トウモロコシ

トウモロコシ

 

最近、豊川で高校の先生をしている友人から(臨床心理士)、トウモロコシをたくさん送って頂いた。これが今までに経験したことのない品種で、驚くことばかりである。

 

トウモロコシと言えば、幼いころに家の庭で作っていた畑のものが最初である。大好きであったが、胃腸が弱くあまり食べられなかった。母も好きで私に隠れて食べるのに苦労したと語っていた。そのころのトウモロコシは、各家庭でできたものを種として使っていたので、いろいろ混じっていた。黄色い色が主体であったが、紫色が混じる物もあった。通常は茹でて食べていたが小粒で房も小さい、ハゼモロコシと呼んでいた品種があり、これは干したものを炒めると、ポップコーンになった。

母は、トウモロコシは時間とともに畑に帰ると言い、湯を沸かしたから採りに行っていた。

 

今回は沢山頂いて味が落ちるのを気にしていたが、電話で教えた頂いた方法で解決した。なんとすぐに皮をむき、ラップにくるんで冷蔵庫に入れると言ういとも簡単な方法。生物学を学んだものとして考えてみると、当然なこと。トウモロコシをくるんでいる皮は、葉そのもので当然呼吸量が大きい。従って蓄えているトウモロコシの養分を消費する。したがってこれを取り除いてしまえば、呼吸量は落ち、当然長持ちする。いとも簡単な原理であったが、今まで気づかなかったことは、情けない。

 

とにかくも沢山のトウモロコシを、何日も美味しく楽しめたことは、目から鱗であった。

 

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朝はカエルの声で起きる

朝はカエルの声で起きる

 

最近気が付いたのであるが、朝目覚めるのはどうやらカエルの声。それもアマガエルの様だ。

毎朝3時ころになると、アマガエルがかなり多量に鳴き出す。暑い夜は、湿度も低く、鳴く状態には無い。しかし、朝気温が下がりだすと湿度が高くなり、雨が来ると誤認するようだ。

子どもの頃に、ガキどもが集まって棚田の土手のアブラチャンの木に有ったモズの巣を取りに行った。木が柔らかいので子どもの体重に耐え切れず、田植えの終わった水田に巣も友達も落ちた。ヒナは5匹ほどいたが1匹ずつ飼うことになった。その年はモズのエサ取りに苦労し、カエルを追いかけた。アマガエルもトノサマガエルもなかった。とにかく毎日、エサ取りに追われた。秋にはカエルが少なくなり、放すことにした。しかし家の前に居つき、2年半ほど住み着いていた。冬には自分の数倍あるキジバトを捕って、ハヤニエニしていた。そのころに家の周りにカエルが居て何時も鳴いていたが、それで眼が覚めることは無かった。

 

今朝は雨が降り始めたのが3時ころで、それでカエルが沢山鳴き出したように思われる。アマガエルも、トノサマガエルも、ツチガエルもいるようだ。なんとなく朝から楽しい。

 

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認知症の日替わり事情 5 植物の名前の続き

認知症の日替わり事情 5 植物の名前の続き

 

先月22日に、コフタバランのことを書いた。

ところがこれも間違っていて、どうやらクモキリソウが正しい。確かにクモキリソウは、就職したばかりの時に菅平で、気に入って育てていた。冬はマイナス20度にもなるので、暖房は無いがそれほど温度の下がらない半地下の温室で育てていた。好きな植物であった。カラマツの疎林の中で見つけ、鉢に植えていた覚えがある。

 

かなり親しんでいた植物であるが、ほとんどチェックすることなく、次から次に間違えた。これぞ本当の認知症であろう。いろいろ考察してみると、自分の経歴と関係ありそうである。

菅平で13年ほど過ごし、専門でない植物も多くの種類を覚えた。ところがその後大阪に移った。大阪は照葉樹林帯で、菅平の落葉樹林帯とはかなり異なる。一応植物採集にも歩いて、いろいろ教えて頂いたが(飯を食う図鑑と言われた友人ができた)、専門とあまり関係がなかったので、十分に覚えなかったようだ。その後も愛知県の照葉樹林帯であまり熱心には植物を覚えなかった。その後アフリカやカンボジアで過ごし、ある程度熱帯の植物に付き合い、かなり日本の植物を忘れていた。

 

図鑑もいろいろ持っていたが、重い図鑑が持ち歩けなくなり、だれかに上げてしまった。すっかり植物から離れて、そこに認知症が加わったから、確認がおろそかになった。考えてみると、認知症の始まりはこの確認作業が少なくなることによって起こるのであろう。

 

認知症の心配な人は、自分の知識の確認作業をすると、進行が少しは遅れるような気がする。

 

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