者も戦後すぐに比べると恵まれているにもかかわらず、何をするにも無気力が目立つ。

 エネルギー問題1でも書いたように、沢山のエネルギーを使ったからと言って、健康になるわけではない。多くはエネルギーを使うほど、体に備わった本来の力が落ちるように思われる。また幸福観も、自分の体を自分の意思で自由に使えるほど、満足されるように思われる。これらを組み合わせると、楽をすることや快適なことが幸せにつながらない場合が多い。楽をすることや快適なことは、短期間であればある程度の満足が得られる。しかし人生は長く、いろいろなことに対応しなければならない。日本の教育は、西洋の法則科学に基づく、分かりやすい単純法則に偏り過ぎて、総合して考える力を十分に教えていない。その場で分かりやすく説明できることが、すべてを支配している。エネルギー問題を考えてみる時には、自分の考え方についても再確認する必要がある。今良いからと言って単純に受け入れるのではなく、それが自分の人生にどのような影響を持つかを考えてみる必要がある。

 途上国から見ていると、日本の国民の生活が、明らかに不必要にエネルギーを使い、そのことによって苦しみを生みだしていることが見えてくる。日本にいるとあまり気にならないことでも、途上国から見るとはっきりする。先日理事会で日本に戻った時、空港からの電車が通勤時間帯を過ぎた時間で、やや空いており、車内が見渡せた。驚くことに30人ぐらいの全ての人が、携帯と向き合って何か忙しくしている。かなり異常な光景に見えるが、次第にこのような光景になった日本人には気付くことは少ないのかもしれない。時間をつぶすことはできるが、人生の意義などを考えるプラスにはなりそうもない。皆さんはどのように考えるであろうか。お金やエネルギーをかけて貴重な人生の時間を、無駄に過ごすことは残念なように思えるのであるが。
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エネルギー問題 3 食料問題

エネルギー問題 3 食料問題 2011.6.17.  金森正臣

 エネルギー問題の根本は、食糧問題にある。人が最終的に節約できないぎりぎりのエネルギーは、食糧のエネルギーである。これは直接生命にかかわるエネルギーで、どうすることもできない。その量はかなり幅が有り、生命維持のぎりぎりとなれば、快適な生活の半分ほどでも賄える。

 以前にタンザニアにいた頃、ザイールの難民キャンプで聞いた時に、1人当たりの配分は900キロカロリー程度にしており、多少土地を与えて畑からも得られるようにしているとのことであった。配分する量が1200キロカロリーを超えると、人口が増加する場合が有り、難民キャンプとしては問題が増えるので、注意しているとのことであった。現在の日本人がどの程度のカロリーを取っているかは定かではないが、使っているカロリーとしては調理時や食べ残しの廃棄分も含めると、1人1日あたり3000キロカロリーを超えているように思われる。

 インドではカースト制度が存在するから、インド国内にあれだけの国民が生活できている。もしカースト制度が崩れて(やや崩れ始めているが、まだ大きな部分は崩れていない)、皆が平等にエネルギーを使うようになったら、国内で国民の使用エネルギーを賄えないのは明らかである。同じようなことは、中国でも起こっており、皆が平等にエネルギーを使う意識になると、明らかに賄えなくなる。「地球上がもし100人の村であったら」と言う小冊子が有ったが、わずか20%ぐらいの人々が、80%以上のエネルギーを使っているのが現状である。1970年ごろだと思うが、IBPと言うユネスコが支援した地球上の生産量を計算する研究が有った。私も参加して信州大学の志賀高原の実験センターの針葉樹林で、生産量を算出した覚えがある。その時の計算では、地球上で賄える人口は、80―120億程度であった。これには、生命維持のエネルギー以外のことは、計算に入っていなかった。

