若い人のコミュニケーション能力

若い人のコミュニケーション能力
 
生徒が学校でいじめられていて、様々な情報があったにもかかわらず、担任はそれを生かすことが出来なかったようである。また親の虐待についても、先生が適切な対応ができない例などいくつかの事例がみられる。
 
原因は何であろうか。第一に考えられるのは、観察力の不足である。これは前回(2019.07.07.)に書いた。
 
第2に考えられるのは、コミュニケーション力の問題である。
コミュニケーション能力には、二つの異なった側面がある。一つは成長段階での発達、二つ目は自己訓練による発達である。最も影響するのは、生まれた間もなくの初期段階での人間関係であろう(「0歳児が言葉を獲得するとき」 正高信男 中公新書などが参考になる)。授乳時の関係がその後に大きく影響する。また核家族になるにしたがって、親子の関係が単純になり、さらに西洋的教育が関係して二元対立的な思考が多くなったと思われる。この結果、関係性が単純になり、コミュニケーションの成長の要素が少なくなった。ヒトの関係性は、複雑な要素が関連しており、二元論的思考では発達が著しく遅れる。コミュニケーション能力は、訓練されることによって向上する。どのようにしたら相手からいろいろな情報が得られるか。現代は、苦労して獲得する社会的基盤も弱くなり、人間関係が単純化した。経済的に裕福になり子どもは幸福のように思われるが、成長の過程で成長を助ける要素が意外にも少なくなっている。我々の子ども時代は、貧しくて生きるのに必死であったが、様々な人間関係に接することによりコミュニケーション能力は明らかに向上した。
 
コミュニケーションには、会話の言葉以外の要素が大いに関係している。言葉は手段であるが、人間は必ずしも本心を語らない。心理学者のユングは、人はペルソナを被ると言っている。即ち一人でいる時と、2人以上でいる時は明らかな行動に違いが出る。二人以上で社会性を持った時には、一人でいる時とは異なる行動や言葉になる。ユングは、二人以上でいる時に起こる変化を、劇で使う仮面(ペルソナ)に例えて示している。本音では無く、相手との関係が顔を出す。動物でも1頭の時と複数の時では、行動に変化が起きる。例えば1頭でいる動物はほとんど鳴かないが、複数になると声を出す。この人間関係での変化を読み取れないと、相手の現状を知ることはできない。
 
コミュニケーション能力は、声だけではなく、表情の読み取り、音声の感情の変化、わずかな行動の変化などあらゆる物事の総合である。これらを使う能力が落ちると、他人の意思を読み取り、必要な情報を得る能力も落ちる。この結果、相手の状況は読み取れず、自分が勝手に理解した範囲で判断するから、児童・生徒の困っている状況を、把握することが出来ない。更にコミュニケーションの能力が落ちる人は、状況を同僚に伝えることも上手では無く、共有することが出来ない。この様な現象が実際に起こっていることが感じられ、解決のためには、組織的に動くことも大切であるが、コミュニケーション能力を向上させることが基本となろう。現役の先生であっても、この訓練を必要と思われることは多い。先生たちは、順調に進学してきた人が多く、様々な状況の経験が少ない。現場には研修が義務付けられているようであるが、この様な研修も行われているのであろうか。私は大学にいたころに、多くの臨床心理士の方の実習場面に付き合ってきた。相手の状況を理解するには、待つことの大切さを常に心がけてきた。実習に来ていた方々は、自分の良いと思ったことを止められて大いに困っていたが、自分の思いよりも一瞬待って相手の状況を読むための方法である。現在の教育の中では、この様な訓練の場が不足しているように思われる。
 
