四度ゾウコンニャク

四度ゾウコンニャク  2013.7.24. 金森正臣

帰国も近くなり、残したことに追い詰められ、しばらくご無沙汰でした。先週は、シェムリアップで農村の調査をしていました。

観光の中心、アンコールワットの北、アンコールトム(トム:大きなの意味)の堀に接しているアンコールクラウ村で調査をした。アンコールトムは、4Km四方ほどの堀に囲まれ、いくつもの遺跡を含んだ(バイヨン寺院、王宮跡、ゾウのテラスなど)遺跡である。アンコールクラウ村は、遺跡修復の石工たちが多くいる村である。貧しい農村のために、中学校は無く、現在地元のNGOである、JST(早稲田大学の修復チームの、現地代表者が作っている。奥さんは日本人で、一級建築士)が支援して現在中学校を建設中である。他にもJSTは、子どもたちの栄養補給のために、時々お粥などを小学校で、提供している(写真1の小学校)。愛知県のNPO法人「オアシス」も支援していることを知って、偶然に驚いた。愛知教育大学の岡崎付属中学校の副校長を長らく勤めて頂いた、足立先生が理事長をしている法人である。

このアンコールクラウ村の調査中に、ゾウコンニャクを確認した(写真2)。以前に報告したものより小さいが、この地域では、ゾウコンニャクの若芽を野菜として使っていると言う。写真を見ると、若芽が摘まれたために芽が分裂して複数出ている。若芽を食べると言う情報は、初めてである。イモの方は、手がかゆくなるので食べないと言う。これは日本でも、コンニャクを作る際に皮むきをしても手がかぶれるのと同じであろう。2009.12.25.に書いた記事の時には、イモをカレーに入れて食べると言う情報はあったが、若芽は食べていなかった。その後に書いたゾウコンニャクの2つには、食用にすると言う情報は取れていない。これは、地元の人に聞く機会がなく、利用方法が分からなかったからである。今回の村と、おそそ150㎞ほど離れた村では、利用方法が異なっている。

 日本でも、山菜の利用に関して地域によって異なることがある。私が最初に赴任していた長野県の菅平では、アザミの茎は食べていなかった。しかし北アルプスの鹿島槍ヶ岳の麓にある、鹿島川の一番奥の集落では、アザミの茎を多用していた。季節には茹でてすぐに食べ、さらに塩蔵して冬まで食べていた。隣の白馬村でも、同じように食べていた。菅平でも食べてみたが、同じような歯ざわりであるが、味は北アルプス山麓で食べたほどではなかった。同じようなことは、フキノトウでも言え、北アルプスの山麓のものは、苦みが少なく、お浸しにしたり天麩羅にしたりしておいしかったが、菅平のものは苦みが強かった。同じように、愛知県にきてから、学内にタラの芽があり、良く食べていたが、菅平で食べるほど美味しくなかった。
この様な山菜の味の異なりは、気候の違いによることが多いと思われる。アザミやフキノトウの場合には、雪の多い北アルプス地方では、残雪が5月中旬まであり、既に気温は上がっており、雪融けの脇でとっているので、1-2日で10センチぐらいは成長する。菅平など雪の少ない所では、4月中旬には雪がないが、まだ気温が低いために植物の伸びはゆっくりで、10センチぐらいになるまでに、2週間程度かかっている。この間に光合成はゆっくり進み、苦みなどの成分も増えると思われる。短期間で成長すると、根に持っている養分を、分子量の小さい糖分にして移動させるために、味が良いと思われる。

ゾウコンニャクの場合には、気候的にはあまり変わらない地域であるから、雪融けの山菜のような、特別の相違はない。日本では、キノコに関しては地域差があり、同じ種類でも地域のよっては食べない。きのこ図鑑を書いていた今関六也氏によると、地域によって成分が異なり、あたることもあると言う。一緒に毒キノコである「ベニテングダケ」を食べたが、1-2本であれば大丈夫だった。ベニテングダケの毒成分は、水溶性であり、紫外線によっても分解されるので、茹でて水に晒すか、裂いて天日で干すと食用になる。ゾウコンニャクが、地域によって成分が異なるとは思えないが、単に地域の食文化の相違であろうか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

三たび、ゾウコンニャク

三たび、ゾウコンニャク       2013.7.8.  金森正臣

 教員養成校の卒業生の学校見学のために、プノンペン市内ではあるが、メコンをフェリーで渡り対岸の中島に向かった。MTTC(プノンペンの小学校教員養成校)の卒業生の学校を、日本から派遣のアドバイサーの先生が訪問するのについて行った。以前にこの島に行ったのは、もう10年ほど前になると思う。当時は、織物の盛んな村で、観光客の休息所が、メコンの流れの中に小屋を建てて結構にぎわっていた。しかし、その様子はすっかり変わり、機織りは少なくなり、観光客の数も少なくなっている様だ。機織りは、出稼ぎが多くなり、衰退していると言う。観光客も、フェリーが相対的に不便になった(他の場所が、交通事情が良くなった)ために少なくなっていると言う。また、島の中の食事は、あまり工夫されていないことによる、観光客の減少もありそうだ。