 現在は既に、世界的に食糧が不足する時代になりつつあり、配分の問題もあって、飢えも起こっている。日本の食料自給率は、政府の発表では37%になっているが、実質は20%以下である。何故ならば、外国から輸入しているトウモロコシなどの家畜の飼料から得られた生産物は、国内生産と計算されているからこの様な違いが起こる。輸入が制限されると、日本はたちまち食糧危機に見舞われる数値である。仮に40%近くが国内で生産されていれば、廃棄部分や食べ過ぎている部分を上手に分配すれば、80-100%飢え死には無い。しかし、国内の本当の生産量が20%程度であると、如何に廃棄部分や配分を考慮し、食べる量を1500キロカロリーぐらいに抑えても(この量で充分飢え死には防げる)、50%の国民にしか配分できない。後は飢え死にに至る、危険な国内生産量である。食料の無い時代になると、お金がいくらあっても役に立たない。戦後の一時期は、いくらお金が有っても食料は手に入らなかった。お金は食べられないし、電力やガソリンなどのエネルギーは、簡単に食糧にはならない。概算であるが、植物が光合成できる割合は、降り注ぐ光のエネルギーの1%程度である。電力などを光に変えて、光合成して食料に得ることは、実際には現実的ではない。我々は原発事故を通して、エネルギーの使い方を改めて基本から見直す必要がある。
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エネルギー問題 2 原発はクリーンか?

エネルギー問題 2 原発はクリーンか? 2011.6.13.  金森正臣

 原子力発電を始めた頃、そしてつい最近まで、取り出せるエネルギーは炭酸ガスを出すこともなく、クリーンであると宣伝されていた。本当にクリーンであったのであろうか。現在も福島県で行われている避難は、何が原因であろうか。原発に付き物は、放射能である。今回の事故によって、世の中の多くの皆さんは、原発が決してクリーンなエネルギーで無いことを理解したと思われる。

 放射能は、目に見えないし、炭酸ガスとは異なった汚染を引き起こすことが明白になった。原子力開発グループは、炭酸ガスの汚染が無い、すなわちクリーンであると言う姑息な理論で問題をすり替えてきた。原子力開発には、最初から放射能問題は付いて回っている。即ち、廃棄物の最終処理を巡って、まだ問題が解決していないのは、この放射能の問題が解決されていないからである。また使用核燃料は、今回の事件で明らかになった様に、常に冷やし続けなければならない。取りだしたエネルギーと、その後冷やし続けるエネルギーとどちらが大きいかは、いまだに知らされていない。専門家は、当然計算できているはずであるが、公表しない。多分、冷やし続けるエネルギーの方が、はるかに大きくなり、取り出したエネルギーでは、間に合わないからであろう。

 取りだしたエネルギーよりも、冷やす施設や水の循環などに使われるエネルギーが大きければ、当然後の世代に負債を負わせることになる。何時であったか、原子力関係の人に質問した時に、原子力エネルギーは他のエネルギーと異なって、ほとんど無限の可能性があるから大丈夫だと言っていた。それは、放射能を計算に入れなかった場合には、その様になるが、放射能の量が多くなるとどのようなことになるであろうか。現在避難を強要されている方々は、その恐ろしさを実感されていることであろう。原子力関係者はその危険を理解しており、だからこそ各電力会社は、原発立地に多大な補助金を出して説得してきたのである。私も環境問題としてある原発反対運動に参加したことが有るが、十分理論の理解できない住民にお金で物事を解決して行く態度が鮮明であった。

 放射能は、自然状態であれば地球上には、一定の量以上になることは無い。今までにもいろいろな地球上のイベントが有って、放射能量が増えた時代が有ったことは想像される。しかし、原子力発電は、それ以上に地球上に放射能をばらまくことになる。炭酸ガスの汚染が、最初はあまり問題にならなかった様に、放射能も少ないうちは大きな問題にはならない。しかし、量が増大すると生物の進化に問題が起きることは明らかである。遺伝子の中のDNAを構成している4つの塩基を繋いでいる結合は、放射能が通過することによって切断されることが知られている。この結合が切られることによって、遺伝子は以前の状態とは異なった遺伝情報を伝える。癌細胞なども、放射能によっても引き起こされることが知られている。私が35年ぐらい前に勤めていた大阪市立大学医学部時代に、アメリカにおける疫学的研究では、がんを発見するためのレントゲン照射量によって引き起こされる癌の増加は、発見量とほぼ等しくなるという報告を出している。即ち、放射線によって発見される癌の量は、その放射線によって作られているというものである。地球上に降り注いだ放射能の量から、35億年の生命の変化を研究している人たちもいる。もし遺伝子の情報が急激に変化し始めると、生命はその変化について行けない可能性がある。この様な問題は、専門家の間では当然として理解されている事柄であるが、右肩上がりの経済成長を望むエネルギーの要求は、それらの事を隠蔽してきた。
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著書を頂く 3 訃報