それとは別に、コミュニケーション不足はいくつかの問題を引き起こしている。最近話題が多い、引きこもりなどもこの問題と関係している。相手に上手に意思が伝えられないと、いる場所が無く安全な家に引きこもることになる。
中学生同士が受験勉強をしようとして集まり、相手を刺し殺してしまった事件もあった。これなども相手にもう少し意思を伝える能力があったなら、起こらなかったように思われる。教科書を隠す程度のトラブルは、我々の時代にも普通に存在していたが、大きな事件にはならなかった。確かに喧嘩になり怪我をするぐらいのことはあったが。
父親が息子の受験の問題で、刺し殺してしまった事件もあった。これなども明らかに意思の疎通が、不十分であろう。また自分お思いだけで息子の意思を尊重しない父親の存在も、なかなか未発達の人格を感じられる。
兄弟間で刺し殺してしまった事件も、報道されている。
大阪にいたころ(約40年前)に感じた、核家族化、価値の単純化などがやがて問題を引き起こすであろうと思っていたことが現実になっているように思われる。
 
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久しぶりのカンボジア 16 悩み

久しぶりのカンボジア 16 悩み
 
今回のカンボジア行きで、4年生教員養成大学の創設が進行していることを確認できた。2006年ごろから、長官たちにカンボジアでも教員養成は4年制が必要であろうと促していた。しかし、予算はないし、ノウハウもないのでなかなか進まなかった。日本に研修に長く来ていた長官は、次第に熱心になり、私の帰国した2013年ごろには計画が動き始めると喜んでいた。やはり途上国では話を始めてから、実行に移されるには10年ぐらいがかかる。彼らにもプライドがあり、周囲の国々に劣らない教育計画を持ちたいことは明らかであった。
 
今回のカンボジアで、新しくできた4年生教員養成大学を2-3回訪れた。学長は私が日本に送って、博士号を取得したSさん。副学長は5人ほどいるらしいが、2人はやはり私が送り日本で修士課程を終わった、KさんとSさん。皆さん1999年からの仲間である。彼らの要請で、体力的にきついが大学のアドバイサーを引き受けることにした。
 
今回の悩みは、いくつかの教科の大学での教える実際をどうするかである。例えば、音、美、体などはカンボジアの小中学校の教育を通じて、今までだれも学習した経験が無い。教える大学の先生も、教えられる学生も(高等学校を終わってきている)共に学んだことが無いのだ。カリキュラムとシラバスを渡されても、どのように教えるのかは想像がつかない。
 
だいたいこれらの教科は、何を目的にするのかも、国によってかなり異なる。例えば日本での体育は、日清・日露の戦争を経験し、国民の体力向上を目的として始まっている。その後幾つかの変遷を経て、現在の形になっているが、いまだに国威発揚の内在的目的が存在し、オリンピックなどにおいては、義務教育の目的にふさわしくない児童の動員などがおこなわれることがある。でも現在では、ほとんど意識すらされていない。
 
上記のような内容は別として、カンボジアの子どもの現状、カンボジアの文化などに沿った内容にするのが良いと思われる。実際には、未経験者が教えるとなるとどのようにしたら良いか悩んでいるところである。多分答えは出ないまま、出発して修正しつつ進行と言うことになるのであろう。
現在まで教科として教えてこなかったが、日本なら体育で教える内容が理科の中に入っていたり、部分的には社会の中にも組み込まれている。この様な内容をどのように整理するかも課題の一つである。更に、カンボジアには独自の文化もあり、結婚式でも祭りでも、多くの人が踊る。またアプサラの踊りと言われる日本舞踊に相当するものも存在する。これらを子どもたちが興味を持って理解ができるようにするには、どのような方法があるのだろうか。全く未知の世界で、アフリカで調査を開始するより難しい問題のように思われる。
 
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久しぶりのカンボジア 15 ハタオリドリの巣

久しぶりのカンボジア 15 ハタオリドリの巣
 
泊まっていたホテルから朝の散歩に出かけると、すぐにワットランカーと言う大きなお寺の前に出る。前はフンセン公園で、私が以前に勤めていたNIEの向かいに出る。この寺の周囲には街路樹があり、いろいろな木が植えられている。この寺は葬儀代が高く、国軍兵士の死亡時などの国葬などにも使われている。どのお寺もそうであるが、寺の中にはいくつもの寮があり、地方から出てきた若者が無料で生活している。食事は各自が賄わなければならないが、地方の貧乏人には助かるシステムである。仏教の修業をしたり、学校に行ったり、アルバイトをしたりしている。
 

