働く子ども

働く子ども  2013.4.29.  金森正臣

 日本では、働く子どもの姿を見なくなって久しい。家が狭くなり、子どもが働く内容も限定されて、機会が少なくなっている。途上国では、働くのは当たり前で、重要な労働力である。確かに行き過ぎた子どもの労働は問題になるが、小さい時から働いた方が、人生は豊かになるように思える。

 途上国では、子どもが手伝うことは当たり前である。また子どもが手伝える仕事も多く、様々な内容が存在する。働くこと、手伝うことは、子どもの成長に従って変化する。最初は親や大人の真似から始まり、次第に仕事の仲間に加わり、その存在感を増して行く。

 振り返って日本の現状を見ると、子どもが正常に成長するこのシステムが完全に崩れている。これでは子どもが成長して、大人の社会の中に入って行くのには、かなりの困難が伴う。特に精神面において、大人の真似から、仕事仲間に入り重宝され、次第に自分の存在を意識して行く過程は、重要であろう。

 現在の日本では、家庭で子どもに仕事をさせることを心がけていても、家庭だけでは限界がある。私の子どもの頃、村で大きな火事があり、その年末に「火の用心」と叫びながら、友人と夜回りをした。これは子どもの仕事で、大人にお礼を言われて、誇らしく思ったことを覚えている。このような経験がないと、自己の中に社会の一員としての意識は、築きにくいのではなかろうか。


写真1:子どもは、大人の道具を自由に使える環境に有る
写真2:お母さんの真似をして、魚の鱗を落とす子ども
写真3:市場の片隅で、店の丼を洗う子ども
写真4:市場の片隅で、売るためのお菓子を焼く子ども
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ペット 2 

ペット事情 2  2013.4.22. 金森正臣

 カンボジア人は、結構ペット好きで、可愛がる。しかし日本のそれとは、いささか状況が異なる。日本では見かけない姿を見る。

 バイクに上手に乗っているイヌ。「どうだ、上手でしょう」と言った得意げな様子。しかし、足は滑らないのかと心配になる。手は掴めないはずだし。

 フー アツ。早朝とは言え、気温は30度を越しているから、確かに暑い。すっかりヘタッテ、手も足も投げ出し、腹をできるだけ冷たい石に着けて、何とも不恰好。マイッタナー。

 フー アツ。昼間はやはり熱いヨ。暑いのか後ろ足をあげて、コンクリートから離して寝ている。昼寝も楽ではない。日陰に入れば良いのに。

 アツイヨー。こちらは手足を投げ出し、目いっぱい腹を冷たい土に着けている。日本では見かけないスタイル。股関節、どうなっているのだろう。

 オレモ暑いよー。農家の軒先に繋がれていた、ブチのブタ。ペットではなく、食卓行だと思うけれど、結構繋がれているペット様ブタは多い。もっとも、田舎に行くと、繋がれもせずに、走り回っているブタが居り、ついて来られて、すり寄られると、洋服が汚れて、臭くて困る。撫でられるのが好きで、直ぐにゴロリとひっくり返る。

 私の調査地であった東アフリカのタンザニアの奥地の人々が飼育しているイヌは、ペットと言う感覚は当てはまらない。家で飼育しているが、あまり餌は与えない。子どものウンチなどを食べたり、自分で獲物を得たりして生活している。もちろん猟に出て獲物があれば、帰宅後に骨ぐらいにはありつける。餌が保障されていたり、可愛がってもらったりすることは無いから、イヌにとってあまり利益がなさそうだが、ヒョウやライオンからの襲撃は少なくなるから、それなりにメリットがあるのであろう。多分イヌが人間の生活に近寄ってきた初期の状態のように思われる。
カンボジアなどは、家族の一員として大切にされるペットとしての存在で、日本のペットたちと同じような地位を家族の中に持っている。
私のイヌの飼い方は、ちょうど中間で、野外に出かける時は連れて行くが、家の中に入れることは無く、あくまでも自分の使う動物である。家の前にいて玄関番であり、番犬である。最近見かける飼い主は、主人とペットの関係が、はっきりしていない様で、イヌに振り回されている。皆さんのペット観は、いかがなものであろうか。
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クメールの文化とカンボジア

クメールの文化とカンボジア  2013.4.18.  金森正臣

 クメールの文化と言うのは、多分クメール王朝時代の文化を示す言葉である。多分と言ったのは、クメール文化と言う言葉は、多様に使われており、定義が正確ではないからである。カンボジア人は、クメール文化に誇りを持っているが、私は現在のカンボジアには、古い時代のクメール文化は伝わっていないように思っている。例えば、アンコールワットにしてもアンコールトムにしても、優れた対称性を持っている。点対称であったり、線対称であったり。また正確な測量が出来ており、建物は測量にもとづいて施行されているし、施行も正確に行われている。現在のカンボジアの建物は、設計図通りに施工することは難しく、階段などは最上段と最下段が、中間部分とは異なった高さになっていたりする。一つの階段で3通りの高さが異なる段が存在することは、結構普通である(最近の外国の会社が作る場合には、かなり良くなってきているが)。日本などでは、法隆寺や薬師寺の建築の技術は、1400年以上も受け継がれており、現在でも宮大工さんたちはその技術を使っている。

