再び機心 基本を読む

再び機心 基本を読む

 

夏バテをしたのか、数日体調が悪かった。結局ゴロゴロしているだけで、内容は無い。

最近、鈴木大拙さんの「東洋的な見方」(1997 岩波)を読んでいたら、「機心」の話が載っていた。以前にも書いたが、「機心」は、荘子の外編、天地に出てくる「ハネツルベ」の話である。

 

ある旅人が、農民に水汲には、ハネツルベを使うと効率が良いと進める。しかし農民は、これは自分の仕事であるからと、自力で水をくみ上げると言う話である。荘子の趣旨は、効率にとらわれると、本来の自分を見失うと言う警告である。現在の日本では、この結果として、自分を見失っている人が多いように思われる。

 

親友であった西田幾太郎の本は、難しいが、大拙居士の「東洋的見方」は色々な視点から短編が集められており、理解できるところも多い。是非教養として読んでみる価値がある。

 

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福島の原発事故の処理水海洋放出は政府の誤り

福島の原発事故の処理水海洋放出は政府の誤り

 

政府が、福島原発の処理水を海洋に放出すると言う。これには基本的な誤りがある。

第一に、この処理水の安全性はまだ完全ではない。今までも政府が安全として行ってきた物質で、後になって問題が出たものは色々ある。フロンやPCBなど数えきれない。更に、時間が経ってからわかった時に、だれが責任を持つのかが問題になる。

 

今回の原子力発電の問題は、東京電力の問題である。それを海洋放出して、風評被害が出たら政府が保証すると言うのは、税金の趣旨からしておかしい。これは東京電力が責任を負うべき問題であって、国民の税金を使うのは筋が違う。

 

またトリチュウムの問題を、風評被害に置き換えて、そもそもの問題の基本をすり替えている。この点でも政府が出るべきではない。東電に問題の解決の責任を負わせるべきである。

 

原子力発電は、まだ使える段階にはなく、将来の子孫に多大な責任を負わせることになる。この点でももう一度考えるべき時に来ている。

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先生の不足2 文部科学省の無策

先生の不足2 文部科学省の無策

 

最近また先生の不足の話題が、新聞などで取り上げられている。各学校でかなり不足していて、担任がいない例もある様だ。

なぜこんな事態になったのか。大きく原因は二つある。

一つは採用数が少なく、辞める先生がいるとすぐに不足する。子どもの数の変動に対応しようとして、非常勤で賄ってきた経緯がある。

 

第二の原因は、最近次第に多くなってきた、あまりに過酷な状況に耐えられなくなる先生が増えていること。

この原因としては、子ども時代に体験が少なく、いろいろな状況に適応できない大人が増えていることと関係がある。子どもとの関係で精神的にダメージを受け、続けられなくなる例も多い。

 

文科省は何をしていたのであろうか。私の経験では、40年ぐらい前には少なかった、採用後1-3年でやめる先生が、その後急激に増えていった。10年ぐらいの間に、数倍になったように覚えている。この様な資料は、文部科学省にもあり、検討すればすぐに明らかになることである。

 

文部科学省にとっては、教科書の検定などよりも重要な役割と思われる。

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原子力発電はまだ使える段階にない

原子力発電はまだ使える段階にない

 

福島の原発事故の処理水を、海洋放水すると言う。原発はまだ使える段階になっていない。

原発で出る廃棄物は、まだ中間貯蔵施設の問題が話題になっている。しかしこれは中間貯蔵施設であって、最終処理がどのように行われるかも解決していない。メルドダウンの物質も取り出す方法もまだ検討中で、最終的にどのように処理できるか不明である。

 

その様な段階にあって、先へ先へと進むのは無理がある。処理水に含まれるトリチュウムは、薄めると大丈夫だと言っているが、本当のそうであろうか。過去にもBHC、DDT、フロンガスなど様々な物質が大丈夫と言われて使われてきた。しかし現在は危険だと言って使われなくなっている。同じ様な事が起こる可能性は無いのであろうか。

 

あらゆることで原子力のエネルギーの取り出しは、まだ問題が残されている。処理水の海洋放出よりも、福島の原発の責任として責任を持つべきであろう。

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カンボジアの支援

カンボジアの支援

 

カンボジアは今回の選挙でフンセン首相が独裁制を一層強めた。そんな国を支援するのは気が重い。しかし我々が支援しているのは、金額も少なく独裁者を利することにはならない。

 

カンボジアはまだ教師の教育制度が整っておらず、いろいろな点で支援が必要であろう。日本では考えられないが、戸籍制度が無く、村長さんが記憶に頼って、10年以上住んでいれば村民として土地が認められたりする。

 