街路樹の一つに、以前には見かけなかったハタオリドリの巣が大通りの横に作られていた。この木には数個があったが、他の木には見られなかった。車の通りは多く、以前に金沢大学の大気の研究者と調べた時には、日本の10倍ぐらいの汚れで、フィルターが詰まって測れなかったことがあった。確かにプノンペンは木が多く、エサには困らないであろうが、この通りに面したところはいかがなものかと思われる。ヒナの肺は、埃だらけであろうと気の毒になる。外敵も少ないし、子育ては快適かもしれないが。
 
この巣は一家族用で、下から入って少し登ったところの膨らんだ場所に産卵巣がある。集団でいくつも連結するグループとは異なる。
 
アフリカではハタオリドリの巣を見ることが多かった。川に突き出した枝などに、長い紐でつるした巣を下げていた。また木の幹に集団でアパートのような巣をつくる種類もいた。この様な場所では、朝夕はうるさいほどに賑やかであった。
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久しぶりのカンボジア 14 カンボジア産の靴下

久しぶりのカンボジア 14 カンボジア産の靴下
 
カンボジアに出かける前に、準備のためにスーパーに買い物に出かけた。下着などを探していると、カンボジア産の靴下が目に留まって、思わず買ってしまった。日本でのメーカー名は、チャンピオンで薄手の短いものと厚手の長いものが並んでいた。長い方は中国製で、短い方はカンボジア製である。

 
カンボジアの縫製工場は、韓国や中国人の経営が多く、いろいろと問題を起こすことがある。例えば、給料を3-4ケ月も払わずに、突然工場を閉鎖したりすることは珍しいことではない。中国は10年以上前からすでに人件費が上がり、儲けが少なくなりつつあり、カンボジアに工場を移す動きが盛んになったいた。加えて、アメリカなどへの輸出は関税の特典が無い。ところが、カンボジアでは途上国待遇で、関税がかからないのでその分儲けが大きい。労働者の賃金もかなり安かったので、かなりの工場が増えていた。くしくも今回この様な現象を、日本に居るうちに感じる所となった。
カンボジア人の縫製工場労働者の給料は、2000年ごろには月30ドルぐらいであったが、2010年ごろには75ドルぐらいになり、現在は140ドルぐらいと言う。かなり上がっているように見えるが、食費などの値上がりを見ると、決して楽な生活では無いと思われる。2000年ごろの工場労働者は、8畳ぐらいの小屋に10人程度が寝泊まりして、共同生活を送っていた。労働時間も、1日14時間労働などは普通で、工場の環境も決して良いものではなかった。30ドルぐらいの給料の半分ぐらいを親に送り、ぎりぎりの生活をしていた。病気になるとすぐに首になり、以降の再就職は困難であった。
縫製工場に勤めるにしても、読み書きができないと就職は難しい。カンボジアの小学校の卒業率は、今でも約50%である。更にその半数は、小学校1年生でやめていると思われる。従って、読み書きのできない人が少なくない。地方ではNGOが識字教室などを開いて援助していた。しかしあるNGOの指導者は、2-3割程度が健康を害して売春婦などに落ちて行くのを嘆いていた。今でも構造はあまり変わらないように思われる。
 
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若い人の観察力

若い人の観察力
 
「久しぶりのカンボジア9(6月27日)、教育関係の集まりENJJはまだ続いていた」で書いた、若い人たちの観察力不足について、様々なところで目に付く。
 
最近学校でのいじめで、その把握がなぜできないのかを見ていると、先生たちに観察力が無いことが気づく。観察力は、努力することによって次第につくもので、自分の観察力を磨く機会が無いとつかない。
 