著書を頂く 3 訃報  2011.6.10. 金森正臣

 最近ではないが、以前に沢山本を頂いていた日本モンキーセンター所長、西田利貞さんの訃報が、6月7日の新聞に載っていた。日本霊長類学会や国際霊長類学会の会長も歴任しており、霊長類研究者の世界における第一人者であった。以前にはモンキーセンターの評議委員会で毎年お会いしていたが、カンボジアが忙しくなってから最近はしばらくい会いしていなかった。直腸癌がもとと言う。私も昨年直腸がんの手術をした所であったが、若い西田さんが先に行くなんて、何の差であったのだろう。彼とは、十数年前に初めてお会いしたと思うが、あまりはっきり覚えていない。しかしなかなかユニークな思い出が幾つか有って、忘れられないので、寂しい。

 確か2000年ごろであったと思うが、タンザニアのタンガニーカ湖の湖畔の町、キゴマを彼も我々も調査に出る最後の準備をする町として使っていた。我々はすでに半分調査を終わり、中間で隊長の加納さんを迎えるべく、キゴマの町に出た。朝空港に西田さんの飛行機に同乗してくる加納さんを迎えに行った。加納さんと奥さん、荷物を下ろして、西田さんは、その飛行機で彼が作った国立公園「マハレ」に調査とテレビの撮影に向かった。テレビ撮影チームは3人で、アニカの中村さんが、沢山の機材とともに乗っていた。中村さんは、西田さんの東大時代の教え子である。我々は湖畔のホテルに戻って、昼食やいろいろな買い物を済ませ、昼寝をした。昼寝から覚めて、ホテルの廊下を歩いていると、レストランの窓越しに西田さんと中村さんの上半身が見える。てっきり亡霊かと思って、「西田さん、足は付いているの」と聞くと、これこの通りと足を上げて見せてくれた。マハレに向かったが、パイロットが、荷物が重すぎてマハレの滑走路の長さでは降りられないと言って、引き返して来たのだと言う。これからマハレに無線をして、船を呼んで明日の朝に出発だと言って、憤懣やるかたない感じであった。夕食は一緒に、ビールを飲みながら楽しめたのであったが。タンザニアでは、先日紹介した「タンザニアに生きる」の著者、根本利通さんの家の倉庫に共に荷物を預けてあったが、不思議とダルエスサラームでは、一緒にならなかった。

 西田さんの学生時代(1960年ごろ)には、大学院生が数人、マハレの東側の南北300キロ、東西100キロぐらいの間に、それぞれ1人ずつ独立に1年間、それぞれの方法で調査をしていたと言う。後にピグミーチンパンジー研究の加納さん、南米のサルの研究のIさん、オランウータンの研究者のSさん、ニホンザル研究のAさんなど、ユニークな人材が育っている。この一見乱暴な教育方法が、引き継がれているのか、西田さんは、沢山の大学院生をマハレに送り込んで育てている。その学生向けに「サバイバル マニュアル」と言う小冊子を作っていた。市販はされていなかったが、学生用にはかなり出回っていた。私もアフリカに行き始めた頃、その一冊を誰かから貰って大変役に立った。かなり料理に力が入っていて、タンガニーカ湖でとれる魚の料理の仕方が、事細かに書いてあった。なには揚げてから三杯酢に漬けるとか、何は刺身が美味いとか。刺身の寄生虫は大丈夫なのかと聞いたら、岸から500メートル以上離れた所で獲れたものだと大丈夫だとの返事であった。いろいろな病状や対処法、怪我の注意から、健康管理まで懇切丁寧であった。ただし「ヘビにかまれた場合」は、お祈りしましょうとなっていて、皆で笑ってしまったことが有る。大学院生と飲んだ時、どの神様に祈ったら良いのだと議論になったこともある。アフリカのヘビは、8割以上が毒蛇と言われており、ブラックコブラなどは、大きいし早いし気が荒く向かって来る。噛まれたら確かに対処法は無い。アフリカで雇っているトラッカー達も、ヘビを最も恐れていた。

