日本の現状の問題に関して 2

日本の現状の問題に関して 2    2006.12.24.

 昨日の続きを少々。
 昨日不登校の子どもの父親の例を挙げた。問題の元に親子の関係が有ると気付きながら、なぜ2年間もかかったか。しかしこれが普通の現象である。

 ヒトは、日常の生活を意識で行っている。しかしそれだけで全ての判断が行なわれているかと言うと、必ずしもそうではない。もし意識だけで判断できるのであれば、迷うことは無いはずである。意識と無意識が有り、無意識は意識が眠っている間に見る夢などに代表される。無意識に気が付いたのは、ユングやフロイトで、私はユングの考え方について勉強した。良い解説書として、河合隼雄「心理学入門」(培風館)が有るので、興味のある人は参照されたい。

 昨日例とした父親は、3人の子どもが居り、私にところを訪れた時には、既に本質に気付き始めていた。でも、自分のそれまで生きてきた人生も正しいと思っているから、子どもが遊ぶことについての理解が十分ではなかった。最初の段階では、父親は一生懸命に勉強して、良い学校に進み、良い仕事に付くことが当然と思っていた。従って、遊びについての理解が、あまり進んでいなかったと思われる。本人は国立大学の工学部を出て、大手自動車メーカーの開発チームを率いる、有望な人材である。スキーをしたり山登をしたりするなど、余裕もあった。自分ではこの様な遊びの部分を持っていながら、子どもの遊びは、努力からの逃避であると思っていた節がある。

 2年目の冬、12月初め頃のキャンプで、子どもが小川で遊び、手が冷たくなって焚き火あたりに来るのをじっと見ていた。私は子どもに『冷たいであろうから、川遊びは明日にしたら』と話した。保護者は、子どもに注意したり、意見をしたりしないことがこのキャンプのルールであったから、父親は黙って見ていた。子どもは手を真っ赤にしながら、黙々と遊び続けた。突然父親が「この子は今まで、本当に自分の好きなことをさせて貰ったことが無かったかもしれない」とポツリと言った。多分この時父親の心の中で、子どもが遊ぶことの意義を理解できたのであろう。好きなことを十分にしたことが無い、自分の子どもの不幸も理解できたであろう。

 この様にヒトは、意識の中で理解できても、無意識の中まで納得するにはかなりの時間がかかる。日常のコントロールは意識が行っているが、無意識の影響も受けている。この両者の間に乖離がある場合には、乗り越えるには時間がかかる。急ぐと人格が崩れる可能性もある。無意識も歩み寄って、準備ができるのを待たなければならない。

 皆さんが日常の中で、相手を説得しているのに相手が納得しないことも多かろう。上の様な状態では、初期には説得は不可能でも、2年目の冬になると話さなくても理解できるところまで変化している。この様な状態になると、もう私の存在は必要なくなる。でも本人が納得するまでしばらく時間がかかるから、更に続けることもある。

 時間は様々な作用を持っており、我々の認識を超えていることが多い。皆さんは時間をどのように感じておられるであろうか。今日駄目でも、明日或いは来年には状況が変わってくるかもしれない。むしろ同じ状態のことは無い。自分自身も変わるし周囲も変わる。
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日本の現状の問題に関して 1

 日本の現状の問題に関して 1    2006.12.23.

 日本では、社会全体が歪んで来ていて、子殺し、親殺し、いじめ自殺、責任を感じての自殺、臓器移植などと様々な問題が、噴出していた。皆さんはどのように感じて居られるであろうか。もう15年位前から、予想できていたことでる。実際に起こってきても、直ぐには改善の方法が無いことなので、発言を控えてきた。新聞紙面に発表される、文部科学大臣の発言、教育再生会議の委員の発言、専門家と言われる人々の発言などを読んでいましても、かなり核心から離れているので、現状はほとんど改善されないであろうことが想像される。

 何故ならば、これ等の問題は、非常に複雑な立体的な網の目を手繰っている様なものである。いろいろ意見を言ってもどうにもならないと言う思もある。しかし、現在問題を抱えて苦労している卒業生の皆さんのことを考えると、考える、理解するなどのヒント位にはなるかと思い、少しいろいろまとめてみた。非常に長くなるので、順次少しずつ、掲載していきたいと考えている。

 皆さん、苦労があっても頑張ってやり抜くしかない。苦労はきっと後で役に立つし、人生の基本である。逃げていては、問題は解決しない。しかし、方向が違って苦労しても、目的には至らない。力を抜いて、様々な方向を睨みながら、解決の糸口を掴む必要がある。

