レストラン事情 3 クメール飯屋

カンボジアから   金森正臣(2005.12.14.)

レストラン事情 3

 クメール飯屋

写真:街角のクメール飯屋を中から見たところ。右手の棚に各種の惣菜が並べてある。客は来るとこのショーケーるをのぞき、好きな物を盛って貰う。中央の大きな鍋には、スープが2-3種類有り、好みのものを選ぶ。店の外の歩道上にも、テーブルが並べられている。雨になると急いで逃げ込んだりする。
 
 私がクメール飯屋と呼んでいるレストランは、入り口に惣菜やスープの鍋を並べ、一目で見えるようにして有る。メニューなどはない。客は好みの惣菜を指定して、席に着くと注文の品とご飯が届けられる。店によって品数に多少の差はあるが、大きな店だと肉、魚、野菜など20種以上もある。スープも2-3種は置いてある。だいたい一皿が、1000-2000リエルで(1ドル4000リエル)同行者の人数分くらいの品数を頼めば、丁度良いくらいである。1人で行き2-3品頼むと、どうしても惣菜の量が多くなりすぎる。貧しい人達は、塩辛い1品を頼んで多量の飯を食べる。飯はだいたい一皿500リエルで、半盛りもある。若者などは、2-3皿も食べている。1人で2-3品頼んでもだいたい一食3000-3500リエルである。数人で来ると、たっぷり食べて1ドル以下である。
 日本でも関西には、店頭のショウケースに、各種の惣菜を1人前ずつ盛り並べてある飯屋がある。客は好きな物を取ってご飯やみそ汁を盛って貰って、精算し食べるシステムである。好きな物が好きなだけ食べられて、私は結構好きであった。今住んでいる刈谷にも1軒有ったが、最近見かけなくなってしまった。大阪市大の医学部時代には、キャンパスの直ぐ裏手が、あいりん地区と呼ばれているドヤ街あった。ドヤ街には、飯屋が何軒か有り、それぞれ特徴のある品々を揃えていた。昼食などは、早くて安くて美味いので良くそこの飯屋に食べに行った。鯖のみそ煮などを食べていると、向かいにご飯だけを持った兄ちゃんが座り込み、こちらの終わった頃を見計らって残った汁と骨をご飯にかけて食べていた。
クメール飯屋には、路上生活者のような若者が出入りしている店がある。乞食も良く来るが、店の主人は特に客が邪魔にしない限り追い払わない。私の良く行く街角の店は、昼食だけで300食ぐらいは売っている人気のある店である。持ち帰る人も多いから(カンボジアでは、スープ、ご飯、お総菜など全てをナイロン袋に入れ持ち帰る。お茶やコーヒーなども同じである)その数は定かではない。大きな鍋で何回もご飯を炊き足す。このご飯を炊くカンボジアの鍋は、アルミ製で1度に5升は炊けそうな大きさである。その度に鍋の底にお焦げが出来る。それを洗い場(外で水をくんできて洗っている)に出す前に、この路上生活者達が(複数いることが多い)手ではがして、折りたたんで食べている。テーブルの上に客の残した惣菜なども、手つかみで一緒に食べている。彼らはその後、お皿や鍋を洗い場に運んで、それなりの役割を果たしている。
以前にコロンビアで調査していた時に、食事の時に残った物を同行した政府の役人が集めて、乞食に渡していた。乞食は堂々とレストランの中で食べた後、出て行った。レストランの人々も特にクレームも付けなかった。この乞食は数回来た。コロンビアの食事も量が多く、日本人としては大食漢であった私でも、食べきれないほど量があった。コロンビアでは、乞食も同格に扱われていて、何となく安心した。以前にカンボジアでパーティーの時に、路上生活の子ども達が、ビールの空き缶を集めに走り回っていたことがあった。パーティーで散乱するゴミを片付ける役割を担っていた。パーティーに参加した人々は、あまり気にせずに彼らを容認していた。カンボジアの路上生活者は、コロンビアの乞食よりも、社会的に役割を担っているように思われる。
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