 頂いた著書は沢山あるが、写真の左の「チンパンジー おもしろ 観察記」は、西田さんが子ども達にもチンパンジーを知ってもらいたいと言う強い思いがこもっている。また、野生動物を観察する、ダイナミックな研究の面白さも紹介したかったのであろう。写真右の「人間性はどこから来たか」は、大学における講義をまとめたものであり、ライフワークであると言っていた。様々な分野に影響力を持っていた彼に、「具会一処」またお会いしたいものである。
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エネルギー問題 1

エネルギー問題 1 自分の体を健全に使う 2011.6.5.  金森正臣

 原発の事故をきっかけに、エネルギー問題が議論されることが多い。しかしその議論を聞いていると、何か方向性がおかしい。基本から遠ざかり、問題の解決に向かわない方向に進んでいる。

 そもそも何のために我々はエネルギーを、必要としているかである。闇雲にエネルギーを、増産する方向に向かっていないであろうか。この辺でエネルギーを使って、何をしようとしているのかを十分に吟味してみる必要がある。既に原子力エネルギーを使い始めた時に、十分しておくべき問題が、景気の右肩上がりを求めて、十分に議論しないまま走り出している。その根拠は、原子力はクリーンで、安全なエネルギーが多量に得られるとした原子力委員会の意見に有り、この意見に沿って国がその方向に舵を切った。原子力関係者や国にとっては、都合の良い方向であった。今回この安全でクリーンなエネルギー神話が不完全なものであったことは、皆さんが経験した通りである。

 私は、35歳ごろ大阪の市立大学の医学部の実験動物室に居た。環境の変化しない中で実験を行うために、室温は24°プラスマイナス0.5°、湿度55%の部屋に常に居ることになった。2年ほどした時に、大阪教育大学の山岳部に誘われて、岩登りを指導した時に、たった25メートルほどの壁の最後で異常に気が付いた。最後の懸垂(オーバーハングしている岩を乗り越えるために、ザイルと腕の力が頼りになる)で、既に力が限界に近くなっている。学生時代には、こんなことは無く、剣岳のチンネと言われる岩場を、練習のために日に3往復したこともあったし、白馬岳も猿倉の小屋から1日に3回登頂したこともあった。明らかに体力が落ちている。でもこの時はそれほど重要視していなかったが、それから1年ほどして愛知教育大学に移ってから、異常が出てきた。大阪に居る間、夏でも昼間は快適な研究室で過ごし、夜家に帰ると暑くて十分に眠れていなかった。昭和24年ごろに建てられて住宅は、隙間だらけで、子どもが暴れると唐紙が自然に外れるような家であった。そのためにクーラーも効かず、夜十分に眠れないために体力が回復しないまま、昼間は快適に働いていたことになる。3年ほどその様な環境で働いていたために、かなり体が異常をきたしていたようである。それに気が付いて、散歩をしたり、休む時間を増やしたりしたが、それでも回復には3-4年かかった。以来、クーラーや暖房に頼るのは、なるべく少なくするようになった。

 自然の環境に適応してくると、体はかなり適応力が増し、風邪引きも少なくなったし、下痢などを起こすことも少なくなった。それ以来ほとんど風邪薬は飲まなくても、自分の体が回復力を持つようになった。多少熱が出るのは、風邪などのウイルスを白血球が攻撃する時に、酵素がより働くようにするためであり、解熱剤を飲むのは、この自然の道理に反する。また解熱剤は、しばしば胃を弱らせて消化を悪くするために、最終的な回復が遅くなる。エネルギーをたくさん使う(クーラーや薬など)ことによって、得られるものは、必ずしも自分の人生にとって快適な物ではないことを十分に知る必要がある。我々は、エネルギーを使って、快適さを得ようとしていると思われる。使い方を間違えると、苦を得るばかりである。エネルギーを沢山得ようとするよりも、使わないで済む方向に向かうべきだと思っている。
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