アボガド

アボガド   2013.5.29.  金森正臣

 アボガドに最初に出会ったのは、1985年5月のことである。場所は南米の、コロンビア。首都のサンタフェボゴタの市場に行った時である。大柄な混血のおばさんが、市場で売りながら、塩を付けて齧っていた。初めて見る果物に、挑戦して見たかったが、その時は食べられず、後日料理に出て来たのを食べた。この市場では幾つかの思い出がある。無茶苦茶辛い、マーブルチョコレイトの様な扁平・黄色・緑色などの唐辛子。笊に乗っているのを触ったら、手が熱くなった。小さなジャガイモ。ジャガイモの品種が多く、小さな物もいくつか有ったが、味が良いから無くならないと言っていた。日本なら手数がかかるので、直ぐに無くなりそうな品種だ。丸ごと空揚げにしていて、新聞紙に包んでもらって塩を振りかけ、歩きながら食べた。

 カンボジアでもベトナムとの国境の山側に行くと、アボガドが普通に家の庭でなっている。まるで日本でウメの木が有る様に、当たり前の風景である。アボガドは、かなり良くなる果物で、枝がしなるほどなっている。アフリカの調査のころに、アボガド好きが居り、市場に売っていると何時も買っていた。アフリカのものは、大きくて食べるところが沢山あった。カンボジアのものは小ぶりが多く、食べやすい。カンボジアの大きなものは、中身があまり良くないことが多い。大きい品種ではないように思われる。

 アボガドをどの様に食べるのかは、人によって異なる。日本では、マヨネーズと混ぜてドレッシングにしたものを学生から教えてもらったが、今までで一番美味しいと思っている。寿司にも良く使われているが、巻き寿司などでは何だか存在感が薄い。私はカンボジアでは、半分に切ってスプーンですくいながら、パンなどに載せて食べている。一番手抜きの様に思う。でも一緒に生ハムなどを乗せると、結構美味い。朝の忙しい時には助かる。

 アボガドは、収穫して直ぐは結構硬くて味が出ていない。数日置いて、ヘタの部分が直ぐに取れるぐらいになったところが旨い。また皮が簡単に剝けるくらいになっていると旨い。日本のスーパーなどに売っている物を見ると、大体この状態になっている。原産地では、とれたても売っているので、見分ける目が必要になる。


写真1:町の家の庭で見かけたアボガド

写真2:アボガドは、良く実をつける果物だ

写真3:ホテルの庭になっていたアボガド。枝が重さでたわんで居た。
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手延べラーメン

  手延べラーメン  2013.5.23.  金森正臣

 カンボジアには、昔から中国文化が流れ込んでいたと思われる。地図を広げて見ると、中国から海岸沿いに南に移動すると、ベトナムを経てメコン川の川口に出る。大河であるから、川口から奥を探ると、そのままカンボジアに上がってくる。
以前は、メコン川の川口までカンボジアであったから(現在はベトナム領)、特に国の境ははっきりしなかったであろう。それよりも、カンボジアやベトナムの国が成立する以前から、中国文化は流れ込んで来ていたと思われる。

 カンボジア料理の様式を見ると、調理の基本は中国式で、煮込みや炒め物が必ず加わる。
もっとも地方の貧しい農民や漁民は、町で食べる料理と異なり、ご飯に塩漬け魚や炭火で焼いた魚・肉などで、アフリカの焼く調理文化に近い。タイやベトナムと共通の調理文化を持っていることは、多分ずっと昔に、中国人が沿岸沿いに移動して来たことに起源が有るのであろう。

 名字を聞くと明らかに中国名であるが、本人たちは出自が中国だとは認識していない人も多い。この様な現象は、少なくとも数代にわたって、カンボジアに住んでおり、自分の出身が中国であることを確認できなくなっているのであろう。それでも、純粋なクメール人の家庭とは、行事や子どもの躾が異なっていることが多い。

 最近移動して来た中国人(華僑と認識している人たちもいる)のレストランでは、手延べラーメンが良く見られる。カンボジアの人たちは、当たり前のように思っているが、日本であったらこれだけで、店が繁盛すること間違えなし。店頭で青年が麺を注文ごとに伸ばしている様は、なかなか見応えがある。
手延べの他には、刀削り麺もある。でもカンボジアに来ている中華料理は、基本的に庶民料理で、宮廷料理などの高級料理はほとんど来ていない。
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アオビユ