 島の中央を横断中に、道路脇の藪の中に、コンニャク様の植物を発見。停車して、確認して写真撮影。ヤシの仲間と思われる藪の中に生えていた。従来見てきた環境とは、かなり異なるようであるが、確かに「ゾウコンニャク」である。島であり、メコンの増水の時期には、水が来る恐れはあるが、しばらく浸かる様な状況にはないであろう。この様な環境にも、「ゾウコンニャク」があることを考えると、多分カンボジア全土に広がっている植物と思われる。


写真1:メコン河の島で発見した「ゾウコンニャク」生息地付近の環境
写真2:「ゾウコンニャク」の葉
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

カンボジアの少数部族

カンボジアの少数部族  2013.7.7.  金森正臣

 久しぶりに、カンボジアの東部のベトナムとの国境の山地の町、モンドルキリに出かけた。カンボジアにも山間部に、少数部族が住んでいる。山岳部と言っても、日本の山のように急峻ではなく、丘が連なっている程度である。標高は最高峰が、1000メートルぐらいで、居住地は300メートルぐらいから上部である。山間部に住んでいる少数部族は、いずれも2万人以下の少数で、2―3千人以下の人々もいる。知られているのは、数部族で多くはない。中にはゾウを使うことを得意とするグループもあり、今回行ったモンドルキリでも、レンタル・ゾウが観光資源の一つになっている。

 朝の市場に行った時に、少数部族の夫人が3人ほど物売りに来ていた。いずれも特徴のある籠を背負い、野生のシダや栽培品と思われるウリ科の植物(多分カボチャの仲間)のツルなどでる。想像ではあるが、少数部族は収入が少なく、市場でブースを借りることはできないのであろう。籠に荷物を入れ、各戸を回って売れば、資金は少なくてもできる。しかし担げる荷物は少なく、大きな売り上げにはならない。多分集落から数キロを歩いて来ているのであろう。町の端で見かけた米屋には、プノンペンでは見かけない破砕米(砕けた米)が多い、安いコメが売られていた。多分収入の少ない少数部族の方々のために、安いコメを集めて来ているのであろう。

以前にも書いたように思うが、少数部族は言葉もそれぞれ異なり、教育もなかなか難しい。教育の進まないことも、彼らの経済的発展を阻害している。しかし簡単な解決方法はない。今後金銭経済が浸透してくると(既にかなり進んでいるが)、周囲との格差が増すことをどうすることもできない。ムウウウー。ゴマメの歯ぎしり・・・。

 ある少数部族の集落に行った。まず目についたのは、小さなブタ(写真2)。体長は、60-70センチ、体重は30キロぐらい以下。大型犬より小さい。日本のブタは、150キロぐらいになるから、5分の一ぐらい。既に子どもを産んで連れて歩いていたから、子どもではない。大阪に居た35年ぐらい前の時代に、実験動物を扱っており、ミニブタを作ることが、皆さんの大きな関心ごとであった。この様なブタがいることが分かっていれば、もっと改良が早かったように思われる。ここの少数部族の家は、以前に行った少数部族の家より小さかったが、土の上に直接柱を建てること、壁は竹などで作り周囲が円形なこと、草ぶきの屋根などは共通であった(写真3)。集落の中には、水牛が沢山遊んでおり、水牛を使っている。しかし山の上から見た時に、水田は多くなく、何に使っているかは不明であった。一般に水牛は、水の中で働くのに適しており、コブウシは乾いた畑を起こすのに適していると言われている。ラオスのように、食用にしている(カンボジアではあまり食べない。一部、プレイベンでは、水牛のビーフジャーキーがある)のかもしれない。この集落の中には、初めて見るバナナがあった。カンボジアで見るものより大きな房で(日本で見る、フィリッピンのバナナより小さい)、草丈も大きく、果実の色は紫と黒の中間ぐらいの色であった(写真5)。まだまだ見たことのない種類がありそうである。



写真1:籠を背負い、市場で野菜を売る少数部族の夫人。
写真2:少数部族の集落にいたブタ。体重は、30キロ以下程度であろうか。
写真3:少数部族の家
写真4:水牛が多い集落であった
写真5:見かけたことのないバナナがあった


追記と報告
2007年7月7日の夕方、プノンペンで交通事故にあって、左足を骨折してタイの病院に運ばれてから、6年が経過しました。3年ほどは後遺症がありましたが、最近はほとんどなくなりました。お世話になった多くの皆さんに感謝です。2010年6月22日には、S字結腸癌の手術をししましたが、こちらも現在はほぼ後遺症なく回復です。そろそろカンボジアでの活動を終わり、8月には日本に帰国の予定です。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )