カンボジア葬儀事情 1

カンボジア葬儀事情 1  2009.7.28. 金森正臣

 先月の中旬、カウンターパートの一人が突然電話してきて、化学の先生の家に行くからついて来いと言う。7時30頃に迎えに来てくれ、プノンペン郊外のやや田舎の地域の家に行った。着いて見ると葬儀の準備がなされており、何方か亡くなったらしい。化学の先生の奥さんのお祖父さんだと言う。何回か訪れたことのある家であるが、お祖父さんに逢ったことはなかった。

 家の脇にテントが張られ、盛装した大勢のお年寄りたちが集まっている。やはり亡くなったのがお祖父さんだからであろうか。ひときわ目に着いたのが、写真の天国への階段。前に写っているのは、化学の先生。頭を丸めて、弔辞の意を表している。一番奥に極楽に居られる阿弥陀仏らしきお姿が有り、そこに至る階段が、花道になって飾られている。迷わずに天国に行けそうだが、右にも左にも阿弥陀様がおられて、どこに行ったら良いのか迷いそう。日本にも死して後は天国に行く思想があるが、こんな形で明確に示されたのは初めて。分かり易くて良い。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ゾウのシッポ     

ゾウのシッポ     2009.7.20. 金森正臣

 先週の土曜日に、散歩していたら目の前にゾウが歩いていた。間近にお尻から見ることは少ないので、ついつい大きいと見とれていた。でもいつもと様子が違う。良く見るとシッポが、いつもと反対の方向に曲がっている。このゾウは、いつもシッポを右側に歩いている主人の方に曲げている。大体ゾウのシッポは、あまり立派では無く、毛の少ないシッポの先に少しだけ毛の房があるしまらないシッポだ。ブタのシッポに似ている。

 それが今日は、シッポが左側に曲がっている。どうしたのだろうと見ていたら、しばらくしてシッポを上げながら、道路わきに尻を向けて止まってからぽたぽたと大きな塊を、排出した。ヘー、ウンチする時は、やはりいつもと違う感じで、シッポも反対の方に行くのだと感心。ゾウにしては、あんまり大きなフンでは無く、やや小ぶりを数個した。あんまりよい物を食べていないのかもしれない。

 だいたい草食動物は、立ち止まってウンチをしない。食べながら、歩きながら、われ関せずのような雰囲気で、平気でボタボタと落として行く。ウシの仲間も、シカの仲間もそうだ。草食動物は、口から肛門まで草が詰まっていて、入れれば出すのかと思っていたこともあるくらい、食べると出す。アフリカゾウは、巨大なウンチを歩きながら落として行く。乾燥するとかたくなって、草の中に隠れているのにつまずくと、捻挫になりそうになる。乾いた糞は、野火の時燃え続けて、灰になると白い盛り上がりになる。湿っているとセルロース喰いのシロアリの大好物で、一晩で地中に引き込まれる。

 カンボジアのゾウは、止まってウンチをするのは、飼いならされて、止まって道路わきにするように仕込まれているのだろうか。行儀は良いが、なんだか少し悲しい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

パソコンのトラブル

パソコンのトラブル発生   2009.7.14. 金森正臣

 昨日パソコンを整理したら、トラブルが発生した。Cデスクが一杯になってきたので、動かなくなる前にと、整理したのが悪かったらしい。

 何しろ、パソコンの中はブラックボックスのド素人。ワードが立ち上がらなくなって、書くことが出来ない。エクセルも使えなくなって、会計の整理も出来ない。参った!

 CDは日本置いてきたので、直ぐに再インストールも出来ない。英語バージョンを使うかと試みるが上手く行かない。日本語バージョンは、470ドルもする上に、取り寄せるのに2週間と言う。幸いなことに、メールは読めるし、書ける。

 でも仕事が忙しい時期で、古いパソコンを持ち出すしかない。10年間居てこんなことは、初めて。疲れた。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

カンボジアの明日を創る シンポジューム 

カンボジアの明日を創る シンポジューム   2009.7.8. 金森正臣

 新しくできた「カンボジア国際教育基金」(CIESF)による、シンポジュームが、7月4日にプノンペンで開催された。CIESFの目的は、カンボジアの内戦後の国の復興にある。多くのドナー(支援団体)が入っているが、基金では、教育によってカンボジアの基礎を造ろうとしている。第1は、日本のリタイア組の先生による、教員養成所の教員の質の向上。第2は、実践的経営学を指導することによる、カンボジアにおける産業の育成と雇用の拡大。第3に、教育制度の全体を見渡せる人材の育成(教育行政のための大学院の設立)。