アオビユ   2013.5.15.   金森正臣

 熱帯では、アオビユは普通に雑草として見られる。原産地は、熱帯アメリカであると言うが、どの辺かはっきりしない。
カンボジアでは、ここ2-3年市場で野菜として売っている。まだ花の咲かない茎と葉が、揃えて摘まれて並んでいる。中には道端で採ったのか、茎も揃っていないし、硬いものが含まれている物もある。
 東アフリカのタンザニアでは、普通の野菜で、「ムチィチャ」と呼ばれていた。いつも乾季に出かけて行くので、あまり青い葉物の野菜は無く、青いのはムチィチャぐらいであった。首都のダルエスサラームでは、道路わきの水道の漏れた水を使って、チャッカリ栽培をしている人がいて、勤め帰りの市民に売りさばいていた。同じように白菜なども作っているが(日本の様に葉が巻いているわけではなく、コマツナやホウレンソウの様に葉は独立している)、かなり硬いのでいつもムチチャを買っていた。

 カンボジアに来て間もなく、道路脇や植木鉢の中に、アオビユ(ムチィチャ)が有るのを見たが、野菜として売られているのは見かけなかった。最近になって、良く市場で見かけるようになった。多分どこかで野菜として使うことが入って来て、売れるようになって栽培もされるようになったのであろう。カンボジア人のスタッフに聞いても、この野菜を知っている人は少ない。

 アオビユは、かなり個性の強い野菜で、茹でて水にさらしてアクを抜く。その後に、酢の入ったドレッシングを使うか、胡麻和えなどにすると、美味しく食べられる。インターネットで調べてみても、日本でも野菜としては認知されていない様で、農研機構などで、アオビユ(ホナガイヌビユ)Amaranthaus viridis L.として雑草扱いである。また他の研究機関にも、飼料畑の邪魔な雑草として紹介されている。かなり栄養が有りそうであるが、成分はどこでも探せなかった。成長は早い様であるし、日本でも年間2回ぐらい世代が交代している様であるから、野菜としても有望と思われるが、全く使われていない様である。日本の自宅近くでも散歩道の脇で、良く見かける。ちなみに熱帯では、水分さえあればいつでも生育する(タンザニアなど)、有用な野菜である。

写真:1、市場で売られているアオビユ(中央)。手前はウリ科のツル。野菜として食べる。
写真:2、ビルの前の植え込みに生えていたアオビユ。
写真:3、ホテルの庭の端に生えていたアオビユ。
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雨の季節 

雨の季節   2013.05.07.  金森正臣

 カンボジアも、雨季に入った。既に4月からかなりの雨が降り、今年の雨季は早いような気がする。雨季の入りが早いと、6-7月ごろに雨の休みがあり、種蒔きを済ませた農民は、困ることが多い。1ケ月も雨が降らないと、蒔いた作物が枯れてしまう。2-3年前にもそのようなことがあり、改めて蒔く種籾が間に合わず、収穫が減った年がある。

 熱帯の植物は、雨季と乾季しかない季節に適応しており(当然のことだが)、乾季の終わりに近くなると、マメ科の木の花が良く咲く。これは雨季の期間の水分を使って、新しい種の芽を伸ばし、根を伸ばして、厳しい乾季を乗り切るための適応であろう。そのためには、乾季の終わりに花をつけ、雨季の早い時期に種を落とさなくてはならない。カンボジアはまだ乾季の乾きが厳しくないから、木には葉が残っているが、東アフリカのサバンナの原野では、葉が無い木が突然花をつけるので、異様な光景になる。

 カンボジア人の大好きな、「ゴールデンシャワー」の木も沢山の花をつけた。でも雨の度に多量の花が散り、掃除もなかなか大変である。朝の散歩道沿いのゴールデンシャワーの花を、毎朝道端の店のおばさんが掃いている。

