子ども自殺対策、データー集約

子ども自殺対策、データー集約

 

上記の記事が、今日の新聞に載っていた。

政府が省庁横断で、資料を集めて分析すると言う。果たして有効であろうか。やらないよりは増しであろうが、効果のほどは疑わしい。

 

子どもの自殺予防などは、対応している人が子どもの意見を聞けなければ、防止することは難しい。以前に医師の養成において、医学概論を講義できる人材がいなくなり、医者が機械の測定する数値に従って薬を出すだけで、病人を見ていないことを書いた。自殺予防なども同じで、子どもの現状を見ている時に予防できなければ、如何に数値を集めても予防策は有効にはならないであろう。

 

いかにも政府は真剣に取り組んでいるように見えるが、本筋からずれている。子どもにきちんと対応できる人材を、養成することが先決であろう。昨日も書いたが、人とコミュニケーションは上手にできない人材は、子どもの自殺予防には向かない。

 

まず基本に忠実に、人材を育成し、有効性を確かめた方が近道であろう。

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教員の精神疾患

教員の精神疾患

 

文部科学省が、精神疾患で休職している教員数を6539人と発表した。過去最高と言う。更に1月以上の病気休暇取得者を加えると12192人と言う。毎年増加傾向で、前年比11%増と言う。

 

これを皆さんはどの様に受け止めたであろうか。ここにも日本の教育の誤りが出ている。子ども時代に自由が無く、自分の意見を相手に伝える本当の言葉を知らない。喧嘩をし、悩んで仲直りをすることによって、相手の意向も汲み、自分の意見を出す技術を獲得する。

 

このことが子どもの成長に必要であることを、日本の教育は無視してきた。その結果が相手との意見交換をする技術を奪っている。先生になる年齢の人たちも例外ではない。

 

子どもに自分の意見を十分に伝えられなければ、先生の仕事は成り立たない。この基本的なことに目覚めないと、日本の教育は成り立たなくなる。

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沖縄の基地問題

沖縄の基地問題

 

沖縄には、復帰後の早い時期(45年ぐらい前)に行ったことがある。調査のために年4回ほど行き、各1週間ほど滞在した。

 

強い印象が二つほどあり、第一は体格の貧弱さだ。戦後直ぐの本土の様に、皆さん痩せていて、体格が悪い。貧しくて栄養が十分に取れていない。本土では子どもの肥満が問題になっていたが、沖縄ではほとんど見られなかった。

また嘉手納基地の脇を通った時に、基地の周りのフェンスの脇に多くの人がいるのが目立った。聞いてみると基地で追われた人たちが、少しばかりの畑を作っているのだと言う。その野菜を、米軍が持ち込んだアフリマイマイに食べられるので、手作業で駆除しているのだと言う。この貧しい現実に基地の現実を見た思いがした。

 

学生時代に住んでいた安アパートに、沖縄から大学院生が2人住んでいた。時に一緒にお茶を飲むこともあり、いろいろ話をした。そのころは今から60年ぐらい前で、沖縄はまだ返還されていなかった。沖縄に帰ると、船から下りた時から公安がずっとつけていると言っていた。彼らは早稲田と東京教育大の史学の大学院生で、学生運動などの影響を見張るために、公安がつけていたのだと思われる。

 

長く差別を押し付けられてきた沖縄の基地問題は、国が代執行して無理やり押し付けるものではないであろう。もって謙虚に沖縄の人々の意見に耳を傾ける必要がある。

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大学のレベルは

大学のレベルは

 

間もなく新年になると共通テストも始まり、いよいよ受験シーズンになる。

 

皆さん難関大学に入る方は、頭が良いと思っているようだ。特に医学部などを出た人は、さらに多くの方から信頼されている。しかし人生はそれほど単純ではない。いくつかの医学部を見てくると、必ずしも難関医学部の卒業生が素晴らしいわけではない。

 

多くの医学部を見てくると、医学部卒業生が素晴らしいわけではない。私立の一部の医学部では、30%ぐらいが医者の免許を取れていない。入学時には2千万も裏口入学金を払っていてもである。私大の友達の教授に聞いたら、それでも良いのだと言う。理由は病院などを経営していると、その経営者になれば、医者の免許は必要ないと言う。

 

世間では難関大学に入り、卒業すると素晴らしい人物のように錯覚している。今回の政界の裏金問題を見ても、東大卒などが素晴らしいので無いことが分かる。貧しくても、華々しくなくても、自分の人生を粛々とする人には、信頼がおける。人生は人に見せるものではなく、自分で納得するように行うものである。

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老人のたわごと 1

老人のたわごと 1

 

皆さん若い時には、気づきもしなかったことが年を取ると起こる。若い時には自分の体力でカバー出来ていたことが、どうしようもなく起こる。例えば、体力がなくなると歩く速度が遅くなり、長い時間歩くことが出来なくなる。

 

最近寺尾(井筒親方)さんが亡くなった。私も同じような経過で、心臓の病気を抱えている。症状もよく似ていているが、楽天家なので心配をしていない。既に十分に生きたし、やりたいことはやってきたので、思い残すこともあまりない。

 

自分ではコントロールが出来ないことが、起こっている。心臓が悪くなると、自分ではコントロールが出来ない。疲れないようにすることは出来るが、低気圧が来るとかなり調子が悪い。今日も脈拍が少なくなり43ぐらいになっている。こうなると用心しないと、しばらくすると胃の調子も悪くなる。総身に血液が回りかね、消化もままならなくなる。もう少し脈拍が少なくなると、あの世に移籍になるであろう。

 

それでも一日生きているのは、不思議な気がする。散歩もゆっくりと以前の半分ぐらいの距離を歩く。ケリが鳴きカモが沢山みられるとなんだか幸せな気分だ。

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不登校の児童・生徒の増加

不登校の児童・生徒の増加

 

学校に行けない児童・生徒は、増加するばかりで減る傾向は無い。皆さん苦労しているのであるが、教育に関わる省庁は、的確な対策を持っていない。問題が起きたらサポートすると言う姿勢から、問題の起源を検討すると言う方向に向かわないと、解決には向かわない。

 

教育の現場では、学校も児童・生徒とも縛られて生活しており、自由な裁量は少ない。私の感じでは、教育の専門を名乗る人々の視野が狭く、子どもの成長の基本を忘れている。小さい時から自由を奪われ、喧嘩も出来ない。喧嘩は自己主張の表現であり、その後の人間関係の修復の訓練である。これを小さい時から行わないと、自己の成長は望めない。

 

現在の人たちは人間関係が成長していないので、自己主張ができなくて生きかたが貧弱である。そのために、社会への適応がかなり困難になっている。この基本を忘れていると、いつまでも問題は解決しない。

 

少子化や離婚の多さも、この問題と無関係ではない。

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テレビの食レポ番組

テレビの食レポ番組

 

テレビで食レポ番組がかなり多く放送されている。しかしタレントは、食の経験が乏しいのであろうか。また美味しいものを食べていないのであろうか。

 

そもそも食べるものが美味しいのは、材料によることもある。また調理の良さにもよる。さらに重要なのが、食べる人の状況による。即ち、食材・調理・食する人の状況の3要素による。

 

食べる人の状況について、テレビではほとんど考慮が無い。食べる経験の中で、食に飢えた経験があるだろうか。数日食べていなくて、食べ始めるときの旨さは、食が体に栄養として入る感覚が素晴らしい。水を数日のまずに、水が口に入った時の体に回る感覚は忘れがたい。

 

食の経験の少ないタレントが、如何においしそうに見えるか演技をしても、底の浅さが見えるだけである。日本人は、本当の経験が少なくなってきている。

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美人と不美人

美人と不美人

 

日本では現在見かけの良い美人が溢れている。しかし実際に見ていると、輪郭だけが美人で、内容は少ないように思われる。

 

新しい美人を見つけるのには時間が必要である。新しい国に行くと、美人を見つけるまでに時間を要する。カンボジアに初めて行った時に、リーダーの名大の先生が、鼻から口のあたりに手を当て、カンボジア人はこの辺に問題があって美人は少ないのだと言った。確かに到着してみると、美人は少ないように思われた。

 

以前にアフリカに出かけたときも、なかなか年齢もわからないし、目鼻立ちが異なって個人の区別もつきにくかった。エジプトでは、スーダン人は良く働くが国が熱いので鼻が横に広がっていると馬鹿にしていた。確かにスーダニーは、鼻が横に広がっている。見た目はエジプト人とかなり異なる。

 

カンボジア人はいろいろの人種が混じっている。中国系も多いが、マレー系と思われる色の黒い人、バングラディッシュ系などいろいろである。はっきりベトナムの中部から来た、チャム人もいる。中には確かに鼻が横に広がっている人もいる。市場で見ていた時に、鼻くそを親指で掘っていたおばさんがいた。思わず後ろを向いて自分も親指を鼻にあてがってみたが、とても入る大きさではない。

 

しかしカンボジア人に慣れてくると、その表情の豊かさに驚かされる。戦火の銃弾の中を生き抜いてきた人々の、心の豊かさは日本人とは異なる。他人の苦労を共に助け、協力してくれる様には驚かされる。またカンボジアでは多くの子どもを育てている。子どもを亡くした経験もあるであろう。それらを乗り越えてきた強さは、優しさでもある。

 

日本に帰ってみると、一目美しく見える美人は多い。しかし豊かな感情を感じられる美人は少ない。人生の経験が貧弱だと、人間性も貧弱になる。

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中学での切り付け事件

中学での切り付け事件

 

住んでいる場所に比較的近い中学校で、授業中に同級生をナイフで切りつける事件が起きた。どのような事情があるかは不明だが、生徒がお互いに意見を交わしてぶつかり合うことが出来なかったようだ。

 

これが現在の日本の教育の大きな問題点のように思われる。この様な衝突に至る前に、各人はかなり苦しい思いをしていたであろう。しかしながらその思いを、表に出すことが出来ずに、行動に出てしまった。これが現在の日本の教育の結果である。

 

原因は小さい時から大人が子どもを管理し、子どもの自由は認められていない。乳幼児から大人の管理下にあり、自由に喧嘩することが出来ない。従って、自分の意思を表に出すことが出来ない。出してしまうとその結果を取りまとめる技術、すなわち和解の術が発達しない。

 

その結果、いきなり堪えきれなくなり、行動に出る。話し合いも何もできない。小さい時から衝突を繰り返していないので、その結果をまとめる術がほとんどない。これは現在の日本の教育の欠陥である。教育学を専門とする方々は、この様な基本的なことに気が付いていない。このために子どもたちは、どれほど苦しい思いをしているのであろうか。文科省も、この様な基本的なことについてもっと研究をする必要がある。子ども家庭庁などは、ほとんど役になっていない。

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スーパーの広告

スーパーの広告

 

家から買い物に行くスーパーは、数店ある。いずれも普通のスーパーであるが、1か所は週に数回新聞に折り込み広告を入れる。私は以前に新聞配達をしていたことがあるので、広告にどのくらいに費用がかかるかはおよそに見当がつく。

 

こんなに広告費がかかったら、費用がかさみ、品物が高くなるであろう。やはりあまり買い物には行かない。生き残るのも大変であろう。

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