攻撃性の問題 

攻撃性の問題    2020.04.27.

いじめ自殺、子どもの虐待、家族内殺人、DVなどが後を絶たない。様々な対処法が検討されているが、根本的問題には遠い気がする。

攻撃性は、動物の進化の過程で持っているもので、無くなるようなものでは無い。基本的には生存に不可欠な要素で、ユングは「悪こそ力がある」と言っている。しかし攻撃性は社会を崩壊させる要素で、如何に成長の過程で、社会を崩壊させないように学習して行くかであろう。ヒトと言う動物が、社会を維持すためにためには、DNAにはのっていない情報を、後天的(出生以降)に学習する必要がある。

現代の社会では、効率性が重視され、良し悪しがはっきり求められることが多い。この様な二元論の世界では、あいまいな部分が消され、善悪がはっきりつけられるのが良いとされる。しかし人間の思考は、そう簡単ではなく、複雑に交差しながら進む。成長の過程で思考の揺れがおろそかにされると、単純な思考になり、すぐに切れる状態になりやすい。
ヒトは、成長の段階で様々な矛盾に遭遇する。そのことによって思考が複雑に変化し成長する。その時に単純に割り切ることが良いとされる現代社会では、様々な角度から物事を考える方法が奪われる。白黒だけではなく、灰色もあるし異なる色がある思考が持てると、単純に切れる状態にはなりにくい。白黒だけでない部分が考えられると、簡単に切れる所にはいかない。
例えば子どもの喧嘩を見た大人が、どのような思考になるかが、子どもの思考の過程にも影響する。小学校低学年では、我々の子どもの時代には普通に喧嘩が起こるものであった。しかし現代ではすぐに止められてしまう。これは怪我をしてはいけない、喧嘩をするのは仲たがいであるから悪いと言った大人のその場の理論が優先している。しかしそのことによって子どもは、喧嘩をした後の仲直りの方法を獲得する機会を失ってしまう。年齢が上がるにしたがって、仲直りを獲得するのは難しくなる。特に小学校3年ぐらいを過ぎて、性ホルモンが働き始めると、仲直りはプライドが働いてより難しくなる。特に異性の前では難しい感情になる。

攻撃的になっている人は、ホルモンのバランスも関係しており、もっと生理的研究が必要であろう。

基本的に人間関係が出来ていないと、様々な問題が起こってくる。基本的な人間関係の構築は非常に早く、授乳と同時に始まっていると考えられる。これは正高信男「0歳児がことばを獲得するとき」行動学からのアプローチ 中公新書 1993を読めば理解できる。生後8週間には、既に関係の原型が出来上がっている。

日本での教育は、西洋的の導入以来、二元対立の思考が良いとされてきた。これは正義と悪がハッキリするからである。しかし本来の日本の思考は、協調性が重視され、白黒がはっきりしない場合が認められてきた。これは西洋の放牧から発達した文化と、日本の耕作農業から発展した文化との相違である。この点は宗教にも表れ、放牧文化の一神教に対して、農耕文化は多神教が多い。しかしそのことに多くの日本人は気が付かず、あいまいな態度は悪いと捉えられてきた。「NOと言えない日本人」などの本がもてはやされたりして、いまだに日本の本来の文化は正しく理解されてはいない。土地に縛られ、水利に縛られて生きてきた日本人は、協調の精神を発達させ西洋とは異なる思想を発達させた。この点を十分に理解する必要がある。

まだ数世紀は続くであろう、一神教の戦争の時代を過ぎれば、日本の協調の思想が、多くの人々に受け入れられる時代が来るであろう。それまで日本の本来の多神教の、正邪がハッキリしない文化を持ち続けなければならないであろう。

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新型コロナウイルスで見えたもの4  日本の社会の崩壊2

新型コロナウイルスで見えたもの4  日本の社会の崩壊2

先回、日本社会の崩壊に向かっている状況を書いた。続きとして、他の側面も考えておかなければならない。

最近政府も文科省も、教育の中にITを持ち込むことに熱心である。確かに今の社会では必要な技術かもしれない。しかしITの発達が、ヒトのコミュニケーション能力を奪っていることも確かであろう。

もう50年以上前になるが、京都大学の理学部動物生態学教室の森下先生の科研費に入れて頂き、長いこと研究費を頂いていた。年に2回ほどグループの会合があり、よく研究室に伺った。パソコンが普及しメールが気軽に使えるようになったころ助教授だった友達が、大学院生が向かい合って座っていて、話をしないでメールでやり取りをしていると嘆いていた。問題は議論が出来ない学生が増えつつあると言うことであった。直接話すと色々とトラブルが発生するが、メールだとトラブルになることが少ないと言うのが学生の言い分であった。話していると、十分に自分の意見が伝えられない時にどうするかの方法が未熟であると感じた覚えがある。

