いろいろのものを食べるクメール食文化 1

いろいろのものを食べるクメール食文化 1     2008.05.30. 金森正臣

 カンボジア人は、いろいろなものを食べる。これはビヤホールに、いろいろ売りに来た一つ。日本では考えられないが、ビヤホールの中に外部の者が来ていろいろ売る。店側は特にとがめたりしない。共栄共存で良いのかもしれない。

 写真は、手前がニワトリの足、時計回りにクモ、隣はコオロギ、その奥はヘビ、缶の乗せてある袋は小エビの茹でた物にネギ入り、最後はサナギ。中央のビンにある赤みのあるタレは甘味のある唐辛子にんにく塩。エビやトリの足などに付けて食べる。全て調理・味付け済みで、そのままお摘みにする。

 カンボジアでは、トリの足は茹でたり蒸したりして最後まで食べる。良く行く中華料理店にもあり、サービスで一皿貰ったことがあるが、なかなか馴染みがなく、食べるのに苦労した。若い女性も結構しがんでいるが、あまり色気のある食べ物ではない。足の裏はゼラチン質で、脂肪は少なく健康には良質のたんぱく質である。クモはカンボジアでは、馴染みの食べ物である。コンポンチャム地方の特産で、生きたものも売っている。食べるのは一種類だけのようだ。昔食べたイナゴの佃煮のような味付けで、ビールのつまみには結構である。ヘビはいろいろのものを食べており、種類は不明。串にさして焼いてあり、甘辛いたれ焼き。骨ごとバリバリ食べている。エビはだいたい川エビで、オニテネガエビの子ども。塩ゆでして、青ネギが添えられている。皮ごと食べる。サナギは、日本でも終戦直後は、貴重な蛋白源であった。しかし製糸工場で糸を取った後であるから、脂肪が酸化していて美味くなかった。カンボジアでは、製糸工場は無く、家内工業で糸を取っているから、サナギも新鮮で美味い。1980年ごろの韓国でも食べたこともあるが、だいたい同じ感じである。サナギは、次世代を生み出すための栄養を貯めて繭を作るから、高栄養食品。

 写真の左上隅の手に乗っているのは、500リエル札2枚。1ドル4000リエルだから、1000リエルで27円程度。飲み屋ででは、財布の紐がゆるくなるのはどこの世界でも同じ。昼間町で庶民が買う単位よりやや大きい。売り手は様々であるが、品物を持っている親方があり、そこがアルバイトを雇って売りさばいている。小さな子どもが使われていることも多い。だいたい同じ商品を、2-3人でグループを作って売っている。ビヤガーデンから次の店までは、モトトップ(バイクタクシー)が待っており、1店10-20分程度で、次の場所に移動する。
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タニシ売り

タニシ売り
                   2008.5.29. 金森正臣

 カンボジアの人も貝類が大好きで、淡水・海産を問わずいろいろな貝類を食べる。これは町の中で見かけたタニシ売り。リヤカーの上にコンロを置き、大きなタライ状のアルミ容器にお湯を沸かしながら、上の笊(ザル)に入ったタニシを乗せてある。わずかに湯気が立っているから、結構熱いタニシを売っている様だ。赤い唐辛子をきれいに飾ってある。

 売り手の手前にある笊の上の空き缶は、量り売りの道具。これ1杯で500リエル(13円)程度。この程度だと、町の売店や食堂のお姉さんでも買える額。カンボジアの人たちは、いつも何か食べている感じがする。この様なおつまみは大人気。でも小額の商いなので、生活してゆけるのだろうかと心配になる。お兄さんは、写真を取らせてと言ったら、ニコニコと愛想が良く、快く応じてくれた。

 タニシでは、やや小型の種類も売られている。こちらは殻高がやや高く異なった種類。また池には大型のタニシ(リンゴガイと思われる)もおり、こちらも食べている。

 その他には、シジミを良く売り歩いている。こちらは川から取ったものを調理せずに、塩をまぶして天日干しするだけ。塩の上に唐辛子の赤い粉をまぶしたものも人気がある。加熱してないだけに柔らかくて上手いが、コレラやアメーバー赤痢などの感染の可能性はある。美味いが、なるべく手は出さないことにしている。

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石切り場で働く女性

石切り場で働く女性
                2008.5.27. 金森正臣

 日曜日の地学の野外巡検で、見かけた石切り場の女性。まだ若く十代の後半ぐらいの年齢。妊娠してかなりお腹が大きくなっている。焼け付くような緑の無い世界に、わずかな日陰を作って、作業を続けている。大きな石を足の前に置き、それを台にしてコブシ大の石をさらに細かく砕いて、だいたいのサイズを揃える。たぶん敷石やコンクリートに混ぜる石材に使うのだろう。カンボジアでは、大きな石切り場では、粉砕機がうなりを上げているが、そのような業者が去った跡には、この様な手作業の貧しい人々が入る。一日働いていくらになるであろうか。

