バンコク異変

バンコク異変             2009.1.26. 金森正臣

 日本に帰っても、なかなか時間の余裕も無くゆっくりブログが書けない。バンコクで感じたことを2-3.

 バンコクに着いたのは、1月8日で日本ならまだ正月気分だが、仏教歴でするタイは、いたって普通。でも空港で驚いたことは、人が少ないこと。バンコクはアジアの中心的空港の一つで、いつでも人が溢れていた。でも今回はいつもの6-7割程度。

 昨年12月の空港の閉鎖が、影響していることは確かだ。カンボジアに来たいろいろな人が、影響を受けてコースを変更余儀なくされた。丁度空港でアクシデントに会った人は、そのまま出発できた人と、陸路でカンボジアに出て、カンボジアからか、あるいはベトナムから帰った人もいた。かなり皆さん大変な思いで、バンコクに数日足止めされた人もいた。まだ完全に、客足が戻ったとは言えないようだ。

 タクシーに乗って市内に向かっても渋滞が無く流れがスムーズ。いつもの3分の2程度の時間で、病院に着いてしまった。途中の広告塔にも異変。約2-3割の広告塔に広告が無く空いたまま。これは世界的経済の異変の影響の様。12日の病院から空港へのタクシーでまたビックリ。よってきたタクシーは、500バーツで高速道路を使って空港までと言う。いつもならメーターで、750バーツぐらい。お客が無くて、道路も渋滞しないので、メーターを動かさず、運転手さんのポケットマネーに?時間はいつもの半分ぐらいで空港に着いた。入院していた病院は、地下鉄ナナ駅の近くの繁華街の付近。一度夕方街を歩いたが、以前の様に賑わってはいなかった。

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帰国後

帰国後            2009.1.23. 金森正臣

 正月気分も抜けた13日に日本に戻り、その後いろいろ報告したいことがあったが、なんとなく延び延びになっていました。正臣会で皆さんにお会いして、元気を取りしました。東京で、「カンボジア国際教育支援基金」の準備や理事会が有り、22日には刈谷に戻りました。あまり気がつかずに生活していたのですが、体調があまり良く無く、なんとなくあまり仕事が進まなかった様です。

 バンコクで入院中に、かなりの量の抗生物質や麻酔剤を投入されていたらしく、肌が荒れ、顔などがボロボロ。最初風邪気味でマスクなどをしていたので、マスクに殺菌剤でも付いていたのかと思っていました。しかし今日になって、忘れたように何も無くなり、すっかり薬が体内から抜けたようです。今日で10日目ですから、体内から投薬が抜けるのには、このくらいの時間がかかるのでしょう。ちなみに、若い時に尻から煙が出ると言われるくらいタバコを吸っていました。最後は葉巻を吸いこんでも足りないくらいでした。当時貧乏でしたから、風邪をひいても薬を買う金が無く、友人のお父さんからドイツから来た新しい薬をもらうために、条件としてタバコを止めました。ニコチンが抜けたと感じるまでに6年、夢に見なくなるまでに20年かかりました。

 普段薬をあまり使っていないので、抗生物質や麻酔は良く効きます。しかし、薬に弱いので、歯の治療などで抗生物質や麻酔を受けると2-3日変です。風邪などではほとんど薬を飲んでいないので、結構抗体は良く出来ているように思うのですが。そろそろ正常になりそう。
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無事帰国 

無事帰国            2009.1.14. 金森正臣

 バンコクで左足の金属を抜き、昨日無事帰国した。バンコクではいろいろ驚いたことが有ったが、また2-3日中に報告する。バンコクの病院のシステマティックなことには驚いたし、病院の分業の進み方も日本では見られないほど進んでいる。また、空港の閉鎖の影響や世界経済の影響で、観光客が少なかった。

 手術後は順調で、すぐ次の日から歩いたが、金属を抜いた部分が腫れるので、2日ほどおとなしくしていた。1月8日の20時ころから麻酔室に入り、寝ていたら23時ころには、回復室にいたから、多分手術は1時間程度で済んだと思われる。

 麻酔や抗生物質に超弱い私は、未だ多少その後遺症が有り、消化や体温調整に影響が残っているように思われる。しかし、体調も悪いことは無く、今朝も散歩をして早く体の中の抗生物質などが抜けるように励んでいる。傷口はまだ完全に塞いでいないが、化膿などの心配は無くなっている。ご心配いただいた皆さんに深謝。