自分の観察力について考えると、小学校低学年から一人で野山に出かけることが多く、常に周囲を観察することが普通になっていた。これは半分恐怖心で、クマであり、ヘビであり、ハチなどの外敵に対する用心は、自己責任である。暗くなっての山道は、足元への注意も怠れない。また、小学校4年生ぐらいからアルバイトをしていたので、新聞配達、薪や炭の搬出、稲刈り、商店の配達など相手が有ってアルバイトが出来る。従って相手が何を必要としているか、どの程度満足しているか、怒っていないかなどは、常に注意を怠ったことはなかった。これが観察力の原点になったいる。大学の山岳部での経験も、観察を助けている。雪の質、斜面の角度、積雪の状態、温度など常に観察していた。また3ケ月間山に行かないと(そんなことはなかったが)、勘が鈍ると感じたこともあった。
 
現在の子どもたちは、恵まれているようであるが、自分で観察して判断し、危険を乗り切るような経験はほとんどないと思われる。教育の中で、少々に判断を求められても、自分の観察力だけを頼りに判断する力はつかない。カンボジアで若い人たちの話を聞いていた特に感じたのは、自分の観察から感じた言葉を発していない点である。どこかで聞いたような、どこかで読んだような言葉を集めて話している。これでは目の前の現実を観察して、解決を見つけ出す道には到達しない。
 
私は、現在はあまり小・中学校に行かない。昨年3回ほど6年生に授業をした程度である。日本に居た15年ぐらい前にはかなり小・中学校に出かけることが多く、毎年30-50回程度は出向いていた。教室に入ってみると、だいたいの状況は把握できる。後ろから見学していても、問題の児童はすぐに把握でき、担任の先生からいろいろ質問されたが、この基本は観察力にある。加えて、心理学的知見も役立っていたのであろう。現在でもそうであるが、精神的不安定な人に会うと、すぐに感じ取ることが出来る。途上国で仕事をしていても、敵か味方か、協力者か否かは瞬時に判断できる。また話しても役に立たないことからは、すぐに撤退することになる。特に意識しているわけでは無いが、後になってそのことが判明することが多い。
 
この様に観察力があれば、児童・生徒の不安定さはすぐに感じ取れるであろう。その原因を観察から感じることも、難しいことではない。この観察力を磨かなければ、問題に到達することも、原因に向かうこともできない。
観察力によって問題点を感じるには、もう一つの問題がある。それは自分自身の精神的な安定性である。自分に精神的なこだわりがあると、何かを見た時に現象が歪んで見える。日本では「あばたもえくぼ」と言うことわざがある。好きだと言う自分のこだわりに引き回されると、相手のあばたも可愛いえくぼに見えてしまうと言う現象を的確に示している。
 
教育の中では、教えるとなんでも学習できると思ってる傾向がある。しかし現実的には、学校の教育の中で、伝えられることはわずかである。子どもは賢く、先生の意向をくむから、教えるとなんでも学習できると錯覚しているだけである。道徳教育などはさえたるもので、学校で教えたからと言って、実行できるようになるものでは無い。東大の教育学部長や都留文科大学の学長をした、大田堯先生の著書に「なぜ学校に行くのか」(岩波書店 1984)がある。中に「体にめり込んだ知識」と言う表現がある。
 
私も学生と一緒に過ごした時代には、観察力を高めるように努力した。形のあるもの、例えば様々な木の葉を使って、形や特徴の観察。形のないもの、動物の行動などを動物園で。そして子どもの観察を自主的な集まり「自然教室」で。授業での観察は、3割程度の学生がある程度の効果が、3割程度に影響があったかな程度、4割はあまり影響なし。しかし自主的な集まりの自然教室では、6割を超える学生にかなりの影響がみられた。
観察力を養ったり、教育の本質を理解したりしないと、いじめや体罰は無くならない。体罰も、自分と相手を同じように観察できない結果であろう。
 
