勤め先のインターネット事情

勤め先のインターネット事情

最近インターネットが良く止まるので、色々聞いて見たら、どうも雷が鳴ると止めているようだ。
雨季に入って、雷がよく発生している。
おまけに、繋がっているときは、利用が集中するらしく恐ろしく遅い。私のパソコンの設定では、5分ぐらいで読み込みきれないとあきらめるので、しばしば繋がらない。
まあそんなこんなで、のんびりやっています。

           金森正臣
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果物 13 ジャックフルーツ  

果物 14 ジャックフルーツ  金森正臣(2006.7.21.)

写真:ジャックフルーツを、食べるようにした状態。黒部スイカほどもある大きな果実を、大きな包丁でばっさりと輪切りにして、更に割って中身を取り出す。中には、黄色い果肉に包まれたソラマメより一回り大きな種がある。食べられるところはもちろん黄色の果肉の部分。 

 ジャックフルーツには、かなり大きさの異なる2品種があるようだ。市場でよく売られている大きなほうは、10kgほどもある。こちらは中身も大きい。この写真のものは、あまり改良されていないのか、小さくて数キロぐらいまでにしかならない。しかし味はこちらの方が美味しいが、市場で売られていることは少なく、このジャックフルーツも、大家さんからの頂き物。きっとどこか田舎からでも頂いたのであろう。借家の庭にあるジャックフルーツは、もう果物がなっていない。

 ジャックフルーツの外側には、かなり樹脂が付いているので、覚悟をしてかからないと、結構面倒。食べる時にも、中身を取り出しながら食べると口の周りまで樹脂が付く。甘味もあって美味しいが結構腹に溜まるので、沢山は食べられない。腹持ちもいい。ミキサーで果物ジュースを作るときに入れると味が良くなる。夜店のシェークの店でも入れている。夜店のシェークは、氷と各種果物を入れてミキサーで掻き回す。味は結構なのだが、衛生状態はいまいちで、熱帯に不慣れな旅行者にはお勧めではない。
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挨拶

皆様

ここの所オフィースの、インターネットがなかなか繋がらず、送れない日がしばしばあります。
いたって健康で元気ですが、インターネットの調子ですから、休むことがありましてもご心配なく。
わざわざメールを頂きました皆様有難うございます。
ご心配をおかけいたしました。

          金森正臣
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子ども達 8 タイの働く子ども

子ども達 8 タイの働く子ども   金森正臣(2006.7.19.)

写真:タイのアユタヤの古い寺院遺跡で、物売りをする子ども。まだ小学校に上がる年齢には満たない。小さな子どもが、日傘の下でお客を待っている。お金の計算が出来るであろうかと心配するぐらいの年齢。近くに母親らしい人も商いをしているが、この小さな彼女は、一人で独立して商いをしている。猛暑の中でじっと客を待ち続ける。その辛抱強さに感嘆。

 途上国では、子どもが働くのは当たり前のこと。タイはもう途上国とはいえないかもしれないが、格差は大きく、大きな利益を得ているのは一部の国民に過ぎない。多くの貧しい国民は、終日働かざるを得ない。当然のことながら、子どもも働く。ユニセフなどは、キャンペーンで「働かなければならない子ども達がいる」と言った新聞広告を出していたことがある。

 このキャンペーンは、日本の子どもの現状を正確に認識していないと思われる。確かに途上国の子ども達は、働かなければならないために、学校への行けない子ども達がいる。それはそれで、何とか援助が出来ればすばらしいことだ。

しかし、日本人は、身近な問題から目を逸らしているように思われる。日本の子ども達は、働かないために、生きる力が付かない。自由が無く、親の管理下に置かれて、本来持っている遺伝子の能力が、十分に成長せず、体だけ大きくなっている。社会性の成長が遅れ、心は子どものまま体だけ大きくなる。この様な状態が、親殺しや子殺しを生み出していることを、どの程度認識しているのだろうか。話題になっている不登校やニートも、一連の問題の上に生じてくる。

日本人は、西洋文化を取り入れたことによって、日本文化を低いと認識している人が多い。単純に分かりやすく説明する西洋文化の特徴は、それはそれで良いところもあるのだが、世界は4次元どころかもっと複雑なものであろう。肉眼では見えない世界は、心を澄ませて見ないと見えないものがある。日本の文化は、この見えない世界を見ることに優れた文化であると思われる。「以心伝心」、「不立文字」、「無言説法」などと言われる世界である。これ等のことを失くしても、幸せになれれば問題ないのだが、多くの人が追われるような気持ちで、苛立っているのが現状ではないであろうか。自殺者の多いことは、そのことを端的に表している。

このタイの子どもの後ろには、立派なお母さんが、子どもが生きて行けるように育てている姿が見て取れる。教養や学問とは別次元の、太古以来の当たり前の人の営みである。
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プノンペンの朝の風景 17 車椅子のレーサー 

プノンペンの朝の風景 17 車椅子のレーサー   金森正臣(2006.7.17.)