 しばしば私の意見は、読み手に対してきつくなることもある。それは全ての基本は、自分自身の有り方によると思って居るからである。如何に理由を付けてみても、自分が変化しない限り、認識は変わらず、苦労は続く。社会は簡単に変わるものではないし、その中で生きていかなくてはならない。少し視点がずれてみると、全く違うことに気が付く。自分の持っていないものは、人に伝えられないし、自分自身を幸せに導くのは、他人ではなく自分自身である。自分を鍛えることが、幸せに至る近道である。これが人生の後半に当たる30年間の私の結論である。自分を変えるためにヒントは、なかなか苦しいことが多い。それは、自我にしがみついているからである。

 また被害者に対してもかなりきついことを述べることもある。これは物事を公正に見れば当然でも、日本人は弱者や死者に鞭打つようなことは避ける傾向がある。このために物事の本質を見落としていることもある。これでは本当に必要な方向を見出さない場合が多い。皆さんの意見と違っても、冷静に読んでもらえる様に願っている。

 例えば、不登校の子どもの場合に、原因の本質に近づくのはなかなか苦しい。そのために、かなりの時間が要る。本人自身の問題をさて置いて、解決は無い。物事の理解力に優れたお父さんであっても、気が付くのに2年以上を要したこともある。彼は子どもの不登校に接して、同学年の子ども全てから「いじめ」の実態を聞いた。自分の子どもよりも、ひどくいじめを受けていた子どもでも、不登校にならなかった子どももいた。その差を、親に話せた子どもは不登校にならなかったと分析した。自分が子どもから信じられていなかったと気が付いていた。でもなぜ信じられていなかったかは、不明だった。それから2年して、子どもには遊びが必要なこと、自分は子どもが遊ぶのは勉強する努力が嫌いだからだと思っていたことに気が付いた。このときからか父親は、子どもが遊ぶのを喜んで見守るようになった。子どもは、親から認められていることを実感し、伸び伸びと生活でき間もなく登校するようになった。

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プチュンバンのお寺参り 21 お寺にある古い卒塔婆

プチュンバンのお寺参り 21 お寺にある古い卒塔婆   金森正臣(006.12.23.)

写真:2番目のお寺にあった古い時代の卒塔婆。日本では卒塔婆は、板に変化しており上部に左右対称の切れ込みがある。白木に梵語で何か書いてあり、お墓に立てる。上座部仏教では、スリランカなどと同じようにこの様な円形の塔で表される。これの建立年代は不明であるが、15-6世紀頃のものと思われる。焼きレンガを積み上げてあり、何回かの修理が行なわれている。日本の板の卒塔婆に上部に切れ込みを入れてあるのは、この写真の塔の上部に幾つかの段があるのに対応している。基本的には、仏舎利塔と同じ起源のものらしい。
 この2番目のお寺には、この様な塔が少なくとも4個は作られた跡がある。あるものは既に崩れてしまって、僅かに小山の様なレンガの堆積が残っている。これを見る限り、このお寺は、古くからあるものに、最近になって手を加えたものと思われる。この卒塔婆は比較的新しい時代のものである。カンボジアでは、アンコールワットよりも古い遺跡もかなりあり、まだまだ全体像を解明するには、時間がかかりそうだ。

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プチュンバンのお寺参り 20 夫婦仲円満の儀式

プチュンバンのお寺参り 20 夫婦仲円満の儀式    金森正臣(2006.12.20.)

写真:夫婦が円満に生活できるように、お寺の世話が係りの皆から儀式をしてもらっている夫婦。お寺に一角にコンクリートを敷いた吹き抜けがあり、そこのゴザを敷いて儀式の場所を作っている。周囲を世話係りが取り囲み、お経もを唱えた後、いろいろな花を振りかけられている。ついでに聖水も振りかける係りがいる。

 この夫婦は、一緒に行った仲間だが、商売は上手く行っており、自動車なども持っている。子どもも高校生を頭に3人の娘が居り、特に問題なさそうに見える。でも倦怠期かもしれない。何処の国も経済的に恵まれてくると、同じような問題が起こるのだろう。今回このコースを選んだ理由も、ここでお祈りをしてもらう目的があったようだ。でもかしこまって、ひれ伏している姿を見ると、可愛くもあり、おかしくもある。本人たちはいたって真剣の様だった。
お盆には、この様なお願いもできるようだ。
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近況報告

近況報告 2006.12.19.

最近また勤め先のインターネットが繋がらないことが多い。
家に引くように依頼しているインターネットも、8月に依頼して1月ほどして、前のアンテナを取り付けに来た。その結果、古くてこのエリアには余裕が無いから、新しいアンテナを持ってくるとのことだった。それから3ヶ月、2-3度交渉に行ったが、なかなか設置されない。最近になって、アンテナの貸し料を月15ドル払えと言う。そちらの勝手な都合で変えておいてと文句を言ってもラチが開かない。どうやらアンテナの貸し料を取れるように会社の規約を変えるまで待っていたらしい。結局まだ、引かれていない。インターネットなんて、早いのが取り柄なのに!