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久しぶりのカンボジア 13 皆さん出世

久しぶりのカンボジア 13 皆さん出世
 
以前にカンボジアにいたころに、多くの日本の友人の協力を得て、在籍していた高等師範学校(NIE)の先生を修士課程や博士課程に留学させた。私が一人で教えるのは限界があり、かつ日本に研修に出た人材が、帰国したとき知識以外に研究室の人々の影響や教え方の影響を受けていたので、極力留学に力を入れた。35-40人を送ったと思うが、だれがどこに行ったかは全部覚えていない。カンボジア人の留学は、奨学金から準備しなければならないのでなかなか進まないが、多くの友人に助けられた。帰国すると多くのカンボジア人は、給料の良いNGOなどに移籍するのが普通である。しかし幸いのことに、高等師範学校の先生たちは、ほとんど元の職場に残っていた。1人だけNGOに移籍したが、あとは全員が現在でも元の職場に関係している。
これには二つの理由があったと思われる。出発前に、帰ってきて自分の国の教育を立て直すことを約束させたこと(あまりあてにはならないと思っていたが)。もう一つは雨後の筍の様に増加した大学で、アルバイトが出来たこと。特に帰国組は評判が良く、高等師範学校にいると給料が良かったようである。アルバイトだけで、給料の3-4倍貰っていた人もいた。大学が増えた理由は、2008年頃に大学の設置基準を決めようと言う動きがあり、これ以前の駆け込みで約100万円(1万ドル)で、大学の設置が認められた時期があった。結局、以前にあった大学などが基準に合わない可能性が出て、大学設置基準は決められないままに今日に至っている。
 
今回カンボジアに行ってみて驚いたことは、留学に出した皆さんが偉くなっていたことである。国内の教員養成学校24校をまとめる局長だったり、新しい4年制の教員養成学校の学長だったり副学長だったり。途上国ではどこでも同じようであるが、人材が少ないために、偉くなった有用な人材に仕事が集中する。そのために局長に会ったり、学長に会ったりするのはなかなか難しいようである。しかし私に関しては、昔からの仲間であるし、日本への留学のきっかけをくれた恩人だと思っているので、カンボジアに来たことが知れると、あちこちから「今夜空いているか」などと声がかかる。日本のNGOでも、なかなか会えないと嘆くメンバーに、ついでにどうだと誘い一緒に夕食をすることもできた。

 
写真の右側の眼鏡の男性は、教員養成局長。左側の女性は4年生教員養成大学の副学長。左端は彼女の息子で、3-4歳ごろ日本に来ており、幼稚園に行っていた。
 
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久しぶりのカンボジア 12 ゴールデンタワー

久しぶりのカンボジア 12 ゴールデンタワー
 
カンボジアでは10年ぐらい以前に、韓国人にすごく勢いがあった。韓国銀行や韓国レストランが増え、いたるところで韓国人に出会った。このゴールデンタワーなるビルも、韓国人によってはじめられ、だいたいの骨組は出来上がった。プノンペンの大通りの交差する中心部で、各階の権利が勢いよく売り出されて、すぐに売り切れになった。ところが柱や壁だけの段階で、建築がとん挫して突然建築主が姿を消し、ビルは宙に浮いた。主力を担っていた韓国の銀行や大きなレストランのオーナーは姿を消し、どこかに行ってしまった。その後、建築業者たちが継続を試みたが、資金が続かず止まってしまった。この様なことが2-3回起こり、ビルの権利は2重3重に債権が重なり、だれも手が付けられなくなった。
大陸の人たちの感覚は、島国の日本人とは異なり、失敗すればどこかに姿を消し、その辿り着いた先でまた再起を図ろうとする。失敗の責任を最後まで貫こうとする島国の人とは、かなり異なる感覚を持っている。だからカンボジア人は、大陸の人よりも日本人を信用しており、一緒に働きたいと思っている。

 
今回どの様な事情かは不明であるが、中国資本が入ってビルの建設が進んでいると言う。今年の末までには完成のようだ。ビルの外壁は金色に輝き、まさにゴールデンタワーである。再び日の目を見ることになったこのビルであるが、その陰にはカンボジア人のかなりの犠牲者がいるものと思われる。ビルの権利を買って損をした人、建設現場で働いても賃金を貰えなかった人など。
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久しぶりのカンボジア 11 ネコ

久しぶりのカンボジア 11 ネコ
 
カンボジアのネコやイヌは、基本的にのんびりしている。人間は危害を与えないものと確信して、生活しているように見える。

 
このネコたちも、バイクが走り回る路上で、のんびりと昼寝などをしながら遊んでいる。バイクなどは彼らをよけて、走行する。決してぶつかったりはしない。これは仏教の教えによるものか、昔からの習慣に過ぎないのか不明であるが、とにかくネコ・イヌに対して優しい。どこのレストランでも出入り自由だったりする。またエサも十分に貰っているらしく、あまりがつがつした姿は見たことが無い。
 
もっとも一時期、ベトナム人が来てイヌ狩りをした時代があって(10年以上前であったと思う)、カンボジア人はあまり大型犬を飼わなくなった。ベトナム人は、イヌを食べる習慣があって、食べられたと言う噂であった。白人は大型犬を沢山飼っているが、皆リードが付いている。
 
なぜこのような優しい国民の間で、虐殺が起こったのかと聞かれることがある。私にも正確には分からない。しかし幾つかの派に分かれて、互いに反目しあうと、自分の生き残りのために起こることは不思議ではない。それはナチスドイツが行った、無抵抗な人の大量虐殺とは異なるような気がする。
動物行動学的にみると、相手を殺すほどの武器を持った動物は、最終的には殺さずに収める方法を持っている。しかし、ハトやウサギの様に相手を殺すような武器を持っていない動物は、最終的に相手を殺さずに収める方法を持っていない。このため自然界では、逃げる方法が発達している。しかし、狭い空間に置かれて逃げる方法が無いと、相手が死ぬまで戦うことになる。ヒトも動物学的には、後者のように思われる。しかし社会性を発達させることによって、大集団をつくることが出来るようになったと思われる。ただしどこかでこの社会性が崩れると、集団的いじめや集団の抗争によって、相手を殺すまで進んでしまうのであろう。この様な危険性を内包しているのが、ヒトと言う動物であろう。
 
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久しぶりのカンボジア 10 研ぎ屋

久しぶりのカンボジア 10 研ぎ屋
 
カンボジアは著しい発展を遂げているように見えるが、以前と変わらぬ貧しい人の姿も見られる。あまり表には目立たなくなっているが、写真の砥ぎ屋さんなども貧しい生活者だ。
 

気候的には寒くなる時間はほとんどないから、以前から路上生活者が普通に存在した。特に大きなお寺の裏口などには(寺は塀で囲まれていることが多い)、葬儀の後などにはたくさんの食物が出るので、それをあてにして手生活する人などがいた。アセアンの首脳会議などの度に、路上生活者などは中心部から追い出されて、街中で見ることは少なくなった。
 
写真に見られるような砥ぎ屋などの多くは、田舎の出身で街には住宅が無い。多くは市場(最近は多くが金網などのフェンスに囲まれている)などのテントの張り出した部分の下などで夜を過ごしている。仕事場は市場の肉屋さんや魚屋さんがお得意さんである。市場が開くと中を歩いて、お得意さんから注文を得てその場で砥ぐ。道具は肩にかけている砥ぎ台、砥石、水のバケツぐらい。市場の仕事が済むと街中を歩いて、個人住宅の注文も受ける。細い細い商売であるが、居住費もかからないから生活できるらしく、昔から絶えたことはない。
しかし彼らの得られる収入はあまり上がることはなく、食事代だけは確実に上がっている。経済的に発展したように見えても、やはり弱い者にシワ寄せが行っている。
 
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