 昨日日本に着いた時には、それほど感じなかった寒さが、家に着く頃から感じるようになり、昨日は寒さが抜けなかった。今日はそれほど感じず、快適な1日を過ごした。麻酔をすると、時々後まで体温がおかしくなり、感じ方がいつもと違って戸惑う。しなければならないことは山積しているし、プノンペンにない物を探しておかなければならないので、かなり毎日忙しそうだ。
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一時帰国

一時帰国    2009.1.7. 金森正臣

 明日朝プノンペンを立ち、2月初めに戻る予定。明日は、バンコクの病院に行き、まだ左足に入っている、ステンレススチールを抜く手術を夜の9時からする予定である。日本では考えられない時間帯に、予約が入って少々ビックリ。先生が大学に勤めているために、このような時間帯になるようですが、日本では緊急でもない限りしない様な気がする。

 その後日本に帰り、正臣会やカンボジア国際教育支援基金の会議に出た後、再びカンボジアの予定である。皆さんに、久しぶりにお会いできることが楽しみ。日本は寒そうで、手術の後なのでちょっと心配。
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チュウリップ・ツリー

チュウリップ・ツリー     2009.1.5. 金森正臣

 独立記念塔のロータリーの脇に、突然赤い花が沢山咲きだした。どこかで見た覚えのある花で、名前もすぐにチュウリップ・ツリーだと分かったが、なかなか思い出せない。アルツハイマーになったかなと思いながら、しばらくして思い出した。東アフリカのタンザニアで、奥地の調査に入るために、3-4日車で走るのだが、いつも帰りに最後の街で見る花。アフリカで見ていた木は、20メートルぐらいの高さになり、下から見上げるばかりで、なかなか写真にはならなかった。フィールドに入るのは、いつも乾期が始まり1ケ月ぐらいの6月末から7月初め。この時には咲いていなくて、帰りの9月になると咲く花。カンボジアでは、正月だから時期もかなり異なる。南半球と北半球だから、季節は逆転するが、それでもアフリカでは乾期の終わりに近い。カンボジアでは、乾期に入って間もない。

 この木は、道路わきの3メートルぐらいの木。2メートルぐらいの所にいくつも花をつけていたので、小枝を引っ張ってパチリ。英名は、African Tulip Tree。学名は、Spathodea campanulata。科名は、Bignoniaceae。木のスタイルがあまりに違って、すぐに思い出せなかった様だ。学名は、イタリックだが、ブログではうまくイタリックにならない。
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公園で白昼堂々の昼寝

公園で白昼堂々の昼寝     2009.1.4.  金森正臣

 中央に公園のある通りの芝生の上で、ご婦人が二人堂々の昼寝。シアヌーク通りと言う国王の名前の付いた大きな通りには、中央に芝生や植え込みのある大きな公園がある。その中央の芝生の上で掃除人のおばさん2人が昼寝をしていた。日本ではなかなか見られない風景。
 
 昼下りで暑くも無く寒くも無く快適。カンボジアでは、最高気温はしばしば夕方になる。正午ぐらいは、まだそれほど熱く無い。特に最近は夜の気温が低いから、正午ぐらいまでは、快適な気温。それにしても、多くの観衆のいる中でなかなか大胆。

 写真の左手の後方に見える、屋根の骨組みは、フンセン首相の工事中の公邸。毎朝約30km離れた別荘からヘリコプターで通ってくる。その右手に見える赤い屋根は、北朝鮮大使館。独立記念塔のすぐ脇で、町の中心地。

 市民の生活は貧しいが、カンボジアも平和になって、のんびり生活できるようになったのが何より。
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プノンペンの朝の風景 朝食は家の前で

プノンペンの朝の風景 朝食は家の前で     2009.1.3. 金森正臣

 朝6時半ころ散歩に出ると、家の近くの子どもが、お母さんに朝食を食べさせてもらっている。毎朝のことで、気持ちよさそう。多分1歳未満だが、見かけると手を振ったりする。のんびりとお母さんの膝の上で、30分ぐらいは食べている。毎朝、お水とお粥の様な食べ物だけであるが、いかにも悠々。涼しくて気持ちよさそう。