 今回のシンポジュームは、第2の目的の「実践的経営学講座」の開設に伴う、学生への説明。国立経済大学、私立2大学、労働省労働訓練局の4か所で、10月からコースが開設される。日本、タイ、カンボジアで実際に会社を経営している若手が、経営する上での注意事項や心掛けを説明した。また、早稲田大学の大江教授からコースの説明、各大学からどのような学生が望ましいかやコースに入るための条件などを説明。基金では、卒業後レポートを書き、実践的であると判断された者には、マイクロファイナンスも用意されている。学生は熱心で400名ほども集まり、朝8時から夕方5時まで、熱気に包まれていた。

 来賓として副首相が見える予定であったが、パリの会議に出る様に首相からの指示で、数日前に上級大臣に変更になり、プログラムの印刷に大慌て。他に篠原日本国全権大使も出席頂いて、盛況に開幕。写真は、オープニングセレモニーで、国歌斉唱の場面。カンボジアの学生は、全員きちんと起立していた。以前にJICAのイベントに出た時に、協力隊員が国家斉唱で、起立しない人がいたのに驚いた。まだ日本人は、国際人にはなっていない。君が代について、国家として反対する意見もあるが、他国の国歌に対して敬意を払わないのは、外国で働くには基礎的な教養が不足していると言わざるを得ない。

 結構短期間に、様々な準備が入り、やや疲れた。それでも、いよいよCIESFの仕事が始まることに、充実感もある。9月からは、先生たちも日本から来られるので、こちらも楽しみ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

アリマシ爺さん              

アリマシ爺さん              2009.7.1. 金森正臣

 最近アフリカのタンザニアやザイールから便りがきた。なんだか乾いたサバンナが懐かしくなった。若手の研究者が、私の調査していたタンザニアの奥地にいるらしい。昔トラッカー(道案内や荷物運び、動物追跡などの手伝いをする)に雇っていた、アリマシ老人のことが気になっていて、問い合わせたらすぐに返事が返って来た。まだ健在であると言う。

 アリマシ老人は、私が初めて雇った1995年ごろ、既に60歳ぐらいであった。その後63歳になったと聞いたことがあるが、未だに63歳だと言う。あれから年を取っていない様だ。若者たちに、ムゼー・アリマシ(アリマシ爺さん)と呼ばれており、慕われていた。彼は字も書けないし、数字も分からないので、給料を渡すと、若者たちが確認して、大丈夫だと言って渡していた。やはりアリマシは、数が分からない様だ。なんだかいつまでも若くて、「ジャンボ、ジャンボ、ジャンボブアナ」(コンニチワ、コンニチワ、旦那さん)と元気な姿を見せそうで幸せな気分になる。

 彼は、森の中でハチミツを取って、村に出て売り、生活をしていた男で、もちろん学校とは無縁な男である。従って計算はほとんど出来ないが、彼が仕掛けているムニンガ(ハチに巣を作らせる空洞の丸太)の数はきちんとわかっており、135本仕掛けていると言っていた。雇った時には、もう力は衰えていたが、森で生きる知恵は抜群で、テント場に夜間に来たゾウの大群やサファリアリ(正式にはリョコウアリ?、移動性のアリで大群をなす)の窮地から逃れられたのは、彼の経験である。若者たちも、木の利用の仕方などは、アリマシに聞いていた。

 タンザニアの平均寿命は、50歳ぐらいだったと思うが、結構長寿の老人が多い。いつも世話になった、ムゼー・ジェームスも93歳だと言っていたし、聞き込み調査をした時には、100歳になる老人から話を聞いた。孫か非孫か分からないが、小学生ぐらいの子どもが来て、牛糞の乾いたのを拾い集め、火を付けて暖を取らせ、乾いたタバコの葉を取って来て、巻いて吸わせていた。南の2度ぐらいの赤道直下でも、海抜標高が1600mぐらいあると、朝の冷え込みは激しい。この老人も全くボケは無く、確かな記憶を持っていた。ジェームス爺さんは、トウジンビエの酒を仕込んでおいて、夜には飲ませてくれた。年寄りたちは皆大切にされ、元気で、ほとんどボケていない。日本はどこかおかしく、先進国とは何なんだろうと思っている。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )