ご無沙汰いたしました6 地方巡業

ご無沙汰いたしました6 地方巡業 2012.11.19. 金森正臣

 11月5日には事務所で打ち合わせがあり、6日から地方の調査に出た。6日には、国際保健協力市民の会(SHARE)の皆さんが活動されているサイトにお邪魔。SHAREは、カンボジアでも老舗のNGO、JVC(日本ボランティアセンタ)から保険関係が分かれた団体で、農村部の幼児・母子保険で大きな実績を持つ団体。我々のCIESFが活動するプレイベン州で活動しているが、全く別のサイト。CIESFは州都の教員養成センター、CHAREは州都から1時間以上も悪路を走った農村部。雨季の終わりで、あちこち道路が水没したり、陥没したり。1日1ドルぐらいの生活をしている農家の皆さんを支援している。案内して頂いた此原所長は、「こんなところまでは誰も見学に来ませんよ」と言っていたが、行き着くだけでも大変なところ。

 次の7日は、シェムリアップに場所を移して、農村部を調査。バッタンバンにも行くことになって、8日にはバッタンバンのコンピン・プオイと言う貯水池の岸の村に。コンピン・プオイは、ポルポトが人海戦術で工事をして(都市の住民をすべて農村部に放下した。中国の毛沢東思想に溺れたポルポトは、文化大革命の真似をした)、唯一使えている灌漑施設である。ポルポト後、日本も支援して水門などを直しており、現在でも下流域の水田の灌漑を行っている。その後シェムリアップに戻って、9日には半日観光。これが最後かと思いながら、アンコールワットの第3回廊まで登った。今年はこれで3回目。やはり日本から来て頂いた皆さんには、アンコールワットを一度見て頂きたい。もうそろそろ石段を上がるには、足が上がらなくなりつつある。写真3は、第2回廊に降りてきて、一休みしながら撮った写真。

写真1:どこに行っても子どもたちは元気。この家は貧しく、自分で竹を割って床に張っている。こちらの方が板より涼しいが。
写真2:ちょうど子犬の生まれる時期で、どこに行っても子犬が眠りこけていた。
写真3:アンコールワットの第2回廊から、第3回廊を望む。夕方は石が焼けていて熱い。
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ご無沙汰いたしました5 風邪ひき

ご無沙汰いたしました5 風邪ひき 2012.11.19. 金森正臣

 11月1日(木)に大学院の入学式、昼食会、夕食会と続き、家に帰ったのがやや遅かった。続く2日(金)には、午前に支援者の皆さんに、CIESFの支援の状況をお話しした。その頃から風邪の調子が悪かったが、昼食にほとんど食欲が無くなった。そのまま家に帰り、ベッドにバタン。
 金曜日の午後から日曜日(11月4日)の朝まで、ほとんど眠り続けた。土曜日の朝だった思うが、途中で体温を測ったら38度ぐらい。日曜日には、日本人会のバーベキュー大会があり、いろいろ相談する人が集まるので、出来るだけ出たいと思っていた。

 日曜日の朝になったら、体温は平常に戻っていた。食欲は無かったが簡単な朝食を済ませて、バーベキュー大会の会場へ出かけた。会場はカンボジアで建設関係の会社をしており、昨年度の日本人会会長さんをして頂いた方が作っている公園。6Haもの広さがあり、1.5Haほどは、日本人学校にも使わせて頂けるとの、有難い申し出で。到着して早々に、ご本人から公園内を案内して頂いた。雨上がりで、直射日光が強いので、かなり蒸しておりヘトヘト。でもバーベキューの準備をして下さっている皆さんも、炭の傍で熱さは半端ではない。早速冷えたビールと行きたいところだが、自粛してコーラ。昨年今頃体調が良くない時に、パーティーでビールを飲んだら、呼吸困難に陥ってかなり危なかった。次の月にがんの検査の折に、気管支炎と左肺の肺炎跡がまだ残っていて(既に寛治していたが)、お医者さんからしっかり注意された。