写真:最近朝の散歩のときに見かける風景。公園の周囲をレース用の車椅子を使った数人が、毎朝トレーニングを積んでいる。決して若くない人たち(30代にはなっているし、超えている人も入るかもしれない)が、熱心に地道にトレーニングをしている。カメラを向けたら、ハローと言ってニッコリ。その明るさに一瞬、ビックリ。思わず自分のふがいなさにたじろぐ。

 カンボジアには、内戦の影響やその後の地雷などの被害によって、足が不自由な人がたくさんいる。日本で習った技術を生かして、義足つくりは世界で有数なレベルにあるようだ。義足をつけている人が多いことによる悲劇でもあるが、一方でその技術の高さに驚かされることもある。以前にも2回ほど、義足の展示会を見たことがあるが、黙々と手作りする、職人さんの技術は、驚くばかりの確かさだった。地方では、恵まれない人たちが、手作りによる車椅子に乗っているのを見ることもある。

 この車椅子のレーサーたちは、白人の青年が自転車で追いかけながらサポートしている。何処かの援助団体が資金を出して、支援しているのであろう。それにしても、苦しい人生の中で、ハローとにこやかに挨拶できるこの明るさは何だ。何かにつけて怒ってしまう自分のふがいなさと申し訳なさに、思わず涙が溢れ出す。

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プノンペンの風景 16 街角のバイクタクシー   

プノンペンの風景 16 街角のバイクタクシー   金森正臣(2006.7.12.)

写真:街角にたむろするバイクタクシーの運転手たち。カンボジアでは、バイクタクシーが庶民の足で、モトトップと呼ばれている。運転手たちは、四方が見通せる辻に待機していて、門から出てきた人を見つけると、素早く手を上げて合図をする。相手が応じると、エンジンをかけて走り出し、客の脇まで来て交渉に入る。

 カンボジアでは、庶民の移動手段はモトが主である。物を運ぶのも、モトである。朝の市場には、モトに荷物を満載してその上におばさんたちが乗って出勤する。おばさん達はモトの運転手に肩車をされている様に見えることある。

 モトの定員は乗り放題で、一家の場合ご主人が運転手で奥さんの他に子ども3人の5人が乗っていることもある。モトに関しては運転免許も無く、誰でも持っていれば載れる。小学生位が運転していることもあり、当然交通ルールは理解されていないようだ。逆走あり、信号無視あり、何でもあり。当然交通事故もあり。チョットぶつかったぐらいでは、「ごめん」で走り去ってしまう。

 モトは、料金体系が無いから、交渉次第。土地の人にはだいたいの感があるらしく、あまり吹っかけは無いようだし、簡単に交渉が成立する。時によると乗り手が拒否をして、運転手が付いて歩いていることもあるが、この様なときにはモト側が折れて交渉が成立することが多い。
 外国人だと見ると吹っかけるのが多いが、拒否するとだいたいの、折り合いが付く。私は、あまり値切り過ぎないように、地元の人よりはやや高めに支払うことにしている。特に市場などに待っているモトには、あまり吹っかけられたことが無く、少しチップを出すと喜んでくれる。2kmぐらい走っても、0.5ドル程度である。

 いつも不思議に思うのが、写真のようにたくさんのモトが待っていても、あまり争いを見ない点である。日本のタクシーの様に、順番が決まっているわけでもない。お客に気が付いた順番なのか、それとも何かのルールがあるのか。かなり同じ場所に常連が居ついている様だが、新しい顔が参入していることもある。それでもあまり揉め事を見ないのは、彼らは穏やかな人たちであり、穏やかな文化であることを示しているように思われる。
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プノンペンの風景 15 研磨師の道具一式

プノンペンの風景 15 研磨師の道具一式   金森正臣(2006.7.11.)

写真:研磨師の道具一式。オッチャンはただいま昼飯中。荒砥から仕上砥まで4枚ほどを、自転車のチューブを切ったゴムバンドで、磨ぎ台兼自分のイスにくくりつけて担いで歩く。このオッチャンの左肩は、担ぎ歩くので擦り切れてシャツが破れている。なかなかの貫禄。
砥石も綺麗に平らに減っているから、磨ぎの技術は確かであろう。
 そのほかには、バケツに磨ぐための水と自分の飲み水のペットボトル。イスには古タオルが挟んであり、研磨が仕上がったところで、包丁を綺麗に拭く。