 この時期になると、「パンノキ」も花をつけ、実も大きくなり始める。ソフトボールよりやや大きな丸いのは実で、市場では表皮を剥いで、中身を薄切りにして売っている。スープなどの具材に使われる。雨が降ると、やや気温が下がり、乾季の終わりよりは過ごし易くなる。いろいろなガイドブックには、乾季の12月から4月が観光シーズンとしては良いと書かれている。しかし、アンコールワットなどは、西向きの遺跡で、写真を撮るには午後が良い。ところが乾季の終わりの午後は温度が上がり、おまけに石の遺跡が焼けて、高温になる。雨季でも降り続くことはほとんど無いスコール(20-40分ぐらい)であるから、雨季の方が観光には適している。アンコールワットの中に雨宿りして、素晴らしく降るスコールの雨や煙る森を見るのは、熱帯を感じられるひと時である。

写真1、雨季には激しいスコールで、道路に水がたまる
写真2、乾季の終わりから咲き始める「ゴールデンシャワー」
写真3、散った花の掃除も、毎日の仕事。
写真4、雨季の初めから花が咲く「パンノ木」、花と実が付いている。
写真5、スラ・スランの遺跡の前でスコールに会い、雨宿りでコーヒーを飲む
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雨屋の品定め

            雨屋の品定め  2013.5.2.  金森正臣

{これはカンボジアの「日本人会」の会報誌のために、書いたものです。}

 男が三人寄れば、女の話になるのは普通の現象である。そこでどんな話になるかは、集まったメンバーの人柄によるところが大きい。先日も4時間ほど熟年男が集まって、いろいろな話になった。特にその話のために集まったわけではなく、車で移動するはめになったので、時間つぶしの話題になっただけである。

 話題はカンボジアの女性と日本人の女性の相違になった。人は、それぞれ見ているところが異なるから、相違についても、それぞれ着眼するところが異なる。だからこそ百人百様で、全ての人に対応する相手が見つかるのであろう。以前に、数人の学生と車で移動しているときに、対抗車の特徴についてそれぞれの記憶の異なりを調べたことがある。殆どが異なる特徴をあげており、車の形であったり、色であったり、大きさであったり、メーカーであったりなどそれぞれ異なるところを見ている。これは学生であれば其々の20年ぐらいの人生を反映した、無意識の反映であろう。人生の中で無意識に封じ込められたそれぞれの経験が、外界を見たときに反映されて、それぞれ異なった観察結果になると考えられる。無意識の心理学を研究したユングは、言葉についてそれぞれの経験が同じでないと、意味が異なっていることを述べており、同じようなことが観察にも表れる。

 複数の意見の中に、カンボジアの女性は乳房が日本人に比べて高い位置にあると言う。乳房を乳腺と置き換えると、胸の上の大胸筋の上に形成される乳腺や脂肪組織からできている。この組織は、どこかに強く結びついているわけではなく、押したりすると少し移動したりするゆるい結合組織で胸に止まっている。さてその位置が高いかどうかは、なかなか難しい判定だが、私も以前から確かに高いように感じていた。
勿論、乳腺の位置も、ブラジャーなどで大きく見せたり上げたりしているので、判定は簡単ではない。もう40年以上も前に、女子大に勤めていた知り合いが、大学生向けの教科書を書いた時に、女性の成長と共にどの様に体系が変化するか、詳細に述べていた。どの様にしてデータを取ったのかと聞いてみたら、大手下着メーカーが20万人を超す膨大なデータを持っていることが判明した。その中には、乳房に関するデータもあった。勿論友人は、メーカーの調査や分析に何らかの協力をしていたようであるが。しかしカンボジアではこのような調査は無く、乳房の高さについては、原因と思われるものを考えてみるしかない。