 皆ほとんど現地に住み着いているが、床も無いような、ヤシの葉で作った小屋。鍋を一個しか持っていないような家もある。どのようにして調理しているのだろうか。当然子どもたちも学校に行く余裕はないであろう。しかしながら、日陰に集まって休んでいる家族は、笑顔があり和やかだ。日本では、最近見かけなくなった雰囲気がある。

 カンボジアは現在建設ラッシュであるが、その波及効果は、この様な貧しい人々には及んでいない。この日にはこの様な現場を、異なる州の3箇所で見た。都会が発展する一方で、地方は疲弊して行く。

 それでも庶民は、いつも生き続ける。歴史はいつも庶民によって作られて行く。エジプトの遺跡の壁画に残る統治者たちの姿は現在にないが、庶民の姿は4500年の時を経て、少しも変わらずに続いているのを見たとき、本当に歴史を動かしているのは、庶民であると確信した。
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石割場で働く子ども

石割場で働く子ども
                2008.5.26. 金森正臣
 日曜日に、地学の巡検を行ったので付いて行った。カンボジアでは少ない花崗岩を産する場所に最初に出かけた。ここは4年前にも学生を連れて行ったことがある。丘の上にはお寺があり、その裾の部分に花崗岩の路頭がある。ここは石切り場になっていて、貧しい人たちが、砕石を造って売っている。全て手作業。以前は斜面であったのに、現在は掘り進んで池が出来、かなり石が少なくなってきている。

 写真の子どもは、まだ小学校高学年にはなっていない。お父さんが大きく砕いた石を、お母さんが細かく砕き、それを箕に入れて頭に載せて、砕石したところから車が入れるところまで運び出す仕事をしている。下に4-5歳の妹があり、その子の面倒を見ながら、親の仕事を手伝っている。日曜日でもあるから、学校に行っているかは不明だが、たぶん毎日働いている。学校には行っていない気がする。日に焼けた赤銅色の顔の中から目だけが、こちらを見つめているのが分かる。

 頭の上には、十キロを超す石が乗っており、バランスをとりながら斜面を下ってくる。その身のこなしは、なかなか鍛え込まれている。日本の子どもたちには見られない逞しさが感じられる。しかしながら、一生貧しく過ごさなければならないかと思うと、少し気が重くなる。でも日本の子どもの様な不安感は、多分持っていない。どちらも同じ人生なのだが、もし選べるとすると、自分ならどちらを選ぶであろうか。

 貧しい生活では、家族全員が協力して働きやっと生きている。この様な世界には、子殺し、親殺し、兄弟姉妹殺しなど、身近な肉親同士が殺しあうような事は少ない。そんな状態になったら、生きて行けなくなる。以前に小魚からプラホック(魚醤)作りに励んでいた家の子ども(4-5歳か)について書いたことがある。小さな子どもが、強制で無い重労働に耐えられるのは、家族との一体感があり、一員としての役割を持っているからである。その労働は生き生きとしており、家族の一員として支えている誇りを持っている。肉親殺しは、そこに至るまでの長い時間、憎しみや怒りで正に地獄の沙汰であろう。肉体的には苦しい労働であっても、生き生きとした行動は、その対極に有ることを物語っている。ユニセフのキャンペーンに、「働かなければならない子どもたちがいる」と言う意味のことが有ったと思うが、彼らは何を見ているのだろうか。勿論強制労働に対する言葉であろうが、働く場が無い便利な日本社会の子どもたちの悲惨さも見落とさないで欲しい。多くの日本人が、この切実な問題に目を向けていない。教育再生会議の委員なども、教育の中で改善しようとするのは、場当たり政策で、基本問題を見つめる必要がある。

 後方は、連れて行った学生たちで、カンボジアの中での格差が大きい。日本の社会よりもはるかに大きいが、庶民はまだ現状維持を望んでいるようだ。今年7月に行われる、選挙結果がどのように成るのだろうかと見つめている。この学生たちは、既に自分の身体を自由に使いこなすだけの訓練を、自分の身体に課していない。
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今年の雨季

今年の雨季              2008.5.20.金森正臣

 カンボジアでは5月から雨季とは言え、ここのところ良く降る。20日までで降らなかったのは、2日と5日と20日の3日間だけで後は毎日降っている。降水量も188+10mmで、昨年の5月分より多くなった(10mmプラスは、5月3日集めているバケツが風のためにひっくり返り、量不明。ただし2箇所でしているので、宝推定すると10mm以上)。多く降る日は、40mm、35mm、30mm、20mmなど半端ではない。
昨年の5月の降水量は、16日間降って158mm。1日の降水量の最大は、39mmで次は、20mm以下。連続降水日は、11日間で、今年の14日はあと2日続けば昨年の1ケ月分に相当する。大陸の気候は、日本の気候とは異なり、年変異が大きいのは普通のこと。半分になったり倍になったりすることは、アフリカでも経験済み。だから異常気象かどうかは分からない。エジプトでは1980年ごろの、年平均降水量は50mmであるが、5-6年に1度降る程度で、前回は数年前に300mm降ったと言っていた。それに比べれば、この程度では年変動はかなり穏やかなもの。