テレビが出たころに「一億総白痴化だ」と言ったのは大宅壮一氏であったが、現在そのようになりつつあると思われる。テレビを見ていると、自分で考えることはなく、テレビの話題に押されて思考が十分に深まらない。テレビなどは単に時間つぶしの道具にしかならなくぃ。その結果自分の考えは深まることもなく、テレビ的な価値観に流れて行く。もちろん議論をするだけの自分を持つことも難しくなる。単に聞いたことを中心に、話に加わっているだけである。
スマホなども同じで、見ている間は自分の思考は深まらない。また使って居る間は、周囲の観察もしていないので問題点も見つからない。
この様な状況に陥ると、他の人とのコミュニケーションの方法は退化する。
さらに問題なのは、誕生以来親が直接話す機会が減ると、子どもは聞き取ることが専門になり、話す機会が減少する。

大学でも1980年ごろから、相手の話を聞いていない学生が現れた様に覚えている。会話をしていて仲間に入っていても、相手の話を聞いていないので、いつでも自分が話し出してしまう。即ちコミュニケーションの基本である、相互、交互に話すことが出来なくなっていると感じた。
この様なヒト間の関係の変化は、社会の基本的関係を変えてしまい、社会の構成ができなくなる。
我々の社会は、この様な変化をしており、以前のような安定した人間関係は存在しない。この40年ほどの変化は、社会の不安定さを増している。

この様な中での新型コロナウイルスへの対処は、かなり難しい問題に直面しているであろう。

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新型コロナウイルスで見えたもの3  日本の社会の崩壊

新型コロナウイルスで見えたもの3  日本の社会の崩壊

新型コロナウイルスの流行で外出できない状態になっている。その結果家にとどまっていると、家庭で子どもとの関係が煮詰まると言う報道が出ている。確かにいろいろな場面で問題になっているようである。

この問題は、家族間でコミュニケーションがうまく取れていない結果であろう。これは、現在の家庭の中で人間関係が上手に出来なくなっていることを表していると思われる。

動物の社会は、家族が基本でその集まりとして成り立っている。その基本である家族が上手く成り立っていないと、社会は成立しない。この結果、現在のような社会になっていると思われる。多くの家庭は正常に機能していると思われるが、確かに親子の関係が上手に取れていない家庭も見受けられる。学校が閉鎖されて、スーパーなどで子ども連れをよく見かけるようになった。観察していると、かなりの確率で親子の関係が険悪な場合を見かける。親が一方的に子どもの要求を拒否し、叱っている場合がある。確かに子どもの要求に従っていられない場合も存在する。しかし問題はそれまでの成長過程で、子どもとの意思疎通が出来ていないことであろう。

確かに共働きをしないと経済的に成り立たないような社会になり、親が子どもの面倒を見切れなくなっている。その結果、保育所、幼稚園、学校が休みになると困ることは想像できる。しかし現在の状況は、家族が一緒にいることに疲れて様々な問題が起こっているようである。子どもへの虐待も問題になっている。

私たちが高校卒業の頃に(1958年)、田舎から都会への集団就職が盛んであった。それまでは大家族で生活していた多くの日本人が、核家族になっていった時代である。都会で結婚すると、当然のように核家族にならざるを得なかった。その結果、家族関係は単純になり、複雑な人間関係は無くなって、若い人の憧れる一つの家族像になった。その結果様々な問題が起こった時に訓練される人間関係が無くなり楽になった反面、人間関係の問題を調和するための方法が退化した。それだけではなく、困ったときに我慢して関係が改善するのを待つ力も弱まった。
結果として爆発する感情を抑える力も弱まった。

意思疎通が十分にできない関係は、子殺しや親殺しの原因にもなっている。

今後は、この様な問題に向き合ってゆかなければならないであろう。

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ヒトの家畜化  13 親による子殺し2

ヒトの家畜化  13 親による子殺し2

千葉県で小学生の娘を虐待によって殺した父親が、16年の刑を宣告された。新聞報道だけでも、かなり悲惨な状況が報道されており、量刑もかなり重いものになったようである。
本人は虐待の認識が無いようで、上告した。

感情がかなり歪んでいる。刑量を決めるだけである現在の裁判では、全容は明らかにならない。娘が感じる恐怖に興奮し、抑えが効かなくなっている。

今後のこの様な事件を少なくする取り組みには、父親の成育歴を理解しないと難しい。薬物などの使用による異常な精神状態でもなかったようである。今後なぜこのような状態に生育したのかを解明する必要がある。

現代の社会の中で人格の形成に異変が起こり、正常な発達がなされなかった結果であろうと思われる。これも現代社会のヒトの家畜化の一種であろう。

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C.W.ニコルスさんの死

C.W.ニコルスさんの死

数日前に環境保護活動に邁進していたニコルスさんの死が報じられた。40年ほど以前に菅平に勤めていて、長野県自然保護連盟の設立に関わっていたころ、彼に何回か会って話をした。何を話したかは覚えていないが、穏やかな人柄で日本の森林のことを心配していた。長野県の北の端の野尻湖の近くに住んでおり、自然の林の復元に努力していた。
私も当時千葉大の沼田先生と森林のギャップの研究を始めたころで、いろいろ意見が合った記憶がある。

イギリス国生まれのニコルスさんは、当時から髭や髪が白かったので私より年が上かと思っていたが、実際には、私より1歳若かったようだ。

遠い昔の思い出だが、懐かしい人柄を思い出した。ご冥福をお祈りする。

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