会食御礼

会食御礼        2010.9.26. 金森正臣

 先日は、食事会を開いて頂きありがとうございました。
久しぶりに皆さんのお元気なお顔を拝見し、元気な気分になりました。愛知県に来てからの最初の頃の皆さんが多く、30年前に戻った様でした。あの頃、「出世払いだぞ」などと言いながら、食事をしたことを思い出し、すっかり立派なった皆さんに感慨深い思いでした。日本の味を堪能させて頂きました。
以下の様に最近、いろいろすることが多く、まだ体力が十分ではありませんので、ブログの更新が滞りがちです。でも健康は大丈夫ですから、あまり心配しないでください。

 食事の前に、少しお話した、私の人生について少し述べさせていただきます。

 今から52年まえ、長野県の蓼科山の北の貧しい山麓の村から、牧場を始めようと上京した。高校時代から、貧しい農村の先の見えない生活の理不尽さを何とかしようと思っていた。当時住んでいた村の山の上に、広いササ原が有り、ここを牧場にして農家に肥育牛を預けて、収入の増加を図ろうと考えていた。現在ここは長門牧場になっている。先日、諏訪に会が有り出席したら、途中のサービスエリアに、長門牧場のソフトクリームが有り、懐かしく思い出した。

 卒論のゼミの最後の1月頃、5人の仲間の一人が、農家は金を儲けてどうする。1代目は良いが、3代目になると江戸時代から川柳にある様に「売り家と、唐様に書く、3代目」で、2-3代目になると意味が無くなるであろうと言う。返答に困り、卒業を伸ばす計画を立てたが、指導教授がアルバイトで生活していることを知っていて、「簡単には答えが出ないから、山の研究所に就職してゆっくり考える様に」と配慮して下さった。

 山村から「貧しい農村の改善」の志を持って上京したにもかかわらず、こと志と異なって、大学で42年間暮らしてしまった。退官して5年、2008年の夏に、現在の公益法人CIESFの理事長と偶然にプノンペンで会い、協力することになった。私の計画では、2008年には、退職金も残り少なくなったので、10月ごろに帰国する予定であった。既にかなりの家財を友人などに渡して、帰り仕度をしていた。更に2009年10月になって、元カンボジア日本全権大使の合流によって、カンボジアの80%の人々が従事している農業を改善することが国の安定と教育の改善にも必要と言うことになり、本格的に大学の農学部の支援をすることになった。カンボジアにも古くからの王立農業大学が有るが、ここはすでに伝統が有り、農家の農業改善には、ほとんど役に立っていない。新たに出来た田舎にあるバッタンバン大学の農学部を強化することにより、農家の農業を改善しようとする試みである。時間もかかるし、巨大なプロジェクトになる予定で、どこまで体力が続くかが、成否を決めることになる。お陰さまで、ガンも何とか通過できたので、新しいプロジェクトの、レールまでは敷きたいと思っている。農学部の支援の内容は、現在も日本の各大学などと交渉中で、また次の機会に報告したい。52年前に志を抱いて上京した農業改善を、カンボジアで始めることになり、不思議な縁を感じる。
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