 日本では、この様な風景を見ることが無くなって久しい。昔は、昼などは畑の畔で、お母さんがゆっくりと授乳していたし、食べる時もゆっくりと食べさせられていた。お嫁さんがゆっくり休めるのは、子どもの食事時間ぐらいだった働かなくてはならない時代であったが、それでも子どもと親の関係は、現在より良かったように思われる。

 貧しい国々にいると、お金が入るようになると、人の心が荒れてくるように感じる。日本では、戦後経済が回復してもしばらくは、子どもの問題は少なかった。最近は社会全体が荒んできて、子どもたちにもその影響が出ている。核家族の価値の単純化や効率主義が招く当然の結果であるが、なかなか大変な時代だ。

 今年が、子どもたちにとって少しでも良い年であって欲しいと願っている。
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新年の結婚式

新年の結婚式        2009.01.02. 金森正臣

 昨日も結局仕事の後片付けで、仕事場で過ごした。夕方ころ以前にプノンペンで働いていた青年海外協力隊員が家に来てくれ、一緒に楽しい夕食。今朝は、快調に起きて散歩。街角で7時ころにバッタリと結婚式の行列に遭遇。日本では正月2日には、あまりしないと思うけど、カンボジアは、1月1日だけは祝日になっているが、西暦の正月はほとんどしないので通常と同じ。写真中央の盛花を持った男性が、花婿。これから行列と共に花嫁の家を訪問して、花嫁に盛花を渡す。受け取ってもらえれば、結婚成立。

 結婚して、一緒に人生をしようとするのは誤りだよと、若い人に言って来た。人生は個人でする物。生活は一緒に協力したら良いのだが、人生は手伝うことも協力することもできない。それぞれが自分の責任でしなければならない。一遍智真上人の播州法語集に「六道輪廻の間には、伴う人も無かりけり、ひとり生まれてひとり死ぬ、生死(ショウジ)の道こそかなしけれ・・・」と言う一節がある。即ち、生死の世界(人生)には、伴う人は無い。このことをよく考えずに、いい加減な甘い考えで過ごすと、結婚生活は誤りが多くなる。出来ることと出来ないことをはっきりと区別しておかなければならない。自分の人生を努力して切り開けるのは、自分しかいない。多少相性が悪くて、いざこざが有っても、それはまた自分を鍛える格好の材料。あまり相性が良すぎて、何も考えずにうかうかと、一生を過ぎしてしまうよりも良いのかもしれない。

 話は変わって、正月の2日は、初夢。枕の下に船の絵を敷いて寝ると、良い夢を見るとの言い伝えがある。元旦は寝ないで遊ぶことが多かったので、初夢は2日になったという説もある。夢の内容は、「一富士、二鷹、三茄子」が良いとされているが、なぜだか不明。夢分析では、到底理解できない。でも古人はなかなか洒落た遊びをしていたように思う。

 今年もいろいろな事が有りそうですが、張り切って行きましょう。身の丈に合わせて。
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新年のごあいさつ   

新年のごあいさつ   2009/01/01 金森正臣

 新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
 
 今年の仕事始めは、雨水の採集とpHの測定。昨夜から36mmの雨が降り、今朝の6時の気温は、22.7度。いかに一番寒い時期とは言え、かなり涼しい。昨年の終わりに、26、27、30日と雨が降り、乾期であるのに異常に雨が多い。20年ぐらい住んでいる人も、こんなことは初めてとあきれ顔。大陸の気候は、かなり変化するから、すぐに地球温暖化の影響などとは言えない。しかし、かなり珍しい現象。

 日本でも13年住んでいた菅平で、一度だけ非常に遅くに雪が降ったことがあり、多くの木の新芽がすべて枯れた。その後、ブナの林の調査の時に、200年ぐらい前に起こった天明の飢饉の痕跡を年輪から調べて感激。「天災は忘れたころにやって来る」と言う諺にも感心した覚えがある。多くの生物が、この様なほとんど見ることの出来ない時間間隔で起きることに対応している。自然はすごい。

 明恵上人の歌に「打つ人も、打たれる人ももろ共に、ただひと時の夢の戯れ」と言うのがあります。人間は自然に比べると、ほんの一瞬の生命だから、何があってもあまりくよくよせずに、まあ今年もボチボチ行きますか。
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