この様な制度の下では、義務教育である児童生徒の把握が非常に重要である。愛知教育大学の支援で、プノンペンの教育養成大学に対して、子どもの成長を把握するプログラムを提供している。カンボジアでは、子どもの成長記録がなく、途中で休学している生徒の把握もままならない。

 

今後子どもの成長の記録によって、児童生徒の把握ができると、子どもの戸籍ともいえる方向に向かうのではないかと期待している

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終戦記念日

終戦記念日

 

日本では第二次世界大戦の終戦記念日として、8月15日が記憶されている。

 

世界での戦争は、まだ終わりはなく、今世紀どころかこの数世紀は、戦争の世紀と思われる。

問題の起源は、大きく二つが考えられる。

 

第一は、地球上の人口が許容量を超えている点にある。動物学の世界では、環境許容量を超えると、自分の生存をかけて戦うことになる。地球上は人の生存許容量の上限に近い状況になっている。理論的には皆が食料などを分け合えば、生存が可能であろう。しかし現実は、分配は偏り、多くは自国の利益だけを考えるから、不足する国が出る。このために常に食料は不足するところがでる。不足するところが出ると、ストレスは大きく自分の生存をかけて戦うことになる。

 

第二には、宗教戦争である。最終的には、一神教による宗教戦争が終わるまでは、世界から戦争は終わらないであろう。この様な原因を考えると、我々は個人の問題としてではなく、社会の問題として世界の戦争を見なければならない。

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花王の研究員が開発した殺虫剤

花王の研究員が開発した殺虫剤

 

最近ニュースで知った、カの殺虫剤が素晴らしいと思っている。

原理は、界面活性剤を使って、昆虫の呼吸機関である気門を使えなくすることにある。以前に学生たちと実験中に、ゴキブリを見つけて、中性洗剤を使って殺したことがある。何故死ぬのか考えてもらったが、半数以上は正解ではなかった。中性洗剤が毒なわけではなく、気門に界面活性剤が付くと、気門の付近の油が機能しなくなり、水が気門から入ってしまい呼吸ができなくなる仕組みである。

 

今回花王の研究員が開発したのは、この原理を使ったもので、画期的である。殺虫剤などの毒物は、昆虫に耐性ができることがあり効かなくなる。しかし界面活性剤は、その心配はなく長く使えるであろう。

 

東南アジアでは、現在でもカによる病気で、多くの人々が死に至る。カンボジアでもデング熱と呼ばれる病が、カによって伝搬されており、かなりの死者が出ている。カンボジア人は、デング熱は子どものマラリヤだと言いているが、日本人もかなりかかっている。

 

2000年頃のプロジェクトでは、5人中3人の駐在員が感染した。2-3月ほど入院した人もいた。こんな問題が少なく成れば、東南アジアの人々も安心が大きくなる。また世界中の人々に恩恵をもたらすであろう。

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科学は万全ではない

科学は万全ではない

 

最近では、大学でも科学概論を講義するところは少ないであろう。我々の頃に既に少なくなっていた。

 

科学概論とは、科学哲学で科学はどの様に成り立っているかを講義するものである。

科学概論を理解すると、科学は万全で無いことが理解できる。

 

最近では科学を信奉する人はいるが、科学の欠点を理解している人は少ない。科学は自然界の法則性を見つけ、そこからその法則に乗る理論を見つけ出すことである。この結果、全てのものに適用できるわけではない。この結果を知らずに科学に頼ると、過ちを犯すことになる。

 

例えば原子力発電は、まだ最終的な処理の方法も出来上がっていない。中間処理の場所も決まっていない。しかし原発で日々使用済み燃料は増加している。事故を起こした原発の、デブリの処理さえも出来ていない。これらは科学的に考えても、まだ原発が使える状況にないことを示している。もう一度謙虚に振り返ってみなければならない。

 

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夏を乗り越える

夏を乗り越える

 

年を取ると夏を超すのが難しくなる。特に昨年の夏には、来年の夏は越えられるのか心配をした。それほど暑さが響き、疲労していた。昨年の夏の予想通り、今年の夏はかなりきつい。

 

自分の病院もあるし、妻の病院もある。両者ともに複数にかかっているから、7月はかなり忙しかった。それでも7月30日には、箱庭の指導をしている亀井敏彦さんと久しぶりに会い、お互いに楽しんだ。お互いに35年ぐらい前に、子どもの野外塾で共同し、いろいろ楽しい思い出がある。よく心の知れた友人は、有難い存在である。

 

朝の散歩には、カエルの伴奏が付くし、日が昇るとセミもにぎやかになる。自然を楽しみながら、どこまで夏を乗り切れるのだろうか。

 

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