 スコール型で、1時間も掛からずに40mmぐらい降るから降り方もすごい。平坦だから流れずに、あちこちにプールが出来る。小さな子どもがその中で遊んでいる。子ども達にとっては、結構な天気の様だ。夢中になって走り回っている様は、現在の日本の子ども達には見られ無い充実感がある。プノンペンも排水事情が改善されて、1-2時間程度で通行が可能になる。毎日降るようでも、日本の雨季とは違い直ぐに上がるから、コーヒーでも飲んで待っていればあまり差し支えは無い。
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町の中のヤシ酒売り 

町の中のヤシ酒売り               
 2008.5.16.金森正臣
 乾季になると、プノンペンにもヤシ酒を売る自転車がやってくる。乾季の終わりが特に美味しくなる。写真のホウカムリのおばさんが引いている自転車の両脇に付けられている黒い筒の中が、ヤシ酒。この黒い筒は、竹で出来ており、使い込まれると黒くなってくる。中を覗くとふつふつと泡が湧き上がっており、現在発酵中。なんだか薄黒い筒から汲み出すと、アメーバー赤痢は大丈夫だろうかと、スリルも味わえる。

 このヤシ酒売りは、発酵しているものの他にジュース状の液も売っている。こちらも同じ木から取ったものであるが、発酵する酵素を入れてないと甘味のある爽やかなジュース。ヤシ酒の元は、砂糖が取れるパルメラヤシ(学名:Borassus flabellifer)の雄花が咲く茎を切ってそこから出る汁を集めたもの。約100ccのコップで、100リエル(400リエルで10円程度)。ジュースも酒も同じ値段。アルコール分は結構有るのもあり、500ccも飲むと酔うこともある。ビール並みかと思われる。

 ヤシ酒作りは、百本を越える木を一人で管理しており、毎日数メートルの木に登って吊り下げてある筒を交換する。筒を吊り下げる時に、中に乾燥した木の数センチ角のものを2-3個入れておくと程よく発酵している。使う木は2-3種決まったものがあるようだが種名は不明。この木が入れてないと発酵せず、甘いジュースになる。煮詰めると、お土産に売っている砂糖の塊になる。なんとなく黒砂糖に似ている。小さく割ると、抹茶のお菓子にも結構いける。酒はどんどん発酵が進むので、次の日の夕方にはやや酸味を帯びてくる。やはり採集している現場で飲むと、ジュースも酒も上手い。時間が経つと、やや匂いも出てくる。

 このヤシは古くからいろいろに利用されている。葉は、手を広げた団扇の様になるので、ウチワヤシと訳されていることもある。この葉を数センチの幅に裂いてつづったものは紙の代わりに使われており、鉄筆の様なもので葉に傷を付けて、仏教の経典が書かれている。またこの葉は、屋根の材料になったり、壁の材料になったりしている。現在では、お土産物の袋が編まれている。パルメラヤシは、屋敷の中に植えられることは無く、必ず田の畦や畑の畦に植えられる。これに対して日本人がヤシと聞くと想像するココヤシは、ほとんど屋敷内に植えられる(ココナッツヤシともいう:学名:Cocos nucifera)。植える場所の違いについて聞いても、明確な答えは無い。パルメラヤシは実の数が多く、良く落ちるので危険だと言うのが、最も納得が行く説明である。ココヤシの方が大きくて子どもの頭ほどの大きさがあるので、落ちると遥かに危険であると思うのだが。私の勤めている学校にも十数本のココヤシの木があるが、確かに大きな実はあまり落ちない。小さな実は、ムササビが齧って、中を食べてしまい、落ちていることが時々ある。 
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おいしいドリアン食べた 2

おいしいドリアン食べた 2
                       2008.5.15.金森正臣

 先々週になるが、友人の胡椒畑に、温度と湿度のデーターを取りに行った。もう取り始めてから3年目になるが、時々機器が故障するので、全年を通してはなかなかデーターが取れない。今はドリアンのシーズンで、彼の畑で働いている人は、ドリアン畑も持っているので、おいしいのが食べられる。一昨年も食べて、ドリアンの話を書いたような気がする。