 本格的なフレンチのシェフの特別料理、海鮮シチューを頂き、焼き肉を頂いてやや元気を取り戻した。午後3時ころに家に戻って、再び熟眠。起きたら月曜日の朝だった。月曜日には日本からお客さんがあって、打ち合わせ。その続きで、11月6日から9日の間は、地方回り。何とか体力は次第に回復したので、まだ行けるかなーなんて「年寄りの冷や水」。

写真:11月1日に有った、支援者の皆さんとの夕食会。既にこの時に調子が悪かったらしく、ほとんど飲まなかった。
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汰いたしました4 大学院の入学式

汰いたしました4 大学院の入学式 2012.11.18. 金森正臣

 教育行政官のための大学院の授業は、10月1日に開講した。しかし入学式は、大臣の都合により、11月1日に延期されていた。この大学院は、教育省の役人さんたちの勉強の場で、教育省としては、これからのカンボジアの教育の改革の提案の場と考えている。7年ほど前から、カンボジア側には、教育の大学院が必要であることを提案してきた。しかし、3年ほど前になって、教育省側から、第1番に役人のための教育大学院を作って欲しいとの話があり、準備に入った。

 教育学部もないところに、教育の大学院を作るのは難しいので、教育政策などに限定した大学院を、初めに作ることにした。この分野の専門家である、広島大学教育学研究科の大塚豊教授にお願いして、立案、実行の中心になって頂いた。ユニセフやJICAなどから、なぜ大学院のような本来国が支援するべきものが、NGOで出来るのかと聞かれるが、決して簡単に出来た訳ではない。大塚先生も私も、かれこれ14-5年をかけた人脈があり、教育省側の意向を十分理解しているから、相談を受け実現が可能になった話である。多くのNGOやユニセフ、JICAなどは、長い時間をかけた人脈や関係がなく、教育省側からいろいろな相談を受けることもない。このような状況では、教育省側の意向を酌んだ提案はできない。

 大学院の入学式は、NIEの入学式と一緒に行われ、大臣や多くの長官が出席した。今回の大学院を支援しているカンボジア教育支援新基金の理事長やスタデーツアーに来ていた支援者の皆さんも招かれて、壇上に上がった。その後理事長主催の昼食会にも、大臣や長官が参加され、入学者の皆さんにも一人一人に声がかけられて、大いに盛り上がった。

 次の日(金曜日)にスタデーツアーの支援者の皆さんに、1時間ほどカンボジアの教育事情の話をしたころから、熱があったらしく、家に帰ってばったりベッドに横になった。そのまま日曜日の朝まで寝ていたら何とか風邪が回復した。途中でいつごろか体温を測ったら、38度ほどあり、昨年はこの頃に風邪をこじらせた、左の肺の半分が肺炎になっていたので(癌の検査の時に判明)、ちょっと沢山休んだ。日曜日には、日本人会のバーベキュー大会があり、日本人学校を設立する話をするので来てくれと言われていたので、何とか出席した。カンボジアにはまだ、日本人学校がない。最近定住者、それも若い方が多くなったので、そろそろ日本人学校を作らなければならない。でも全く飲む気は起こらず、早々に退散した。

 写真1:入学式の檀上。中央が教育大臣。右側が教育省の長官たち。左側はカンボジア国際教育支援基金のメンバー。
写真2:昼食会。テーブルの左から、篠原副理事長、理事長、教育大臣。
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ご無沙汰しました3 カンボジアに戻って

ご無沙汰しました3 カンボジアに戻って 2012.11.11. 金森正臣

 理事会を終わり、家に戻って歯医者さんに。これの治療には1月は必要ですと念を押されながら、取りあえずの応急処置をして頂いて、カンボジアに戻ったのが、10月20日の夜。最近韓国のソウル回り(正確にはインチョン空港)、を使うことが多い。しかしご多分に漏れず、空港は高くて美味い食事はない。タイ周りだと、空港を出て同じ建物の中にある職員用の食堂に行くと、美味くて安いのだが、タイからは中部空港は時間的にあまり便利ではない。

