ブログの更新状況

ブログの更新状況          2009.11.21. 金森正臣

皆様 
 少しご無沙汰しております。先月から、元日本国カンボジア特命全権大使の、篠原勝弘氏が、私のいるCIESF(カンボジア国際教育支援基金)に合流してくださり、忙しい毎日を送っています。

 政府の高官たちに知人が多く(カンボジアのパリ和平協定のときに参事官で、外国に不慣れなカンボジアの人たちの世話をした)、色々なことが一気に進み、うれしいやら忙しいやら。 

 教育省との活動内容の、文書承認。難しいとされていた国際NGOの登録、すべてが3週間ぐらいの間に進んだため、バタバタ。3ケ月ぐらい前に書類を出し、いろいろ聞かれたりしていたのが、ようやく終わり。同時に10年ぐらい前から良く知っている、教育大臣や長官から相談を持ちかけられて、ついつい支援を約束。資料集めに奔走。それって3年ぐらい前に提案していたものだし。ようやくここまで来たかと感慨深い。

 今月の末から、来年3月に派遣する日本の先たちのスタデーツアー。12月8日までの予定。バッチリ下見も済ませて、後はお待ちするばかり。しばらくブログが、少ないかもしれないが、お許しあれ。
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前近代的な造船所

前近代的な造船所  2009.11.8. 金森正臣

 コンポンソム(シアヌークビルの別名)に遊びに出掛けた。プノンペンは、水祭りで動きが取れなくなるから、海辺の町に脱出。クメール人も、プノンペンの人の中には、結構同じ行動を取る人がいて、海辺の街のホテルは早くからいっぱい。最近は休暇には遊びに出る余裕が出来た人が多くて、格好競争が激しい。

 釣りに出かけるために、朝港に出てみると、漁港兼コッコン(タイとの国境の港町)行きのスピードボート乗り場の脇に、懐かしい感じの造船所があった。日本では私の子どもの頃(約60年前)には、既にこの形の造船所は存在しなかった。もう少し機械化されていた。ここでは土の上に、枕木を置いてその上に色々の木の支えをしながら積み上げてゆく。木を削るのも、斧やカンナ(カンボジアのカンナは押すタイプ。日本は引くタイプ)でほとんど手作業。東アフリカのタンザニアで見ていた、造船作業とほとんど変わらない。タンザニアでは、材料を切り出す際に既に山で、ある形に仕上げてあったのが異なるくらい。

 中々趣があって、良い風景だが、近代化の国作りには中々遠い。
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水祭の前夜

水祭の前夜 2009/11/01 金森正臣

 また今年も水祭の季節がやってきた。水祭は、雨期が明けたことを祝う行事で、例年は、11月中旬。でも今年は、11月1日から3日の間が水祭。プノンペンは各地から集まった人たちで、ごった返し、身動きが取れない。そこで今年は、今日から3日間ほどプノンペンを脱出し、海辺のシアヌークビル(コンポンソム)の街に行くことにした。

 毎年水祭の日が変わるのは、太陽暦ではなく陰暦で仏教歴のせいかナ?元旦だって、毎年変わるのだから。今年は10月27日までかなり雨が降っていて、雨期が明けないうちに水祭かと思ったが、ここ3日ほどはいかにも乾期の気分。

 水祭の呼び物は、ボートレース。2001年ごろまでは、素人集団のボートも参加していたが、ここ数年は、各地の選抜チームが主体で、素人集団は出番なし。各地で3ケ月ぐらいかけて予選が行われ、選り抜かれたチームが集まってくる。さらに国際的になり、同じようなボートレースを持つ、ベトナムやタイ、マレーシアなどのチームも参加して、国の威信をかけて戦う本格レースになってきた。写真は、一昨日に撮ったもの。長くて彩色してある奇麗なボートだ。先端には神を祭る飾りも付けられている。30人以上の漕ぎ手が乗るから、各チームは世話係まで、70人程度。地方から出てきた人は金がないから、付近に簡単なテントで野宿同然。大きな鍋で食事を作り、炊き出し気分。

 国民全体が一丸になって、楽しめる良い行事だと思う。しかしながら地方の貧しい村はツンボ桟敷で、ほとんど関係ない。一度招待状をもらったので、見学に出かけたことがあるが、身動きが出来なくなって諦めて帰ってきた。ボートレースそのものは、テレビで見た方がはるかに分かりやすい。最近はテレビでも見ないから、地方の貧しい村の人たちと同じ気分の無関心になってしまった。

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