 クメール王朝は、800年頃から1430年頃まで栄えた。その後、1860年頃からの400年間に、首都を4回ほど大きく移動している。原因は他国から攻められて、負けて移動している。このような状態が何回かあると、持っていた文化の担い手である、「庶民」が同行することは難しいであろう。

 もう30年ぐらい以前になるが、エジプトの田舎で調査をしていて、サダト大統領が暗殺された日の夕方、地方からカイロに戻った記憶がある。次の日からハッジと言うイスラム教の休日に入り、仕事ができないので、エジプトの古代王朝のルクソールに遊びに出た。そこで見たラムセス2世(エジプトでは、王の中の王と言われている)の宮殿や王家の谷で墓を見た。その壁画に残されている農民の姿は、調査地の農村の風景とほとんど変化がない。農民は4500年の時を経て、ほとんど同じ生活をしている。上層部の支配者は、消えてしまっても、農民はほとんどそのままの生活をしている。私の歴史観のいくつかの考え方や文化について、大きな転機になった。

 文化は、自然環境に支配されて、その基本が出来上がっている。ナイル川の流域は、深い森林に覆われていて、その作り出した土壌がもとになって、焼畑から耕作農業が発達した。およそ3000年間にわたって、そのエネルギーを使って、大きな文明が出来上がった。カンボジアのクメール文明は、それよりおよそ3500年以上遅れて、熱帯降雨林の地域に発達した。熱帯降雨林は、土壌の流亡が激しく、大きな畑作農業は発達しない。けれども沼沢地に発達した水田が、エネルギーを補給し、文明が発達したと思われる。しかし、プノンペンやその前のウドンなどの町は、メコン川の水の影響を受け、天水に頼った農業しかできないために、以前のクメール文明とは異なったものになった可能性が高い。シェムリアップの古いクメール文明は、シェムリアップ川の扇状地の上に位置しており、メコン川の影響はない。アンコールワットやアンコールトム遺跡には、環濠やバライと呼ばれる貯水施設があり、農地への給水システムが確立していた。そのために2毛作が可能であり、高い生産性を持っていた。このエネルギーを使って、文化を開花できたと考えられる。しかし現在のカンボジアは、飢えこそないが大きなエネルギーを貯める余裕は無く、その点でもクメール文明とは異なっている。文明は、エネルギーを貯めるだけの余裕がなければ、発達も継承も難しい。カンボジアの人々が、そのことに気が付き、クメール文明に誇りを持つだけではなく、現在の文化を高めなければならない時が来るように思われる
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クメール正月

クメール正月  2013.4.11. 金森正臣

 カンボジアの新年を祝う時期は、クメール正月と呼ばれる、今年は4月14日から16日である。毎年少しずれる。地方の方々は4月に入ると浮き足立ち、第1週の終わる6日ころには郷里に帰って行く。教員養成校も、すでに先週から休みで、学内に学生の姿は見られない。今日は、11日であるが、プノンペンの交通量は明らかに少なくなっている。最近交通渋滞の多いプノンペンでも、今朝などの通勤は楽である。でもここ数年は、外資系の進出が多く、働く形態が変わって来て、12日まで働く会社も多くなってきているから、以前のように2週間も交通量が少なくなることは無い。

 クメール正月は、始まる前に各所でお祝いをしている風景を見かける。また飾り付けも、わりと近代的な企業でも風習に習って行っている。事務所のあるビル会社も、入居者にプレゼントを配って、新年を祝う準備をする(写真1:ビルディングの会社から事務所に花束のプレゼント)。いろいろな場所も正月を祝う飾りが、施される。写真2は、街角の駐在所に飾られた、正月を祝う飾り。銀行に入り口につるされた、中華系の人々が好む星形の飾りなど。

 飾りとは別に、正月前には、新年を祝う民族舞踏の奉納もある。新年前に行うから、日本の「なまはげ」の様なものであろうか。事務所のビルでも、早朝にこの演舞団が到着。ビルの前で、踊りを披露してビル内に入った(写真3)。最後は招待者と一緒に写真に納まり、解散となる(写真4)。

 もう一つカンボジアの正月に欠かせないのは、子豚の丸焼き(写真5)。正月前になると、市場周辺に、子豚の丸焼きが吊るされる様になる。中国系の影響のように思われるが、本国にこの様な風習があるのであろうか。毎年この正月の時期には、ゴールデンシャワーの花が咲く。今年もきれいに咲き出したが(写真6)、何だか例年よりも房が短い様な気がする。昨年の雨量が少なかったのか、はたまた乾季に水分を使い過ぎたのか。マメ科の花で、乾季の最後に花をつけ、雨季までに実をばら撒かなくてはならない。樹木に残っている水分を振り絞って、花を咲かせる姿は、熱帯の厳しさを感じる。
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ペット