 しかし今回は、インチョン空港で昔の韓国のお茶を発見。私が最初に韓国に行ったのは、1980年ごろ。国防費が37パーセントと聞いて、びっくりした思い出がある。国民の服装は貧しく、車もポニーと言う箱型の車だけ。自転車が主流で、自動車はあまり見かけなかった。当然渋滞もない。喫茶店に入ると、ほとんどコーヒーは無く、タンギチャ、サガチャ、ウルムチャなど、昔から各地に有った健康のためのお茶が主流。他には生の朝鮮人参をミキサーにかけ、ハチミツを入れて飲む高級喫茶店があった。主に子どもが年取った親を元気にするために、御馳走するための店であると記憶している。今回は、シナモンのきいたマツの実が入ったお茶を飲んで、なんとなく少しゆったり気分。付いて来たのは、草餅。

 東京に出た折につくばの農林省の果樹試験場に伺い、バッタンバンで起こっている柑橘類の病気の調査をお願いしてきた。10月22日から試験場の宮田研究員に御出張願って、26日まで調査を行った。まだ雨期が終わっておらず、時々雨に見舞われながら、それでも調査は順調に終わり、26日にプノンペンに戻った。柑橘グリーニング病を思われる葉の採集、病気を運ぶ、ミカンキジラミも最終日に採集できた。調査は準備も重要ではあるが、ツキも重要な気がする。しかし、ツキを掴むのも、十分な準備かな?

 26日には、早めにプノンペンに戻ったので、教員養成校でアドバイサーをして頂いている先生方の月例ミーティングに参加。ついでに夕食会にも参加したが、やや疲れて食欲が出なかった。やはり年を感じることもある。
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無沙汰しました2 理事会で東京出張

無沙汰しました2 理事会で東京出張 2012.11.11. 金森正臣

 毎回帰国時は、CIESF理事会のために、東京に3-5日間出張する。今回は埼玉大学教育学部の友人のところで、簡単な講義を引き受けた。行ってみたら、以前に環境教育学会で一緒だった友人もいて(既に退官していたが)、学生に話をするのも久しぶりで、いろいろ懐かしい思いをした。

 東京での宿舎は、事務所の近くで便利な場所。おまけに青山墓地が近いので、毎朝散歩の場所として最適。青山墓地は色々の人の墓石があって面白い。明治の元勲、後藤象二郎の墓もある。でもなんとなくいろいろな墓を見ていると、「冥途の沙汰も金次第」と言うが、なんだかあの世まで見栄の張り合いのような気がする。

 一句 「ヒガンバナ 冥途に見栄はる 墓石かな」 

丁度、見栄も何も無く、自然の営みを続ける、彼岸花が咲いていた。
写真は、5月の理事会の時に撮った、後藤象二郎の墓。
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ご無沙汰しました1 一時帰国

ご無沙汰しました1 一時帰国   2012.11.11. 金森正臣

 長らくご無沙汰いたしました。こんなに長くご無沙汰したのは、2007.7.7.に交通事故で骨折して、タイの病院に入院して以来のような気がします。いまだエネルギーが貯まる時間がなく、いじめ問題については書いていませんが、ご無沙汰の間の報告をします。

 日本に帰ったのは、10月5日の理事会のために9月29日の夜。9月17日には、高等師範学校(NIE:私がサイエンスアドバイサーをしているところ)で、CIESFが支援する大学院の入試を実施(写真1)。大広間で40人の受験生が挑戦。合格は20人。カンボジアでもカンニングが出来ない様になってきたのは収穫。大学院は、広島大学の大塚豊先生の応援を得て、10月1日に開校。ただし大臣の都合で、入学式は11月1日。

 帰国の次の日に散歩に出ると、自宅の近くは稲刈りの真っ盛り。やはり気になるのは、カンボジアの稲作との違い。カンボジアの稲作は、ヘクタール当たり1-2トン程度。日本では、5-7トンは普通。何が違うかと言えば、面積当たりの穂の数が違うのが歴然。

 カンボジアでもJICAを含めていろいろな支援があるのだが、収穫量はあまり上がっていない。支援の問題把握が悪いような気がするのだが、今のところ何ともなっていない。
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