認知症 2

認知症 2

 

最近自分で認知症の兆候があることを理解している。認知症は一様ではなく、時間的にも体調の変化によっても状況が変化する。寝不足や風の兆候などで、認知症の状況が変化する。これは進行が進んでも、同じことであろうと思われる。若いうちは味わうことが出来ないことであろうから、少し解説しておいた方が若い人に役に立つかもしれない。

 

状況の変化に気が付いたのは、3年ほど前の心臓の手術をした後で疲れが溜まった時である。思い出そうとすることが思い出せないし、思考の感覚が少しずれた様な感じになった。例えば名前や固有名詞を思い出せない時などに、忘れるようになったなーと感じていた。しかししばらくすると思い出せるので、自分の心の中では認知症では無いと思いたい働きがある。また少し以前から、しておいた方が良いと思っていることがしばらくすると忘れてしまう。アイデアが時間の経過とともに立ち消えになる。

これらのことは生活に不便をするわけでは無いが、認知症の始まりであろうと思っている。

 

これとは別に、思考の組み立てが怪しくなっている。以前であれば何の苦労もなくできた関連事項の組み立てが、時間もかかるし抜けている部分がある。あとで読み直すと抜けていることに気が付き、組み立て直すことになる。従って書くことに時間がかかり、なおかつ論理があいまいになる。

 

しかし困ったことばかりではなく、適当になることは結構なこともある。あまり物事に固執しなくなるし、適当に忘れる。これも年を取ったものの特権かもしれない。認知症は決して悲観することばかりではない。

 

色々の味や香りなど、突然出会ったものに反応して、昔の記憶が蘇る。苦しかった時代のことでも、何となく懐かしく楽しい。先日モヤシを食べていて、突然浪人して友人3人と6畳で暮らしていたことを思い出した。浪人中でアルバイトも十分ではなく、モヤシぐらいしか食べられなかった時代である。しかしその時代が自分の人生の中でいろいろなことを育ててくれたことを思い出し、それがあったからこそ以降の時代が過ごせたと幸せの気分になった。いろいろ経験しておくことは、役に立つ。特に貧乏は、人生の財産である。

 

以前に無意識の世界に関心を持った時に認知症は、本当の自己と自意識のずれであろうと気が付いていた。ユングは社会への顔をペルソナと呼んでいるが、ペルソナと真の自己との乖離が大きい人は、認知症になりやすいように感じられる。割合として学校の先生などが多いように感じる。特に校長先生は、多い傾向がある。教育に携わっていると、自分の本心をさらけ出せることは少ない。私も40年間にわたって大学で教えてきたが、学生の前ではやはり本音が出せない場合も多かった。注意しなければならないことであろう。

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シャクヤクの苗見つけた

シャクヤクの苗見つけた

先日近くの農協の直売所で、シャクヤクの苗を見つけて買って来た。

 

「立てばシャクヤク 座ればボタン 歩く姿はユリの花」と美人を称えて歌われたシャクヤクの花である。

 

小学校低学年のころ、山を駆け回っていて、岩陰に咲いていたシャクヤクに出会った。しかしその時は名前も分からず、花だけの印象が残っていた。小学校の時には、お爺さんの庭にボタンがあったが、シャクヤクはなかった。その後15年ぐらいして菅平に勤めているときに出会い、シャクヤクが蘇った。名前も理解し、毎年花に会うことが出来た。

 

探していたわけでは無いが、シャクヤクの苗に出会った時は、即座に買うことになった。来年の春が楽しみである。

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認知症

認知症

 

最近多くの年寄りが認知症になり、多くの自治体がケアーに苦労している。

先日文化の日(11月3日)にNHKで、元認知症の専門医が認知症になった番組を放送していた。

 

なかなか良く出来ていて興味深く拝見した。自分が現職の医師として働いていた時には、家族の負担などを考えて、ケアハウスなどに行くことを進めていた。しかし自分が実際に行ってみると、つまらなくて行きたくないと言う。本音であろうと思われる。

 

気になったのは、自分が頼れるものを持っていないことである。特に専門知識は優れていても、自分の心を見つめる方法を持っていないために、自分の中に頼れるものが存在しない。ヒトは、自分の心の中で何を求めているかを、つねに確かめていないと、心の要求していることが何であるか分からなくなる。これは知識ではなく、自分の心の問題である。

 

認知症は同じ状況のことはない。時間や体調で常に変化するし、環境にも左右される。常に自分の心を理解するための訓練を積んでおきたいものである。これは若い時にも適応でき、何かの機会にチャンスに遭遇した時に、すぐ受け要られれるどうかは、普段の注意力と努力にかかっている。

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ご無沙汰いたしました

ご無沙汰いたしました

 

最近調子を落としてしばらく休んでいました。原因はインフルエンザの予防接種。近年インフルエンザの予防接種で体が重くなることが多くなったのですが、今回は少し時間も長くなりました。

 

若い時には、予防接種もあまり気にせず受けていました。記憶に残っている所では、狂犬病の予防接種がかなりきつかったように覚えています。それでも休むようなことはなく、仕事を続けていました。黄熱病もかなりしんどく、数日は体が重かった記憶があります。いずれも複数回受けないといけないので、出発前の時間調整がなかなか問題でした。黄熱病は、アフリカでは国の間を移動するのに必要なことがあり、イエローカード(黄熱病の予防接種の証明カード)を持っていないと移動が不可能になります。

 

年を取ると認知症も出て、いろいろ問題が起こります。認知症と言うのは、分かり易くものを忘れるのではなく、まだら模様に、いろいろな現象が起こるので、自分ではうまく認識が出来ないと思います。多くの人が、自分の変化を正確に把握できていないと思います。毎日状況は、体調によっても変わりますし、事項によって変化するようです。今年の3月に免許証の更新で認知症検査を受けましたが、あんなものでは自分の状況は分からないと思います。

 

年を取ってみれば、いろいろ楽しみながら生活できて楽しいものです。そのうちに訳が分からなくなるかなーと言った不安はあまりありません。

 

皆さん孤独に悩む方もおられるようですが、私に孤独感は全くありません。寂しいと言うこともほとんどありません。自分を見つめて楽しめることはいいことです。

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