 田舎では小さいときから、包丁磨ぎや鉈、鎌、斧、鉋、ナイフ、鋸まで、なんでも自分で磨がなければならなかった。最初はなかなか砥石が平らに減らずに歪んで減る。刃物が切れるようになるのは楽しみではあったが、砥石が歪むのには苦労した覚えがある。小学校の高学年頃には、自由に調節できるようになった。子どもの頃には、時には研磨師が来たが、多くはハサミの専門だった。ハサミは、歯が直線ではなくカーブをしているのでなかなか難しい。就職してから、解剖バサミが高価でなかなか良いものが手に入らなかったので、自分で磨いでいた。非常に細かい砥石を使って、顕微鏡で覗きながら磨いて咬み合わせを調節した。最後には、皮砥で仕上げる。顕微鏡で見ていると、皮でもかなり減るのでただ関心。そう言えば床屋さんでヒゲ剃り用にカミソリを皮砥で磨いでいたことを、覚えておられる方も居よう。現在ではあのタイプのカミソリは使わなくなってしまったが。
 鋸は、他の刃物とは異なり、平ヤスリ一本で、手加減で一ずつ目を立てる。その後に目を一枚おきに、アセリと呼ばれる左右に振り分ける作業が居る。全く感が頼りの神経を使う作業だった。最後に歯の上に縫い針を流し見ると、綺麗に流れれば仕上がり。流れなければやり直し。今は使い捨て時代になり、日本ではあんな技術は不要なのだろうか。アフリカでは結構便利だったけれど。 
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プノンペンの風景 15 刃物の研磨師

プノンペンの風景 15 刃物の研磨師   金森正臣(2006.7.11.)

写真:早朝の市場で見かけた研磨師のオッチャン。肉売り場や魚売り場のおばちゃんが依頼しに来た包丁が、後ろ側に15-16丁並べられている。これから順次磨いで行くのであろう。肉と骨きりの大きな中華包丁の変形品は、しっかり焼きが入っていて硬そう。磨ぐのは、きっと大変に違いない。何しろ骨を切ってもヘタラ無いほど硬い。中華包丁は、4角形だが、ある特定の肉屋さんが使っているのは、先端部分の角が無く先がとがる。これ一枚で、肉の切り分けと骨を叩き切る作業をする。右奥の柱の陰にある3枚がそれ。厚く重量もあり、豚や牛の骨さえも切る。鶏などだと簡単。今オッチャンが磨いでいるのは、風通のタイプの中華包丁。

 町では時々研磨師を見かける。磨ぎ台とバケツに水を入れて持ち歩いている。だいたい磨ぎを始める場所は決まって居るらしく、道の脇の木陰などでしている。何処からとも無く依頼者が現れて、包丁を置いてゆくと、黙々と磨いでいる。
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プノンペンの風景 14 町のガレージ 

プノンペンの風景 14 町のガレージ   金森正臣(2006.7.10.)

写真:裏町で見かけたガレージ。裏町と言っても決して町の外れではなく、中央に近いところ。まだ裏通りには未舗装のところもある。ガレージも最近は結構綺麗になっているところもあるが、コンクリートも打ってなく、ダストの上で修理をしているところもある。建物は雨風をしのぐ(当然スコールの時は降り込むが)簡単なトタン屋根と囲いだけ。エンジンを持ち上げるためには、道路に木を組んでチエンブロックで吊り上げる。

 いとも簡単なガレージで何でも修理する。あまり自動車に載ったことのない人たちが、修理しているから不安になるが、結構動くようになるから、経験はたいしたもの。多分エンジンの原理も車の原理もほとんど勉強したことは無いと思われるが、結構経験で直してしまう。彼らのカンは素晴らしい。

 アフリカでも同じような状態のガレージが多い。修理箇所が燃料関係であったりすると、パイプに砂などが入らないかハラハラする。数時間も何となくそばに居て、部品を外されたりしないように見張っていなくてはならない。でもカンボジアではそんな心配が無いだけまし。預けておけば修理してくれる。

 学生時代に同級生と農場で車のエンジンを分解して、修理をしたことがある。同じように木の支柱を組み立ててチエンブロックで、エンジンを吊り上げた。3日ほどかかって修理して、エンジンをかけたら調子よくスタートした。でも動かしたら、たった1本のレールを越える馬力が無くてエンストを起こしたので、自信をなくした覚えがある。
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果物 13 Custard apple (Chambodia)釈迦頭 2

果物 13 Custard apple (Chambodia)釈迦頭 2  金森正臣(2006.7.9.)

写真:市場では、この様にうず高く積み上げて売っている。隣のスイカは許せるにしても、タケノコと一緒に売られているのは、理解に苦しむ。まあローカル市場だからいいのか。カンボジアは、アフリカよりは売っている商品に統一性が認められるが、何屋さんなのか、見事に外される組み合わせもある。でもこれは、青果でくくればくくれる?もっとも、この売り手さんは、市場の常連ではあるが、正規のブースを持っていない、隠れ市場商人の様な気がする。監視人が少なく、商売を休む人が多い土日に出現する。
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