しばらくお待ちください。状況が改善したら、また送ります。
カンボジアでは、年末年始は、4月なので、ほとんど休みなし。
最近涼しくなって、今朝は23,8度まで下がっていた。熱帯夜でないのが嬉しい。でも風邪を引いた。だんだんカンボジア人並みになって来たのかな?
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プチュンバンのお寺参り 19 2番目のお寺の仏様2 仏像は数で勝負

プチュンバンのお寺参り 19 2番目のお寺の仏様2 仏像は数で勝負 17体? 金森正臣(2006.12.5.)

写真:これも同じ2番目に訪れたお寺の異なる建物の仏様。このお寺では病気の治療が行われており、御利益があると仏様の寄進がある様だ。モニュメントが多いのも、同じ理由。なんとも分かりやすいが、何か日本より安易な気がするのは、気のせいであろうか。
 数えてみると、仏様は17体ほどあり、かなり同じものが並べられている。各自勝手に寄進してくるから全体の統一性は無い。
 手前の左右にある黄色い2本は蝋燭。日本で大きな蝋燭と言えば、昔お城などで使っていた百目蝋燭(375g)ぐらい。でもカンボジアでは、大きな物は、10kg程度のものは時々見かける。これも元は5kgぐらいあったと思われるが、だいぶ燃えている。いったい幾日燃え続けるのであろうか。問題は、芯の付近だけ燃えて、周囲が燃え切らないで残るから天井だけ明るくて、部屋は暗くなる。カンボジア人はあまり気にしないで、天井が明るければ満足の様。多分、目の良いせいも有るし、普段あまり明るくしていないから、僅かに明かりがあれば良いのだろう。

 目は結構明るさに適応するようになっていて、私はかなり暗くても状況は、判断できる。例えば、アフリカでキャンプをしていても、星明かりで歩くことができる。日本でも学生は直ぐ懐中電灯を付けたがるが、私は暗くても歩ける。全くの暗闇と言うことはほとんど無い。但し洞窟潜り(ケイビング)をしている時には、全くの暗闇と静寂があり、明かりを消すと、方向感覚を失いそうになることがある。大阪に居た頃に、大台ケ原で調査をしていた時、かなり時間がかかり、夜間になってしまった。電池も消耗してしまい、雨も降り始めて苦労した。学生は、明るいうちから電池を使ってしまったことを悔やんでいたが、仕方なかった。小さい時に3年ほど一緒だった母方のお祖父さんが、社会に出てから必ずしも電気が十分に使えるとは限らない。家では暗い電気で生活し慣れなさいと、明るい電気は付けさせて貰えなかった。もちろん山の畑から帰る時にも、懐中電気は無く、星明りが頼りだった。暗いと結構神経を研ぎ澄ましているので、お陰様で、結構暗さに慣れたし、僅かな動物の物音を察知できるようになった様に思う。人間の感覚は、使うことによって、使えるように成長する。現在の日本では、子どもの成長に対して、使うことによって使えるようになることが忘れられているような気がする。


 繋がらなかったメールが、10日振りに開通。水道も開通して、本来はこうあるべきなのだが、と思ってみたりして、何となく日本の常識に縛られているのを痛感。ここは途上国なのだと改めて自分に言い聞かせている。電気があり水道がありガスがあると、何となく日本と同じと錯覚する。
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プチュンバンのお寺参り 18 2番目のお寺の仏様1

プチュンバンのお寺参り 18 2番目のお寺の仏様 愛嬌と数で勝負1

写真:お寺の本堂にあった仏様。なんだか妙に愛嬌がある。その上、戒壇の上には大小12-3の仏様を安置してある。後ろの絵もなんだか同じように愛嬌がある。やはり親しみ安くないといけないのかな。仏様が座っているのは、蓮の花の上(蓮華座)で、日本の様式と同じ。手前でくねっているのは、ヘビの胴体。どうも日本のお寺とはこの辺の装飾が違う。その他各種紙細工の飾り物が沢山吊るしてある。なかなか派手。荘厳さは無いが、親しみ易さはある。


 ここのところ、勤め先のインターネットが、またまた不調。今日1週間ぶりに開通。家に頼んでいるインターネットも、8月の中旬に契約して以来なかなか設置されない。先週何度目かの催促をしたら、アンテナの貸出料を月当たり15ドル払えへれば設置すると言う。どうやら会社の中で、料金の変更の予定があって、貸出料を取るようになるまで延期していたらしい。なかなかヤルナー。どうやら毎月60ドルを少し超える。途上国で便利に使おうと思うと致し方無し。
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