ペット  2013.4.6.  金森正臣

 カンボジアのペットは、かなりだらしがない。どことなくのんびりし過ぎていて、締まらない。暑さのせいかとも思うが、基本的に文化が違いそう。

 ペットは主人との関係で、その生活文化が異なる。東アフリカなどでは、イヌは決して人間に油断はしていない。長々と寝そべっていても、ヒトが動く気配がすると、さっと起き出して、ヒトの足の届かない距離に逃げる。結構数メートル離れるのが普通である。寝ている時でも、ヒトの足や手が届く範囲にはいない。アフリカ人は、イヌが足の届く距離にいると、いつでも蹴飛ばしたりする。子どもが撫でることはほとんどなく、禁じられている。猟などには付いて来るが、休んでいる時でも数メートルは離れて休む。特に犬を食う文化も見かけなかったが、イヌは用心している。ある意味、ペットの感覚は無いのかもしれない。

 カンボジアのペットは、人間との関係があまりにも近い。まるで自分は、人間だと思っている趣がある。尾を子どもに踏まれても、そのまま寝ているイヌを見かけたことがある。食堂で寝ているイヌを蹴飛ばしてみたが、何の反応もなく寝ていたので、水をかけてみたら、「何するんだヨー」と言わんばかりに、顔をあげて見ただけでまた寝てしまった。

 今回の調査の熱い昼下がり、農家の軒下で小イヌが寝ていた。砂をかけてみたが知らん顔。目も開けないまま眠りこけていた(写真1:眠る子イヌ)。他のイヌの寝相もこの通り(写真2:仰向きに寝るイヌ)。日本のイヌの、こんな姿は見たことがない。最近の座敷イヌは、こんな寝方もするかもしれない。写真3のこのイヌは、レストランの机の脚に顎を乗せ、寝ている。お客さんが来ても平気。ネコまでこの有様(写真4:仰向きに寝るネコ)。
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カンボジア人は親切

カンボジア人は親切 2013.4.4.  金森正臣

 朝の散歩のときに、公園で何時も中国武道会のTシャツを着て、演武の練習をしているグループがある。もう10年以上見ているような気がする。大体メンバーは決まっている様だが、時に出入りがあり新顔がいることもある。

 ある朝、旅行者らしき白人の10ぐらいのグループが、この演武の練習を見ていた。その中の2-3人が、この演武を見様見まねで、脇で練習を始めた。でもなかなか上手くは真似できない。しばらくしたら、演武のグループの長らしき人の指示で、2人ほどがこの白人のグループに、指導を始めた。写真の手前のグループの右側の2人が、演武のグループのメンバーで、白人たちに教えていた。写真の右奥の手を伸ばしているのは、演武のグループの本隊。

 以前にも、白人の婦人が2週間ほど、このグループの練習に参加していたことがあり、皆さん違和感なく指導していた。このようなカンボジア人の親切さは、よく見られる風景である。多くの外国人が、カンボジアは住みやすい国と感じるのは、この様なホスピタリティーの精神から来るもののように思われる。

 カンボジアは、大陸続きの国で、多くの国の人々が出入りする。人種構成も複雑で、中華系、バングらインド系、マレー系など複雑な民族構成である。また長い年月を、フランスの植民地として過ごさなければならなかった。このために外国人に対する接し方は、日本人などとはかなり異なった文化を持っているように感じる。
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カンボジアのカボチャの花

カンボジアのカボチャの花  2013.4.2.  金森正臣

 日本でもカボチャの花は、沢山見てきたけれども、カンボジアのカボチャの花は変わっている。ガクが非常に大きい(写真)。合弁花である花弁は、ほとんど変わっていないが、その下に付いている葉の様なものがガク。緑色で、葉と見まがうほど大きいものが5枚付いている。しかし普通の葉に比べると、まるい形状ではなく、やや細長い。きちんと主脈と支脈が分化している。このカボチャについた他の花も、全く同じようなガクを付けていた。しかし、雄花にはこのようなガクは付いていなかった。

 この様なガクがあることからも、ガクや花弁が、葉の進化したものであるという説が頷ける。

 これはたまたま買ったカボチャの種を、ベランダの植木鉢に捨てたもので、カンボジアのカボチャが、全てこのタイプの花を持つかは定かではない。先日、シェムリアップで調査していた際に食べたカボチャの花は、このような立派なガクは無かったように思う。カンボジアでも、いろいろなタイプのカボチャが有るのかも知れない。最も食べたのは、雄花の可能性があるが、食べることに夢中であまり気にしていなかった。

 日本の野菜としてのカボチャの語源は、古くカンボジアから渡って来たことによると言う。
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