 昨年は、急いでいたので食べ損なったが、今年は最初から気合を入れて食べる準備。ドリアンは臭い食べ物と思われているが、畑で食べるドリアンはまったく臭くない。ドリアンは木から切り取ると、皮の発酵が始まり、臭みが増してくる。採りたてはほとんど臭いが無い。出荷するものはあまり熟しすぎると傷みやすいので、やや早目の物を取る。この結果は、甘味が十分でないし、柔らかくない。業者は、早めに取ったものを、やや柔らかくなってから売っているから臭い。

 畑では取り残しが出て、熟しすぎると落ちてしまう。これは出荷用にはならない。この様な完熟ドリアンは、まさに畑でしか食べられない。カスタードのような柔らかさと甘味、バターが入っているかのような濃厚さは、町では食べられない。昼時で腹が減っていたこともあったが、その美味さにつられて、ついつい食べすぎ、夕食になってもまだ満腹感が有った。どうも食い意地が張っていると、失敗が多い。

 タイでは、毎年ドリアン好きが食べ過ぎて死人が出ると言うが、なんだか分かるような気がする。結構食べてから腹の中で発酵して、満腹感が続く。食べ過ぎて発酵するとどんなことになるのだろうか。想像しただけでも恐ろしいので、食べ過ぎないようにしている。またドリアンがお腹にあるうちは、酒を飲んではいけないと言われている。飲んで気持ちが悪くなった話を良く聞く。一緒に行った友人も、つい数日前に畑で昼ごろドリアンを食べて帰り、夕食にワインを飲んで気持ちが悪くなったと言う。用心用心。
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マンゴー襲来 2

マンゴー襲来 2
                           2008.5.14.金森正臣

化学の先生にマンゴーを頂いてから、数日後に今度は、大家さんからマンゴーを頂いた。いずれ劣らぬ個性がって、化学の先生からのものは大きくて酸味と甘みのバランスが良い。大きいが形としては、ペリカンマンゴーと呼ばれるタイプで、種も薄く全体も細長い。大家さんから頂くものは、アップルマンゴーと言われるタイプで、メキシコから日本に入っている仲間。大家さんのものは小ぶりだが、甘味が強く、香りが独特。市場にはあまり出ないタイプ。

マンゴー襲来後日談
お礼を言ったからか2週間ほどして、また化学の先生から、マンゴーを頂いた。それが終わらないうちに、大家さんからもさらに2回頂、まだ冷蔵庫に数個が入っている。フルーツシェイクにしたり、ジュースにしたり頑張るが、なかなか終わらない。もしかすると今年は、マンゴーの当たり年かもしれない。友人から聞いて、直接冷凍しているのもあるが、まだ食べていない。

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マンゴー襲来 1

マンゴー襲来 1         
                             2008.4.10.金森正臣
 化学の先生から、マンゴーを頂いた。昨年もシーズン中に頂いた。美味しかったので、お礼を言ったのが功を奏したのか、今年も立派なマンゴーを沢山頂いた。この乞食根性が災いして、毎年沢山マンゴーを頂いて四苦八苦する。

 落語の「まんじゅう怖い」の様にマンゴー好きとしては、頂いたマンゴーは全部食べたい。ついでにもう一度頂けるかとお礼まで言うから、またマンゴーの襲来となる。マンゴーはそれなりに日持ちする果物である。しかし、大きいのになると、1回に1個しか食べられないから、数個頂くと1週間ぐらいかかる。毎食家で食べても、毎回食後のデザートはマンゴーと言うわけにも行かないから、結局日に1回ぐらいになる。マンゴーも時間が経つと、酸味が少なくなり、甘味が増すのは他の果物と同じ。あまり置き過ぎると、柔らかくなるし、締りが無くなる。長野県生まれとしては、愛知県に移ってから、ほとんどリンゴを買って食べない。何故ならば、愛知県のリンゴは「ボケている」状態である。長野県では、時間が経ち過ぎて、酸味や水分がなくなったリンゴをこの様に表現する。リンゴは長持ちする果物であるが、取れた時に付いている表面の白色の粉を拭いてしまうとたちまちボケる。これはリンゴが出しているワックスで、これが表面を保護している。ところが、産地で無いと果物屋さんは、これを拭き落としてツヤヤカなリンゴを店頭に飾る。2-3日するとたちまち水分が抜け、酸味がなくなる。だから愛知県に移ってからはほとんど買って食べない。マンゴーも、食べる時間が制限される。
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ご挨拶

皆様

ご無沙汰いたしております。
体調は良く、元気に働いております。松葉杖もやめて、一本の杖にしました。
4月はいろいろと忙しく、ただただ夢中でした。

今年は4月に中旬から、雨季に入った様で、雨の採集にも追われています。
4月の末には、地方のドリアンの産地に出かけ、おいしいドリアンを食べてきました。目的は資料の採集でしたが、こちらは見事にはずれ、ドリアンを食べに出かけた結果になりました。

また後ほどいろいろ報告を再開します。
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