 乳腺はもともと汗腺が変化してきたものであり、原始的な哺乳類とされるカモノハシでは、汗腺そのものである。カモノハシのお母さんは、ひっくり返って腹を上にして、汗腺から乳を出して、子どもはそれを「カモの様なクチバシ」ですくい取って飲む。ヒトでもしばしば副乳頭を持つ人が知られているが(最大では4対8個、9個が知られている)、これは人の脇の下から脇腹にある汗腺に沿って出現し、これからも汗腺起源であるとされている。汗腺はしっかりした結合組織を持っていないから、多少の移動ができるのが普通である。このような組織の多少の高さの差がどの様に起こるかは、なかなか思いつかない。
あれこれ考えているうちに思い付いたのが、カンボジアの女性の肩の張り方である。日本人の女性は、なで肩と言われる両端が次第に低くなる形が多い。それに対して、カンボジアの女性は、いかり肩、或いは衣紋掛(エモンカケ)と言われる両端まで高さが同じ形が多い。もちろんスーツなどを着ていると肩パットを入れているので、外見があまり変形していない場合だけを対象としよう。個人差はあるから、日本で「いかり肩」とか「紋掛け」と言う言葉があるのであろうから、いろいろ変化はあるであろう。また母乳で子育ての経験が多くなると、当然下降してくる。以前にタンザニアの女性の、乳房のことを書いたことがある。私の使っていたトラッカー(動物調査の助手)の母親は、40代後半で16人ほどの子どもを育て、左右で結べるほどに長くなっていた。母親には、当時1差未満の子どもが居り、とラッカーの4歳ぐらいの娘が、子ども(叔母)を子守していた。
 乳腺で唯一移動が出来ないのが皮膚の上の乳頭であろう。発生学的に考えると、先ほどの汗腺の上に位置する乳頭は、皮膚の上に発生する位置が決まっている。もちろん皮膚は伸縮性があるから、多少移動するとしても、肩からの位置は大きく変化しないであろう。カンボジア人の肩が0.5ミリ程度高かったとすると、乳頭の位置も高いことになる。たかが0.5ミリ程度と言っても、視覚的バランスとしては、確かに確認できる程度になる。形態人類学などでは、頭蓋骨を見ていて差が有ると思われるところを計測して見ると、2-3%の程度でも視覚的に確認できる。カンボジア人は、胴長な傾向が有り、乳頭の肩からの距離が短くなると、確かに高く見えるであろう。以前には日本人も、現在よりも胴長の傾向が有ったが、食の変化によってかなり変化してきている。例えば、オタマジャクシなどは、ハッチ(卵から出る)してから植物質を与えていて、数日後に一部分の個体を動物質の食事に切り替えると、2-3日で腸管の長さが短くなる。カンボジア人はかなり肉をよく食べるが、それでも植物繊維も多い。日本の戦後よりは栄養状態は良いとは言え、植物質は多いので、胴長なのではなかろうか。その上に肩からの距離が短いと、乳房は確かに高く感じるであろう。カンボジアでも最近の若者は、確かに胴が短くなり、足長に見えるようになってきている。
 なぜ乳頭が高いことが、好まれるのであろうか。多分先に書いた様に、出産や年齢を重ねると、次第に乳頭が下がると思われる。したがって、乳頭の高さが若さの象徴として印象付けられているのではないであろうか。日本人には、若い女性がもてはやされるが、文化が異なると必ずしも同じではない。私が調査地にしていた東アフリカのタンザニアの奥地では、若い女性よりも一度出産した女性が結婚相手を探しやすい。イスラムは、4人まで妻を持つが、夫を亡くした子持ちの未亡人は、結構再婚しやすい。確実に子どもを産める保証があるからと考えられる。チンパンジーにも同じ傾向があり、初めての出産になる若いメスは、あまり持てない。それよりも何回も出産したメスが、多くのオスに人気がある。これの方が、自分の遺伝子を残せる可能性は高いから合理的と言える。この様なことでも成熟した文化で育った日本人は、自然から離れてきているのであろうか。

 役にも立たないバカなことを考えていると、時間の過ぎるのが早い。ただでさえ人生の残り時間が少なくなってきているのに、と思いながら・・・。


写真1、コラ! ノーパンで垂れ流しだろう。もう立派に、いかり肩。朝の公園で。

写真2、プレービヒアの山の中の新しい村の、幼い姉妹。なで肩ではない。

写真3、誰かの結婚式。もう小学生・中学生になっているが、なで肩はいない。

写真4、誰かの結婚式に集まった美女軍団。やはりなで肩はいない。

写真5、カウンターパートの結婚式で、近所の親子。
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